第139話 もう大丈夫だよね?(後編)【メグ・月乃side】

 バタン


 学生寮の自室に戻ってきた、時翼ときつばさ月乃つきの


 疲れた顔の月乃は、余所行よそゆきの服のアウターを机の椅子に放り投げた。

 服がしわになることを知りつつ、そのままベッドへ倒れ込む。


「……短期間でイベントがありすぎて、少し頭痛がするよ」


 交流会で室矢むろや重遠しげとおと約束していた、鍛治川かじかわ航基こうきとの出会い、そして別れ。

 さらには、念願だった、咲良さくらマルグリットとの再戦。


「でも、ボクはようやく、前に進める気がする。メグに学年主席を譲れなかったことは残念だけど……」


 月乃は、マルグリットの強さを認めた。

 これから、“永遠のナンバー2” という汚名を甘んじて受け止め、それでも学年主席の役割をこなしていく日々が待っている。


 マルグリットは、もう紫苑しおん学園の生徒だ。

 ゆえに、どれだけ強くても、学年主席になれない。



「偶然でも、からめ手でもない。純粋に、ボクは咲良マルグリットに負けたんだ……」


 天井に向けた右手をグッと握った月乃は、じわじわと込み上げる悔しさに耐えながら、つぶやいた。



 あの強さは、元3年主席の脇宮わきみや杏奈あんなを大きく上回っている。

 すでに彼女が防衛任務についた以上、対戦によって雌雄しゆうを決することは不可能だが……。


 マルグリットを上回る強さを追求するのは、不毛な気がする。

 だいたい、広域魔法で殲滅せんめつする魔法師マギクスと接近戦が得意なマギクスでは、水と油だ。


 加えて、自分が得意な接近戦でも、完全に負けた。

 技術ではなく、魔力による力押しで。


 自分の戦いぶりを振り返った月乃は、溜息をついた。


「他の生徒とは、あれほど全力で戦わない……。そう考えたら、ボクは貴重な体験をした……」


 マギクスは、魔力の量と質で強さが決まる。

 仮にも学年主席の自分が、あそこまで完封された。

 ならば、マルグリットは『歴代最強』どころか、『戦術レベルの決戦兵器』と言うべきレベルだろう。


「陸防の駐屯地エリアでの射撃訓練は、さすがの貫禄だったものなあ……」


 月乃が言っているのは、隣の館黒たちくろ駐屯地ではなく、親マギクス派の樫之かしの分屯地。

 ベルス女学校の敷地内に存在していて、一時的に陸上防衛軍へ入隊する形で、射撃訓練を行える。


 基本教練、銃の貸与、分解整備の座学と実習、さらに射撃訓練などを段階的に進めていく。

 これは選択性のカリキュラムの1つだから、修了することで単位の取得と、自分が学んだ知識・技術のポートフォリオになる。


「片手のハンドガンでも、50m離れた的にポンポン当てていたし……。純粋に兵士として戦ったら、瞬殺だ」


 本職並みの扱いだったものの、月乃は深く追及しなかった。

 人それぞれ、事情がある。

 特に、日本でほぼ唯一の隔離エリアであるベル女には、訳ありが多いのだ。


 本人が言わない限り、過去をしつこく聞かない。

 まるで傭兵部隊のような不文律を守り、生徒は自分にとって居心地の良い場所で過ごす。


 かくいう月乃も、高等部を卒業するまでに、自分の人生を考えなければならない。

 選択を誤れば、まだまだ危険になる身の上だ。


「ボクも、卒業後の進路を考えないとね……。一番安全であるのは、陸上防衛軍に入って、魔法技術特務隊を目指すことだ。警察、警備会社の場合は、官舎や借上かりあげ社宅のうえ、どこで誰と遭遇するやら……」


 マルグリットは、切々と重遠しげとおへの想いを語ってくれた。

 盲目的についていくのではなく、対等なパートナーとして、お互いの関係を確かめながらの旅路。


 その姿はとてもまぶしく、単純に男を知っただけでは説明がつかない、本当の美しさと強さに満ちていた。


 いつかは自分も、あんな風に語れる男と出会えるのだろうか?



「…………お母さん」


 思わず呟いた、一言。


 月乃の家庭の事情は複雑で、母親はすでに亡くなっている。

 長い黒髪に、紫の瞳。

 写真の中だけに残った母親は、年齢のわりに可愛い姿で、ただ微笑むだけ。

 何も答えてくれない。


 デスクの上に載せた写真立てを見た月乃は、年の離れた姉にも見える遺影に話しかける。


「ボク、そろそろ、お母さんより年上になるよ? 時間の流れは、本当に早いものだね……。お母さんが生きていたら、色々と相談できたのに……」


 写真の中の母親は、今の月乃にとって、姉とも思える若さ。

 その年齢で、彼女は散った。


 センチメンタルになった月乃は、何とか起き上がり、歯磨きや風呂を済ませた後に、再びベッドに倒れ込む。




 そこには、もう1人の自分がいた。

 大学生ぐらいの年上で、姉のようだ。

 母親ではないことが、本能的に分かる。


 合わせ鏡のような2人は、そのまま向き合う。


 やがて、もう1人の自分が口を開く。


『もう、大丈夫だよね?』


 なにが?


『ボクは、間違えてしまったから……』


 …………


『今の君には、大勢の仲間がいる。咲良とも、無事に仲直りできたようだね? ああ、ボクも彼女と再び戦ってみたかったよ……』


 君は……。


航基こうきも、正直アレだけど……。ボクが愛した男だから、大目に見てやってくれ……』


 恋愛対象ではなくなったが、航基の態度によっては、友人になれるかもね?

 彼が、それに応じて距離感を保つとは思えないけど。


『ボクは、もう行くよ……。最後に君の顔を見られて、良かった。元気でね……』


 …………



 チュンチュン


 月乃は、外から聞こえる小鳥のさえずりで目を覚ました。


 今日はまだ休日と思い出した月乃は、二度寝をする気になれず、洗面台に向かう。

 しかし、鏡に映った自分の顔に、涙の跡があったことに驚く。


「どうして……。ボクは、泣いていたのだろう?」


 この世界線の月乃に、【花月怪奇譚かげつかいきたん】の記憶はない。

 でも、無性に悲しかった。



 グスッ ウッウッウッ



 いきなり襲ってきた、悲しい気持ちに耐えられず、月乃は泣いた。

 彼女は訳も分からないまま、ただ泣きじゃくる。


 まるで、誰かへのとむらいのように……。



 今の自分がここにいるのは、きっと素晴らしい幸運の結果だ。


 そう思いながら、床に座り込んで泣く月乃。

 デスクの上にある写真立ての中から、優しげな瞳がじっと見守っていた。



 ◇ ◇ ◇



「失礼します」


 1年主席の執務室に入った咲良さくらマルグリットは、時翼月乃の席へ向かう。


 人の気配と視線に気づいた月乃が顔を上げ、話しかけた。


「やあ、メグ……。今日は、何の用だい?」


「月乃に苦労をかけるけど、新型のバレが欲しくて――」


 話し合いを続けながら、マルグリットは机のすみに積まれている本の種類が変わったことに気づく。


 ベル女の図書館にある、防衛軍、警察、警備会社の案内書。

 その他に、理想のお嫁さんになる方法、初心者の登山と、様々な本が脈絡もなく、山になっていた。

 ファッション誌、観光ガイドは続投のようで、月乃が変化したことをうかがえる。


「メグ、聞いているかい?」


 月乃からとがめられたマルグリットは、慌てて返事をする。


「え、ええ! 聞いているわよ!! あなたにスコアで支払うから、私のクレジットで何とか手配を――」



 そこにあったのは、失われたはずの光景。


 原作では死んでいたはずの咲良マルグリットがいて、道具とされた末に死んだ時翼月乃も、1年主席の椅子に座っている。

 執務室の窓から外を見れば、他の女子たちが思い思いに、自分の居場所へ向かう様子を見られる。

 人権すら奪われた末路としての紛争の影は、全くない。


 今日の授業や訓練の愚痴を言い、次の交流会に向けて作戦を練る。

 流行りのアイテムを衝動買いしては邪魔になったことを嘆き、そろそろ夏の準備だと水着のカタログを見ては騒ぐ。


 ベル女の生徒たちは、今日も元気だ。



『頑張れ、月乃! あなたなら、できるわ! だって、あの人と私の娘なのだから……』


 彼女の声は、月乃に聞こえない。

 しかし、居場所があって、親友ができて、まっすぐに前を見たことで、彼女の娘はきっと良い方向へ進んでいくだろう。

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