第118話 かけがえのないパートナーとの蜜月(前編)

 目の前には、まるで芸術のような風景が広がっている。

 殿上人てんじょうびとになったと錯覚してしまうほどの、特別な空気。

 

 ここは、俺のお付きである南乃みなみの詩央里しおりが探してきた、山々を一望できるホテルの一室だ。


 専用の通路を抜けた先にある、スーパースイート。

 天然温泉の内湯のおかげで、ずっと部屋で過ごせる。


 フローリングのリビングと洋風のベッドルームに、畳ゾーンもある和モダン。

 その面積は、ちょっとしたマンションを思わせる広さ。

 バスルームから絵葉書のような風景を窓越しに楽しめるうえに、ゆっくりと日光浴ができる屋外スペースも。

 まさに、木々に抱かれる自然豊かな場所で、保養にぴったり!


 白の壁紙に、茶系の色、深い黒という大人向けのカラーリングで、まとめている。

 子供向けのファミリー用とは、かなり雰囲気が違う。



「純和風もいいのだが、千陣せんじん家を思い出すからなあ……」


 海外ブランドのソファに座った俺がつぶやいたら、隣の詩央里が応じる。


「だと思いましたので、ここを選びました。単純に、こちらのほうが、よっぽど過ごしやすいですし……」



 歓迎のあかしでテーブルの上に置いてあったメニューから、1つ選ぶ。

 すると、10分もしないうちに、ドリンクと軽食が運ばれてきた。


 グラスを合わせて、乾杯。

 その後、片手に持ったグラスをテーブルの上に置き、詩央里に頭を下げた。


「今回は、すまなかった! 詩央里には、いつも迷惑をかけているのに……」


今更いまさらですよ。若さまの行動で振り回されるのは……」


 隣に座っている詩央里が、俺の横にしなだれかかってきた。

 言葉を交わすことなく、何とはなしに過ごす。



 広いリビングの大きな窓から一面の緑と大空を眺めていたら、スース―と寝息が聞こえてきた。

 俺の膝に頭を乗せた詩央里が、無防備に寝ている。


 詩央里の髪の毛を軽く触りながら、そのままソファに身を預けた。



 静かだ。



 ここには俺たち2人を邪魔するものはなく、映画館のスクリーンのような窓ガラスの外で風に舞う木の葉、揺れる枝、差し込む日光、それに流れていく雲だけが時の流れを教えてくれる。

 あえて時計を設置していない、ちょっとしたデザイナーズマンションほどの広さがある空間が、今の俺たちの全て。



 何も気にせず。

 何もしなくていい。


 それこそが、最高の贅沢ぜいたくなのだ。



如月きさらぎ……」



「如月は、ここにおります。重遠しげとおさま……」


 小声でつぶやくと、視界のすみに正座をした如月が現れた。

 彼女は動きやすい着物で、堂にった深いお辞儀をする。


「俺は、間違っていたのかな……」


 顔を上げた如月は、正座で黙ったまま。

 膝に指を揃えた両手を置いて、目を伏せたまま、控えている。


「あそこは……。ベルス女学校は、確かに救われた。悲劇の1つは事前に断たれたのだろう。でも……」


 膝の上で眠りこけている詩央里の寝顔を見た。



 やつれた形跡がある顔だ…………。



 無意識に、こぶしを握りしめた。


「俺は……。ベル女を見捨てて、厄介な敵に集中するべきだったのかもしれない……」


 救おうと思えば、キリがない。

 今も世界のどこかで事件があって、人が死んでいる。


 本当に大切な人間は、誰だ?



「俺がベル女にいた間、詩央里はどんな気分で……」


 1週間の滞在ばかりか、延長の数日間。

 術式で脳内通信をしていた室矢むろやカレナは、詩央里にどのような連絡をしていたのか?

 それに、ベル女の校長の性格では、ろくな情報が流れたとは思えない。


 加えて、約4日間の自宅での引き籠もり。

 おまけに、再会した時、俺は何も説明をしなかったのだ。



 咲良さくらマルグリットを失ってからの数日間、まともに眠れなかった。

 1週間半の情を交わした相手でも、あれだけの苦悩。


 まして、幼少期から共に育ち、武家の作法にのっとった初夜をちぎり自分の全てを捧げてきた相手が、危険な敵地に1人で乗り込んだとなれば……。



「重遠様がそこまでお悩みならば、今回の判断は間違っていたのかもしれません」



 床で正座をしたままの如月を見た。


 彼女はその紫色の瞳を俺に向けながら、話を続ける。


「次からは、詩央里さまと共に、死線へおもむくと良いでしょう。人は、死ぬ時には死にます。ならば、お互いに悔いのない死に方を選ぶべきだと、私は愚考いたします」



「……これからは、そうしよう」


 再び床に上体を伏せる如月を見ながら、返事をした。


 考えてみれば、今の俺は、室矢むろや家の人間だ。

 しょせんは千陣家の分家の1つに過ぎず、どうするのかは、家長である俺が決めればいい。

 代わりは、いくらでもいる。


「もし将来的にどちらかを選べ、と言われたら……」


 俺の発言に、顔を上げた如月がじっと待つ。


「世界よりも、詩央里を選ぶよ」



 俺をまっすぐ見たままの如月は、正座をしたまま、静かに言う。


「そのお言葉は、ぜひ詩央里さまに直接お聞かせくださいませ……」


 そうだな。

 ここで如月に言っても、仕方がないことだ。



「悪かったな、如月? 愚痴を聞かせてしまって……」


「いえ。重遠さまの心労を軽くできたのなら、この如月、望外の喜びでございます」


 流れるようにお辞儀をした如月を見ながら、詩央里の頭をそっとソファに置いた。


 今のうちに、1人でゆっくりしておこう。

 夜を考えたら、どっちみちシャワーは浴びておくのだし……。


「如月、詩央里を頼んだ」


「はい。お任せください」


 ソファから立ち上がり、詩央里を起こさないように、開放的なバスルームのほうへ歩き出した。



「重遠さま……」



 如月に呼びかけられた俺は、その場で立ち止まり、振り返る。


「短期間とはいえ、私たちもベル女にいました。あの召喚儀式は、重遠様がいなかったら、大きな被害をもたらしたでしょう……」


 黙ったまま、如月の意見を聞く。


「あなた様は大勢を救いました。それも、純然たる事実でございます……。ベル女の人間は、もう重遠さまに会えません。ですから、私が代わりに申し上げておきます」


 如月は、改めて口を開く。



「私たちを救っていただき、本当にありがとうございました」



「役に立てて、何よりだ…………。如月……。俺は風呂に入る。しばらく、1人にしてくれ……」


 色々な感情がごちゃ混ぜになった状態で、何とか言い切った。


 如月の、行ってらっしゃいませ、という言葉を背中に受けながら、広いリビングを後にする。

 今の自分の顔を見られなくて良かったと思いながら……。



 ◇ ◇ ◇



 正座をしたままの如月は、姿を消さずに、そのまま控えている。


「……詩央里さま?」


 その言葉を受けて、むくりと南乃詩央里が起き上がった。

 こちらも、立ち去った室矢重遠と同じく、複雑な表情をしている。


「助かりました、如月……」


 しゃべり終わった詩央里は、ソファに座り直して、リビングのテーブルの上にある電気ケトルのスイッチを入れた。


 正座から見事な所作で立ち上がった如月が、お茶菓子の用意などを始める。



「やっぱり……。私は、当主の妻のうつわじゃなかったのでしょうか……」


 後悔の念にえない詩央里の呟きに、明るい声が返事をする。


「詩央里でダメなら、他の女じゃ尚更だよ! そもそも、お付きの家臣がいなくて、1人でやっているのだから……。無理が出るのは、当たり前」


 いつの間にか、睦月むつきが室内にいた。

 彼女は、詩央里をリラックスさせるために、言葉を続ける。


「重遠には弥生やよいがついているから、安心して! たぶん、霊体であるのを良いことに、近くで裸をガン見していると思うけど!!」


「今の言葉で、ぜんぜん安心できなくなったのですが!?」


 真顔になった詩央里だが、睦月なりの冗談だと思い直して、ソファから立ち上がる。



 詩央里、睦月、如月の3人でお茶をいただきながら、話し合う。

 着物の少女たちと、ラフな私服の詩央里。

 まるで、姉妹のティータイムのようだ。


 畳のスペースにいることで、睦月と如月はいつもより柔らかい表情。



「そういえば、あなた方は若さまをどう思っているのですか?」


 睦月は、んー、と考えてから答える。


「詩央里と重遠は、僕の大事な友人だから……。困っていたら助けるのが、当然でしょ? 真面目な弥生は『お役目だから』、かな?」


 如月は、フフと笑ってから、喋り出す。


「重遠さまは、とても可愛い御方です。あれだけ無力なのに、必死な様子で頑張って……。ああ、私のてのひらにもう少し力を込めたら絶命するのですねと思ったら、体の芯からしびれるほど、ゾクゾクするのですよ。今、私の手の中に重遠さまの全てが握られているのだなと……。申し訳ありません、はしたない意見で」



 時が止まった。



「もちろん、重遠さまは大切な存在です。詩央里さまも、姉のようにお慕い申しております。私たちが仕えている夕花梨ゆかりさまのご意向にもよりますが、できるだけ良い関係を維持したいと願っています」


 さっきの言葉は、冗談ではないんだ。


 そう思う睦月と詩央里だが、あえてそこに触れず、無理やりに話題を変えた。

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