第54話 とある少女の失恋の向かう先

 少女はある時、願いをかなえる本を手に入れる。

 本当に必要な時に開きなさい、と言われた。


 バカバカしい。

 そんな都合の良い話、あるわけがない。


 けれども、少しだけ気になり、その本を開いてみようと試みた。

 各ページを接着剤で固めたように、開かない。


 ガッカリした少女だが、捨てる気にも、返す気にもならず、寮にある自分の部屋の鍵がかかる引き出しの奥に放り込んだ。




 ベルス女学校は、周囲から隔離された学園都市。

 女だけの空間では色々あるが、他のグループの縄張りに迷い込まなければ、そこまでの面倒事はない。


 逆に言えば、どこへ行っても、教職員に監視されているのだが……。



 ある日、少女は運命を感じた。


 男がいない、ベルス女学校。

 そこでは、修道女のような生活が待っていると思っていた。

 しかし、全く期待をしていなかった交流会の出会いで、まさか自分が夢中になるとは……。


 これまで、自分が男に好かれる努力をしてこなかったのが、悔やまれる。

 でも、きちんと話せたし、手応えもあった。


 自分なりにアプローチをしたことで、きっと夜の特別交流会に呼んでもらえる。

 そう、思っていた。


 だが、現実には少女は選ばれず、他の女子が夜を過ごしたのだ。


 翌朝、友人に囲まれる女子生徒を見て、少女も祝福した。


 気づかれなかっただろうか?

 自分の声は、震えていなかっただろうか?


 少女は彼を見ることができず、話しかけられても、その場を立ち去るのみ。

 結局、それ以降に一言も話すことなく、交流会を終えた。




 辛いことは、時が忘れさせてくれる、と言う。

 けれども、少女は、まだ苦しんでいた。

 他の男子を見ても、どこかに彼の面影を探してしまう。


 少女は、魔法師マギクスとしての修練に打ち込んだ。

 何もしなければ、余計に考えてしまうから……。


 幸いにも、訓練をしようと思えば、いくらでも行える環境だ。


 各魔法のコントロールと、模擬戦。

 相手を仕留める軍隊格闘技、逮捕術などの技術。

 実弾射撃と、それを用いたマギクスとしての戦闘訓練。

 相手の戦意を挫くための、心理的な駆け引き。


 現場研修として、いくつかの作戦にも加わった。


 現場研修の評価には、本人に直接伝えられる内容と、学校の教職員へ送られるレポートの2つがある。


“実務能力は極めて優秀なるも、自分を追い込みすぎる傾向。マギクスとして除名するには惜しい人材であることから、学校側の教育での改善を期待する”




 しばらくの時間がった。

 それでも、少女は自分の思いを引きずっていた。


 周囲の人間に気づかれないように注意していたが、それでも無防備になる夢の中や、ふとした折に思い出すことで、少しずつ正気を失っていく。


 やがて、少女の精神が擦り切れるのを待っていたかのように、今度は幸せな夢が続いた。

 あの時の交流会で自分が選ばれ、相手と深く分かりあえて……。


 これまでになく、細胞の1つずつまで満たされる感覚。


 しかし、それも目が覚めれば、終わってしまう。

 薄幸の少女は、眠ることを待ち望むようになった。




佑佳ゆかは、半年後に結婚するの?」

「うん。早めにしておいたほうがいいって、親も言っているし……」


 その言葉で、少女は現実に戻された。

 なまじ夢の中で幸せだったことで、氷の海に突き落とされたような底冷えを感じる。


 その後、少女は、それまでの幸せな夢を見られなくなった。



 少女が不幸であったのは、表面的な付き合いをする友人は多かったものの、本音をさらけ出せる親友がいなかったこと。


 優秀すぎたから、周囲は距離を置いた。

 取り組めば、初めてのことでも優秀な成績を収めて、苦楽を共にする機会に乏しい。

 

「あの人は、私たちと違うから」

「きっと、悩みがないのだろうね」



 わいわいと騒いで、自分の本音を吐き出していれば、気持ちを切り替えられたかもしれない。

 友達に突っ込みを入れてもらうことで、客観視もできただろう。


 交流会で相手にされなかった女子の大半は、バカ騒ぎによってストレス発散をしている。


 皆、――を分かってくれない。

 それに今更、どんな顔をして言えば、いいのだろうか?


 少女は、いつもの残念会に集まる女子たちを見ながら、自分の中に沈殿していく、どす黒い感情を意識した。


 

 ベルス女学校の交流会は、定期的に開催されている。

 そんなに寂しいのなら、早く自分を選んでくれる男子を見つければいいだけ。


 だが、少女は躊躇ためらう。

 今頃になって、考える。


 あの時に、せめてお互いの気持ちだけでも確認しておけば、良かったのだろうか?


 その疑問に答えられる者は、どこにもいない。



 ―――これは、願いをかなえる本だから



 寮の部屋でリラックスしていた少女は、その言葉を思い出した。


 無意識に、彼女の視線が、鍵をかけた引き出しへと向かう。

 しかし、すぐに頭を振ることで、自分に湧いてきた考えを否定した。


 これ以上、変なことを考える前に、寝よう。


 そう考えた少女はベッドに潜り込んで、部屋の明かりを消した。



 久しぶりに、夢の中で彼に会えた。

 そして、本当は君のことが好きだった、と言われた。


 汗で寝間着がぐっしょりの少女は、飛び起きた。


 荒い息をしながら、そのまま過ごす。

 時計を見ると、まだ深夜の1時だ。


 とても寝つける状態ではなかったので、シャワーを浴びる。



 少女は、温水で汗を洗い流し、さっぱりした。

 ふと洗面台の鏡を見ると、自分の姿が映る。


 ……我ながら、酷い顔だ。


 容姿のことではない。

 むしろ、美しいほうだと自負している。


 好みによって評価は変わるが、男女どちらに聞いても、美少女だと答えるだろう。

 交流会で想い人に選ばれると思っていたのは、自惚れではない裏付けがあったから。


 しかし、その美少女には、長期間の精神的な不調と、自分を追い込むことで、疲労が深く刻まれていた。

 いくら若くても、限界を超えた生活を続ければ、こうもなろう。



 ……これじゃ、彼に選ばれなかったのも、無理はない。



 そう思った瞬間、少女の中で何かが、ぷっつりと切れた。


 彼女をよく知る人物が見たら、本当に同一人物なのかと疑うほどの、壊れた笑みを浮かべる。

 半開きになった口からは、小さな笑い声が漏れた。


 そうだ。

 まだ、半年もある……。


 少女はバスタオルを体に巻くことも忘れ、ゆらりと洗面所を出た。


 ペタペタと裸足に特有の足音を立てながら、自分の机へと向かう。

 まだ残っている水滴はどんどん床に落ちて、彼女の軌跡を示した。


 椅子が汚れることを気にも留めず、少女は座った。

 別の場所に隠していた小さな鍵を取り出して、引き出しを開ける。

 そこには、一冊の本があった。



 ―――これは、願いをかなえる本だから



 大丈夫。

 きっと、上手くやれる。


 意を決した少女は、その本に手をかけた。

 すると、以前に手こずったのが嘘のように、あっさりと開く。


 少女は、とても無邪気な笑顔になった。

 同性ですら見惚れるであろう、その笑みは、彼女の魅力を余すところなく表現している。


 もし、その自然な笑顔を見せていたら、意中の男が惚れていたかもしれないことは、かなりの皮肉だ。


 いずれにせよ、苦しむ少女は、1つの決断を下した。

 もう止まれない。


 少女は、ベルス女学校で上位の1人だった。

 単純な強さだけなら、校内はおろか、現場に出ているマギクスにも勝てる。

 当然、彼女を慕う生徒は多く、その人望は厚い。



 この本に書かれた通りにすれば……。


 少女の頭の中は、いかにして実行するのかだけ。

 策を弄して勝つタイプなので、一度スイッチが入ったら、目的を達成するまで突き進む。


 やるべきことが見つかった少女は、久々にぐっすりと眠る。

 もはや、夢を見る必要はない。



 それまでの悩みがなくなった少女は、元の落ち着いた様子に戻った。

 密かに心配していた友人たちは、彼女が元気になったことで安堵する。



 ベルス女学校で、変わったお呪いが流行り始めた。

 誰が始めたのやら、色々な記号を刻み、独特のフレーズを口ずさむ。


 教職員が見つける度に注意して、刻まれた落書きを消して回るが、焼け石に水。

 なにしろ、生徒との数が違いすぎる。


 生徒の自治に任せていた部分が大きく、まとめ役である模範生に頼むが精一杯。

 そのうちの1人である少女は、毅然とした態度で、事態の収拾を約束した。


 もうすぐだ。

 じきに、――は自分の幸せを取り戻せる。


 教職員、生徒たちの誰もが信頼している、優秀なマギクス。

 その少女の内心にあったドロドロした感情は、強い使命感に昇華された。


 ゆえに、不審な生徒は誰だ? と目を光らせている人物のチェックにも全く引っかからず、野放しに……。

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