第47話 メインヒロイン南乃詩央里のネタバレ(後編)

 紫苑しおん学園の屋上には、涼しい風が吹いている。


 バカなことを考えながら大の字になって寝転んでいると、ここが【花月怪奇譚かげつかいきたん】というゲームの中、もしくはそれに似た世界だとか、夢のように思えてきた。


 陽が傾いてきたな。

 完全に暗くなる前に、済ませておくか……。



 体を動かして落ち着いたので、次は座禅。


 カバンを尻の下に置き、足は交差させるだけで組まない。

 前後左右に軽く揺すって、中心を整える。

 手は体の中央で軽く合わせ、顔は真っ直ぐ。

 目を軽く開けたまま、斜め下を見る。


 座禅は、本職に言わせれば、いつまでも喋ってくれるほど、奥が深い。

 頭の中に思い浮かぶことをただ見送り、呼吸による数をかぞえて、自分の呼吸の音を聞く。


 次第に呼吸が深くなり、意識が今に収束してくる。


 ………………


 右回りに、後ろを振り向く。

 背後の人物の右手が伸ばされていたので、振り向き様に自分の右手で払い、こちらの身体にヒットさせない。

 相手は、自分の右手が体の正面にきて、左手も動かしにくい状態。


 即座に右手を伸ばして、無力化された右手の袖の近くを外側から掴む。

 内から外に手首を返して絞り、こちら側に引き寄せた。

 相手が倒れまいとする踏ん張りを利用して、立ち上がる。


 制した右手を上げさせたまま、無防備になった脇腹へこちらの左手を押し当てて――



「んっ……。ちょっ、ちょっと待って! 降参! 降参!」



 我に返った俺は、見慣れぬ女子の右腕を押さえつつ、自分の左手を相手の脇腹にぴったりと添えていることに気づいた。

 彼女は人体の急所の1つをさすられ、かなり焦っている。


 飄々ひょうひょうとした感じの女で、亜麻色の髪が目につく。

 あごから肩の間のボブによって、活発な印象だ。

 茶色の瞳は、興味深げに俺を見ている。


 美人ではあるが、油断ならない雰囲気。

 微かに、パッションフルーツのような香りがする。

 爽やかだが、甘い。



 その女子は、心底びっくりしたという顔のまま、口を開く。

 はたから見れば、抱き寄せられているのに、随分と冷静だ。


「いやー! ちょっと揶揄からかうはずが、逆に驚かされちゃったよ」


「失礼しました、先輩。急に、後ろから近づかれたもので……」


 目の前の女子に “3年生” を示すプレートがあることを見て、態度を改めた。

 すぐに彼女の右手と脇腹から離れたうえで、かかとをそろえ、頭を下げる。


 危ない。

 もう少しで、3年の女子に左ボディ、所謂いわゆるレバーブローをかますところだった。

 


 その女子生徒は笑顔のまま、鷹揚おうように手を振った。

 さっきの今で興奮しているのか、頬が赤い。


「いいって! 元はと言えば、いきなり背後から近づいた私が悪かったし……。私は、高等部3年の澤近さわちか葵菜あいな。これでも、生徒会長をしているんだ」


「そうですか……。すいません。分からなくて」


 葵菜は生徒会長を示すバッジを輝かせながら、苦笑した。


「ま、1年生で委員会みたいに学内活動をしていないと、そんなものだよ! 私は君をよく知っているけどね、室矢むろやくん?」


「俺のことをご存じで?」


 にまーと笑った葵菜は、1つずつ指摘していく。


「君は、この紫苑学園で人気ランキングの上位に躍り出た新星だからねえ……。授業やテストで全体を引っ張っていき、体育の授業でも大活躍のホープ……。女子の間じゃ、誰が付き合うのかでうわさになっているよ。これまでノーマークだったから、みんな慌てている」


「あまり、実感が湧きません」


 俺が呟いたら、葵菜は不思議そうな顔に。

 じろじろと俺を見ながら、自分の考えを整理していく。


「確かに、顔はいい……。でも、言っちゃ悪いけど、前にチラッと見た時はこんなにオーラがなかった。それでいて、前ほどじゃないものの、やっぱり卑屈だし……。彼女がいないのに、妙に女慣れをしている。今だって、私の身体に触ったのに、ぜんぜん動揺しない……。あまりに、チグハグすぎる……」


 かなり失礼なことを言われているのに、人懐っこい顔と言い方のおかげで、あまり怒る気になれない。


 生徒会長の葵菜は、独り言のように続ける。


「実際に会ってみれば、少しは分かるかなと思っていたけど。余計に、謎が増えた気分……。私、人を見る目はあるんだけどなあ? これまでのどのタイプにも、分類できないや……。さっきの動きを見ていた限り、古武術や格闘技の心得もあるのか……。君、いったい何者?」


 言いたい放題の葵菜は、腕を組んで、横目で俺を眺めた。


「1年Aクラスの、室矢むろや重遠しげとおですよ」


 つまらない返事、と言わんばかりに、空を仰ぐ葵菜。


 まいったな。

 3年生の先輩を相手に、こちらから立ち去るわけにはいかない。



「生徒会長! 生徒会室に帰らんでいいのか? 副会長たちが、そろそろキレるぞ?」


 俺の義妹である、室矢カレナの声が聞こえてきた。

 こいつも、神出鬼没なんだよなあ……。


「おー! 君がうわさの占い少女、カレナちゃんだね!? うわー! こうして見ると、中等部どころか初等部と言っても通用しそう!」


 いきなり上機嫌になった葵菜は、つかつかと近づき、遠慮なしにカレナの身体を触る。

 嫌そうな表情のカレナだが、しばらく彼女の好きにさせた。


 そろそろいいじゃろ? という雰囲気で、カレナが指摘する。


「私の占いがなくても、仕事を放り投げたことでお主がどうなるのかは、自明の理じゃろ?」


 痛いところを突かれた葵菜は、顔に縦線を入れた。


「タハハ、そうだねー。カレナちゃんにも会えたし、そろそろ帰るか……。室矢くん。何かあったら、いつでも生徒会室に来なよ? ついでに、生徒会に入ってくれると、すごく嬉しいけど!」


 最後までマイペースに振る舞った生徒会長は、ひらひらと手を振りながら、下り階段へ消えた。



「お兄様……。大丈夫か?」


 カレナに声をかけられ、俺はようやく一息ついた。


 富裕層の子供が通う紫苑学園で、生徒のトップを張るだけの迫力はある。

 さっきの先輩は、ちょっと苦手だな……。


「ああ、助かった」


 俺がお礼を言ったら、カレナは不安げな顔になった。

 正面から軽く抱き着いて、両腕を俺の背中に回し、制服にその顔を埋める。


「お兄様……。お主は……恨んでおるか?」


「何を?」


 意味が分からず、質問に質問で返す。


「私は、お主を苦しめるつもりはなかったのじゃ。お主が望むのなら、全てを忘れさせても……」


 カレナの苦しそうな声に、俺は静かに答える。


「俺は……、それでも生きたいと思う。どれだけ苦しくても、自分の目で最後まで見届けたいんだ。他ならぬ、俺自身の意思で……」


 病弱だった前世の俺は自分で病室を出ることすら、かなわなかったのだから。

 その部分は、心の中でつぶやいた。


 視点を変えれば、俺が千陣せんじん重遠しげとおになって、良かったこともある。


 奴がするはずだった悪行を減らせた。

 もし願い通りに、どこかのモブで生活していたら、いきなり千陣重遠の行動に巻き込まれていたかもしれない。

 それに、主人公の鍛治川かじかわ航基こうきだったら、なまじ前世の知識があるだけに、最初のハードモードに耐えられなかった可能性が高い。


 人はやるべきことがあるから生きている、という考え方がある。

 ならば、俺がやるべきことは、何なのだろう?



「分かった。いきなり変なことを聞いて、すまなかったの……。私は、お主を愛している。それだけは、覚えておいて欲しい」


 顔を上げて、安堵したような声を出す、カレナ。

 その青い瞳からは涙があふれていて、いつもの生意気な感じは全くない。


 彼女は、こんなにはかなげだったろうか?


 風が、カレナの長い黒髪をさらっていく。

 今にも消えてしまいそうな少女。


 何でも分かるはずなのに、何でも行えるはずなのに……。



 カレナの美しい唇が、俺の近くにある。


 その潤んだ瞳を見ていると、彼女は自分の身体をさらに押し付けてきた。

 俺の背中に回されていた両腕に力が籠められ、2人の身体がくっつく。


 カレナの唇が――



 ギイイッ



 いきなり発生した屋上の扉の音のせいで、つま先立ちのカレナが飛び跳ねた。

 俺も、急いで彼女から離れる。


「あー、もう! いいところだったのに……。室矢くーん! 君たち兄妹がそういう関係だってことは、黙っておくから!! 愛があれば、大丈夫だよ! それじゃ、気をつけて帰ってねー!」


 あの生徒会長。

 こっそり隠れて、俺たちの会話を盗み聞きしていたのか……。


 俺は思わず怒鳴ろうとしたが、その前にバタバタと逃げる足音が響く。



「なんで? 滑る! すっごく滑るうううううぅ!! 誰か止めてええええええ!」


 カレナが、何かしたようだ。

 葵菜の愉快な声と共に、廊下を制服でモップ掛けする音が続いた。


 悪は、滅びる定めにある。



「帰ろう、お兄様! 私たちの家で、詩央里しおりが待っている」


 いつもの態度に戻ったカレナが、話しかけてきた。


 怒っている南乃みなみの詩央里しおりを思い浮かべた俺は、思わず口に出す。


「詩央里を待たせると、『時間を計算して作っているのですから』とうるさいものな」


 俺の日常。

 帰りを待つ人がいる日々……。



 カレナは俺の手を握って、離さなかった。

 まるで、一度離したら、もう二度と掴めないかのように。


 他の生徒に見られただろうから、噂にならないと良いのだが……。


 氷の上を滑った後に激突した感じで、廊下の端の荷物置き場に上半身を突っ込んでいた生徒会長を見なかったことにして、俺たちは下校した。

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