第17話 洋館2Fに残る探索者の痕跡と深まる謎

 ――― 本館 地下 魔法陣がある部屋


 女子大生の下舘しもだて久未くみは恥ずかしそうに、俺を誘ってきた。

 さっきの動画を見て興奮したのか、両手の指や太ももを擦り合わせながら、顔を赤らめている。


 ここで俺が反応をしなければ、自分から服を脱ぐか、俺の下半身を弄ろうとするに違いない。


 デジタルビデオカメラを床に置き、端的に命じる。


「ここは危険だから、一刻も早く外に出よう」


 そう言いながら立ち上がり、久未に手を貸して立ち上がらせた。

 彼女はしぶしぶ、俺の行動に従う。


 この場にいる限り、先ほどの久未の誘惑が残ったままだ。

 地下室を見回し、入ってきたのとは別の扉を見つけて、再び探索を開始する。



 見るからに優しく可愛い、それもスタイルが良い女子大生からのお誘い。

 普通なら条件反射で応じるところだが、この業界にいると嫌でも用心深くなってしまう。


 これは、お互いによく知ってから、という感情論ではなく、あくまで実利的な話だ。


 人間が無防備になるのは、睡眠、排泄、そして絶頂する時。

 怪異の中には、そちら方面に特化しているのもざっていて、うっかりすると格下にあっさり食われる。

 一時的に精神的な防壁が取り払われるので、暗示にかかりやすくなってしまうこともまずい。


 俺も千陣せんじん家から廃嫡されるまでは、そういうのを含め、散々に修行をさせられたものだ。


 どこのバトル漫画かってぐらいに、ぎりぎりまで追い込まれた。

 宗家を継ぐために、という名目だが、その教育は本気で頭がイカれている。

 あの時の師匠には、二度と会いたくない。



 話を戻すと、さっきの広い地下室に転がっていた人骨は、あのデジタルビデオカメラに映っていた3人だった。

 寄り添うように重なり合った衣服の切れ端は、確かに画面の中で彼らが着用していたもの。


 ここからは俺の推測だが、男1人、女2人で肝試し、または雨宿りに来て、館から出られなくなった。

 かろうじて、あの地下室までは一緒に逃げてこられたが、すぐ外には化け物たちが行き交っている。


 彼らは目の前の恐怖から逃れるために、3人で刹那の快楽に溺れ続け、そのまま力尽きたのだ。

 普段ではとても言えない、本音をぶつけ合いながら。


 男は求める女たちに応え、彼女はもう1人に奪われまいと頑張って、片思いの娘も必死に縋りつく。


 貴重な体力と精神を使い果たしたら、破滅するだけ。

 そう分かっていても……。



 彼らが、いったい、何をしたというのだ?


 真夏の服装でバックパックなどを背負っていないことから、この辺りの避暑地に来ていて、暇を持て余した学生たちがちょっと覗いてみたと推測できる。

 それに、あの身長と雰囲気では、彼らはまだ…………。


 少なくとも、あんな死に方をするべき人間ではない。


 ただ、館に来ただけだろう?


 1人の女は恋に破れて、泣いたかもしれない。

 それでも、違う男との出会いがあって、幸せな毎日になったかもしれないのに。


「あの……、大丈夫?」


 俺の雰囲気を感じ取って、久未が心配そうに声をかけてきた。

 できるだけ優しい声を意識して、彼女に返事をする。


「ああ……。少し、さっきの彼らのことを考えていただけだ」


 かつてのイカれた修行に意味があるとしたら、これを仕掛けた敵をぶっ飛ばすためなのだろう。



 ◇ ◇ ◇



 地震によって床が大きく崩れたことで、洋館は一気にその雰囲気を変えた。

 まるで、沈んでいく船からねずみが逃げ出すように、各部屋の化け物たちが動き出す。



 ――― 本館1F 使用人のための各部屋


 かろうじて落下を免れた室矢むろやカレナと南乃みなみの詩央里しおりは、1階の探索を続けた。


 2階への階段の奥には人目に触れる機会が少ない、使用人のための空間がある。

 簡素な住み込み部屋、業務用のキッチン、洗濯機・乾燥機、タオル類のリネン室、裏口。


 いずれも重要な物品を保管する場所ではなく、他の探索者の痕跡もなかったので、さっと見回っただけ。


 別館へ通じる正規の通路は瓦礫がれきで塞がっていて、本館の裏手の庭に行くためには、使用人が使っていた裏口のみ。


 散発的に人だった化け物、館の腐肉をかじる大ネズミなどが、襲ってきた。

 どれも、カレナの体術と、詩央里の巫術ふじゅつによって、駆逐される。

 上半身だけで動く死体、鉈や包丁で襲ってくる狂人、虫の群れは、脅しにすらならない。


 詩央里は主である室矢むろや重遠しげとおがいなくなったにもかかわらず、全く焦っていないカレナに問いかけた。


「ずいぶん落ち着いているのですね、カレナ?」


 カレナはにっこりと微笑み、さらっと言い返す。


「重遠は、あれぐらいではビクともしないのじゃ。それより、問題はもう1人のほうだな」


 真顔になったカレナは新たに加わった1人、下舘久未について言及する。

 自分の主を差し置いて、赤の他人を心配するのかと、詩央里が驚く。


 詩央里とカレナは、1階の探索が終わった。


 本館のエントランスの奥にある階段によって、2階へ移動する。

 階段はよく見えるオープン型で、落下防止の柵がある内廊下には2階の部屋の扉もいくつか確認できた。




 ――― 本館2F 客室


 本館の2階に上がったエリアは、ホテルのように客室が並んでいる。

 立地的に日帰りは無理だから、この館の主がもてなしていたのだろう。


 各部屋にはベッドが2つ並んでいて、ツイン、シングルのどちらでも対応可能。

 出入りするドアには簡易的な鍵があるものの、どの部屋も施錠されていない。


 簡単な書き物、読書ができるデスクと椅子。

 ハンガーをかけられる洋服ダンス、本棚、バッグやスーツケースの置き場。

 数人が座れるソファも。


 構造上、仕方ないのだろうが、窓がない部屋ばかりで、かなり窮屈な印象だ。

 ランクとしては、一般的なビジネスホテルの安い部屋。


 天井近くの壁と足元に通風孔があって、常に人工的な換気が行われている。

 ボイラーなどを利用した全館タイプの空調設備は、動いていない。


 どの部屋も、画一的な家具が同じ配置になっている。


 まだ使えそうな寝具がある部屋には、誰かが使った痕跡。

 室内に残った足跡はくっきりとした物が交じっていて、まだ使えそうな物資がないか漁った様子も、そこかしこに。


 南乃詩央里は人が隠れていないかをチェックしながら、一緒にいる室矢カレナに話しかける。


「私たちの前に、けっこう迷い込んでいるみたいですね」


 カレナは、つまらなさそうに応じた。


「館そのものが、どんどん犠牲者を誘い込んでいるからな……。生身の人間が安心して寝られるのはこういう扉がある密室と、相場が決まっておるのじゃ」


 過去の出来事を視られるカレナは、1つのベッドで男女の営みがあったことに気づく。

 迷い込んだ犠牲者の2人が、生前に楽しんでいたようだ。


 内廊下の扉の前では1人が見張りをしていて、その男に内緒でむさぼり合っていた。


 カレナは、特に言うほどのことでもないと判断して気にせず、他の場所を調べる。



 探索中の詩央里がデスクの上にあったメモを見ると、はぐれた仲間への呼びかけがあった。


“タケシへ! 館の電源を復旧させないと、ろくに見えない。このまま本館にいても、手詰まりだ。俺は裏口から庭に出て、窓から見えた別館へ行ってみる。カイより”


 ひょいと覗き込んだカレナは、残酷に言い放つ。


「紙と文字が、けっこう劣化している。そやつらは、もう死んでおるの。……いや、動かぬ骨になれれば、まだ御の字といったところか」


 それを聞いて、詩央里は呟く。


「私たちは、ちょうど電源が復旧したタイミングで良かったですね? まだ健在な人と合流して、情報交換をできれば……」


 詩央里の楽観的な発言に、カレナが冷や水を浴びせた。


「まともに話ができれば、良いのだがな? こんな化け物だらけの洋館に長くいて、装備も知識もない素人が正気でいられるとは思えんのじゃ」


 襲ってくるようなら、始末するしかない。


 そう匂わせたカレナに対して、退魔師である詩央里も無言で頷くのみ。




 ――― 本館2F 客室がある内廊下


 客室から出た南乃詩央里と室矢カレナは、次の部屋へ歩き出す。


「詩央里、少し待て……。ここにも、部屋があるぞ?」


 カレナが急に立ち止まって、詩央里に呼びかける。


 詩央里は、不思議そうな顔で周囲を見渡す。


「何も……見えませんが?」


 カレナは、訝しむ詩央里に構わず、壁を探る。


 かんぬきを外すような操作をすることで、取っ手を出した。

 内側へ押し込んでいくと、扉のように道を空ける。 


 その様子に、詩央里は思わず声を上げた。


「なっ!?」


 長く押し込められていた、身体に悪そうな空気。

 久々に解放されたことに喜んでいる彼らをやり過ごした後、詩央里は中を覗き込む。


 そこは、1人がようやく通れるぐらいの、狭い空間だった。

 奥まで伸びていて、部屋というよりも、ただの通路。


 召使いが使っていた物置か、あるいはゴミ置き場か?


 そう思う詩央里だったが、カレナは険しい顔で奥へと歩いていく。

 釣られて、せまい通路へ……。

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