序章 真紅の勇者
「エンティーナ・アル・ヴィエント。貴様との婚約を破棄する!」
新年を祝うパーティの席で、フレイム・ビーツアンナ第2王子は参加者全員に聴こえるように高々と宣言した。
馬鹿か?この王子は馬鹿なのか?
後ろでガラスの割れる音がした。王子の発言に驚いた誰かが手に持ったグラスを落としたのだろう。
「貴様がサマンサに行った数々の非道!知らぬとは言わせんぞ!」
そういえば馬鹿だった気がする。この王子から知性を感じる発言を耳にした記憶がない。
サマンサ・ドーリエ伯爵令嬢と、鼻の下を伸ばして話をしている様子を何度か見かけた記憶もあるが、そうか、そういうことになっていたのか。
政略結婚として選ばれた婚約者であったので、小指の甘皮ほどの好意も抱いていなかったフレイム王子だったが、まさかここまで馬鹿だったか。
「聞いているのか!言い訳があるのなら言ってみろ!」
真紅の勇者家の長女である私と、ビーツアンナ王国第2王子との婚約は、軋轢が発生している王家と勇者家との関係改善の為に取り結ばれたものである。
貴族院も全会一致で賛成していることから分かるように、これは政治の話なのだ。そこに個人の好き嫌いなどが挟まる余地はない。
逆を言えば、形だけでも結婚してしまえば、後は愛人をつくろが何だろうがどうでもよろしいのだ。それを100人近い参加者のいるパーティでぶち壊すなど、一体なんの気の迷いか。
「何か思い違いがあるようですわ。後程ゆっくりとお話し致しましょう」
こんな大勢の前で、こんなくだらない話をするわけにはいかない。とにかく場を移さねば。
「思い違いなものか!サマンサから全ては聞いている!言い逃れはさせん!」
「王子はお疲れで夢を見ているのでしょう。どなたか休憩室へお連れなさってください」
私の言葉にハッとした数名の貴族が、王子に駆け寄る。
「そうでございます王子。一度お休みになれば…」
「触るでない!誤解も思い違いもない!私はこの女狐との婚約を破棄し、サマンサと結婚するのだ!」
周りで大人の貴族たちが頭を抱え始めた。手遅れになれば取り返しがつかなくなる。
まったく、そんなにサマンサがお気に入りなら、後で愛人にでもすればよろしいでしょうに。それなら誰も異論はないはずだ。もちろん私も異論はない。
とはいえ問題はそこではない。問題は、こんな大勢の前で私との婚約を破棄すると宣言してしまったことだ。
今、王家と勇者家との関係がこじれるのはまずい。
元々ビーツアンナ王国では、両家の仲が非常に悪い。勇者家の立ち位置は特殊で、身分としては貴族と王家の間くらいなのだが、国家運営には関わらない。王家からすると、政治に対する責任は無いくせに、身分だけは高いというところが気にくわないのだ。
ただ、勇者の扱いは大陸としての決まり事であり、勇者に喧嘩を売ると、大陸最大国家であるトープグラム帝国に喧嘩を売ることになる。
そして近年、暗黒地帯で発生する瘴気の濃度が上がっているのだ。その影響で魔物の被害が増えており、国として対策が急がれている。
この婚約には、王家と王国の守護者である勇者家との連携を強化する狙いがある。
それが完全に壊れるとなると、国民の間で不安が高まり、それが国への不信感に繋がり、最悪の場合、反乱などに繋がる恐れがある。
「何を黙っている!何か言わんか!」
流石に黙ってはいられないか、聞いている人が多すぎる。
「申し訳ございませんが、私がサマンサ嬢に何をしたのでしょうか?」
「何をだと!?例えば、廊下ですれ違う度に足を引っ掛けただろう!」
は?
「私が、ですか…?」
「他にいるものか!」
そんなしょうもないイタズラを、私がしたと…?
「まだある!サマンサが毎日育てていた裏庭のバラを踏み潰したのも貴様だろうが!」
私とフレイム王子とサマンサ嬢は、同じ王立学院に通う同級生でもある。学院には確かに裏庭にある花壇にバラが咲いてある。
が、あれは用務員さんが手入れをしているものであって、サマンサは関わっていない。先月撤去されていたが、それを私のせいにされているのか?
「他にも、聞こえるように悪口を言ったり、サマンサ宛ての茶会の招待状を盗んで破り捨てたりしたろう!極めつけは、私に近付くとドーリエ家に迷惑がかかると裏で脅していただろう!」
フレイム王子は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。サマンサは両手で顔を覆って泣いている…ようにも見えるが、あれはフリだ。口元がにやけている。やるならちゃんと演技しろと思う。
「何か言え!エンティーナ!」
くだらない。
あまりの茶番に怒りがこみ上げてくる。
「私が、このエンティーナ・アル・ヴィエントが、そのような幼子がするような嫌がらせをしたと……?」
私は真紅の勇者の娘だ。民の守護者としての誇りを持っている。嘘をつかず、法を守り、弱きを助け、悪を許さず生きてきた。
「今までの私の姿を見て、それでもサマンサ嬢のおっしゃることを信じるのですね」
「何ぃ⁉︎貴様はサマンサが嘘をついたと言うのか!」
「私はそのような嫌がらせはしておりません。しかしサマンサ嬢はされたとおっしゃっています。王子はどちらの事を信じますか?」
私の言葉に王子は言葉を詰まらせる。王子も知っているはずだ。エンティーナ・アル・ヴィエントがどういう人物であるのか。
おそらくこれが最後のチャンスだ。今なら何とか誤魔化せる。
その時、サマンサが王子の腕に手を回し、「フレイム……」と囁いた。
その言葉に王子はハッとした顔をする。
「そうだな。私は誓った。信じると」
王子の顔から迷いが消えた。
この女、やりやがった。
「私はサマンサを信じる!エンティーナ!貴様との婚約は破棄する!」
大勢は決まった。サマンサ・ドーリエの勝ちだ。
大陸歴208年。12月。エンティーナ14歳の冬のことだった。
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