間章 其ノ捌

閑話 妹とは、怖い存在なのですよ。


〜 ダンジョン都市【幸福の揺籃ウィール・クレイドル】 〜


《ドルチェ視点》



 噂には聞いていたし部下からの報告も受けていたけど、凄いわねココ。


 私はドルチェ。

 種族はダークエルフで、冒険者ギルド・ケイルーン支部の支部長を務めているわ。


 私は現在、協力関係となった迷宮の主、マナカが創った街へとお邪魔しているの。

 まあ、情報交換が主な目的ね。今は大陸中がきな臭いことになってきているから。


 かつてマナカの情報をギルド本部長に漏らし信用を失った私としては、彼に全力で協力することには罪滅ぼしの意味もある。

 一度信用を裏切ったという事実は変わらないけれど、幸いな事に彼は、私の得意な情報収集の能力を高く買ってくれている。


 彼の目的の障害になった私に、それでも協力を求めてくれたのだ。

 せめてそれには、全力を以て応えなければね。


 それにしても、迷宮ってものは本当に凄いわねぇ。

 主の知識や記憶に拠る如何なるモノでも創造することができるという権能。

 まるで神様みたいね。


 見たこともない植物や建造物。

 そのどれもが彼の記憶に有るモノだとすれば、彼が前世で生きていたという世界は、様々な文化や物に溢れた豊かな世界だったのだろう。

 一度で良いから、そんな世界を見てみたいわね。


 久しく忘れていた好奇心が刺激される。


 森や神霊樹の管理に躍起になって外の世界を識ろうともしない、外の者達を見下し蔑む故郷の慣習に馴染めず、嫌気が差して郷を飛び出した私にとっては、森の外の世界はとても美しく感じた。


 見た事のない物や人に溢れ様々な文化や風習が形作られていた世界は、心躍る、私にとっては冒険の舞台だった。


 長い時を掛けて大陸中を歩き回り、気付いたら知人も増え、私自身もAランク冒険者にまでなっていた。現役の頃は【潜影】なんて二つ名まで付けられていたわね。


 一通り世界を見て周り、そろそろ腰を落ち着けようかと考えていた頃に、かつて新人冒険者の頃に世話をした現ギルド本部長のゲルドに声を掛けられて、支部長になった。

 それからは後進の育成や指導に当たり、優秀な諜報員を多数抱えることになった。


 何の目的も無く、ただ何となく、腰掛けで始めた支部長としての立場や行動。

 それが、今では世界の命運を左右するような事態に関わることになるだなんて、人生っていうのは不思議なモノよね、本当に。


「ええと……此処よね? 迷宮入り口のゲートって。」


 そんな自身のこれまでを思いながら辿り着いたのは、まるで神殿のような佇まいの建造物。

 冒険者風の人達が出て来た事から、間違いは無さそうだ。


 中に入り光を放つ魔法陣――転移の魔法陣かしら?――を護るように立つ衛兵達に、声を掛ける。


「マナカの妹の……マナエだったかしら? その子に迷宮の新階層を試してほしいって頼まれて来たんだけど。」


「ああ、マナエ殿の。伺っておりますよ。ご苦労さまです。滞在カードと、ギルドカードを拝見しても?」


 言われた通りに、冒険者ギルドに所属している証であるギルドカードと、この街に入場した際に作った滞在カードを提示する。


「拝見します。ドルチェ様……と。はい、問題無いですね。今回は特別に、試験階層まで直接転移される事になるそうです。危険な時やお帰りの際には、こちらの転移石を使用するようにとお預かりしております。」


 あら、助かるわね。

 情報交換の後に、あのマナエって子に呼び止められて依頼をされたわけなんだけど、この転移石って物が有ればいつでも帰って来られるのね。


 流通は……あら残念。

 この迷宮でしか使えないのね。


「元Aランク冒険者とお伺いしておりますが、どうぞお気を付けて。この迷宮は、現役Aランク冒険者パーティーである【火竜の逆鱗】の皆様でも手を焼いている、難易度の高い迷宮ですので。」


態々わざわざありがと。精々気を付けるわね。」


 ご丁寧に忠告してくれた衛兵に礼を言って、転移の魔法陣の中心に足を踏み入れる。

 魔法陣が輝いたと思ったら、次の瞬間には視界が切り替わっていた。




〜 ダンジョン【惑わしの揺籃】 ??階層 〜



「いやああああああッ!!?? な、なんなのよアレぇええええええッッ!!??」


 走る。ただひたすらに走る。


 後ろをチラと確認すると、仰向けで身体を逸らし、その状態で手足を着いて、恐ろしい形相で壁や天井を縦横無尽に這い回る少女が追い掛けて来る。

 なんであんな姿勢でこんな速度が出せるのかは不明だけど、ひとつだけ確かなことは、アレは明らかに人では無い、恐ろしい魔物だということ。


「こっち来ないでえええええええええええッッ!!??」




 ◆




 転移して辿り着いたのは、何処かの屋敷の中の一室だった。


 生活感のあるその部屋をグルリと探索すると、執筆机に一冊の手記を発見した。

 そこには震えるような文字で、こう書かれていた。



『アレは娘なんかじゃない……娘に取り憑いたナニカ……アレは悪魔だ……逃げられない……アレは娘の顔で、身体で、声で……何処までも追って来る……逃げなくては……この屋敷から……出られない……誰か助けテクレ……タスケテ……』



 最後の方は蚯蚓ミミズがのたくったような難解な走り書きのようになっていたが、どうやら屋敷の主人が書いた手記のようだった。


 随分手の込んだ演出ね……

 消え入るような手記の文字を追いながら、何となく背筋に冷たいモノが走る。


「つまり、この屋敷を支配するソレから逃げて脱出しろ……っていう趣旨なワケね? 面白そうじゃないの。」


 部屋には出入口の扉が一つだけ。

 罠の有無を確認して、慎重にノブを捻り、扉を開ける。


 扉の向こう側は、長い廊下だった。

 片側にいくつもの部屋が有り、先が闇になって見通せない程の長さの廊下から、相当大きな屋敷であると判断できる。


 もう片側には窓が無数に並んでいる。

 観てみると嵌め込み式の開かない窓で、そこから見下ろすと暗闇の中に地面が辛うじて見えた。


 目算で、五階ってところかしらね。


 兎に角脱出を図るのであれば、一階に辿り着かなければならないようだ。

 窓は硝子張りだが、どうやら壊れる類いの物ではなさそうだ。


 一先ずは廊下を歩く。

 一応迷宮の中でもあることだし、魔物や罠には充分に注意をしながら。


 途中いくつかの部屋を覗いてもみたが、特に最初に居た部屋と変わり映えも無く、探索しても特に何も見付からなかった。




 ふと廊下の先に、明かりが見えた。

 慎重に近付いてみると、ドアの隙間から漏れた明かりだった。


 ここに来て初めての変化に胸が踊るが、決して油断せずに、慎重に扉の隙間を覗く。


「だあれ?」


 掛けられた声に、身体がビクリと震える。

 誰か、居る……?


 そこは、子供部屋だった。

 天蓋付きの大きめのベッド、沢山のヌイグルミや人形、床やソファに散らかされた女の子用の衣類……


 そしてベッドの上には、この部屋の主と思しき可憐な少女が寝巻き姿で身体を起こし、こちらを見詰めていた。


『アレは娘なんかじゃない』


 先程の手記の内容が脳裏に浮かぶ。

 この可愛らしい少女が、だと言うのだろうか……?


「新しいメイドさん? それとも衛兵さんかしら? パパったら全然遊んでくれないのよ。人や物を与えていれば良いって、そう思ってるんだわ、きっと。」


 少女は頬を膨らめて、不満げな顔をする。

 私は何だか嫌な予感がして、何時でも踵を返して逃げられるように後ろに重心を掛ける。


「だからね? 退屈だったからね? お友達を呼んだの。最初は文字を書いてお話していただけだったけど、段々と声が聴こえるようになったのよ?」


 凄いでしょう? と笑顔を見せてくる。

 嫌な予感はどんどん強くなってきている。

 逃げなくては……


「遊ぼう、ってね? 遊ぼうって、そう聴こえたから、良いよってお返事したの。」


 少女の首が、ゆっくり横を向き。

 そのまま、捻りは止まらず、後ろを向き……


「それからは、ずっと一緒に居るの。お屋敷のみんなと沢山遊んだわ。パパとも、ママとも、お兄ちゃんやお姉ちゃんとも。」


 グルリ、と。


 有り得ない光景を見せられて、身体が硬直してしまっている。

 首を一周回転させた少女の割れるような笑顔から、その亀裂のような笑みを湛える口から、目が離せない。


 辺りに、異臭が漂ってくる。


「お姉さんも、と遊んでクレル?」


 私は、全力で部屋から逃げ出した。




 ◆




「キャハハハハハハハハハハハハハッッ!!」


 兎に角走る。

 現役だった頃と比べて体力が落ちているせいか、それとも恐怖のせいか、息切れが激しい。


「この……っ! 【風の刃ウィンドカッター】!」


 得意な風属性の魔法を放つ。

 だけど、当たらない!?


 背面反りの格好で、器用に気味の悪い動きで、放たれた不可視の刃を躱す少女だったモノ。

 暗器のナイフを投げても、他の属性の魔法を放っても、尽く躱されてしまう。


 床を、壁を、天井を背面反りのままで這い回り、長く伸ばした舌から唾液を垂らしながら、屋敷中を逃げ回る私を追い掛けてくる。


「いったいなんなのよコレはあああああッッ!!??」


 徐々に詰まってきている距離に戦慄しながら、それでもひたすらに手と足を動かし続ける。


 っていうかこの屋敷広過ぎじゃない!?

 かれこれ四半刻は走り続けているのに、廊下が延々と続いてまだ階段すら見当たらない!


 本当にこれ脱出できるの!?


 不意に懐に仕舞った転移石のことを思い出す。

 魔力を込めれば起動して、脱出できる筈だ。


 慌てて取り出した転移石に、藁にもすがる思いで魔力を込める。

 

 しかし、転移石は起動しなかった。

 それどころか、あのマナカの妹だという少女の声が、聴こえてきた。


『あはははは! どう? 楽しんでるぅ?? 残念でしたーっ! これは転移石じゃなくて、あたしの声を録音した魔石でしたー♪ ねぇねぇ今どんな気持ちぃ〜?』


 その声に呆気にとられ、足を絡めて転んでしまった。


「な……!? どういうことよッ!?」


 更に縮まってしまったアレとの距離に、慌てて立ち上がって再び走り始める。

 手に持ったその魔石を握りつぶさんばかりに強く握りしめ、睨む。


『どういうことだー!って怒ってるかなぁ? これはね、お兄ちゃんにした事に対する報復だよ♪ お兄ちゃんは優しいから有耶無耶にしてくれただろうけど、あたしは貴女のこと、許した訳じゃないからね?』


 顔から血の気が引いていくのが自覚できた。

 その声には、隠し切れないほどの怒気が込められていた。


『貴女がダンジョンを訪れるのを、ずっと楽しみにしてたんだぁっ♪ お兄ちゃんに内緒でこの【悪魔憑きの館】を創り上げて、貴女を招待するのを、ずっとずぅっと待ってたんだよぉ?』


 怒りを湛えた声と共に、背後からあの少女だったモノの這いずる音が、徐々に近付いてくる。


『殺したりはしないから、そこは安心してね? でも、捕まっちゃうとあ〜んなコトやこ〜んなコトや色々されちゃうから、覚悟しといた方が良いよぉ? 一階の玄関の扉が脱出できる転移門になってるから、精々頑張ってねぇ♪』


 脳裏にマナエの顔が浮かぶ。

 今思えば、会った時から嘘くさい笑顔で、言葉数も少なかった。

 私は、嵌められたのだ。


『お兄ちゃんを裏切った事の恨み、たっぷりと味わうと良いよ。でもあたしも鬼じゃないからね。そこから無事に脱出するか、丸一日想像を絶するヒドイ目に遭えば、赦してあげる。終わらない無限鬼ごっこで、精々恐怖を堪能しなさい。』


 その言葉を最後に、魔石は沈黙した。

 背後から這い寄る気配は、更に距離を縮めてきている。


 彼女に、マナエに恨まれていた。

 或いは、マナカが家族と呼ぶ他の仲間達にも。


 考えてみれば、それは当然の事だ。

 私はコルソンの紹介とはいえ、私のことを信用して事情を明かしてくれた彼女の兄を、裏切ったのだから。


 あの無邪気そうな笑顔の裏で憤怒に身を焦がしていたかと思うと、背筋が凍る。

 今更ながらに、自分が仕出かした事への後悔と、これから我が身に降りかかる顛末に恐怖を抱く。


 彼女の怒りは尤もなモノだ。


 いくら献身的にマナカに尽くしたとしても、裏切った事実は消えないし、変わらない。

 そしてそれに対して、何の報いも受けていない。


 だから罰として、甘んじて受けるべきなのかもしれない。

 でも……


「あ〜んなコトやこ〜んなコトって、いったいどんなコトなのよおおおおおおおおおッッ!!??」


 無理ッ! 怖過ぎるぅッ!!

 更に距離を縮めてきたアレに捕まって、私いったい、ナニをされちゃうのッ!!??


「ゲヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘッッ!!! 待ってよオネエサ〜〜ン♡」


 なんか笑い声が下品な感じになってきてるんですけど!?

 不気味な格好で長い舌を振り乱し、少女だったモノが目を血走らせて迫って来る。


「い、いやああああああああぁぁぁッッ!!??」


 走る! 走る走る走る!!

 私は、この無限に続くとも思える屋敷の廊下を、兎に角下の階を目指して逃げ続けた……




〜 翌日:迷宮出入口ゲート 〜



「ど、ドルチェ殿!? そんな格好で、いったい中でナニが有ったんですかッ!!??」


 そこには衣服を乱しはだけさせて、謎の粘液塗れになって陶然とした目をしたドルチェが、横たわって転移させられて来た。

 転移を察知して確認に来たマナエは、たった一言。


「ふふふっ♪ もう、裏切っちゃダメだよ?」


 そう、彼女に声を掛けたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る