閑話 未亡人、決意する。


〜 ダンジョン都市【幸福の揺籃ウィール・クレイドル】 〜


《ルージュ視点》



「どうかな、ルージュ。雑貨店なら、ここがピッタリだろ?」


「はい。本当に、何から何まで申し訳ありません。」


 わたくしは、マナカさんの創った街の一角、商店街のひとつの店舗に来ています。

 以前マナカさんが仰った通りに、住居付きの店舗を頂ける事になったからです。


 頂くとは言っても、賃貸契約ですけれどね。ゆくゆくは資金を貯めて、買い取りたいところです。


 商店街とは言っても、未だ用意されている店舗には幾つも空きがあり、通りに面した、とても広々とした店舗を選ぶことが出来ました。


 1階の通りに面した広間が店舗スペースとなっており、天井は高く、柱も無い広々とした空間が作られています。

 なんでも、柱を取り除き、頑丈な梁と壁で建物を支える構造らしいです。


 広間の中央にはまるで孤島のように、内側に物置棚を備えたカウンターが四方を囲む、接客スペースが設けられています。

 店内の隅々まで見渡せて、盗難防止の用心になるとの事でした。


 実際に入ってみると、確かに店の総てが見渡せます。

 大変画期的な造りだと感じました。


 これは、商品の陳列や棚の配置もしっかりと考えねばなりませんね。自ら死角を作らないよう、注意しなくては。

 まだ陳列棚も商品も有りませんが、数々の商品と買い物客に溢れる店内を想像すると、俄然やる気が満ちてきますね。


 1階の奥には廊下が伸び、一番奥には、両側に向かい合うように商談に使える応接室と事務室が作られていて、そして廊下の手前には2階と地下へ行き来する階段が在ります。


 地下は倉庫になっており、商品の在庫を大量に仕舞って置けるようになっています。

 そしてなんと倉庫は2部屋あり、片方は普通の倉庫ですが、もう片方は部屋全体が冷えており、食品や薬品を保管するのにも適した物となっていました。


 迷宮の魔力で動き続ける、“レイゾウシツ”と云う物だと説明を受けました。

 この倉庫を見て此処に決めたと言っても、過言ではありません。


 2階には居住スペースが作られています。

 階段から上がると扉があり、扉を潜るとすぐに居間に出ます。


 広々としたゆとりの有る空間で、まだ家財道具は揃っていませんが、一般的な家族が全員で寛げるような広間になっています。

 そんな家族の顔を見ながら料理ができるよう、対面式のカウンターを備えた台所が設けられており、覗いてみると見た事もない術具が並んでいました。


 街に来て商売を始めてくれる、わたくし達への贈り物と仰いましたが、どのように使うのでしょうか?

 え? 今教えてくださるのですか?




 まあ! 素晴らしいわ!!


 ツマミを捻るだけで火起こしから調節まで出来る竈――“魔導コンロ”。


 食品を冷やして鮮度を保つことができる箱状の術具――“レイゾウコ”。

 え? 一番下の引き出しの中は、凍らせることも出来るのですか!?


 おかしな形をした風車(ファンと云うらしいです。)が回転し、煙や湯気、調理中の臭いを家の外に追い出してくれるという術具――“カンキセン”。


 取っ手を操作するだけで飲み水もお湯も即座に出てくる魔法のシンク。


 更には、簡単に汚れを落とした食器をその引き出しに入れて起動させるだけで、熱いお湯と“センザイ”? で自動的に洗い乾燥までしてくれるという術具――“ショクセンキ”。


 どれもこれも夢のような能力の術具で、これならばカリナに任せ切りな家事も、かなり楽になるでしょう。


 しかもなんと、マナカさんからショクセンキで用いるセンザイの製法を伝授されてしまいました!

 専売品として扱うことを許され、センザイに用いる材料の取り引きや製造を、わたくしに任せて下さったのです!


 いきなりの大事業を任され腰も引けますが、上手く軌道に乗れば相当な利益が見込めます。

 何しろ、人は毎日食器を汚しますからね。


 しかも聞くところによると、こちらのセンザイはショクセンキを使わなくとも、直接泡立てて、洗い上げに使えるとのこと。

 油汚れもスルスルと落ちる、素晴らしい品です!


 ショクセンキを持たない家庭でも使えるなんて、引く手数多となること請け合いです!

 植物由来の天然成分? らしく、人の身体やお肌にも優しく、手を洗うのにも使えるというのも魅力ですね!


 残念ながらこれら数々の術具は、流通させるつもりは無いとのこと。


 確かに、不用意にこのような物が出回れば、今までの暮らしは一変してしまうでしょう。

 ひとつの事業を任された以上、わたくしも先ずはそちらを優先しなければいけませんしね。


 気を取り直して他のお部屋も拝見します。


 2階部分には主に、日々の暮らしに欠かせない物が配置されていました。


 居間や台所の他には、洗面脱衣所、浴室、トイレ、物置。


 浴室が当たり前のように在るのにも驚きましたし、“シャワー”という術具にも驚きました。

 あんな便利な物が在るなんて、マナカさんの街は驚きに溢れています。


 トイレもツマミを捻ると水で洗い流され清潔を保てる、素敵な物ですし、此処にもカンキセンが付いていて、気になる臭いを追い出してくれます。


 お、お尻や、とても言えない所を洗えるという能力を試してみましたが……ええ、あれは良いものです。

 この世の楽園を垣間見た気分でした。


 洗面脱衣所にはまたシンクが置かれ、そして不思議な術具も在ります。

 “センタクキ”と云うそうで、なんと衣服を勝手に洗濯してくれるというのです!


 そしてこれにも洗濯専用のセンザイが使われており、身体や頭を洗うソープ? 類と共に、その製造法も渡されてしまいました。


 マナカさん……わたくしを王国一の豪商にでもするおつもりなのですか……?


 そして多目的に使えそうな部屋が一室。

 此処は書斎にでもしましょうか。


 そしてわたくし達家族は何処で寝起きするのかというと、なんと3階が在るのです!

 2階の居間から3階へと続く階段が伸び、上がってみると4つの部屋が在りました。


 ひとつは家主用の広い寝室でした。

 ベッドの他にも箪笥や、書記机を置いてもゆとりの有る、贅沢な部屋です。


 他の3部屋は造りも広さもほぼ同じです。

 こちらはエヴァとカリナにそれぞれ使ってもらえば良さそうですね。残りひと部屋は、一先ずは客間としておきましょう。


 ああ! 夢が膨らみます!


 家財道具等も、街から支給される支度支援金と、商いをするということで支給された起業支援金で揃えられますし、気が急いてしまって仕方ありません。


 早速教えて頂いたセンザイ等の製造事業の計画を練らなければ!

 製造する工房と職人の確保と、材料の仕入れルートの確立と製造元との交渉。

 この街での販売が主ですが、軌道に乗れば外界への販売ルートも確保しなければいけません。


 大変な作業ですけれど、商人にとっては冥利に尽きるというもの。

 嬉しい悲鳴というやつですね。


 そうして思索に没入していたわたくしに、居間に戻って来たマナカさんが声を掛け、手招きします。

 向かったのは先程見た家主用の広い寝室でした。


「一先ずの引越し祝いだよ。受け取ってくれ。」


 そう言ってわたくしの手を取り、扉を潜ると……


「これはっ……どうして…………ッ!」


 思わず呆然としてしまいました。


 先程までは家具のひとつも無い広いだけの空間だった寝室が、その内装を一変させられていたのです!


 床にはフカフカな落ち着いた意匠の絨毯が敷かれ、大の大人が2人で寝たとしても余裕のありそうな大きなベッドが置かれています。

 壁には見た事の無い画風の絵画が額に飾られ、猫足の腰ほどの高さの箪笥と、その隣には大きなクローゼット。


 大きな明り取りの窓の傍らには、意匠を凝らしたお洒落な机と椅子が置かれ、その隣の外から見えない位置には、大きな姿見の備えられた化粧台。

 開かれた窓ガラスから穏やかな風が入り、レースの素敵なカーテンが、ゆらゆらと揺れています。


「なぜ……ここまで……?」


 あまりに衝撃を受け過ぎて、頭が回らない。

 目から涙が溢れてきて、止められない。


 盗賊達から、救け出してくれた。


 その際に夫を亡くして身寄りの無いわたくし達家族を、保護してくれた。


 温かく美味しい食事や、柔らかく安心出来る寝床を与えてくれた。


 街に移住する許可をくれ、多大な便宜を図ってくれた。


 女商人などという胡散臭いわたくしに、莫大な利益を見込める事業を託してくれた。


 その上……

 こんな、こんな施しを受けてしまい、わたくしはこの御恩に一体どうやって報いれば良いのですか……?


「その……さ。ルージュは、本当に大変な経験をしたと思う。目の前で亭主を殺され、捕らえられて、自分だけじゃなくエヴァちゃんもカリナさんも乱暴されるところだった。とても怖かったと思う。かと思えば突然こんな魔族の創った街に連れて来られて、将来への責任と決断を背負わされてさ。」


 マナカさんが、涙を流し続けるわたくしの頭に、そっとその温かい手を置く。


「凄く勇気を振り絞ってくれたんだって、解ってる。これから一家3人を養って生きるのも、大変だと思う。特にエヴァちゃんは、これからが大事な時期だしね。だからさ、そんな大変な目に遭って、それでもまだ頑張ろうとしてるルージュの、少しでも力になりたいんだ。どうか重荷と捉えずに、受け取ってくれな。困った事があれば、相談にも乗るからさ。」


 そう言いながら、優しく、髪を撫でてくれる。


 ……ダメです。もう、限界です。


 夫に先立たれ、絶望しか無い状況に陥り、そこから救い出され……

 あれよと言う間に事態が二転三転し、ただ義娘エヴァ使用人カリナを護りたい一心で、気持ちを保ってきました。


 でも、もうダメなんです。


「お、おい、ルージュ……?」


 マナカさんの腕を取り、引っ張る。

 身体を押し付けて、グイグイと強制的に歩いてもらい、そして。


 頂いたばかりの綺麗で大きなベッドへと、縺れるようにして、もたれるようにして押し倒す。


「おい、おいおいおいっ!?」


 マナカさんが慌てていますが、そんなこと知りません!


 貴方が悪いんです。

 わたくしだって商人である前に、家長である前に、女なのですから。


 夫を亡くしたばかりとはいえ、このように優しく慈しまれ、心配りをされ、信用を寄せられ、助力までされて。

 ほだされない訳がないじゃないですか!


「ルーむぐッ!?」


 唇を奪う。

 女性からだなんてはしたないかもしれないけれど、構うものですか。


 傍に居たい。

 マナカさんこのヒトと、共に居たい。共に、生きてもらいたい。


 短いような長いような、時間を忘れるような口付けを。

 惜しみながらその唇から離れる。


「ル、ルージュ……?」


 マナカさんは戸惑っている。


 それはそうよね。

 突然泣き出したかと思えば、ベッドへと引き摺られ押し倒されて、唇を奪われたんですもの。


「お慕い、申し上げます。何番目でも構いません。お傍に居る美しい女性達のついでであっても、後妻でも、妾でも充分です。わたくしを見てさえくだされば、何だって頑張れます。ですから、どうか寄る辺の無いわたくしを、貴方の物にしてください……!」


 男性の上に跨り、あまつさえ唇まで無理矢理に奪っておきながら……なんて身勝手な女なのでしょう。


 未亡人に身をやつしたことを盾にして、浅ましいと思われるかもしれない。

 自分から身体を求めて、はしたないと嫌われるかもしれない。

 それが、どうしようもなく、怖い。


 けれど、一度堰が外れた想いが、もう、止められないのです。

 わたくしの頬には、変わらずに涙が流れ続けている。


「ルージュ……」


 打算だって勿論ある。


 マナカさんは強大な力を持っています。

 その庇護下に入れさえすれば、世の不条理など裸足で逃げ出すことでしょう。


 そして、これでもわたくしは、商人なのです。

 貴方がこうして、特に女性や子供などの弱者からの助けを拒めない、お人好しである事なども、救けていただいた当初の内から気付いていました。


 なんてさかしらな、嫌な女なんでしょう。


 間違いなく、わたくしはマナカさんのことを想っています。

 ですがその想いを抱きながらも、貴方の人の好い性格につけ込んでいるのです。


 娼婦が春を売り対価を得るように、わたくしはこの身を捧げて庇護を、その証を要求しているのです。


 なんて愚かで、醜い女なのでしょう。


 ああ、ダメです。涙が止まりません……!

 そして涙と同様、この想いも、止まらないのです……!


「ルージュ……!」


「きゃっ……!?」


 突然、マナカさんの胸に、腕の中に、抱き締められました。


 顔が熱い。

 鼓動が早鐘のように鳴り響き、今にも破裂してしまいそう。


 それは、マナカさんの鼓動も同じで……


 わたくしの身体を抱き、頭を優しく撫でながら、マナカさんが言葉を発します。


「ルージュ、よく聴いてくれ。確かに俺の周囲には、魅力的な女性が沢山居るよ。目で見た事も、正直ある。君を含めてね。」


 な、なんてことを言うのですか!?

 あの女性達と同じように、わたくしのこともそのように……!?


「だけど今はまだだ。俺はまだ弱い。ダンジョン――迷宮も、都市もまだまだ発展途上。友好を結んだ王国も未だ予断を許さない状況だ。俺は、俺の家族や仲間や友達に、穏やかに、平和に、安心して生きてもらいたい。その安心を、平和を、俺が創り出したいんだ。」


 ああ……

 なんとなくは、こうなるだろうと思っていました。


 この人は、マナカさんはやはり、どこまで行っても。


「だからまだ、立ち止まれないんだ。女性たちの幾人かは、俺に好意を持ってくれているのも解ってるよ。だけど、今はまだそれには応えられない。ルージュを嫌いなんじゃない。もちろん、みんなのことも。俺は弱いから、どうしても甘えてしまうから。だから、ごめん。こんな中途半端な俺のままじゃ、ルージュを抱くことを、俺自身が許せそうにないんだ。」


 本当の、本当に。


「だからって、距離を置いたりなんかしないよ。ルージュが困っていれば助けるし、力になる。エヴァちゃんの笑顔だって見守りたい。たとえ今契らなくても、俺はルージュを見放したりしない。ちゃんと見てるよ。」


 お人好しな、マナカさん。そういう所が、慕う女性を増やしてるというのに。

 これは、お仲間の彼女達や王女殿下も、苦労していそうですね。


 気が気じゃありませんよね。


「マナカさん……ありがとうございます。」


 その細身でも逞しい胸からそっと顔を上げて、彼の顔を見上げ礼を伝える。

 もう、涙は止まっています。


「マナカさんの決意を鈍らせるようなことを言って、申し訳ありません。これ以上を望んでは、バチが当たってしまいますね。でも……」


 ゆっくりと、這うようにして身体を動かし、彼と目線を合わせる。


 そして。


「……ルーんむうむっ!?」


 再びその唇に、自らの唇を重ねる。


 ふふっ。また慌てていますね、マナカさん。

 まだまだ甘いですよ?


「ぷはっ!? ル、ルージュ、俺は……!?」


 しっ。黙ってください。

 人差し指をマナカさんの唇に押し当てて、言葉を遮る。


 そして、先程と今と、痺れるような甘い口付けを思い出しながら。


、これで我慢してあげます。あまり、待たせないでくださいね?」


 女心を甘く見ないでくださいね?

 一度想い始めればそう簡単には覆らないのが、女というモノなのですよ?


 そしてお仲間の何方どなたとも未だ契っていないという事も、先程のお話から確認できました。

 まだまだわたくしにも、勝機は充分に有ると考えて良いでしょう。


 商人の戦略というものを見せて差し上げますよ。

 待ってなさいね、エヴァ。お義母かあさんが、素敵なお父さんを射止めてみせますから!


 それにマナカさんは長命と聞いていますから、あわよくば成長したエヴァとも……


 はっ!? わたくしったら、なんてはしたない想像を……!


 マナカさんは、未だわたくしの下で顔を赤くして慌てています。


 ふふ、可愛い。ああ、やっぱり欲しいです……!


 でも、ダメです! 我慢ですよ、わたくし!


 もう少しだけマナカさんの困り顔と、温もりを堪能したら。

 そうしたら、帰してあげましょう。


 ああ……

 今夜は、眠れそうにありませんね…………



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