左に重箱、右には君がいて
玻津弥
*
それは桜咲くあの一面の桃色の景色。ぼくたちはそこにいた。
ぼくも君も、あのお弁当箱をもって途方にくれていた。
「ぐはっ」
お弁当箱をあけた瞬間に浮かんだ音がそれだった。
これはなんでもひどすぎる。
愛情が入っていないとかいう以前の問題だと思う。
開かれたばかりの弁当の中身は真っ白。白いごはんしか入っていなかった。
『ねーちゃんが、気合い入れて朝から作ったんだから、残さず食えよ』
とか言われたのだけど、これは、どこに気合いを入れたのだろう。
お米のひとつひとつを自家栽培したということならわかるけれど。
「あれ、横山食べないの?」
と、数日前にできたばかりの友人に聞かれてぼくは答える。
「うーんと、今調子悪いからトイレにいってくるよ」
離れた席から、「えっ。トイレに弁当もってくの?」と聞こえたけれど、それは聞こえないふりをした。
成長盛りの今、このまま何も食べないで午後の授業を迎えたら餓死してしまう。
姉はこの『まっしろご飯弁当』をこの先も続けていくつもりなのだろうか。それでは、ぼくは栄養失調になってしまうではないか。
とにかく、腹を満たさなければ、午後の授業で空腹の音が鳴るのは目に見えているので、ぼくは人気の少ない場所に移動しようとしていた。
何も考えないままに歩いていたので、校舎を上履きのまま出てしまい、ウロウロしていた。どこへいけばいいのやら。
すると、前の方から、女の子が一人、重そうな包みをもって歩いているのを見つけた。
その子は、一人、桜の木のある花壇の下に座って包みを広げ始めた。
新しい制服のスカートが土で汚れるのにもかまわずに、重箱をひろげてゆく。
おかずのおかず、おかずが出てきた。まさにぼくの今、ほしいものばかりだ。
しかし、いつまで経っても、主食である白いご飯は出てこなかった。
これはもしかして……。
もしかしたら、彼女は、ごはんが嫌いなのかもしれないぞ。いやいや、でも。
女の子は、ひとつ溜息をついた。
それは、友達もつれずに一人で食べるからだけの理由ではなさそうだった。
ぼくと同じなんだ!
ぼくはそう確信した。
そして、歩み寄ると話しかけた。
「あの~」
ぼくはお弁当箱を開けた。
弁当箱のご飯の白さは陽光にあたって一際輝いている。
「よかったら、どうぞ。そのかわり、おかずを分けてもらえませんか?」
「へー、なんていう子なの?」
ぼくの話を聞いていた姉が聞いた。
「宮島千紗さんっていうんだ~」
ぽやや~んとした気分でぼくが答えた。
家に帰ってきてから、学校でのことを話す間、ぼくの頭には頭に春の花でも咲いているような心地だった。それほど、宮島さんとの会話は楽しかった。
快く重箱のおかずを分けてくれた宮島さんは、お弁当をすべて手作りしたのだが、おかずを作りすぎて、肝心のごはんを忘れてしまったのだと話した。
「それがさー、その子のお弁当すごくおいしくておいしくてほとんどぼくが一人で食べてしまったわけだよー」
「……アンタ、何やってんのよ」
姉はあきれた顔をした。
「うん、謝って、明日食堂の定食をおごるって言ったんだけど、いいって言ってくれてね。すごく話しやすい子だったんだぁー」
「へぇー。その子に会えたのって、あたしが、気合いの入れた弁当を作ったおかげじゃない?」
「……そうは思わないけど」
「はぁあ~っ? 明日何もつくってやんないぞ?」
「そうじゃなくて、もう少し、おかずを入れてほしいんだよ~」
「……ふむ、それもそうね」
姉の言葉に、ぼくはほっとして明日のお弁当に期待を寄せることにした。
ところが。
昼休みに弁当箱を開けたぼくはそのごはんの中心を彩るものを見て硬直することになった。
『少しおかず入れておいたから』と、今朝の姉はたしかに言っていたのに。
昨日と変わっているのは、白いごはんの上に黄色いたくあんが一枚のっているだけであった。
ぼくが思ったことは、せめて日の丸にしようよ、姉さん、だった。
友人の弁当を盗み見ると、ウインナーにグラタン、ポテトサラダ。いくつかは冷凍食品だと分かるものだったけど、ごはんくらいしかいれないくらいならそんなことどうだって良かった。
そして、ぼくは昨日と同じ理由で教室を抜け出したのだった。
桜の花は大分散ってしまっていた。
宮島さんは昨日と同じ場所に座っていた。
「お、お弁当のおかずもらえませんか……」
ぼくがそういうと、宮島さんは笑顔でもって受け入れてくれた。
「ええ、いいですよ。また作りすぎてしまって困ってたので」
たしかに彼女の重箱は一人では食べきれないくらいの量が詰め込まれていた。
「このたくあん一枚でおかずだって言うんですよ、おかしいですよね」
箸でたくあんをつまみあげながら、ぼくは言った。
宮島さんはくすくすと笑っている。
「お姉さまがこのお弁当を作ってるんですよね」
「はい、五歳年上の姉なんですが。ひっじょーにずぼらなもので」
ぼくの言葉に宮島さんが少し怒ったような顔をした。
「お姉さまのことをそんなに悪く言ってはいけませんよ」
ぼくはショックでつかみかけた伊勢エビを地面に落としてしまった。
「え……怒った…?」
宮島さんはすぐに優しい顔に戻った。
「え? いいえ、仲の良い姉弟なんですね。うらやましいです。私には兄弟がいないものですから」
「ああ、なるほどー」
ぼくは少し納得して足元に落ちたエビを拾い上げた。
「きっと、お姉さまはお仕事で忙しいのですよ」
宮島さんに言われて気づく。
たしかにそうなのだ。
姉は毎朝「遅刻する、やべー!」と言いながら、化粧して弁当作って出かけて行くんだから。手抜きなのは、性格の問題だけではなく、忙しさも要因の一つなのかもしれない。
そう思うと、おかすがたくあん一枚のお弁当もなんだかありがたいもののように思えてくる。
「だけど、そんなこと思いつきもしなかった。姉さんだっていろいろと忙しいのに……」
「それは、お姉さまが自然にやってくれていたからですよ。やさしいお姉さまですね」
そんなこと言う人は初めてだった。
ぼくは数秒ほど宮島さんから目が離せなくなった。
「……それで、なんですけど。よかったら、明日から弁当作ってきましょうか?」
この申し出にぼくは、素直に喜んだ。
「ぜひ、よろしくお願いします!」
家に帰ってからもずっと、ぼくは宮崎さんのお弁当のことを考えていた。
これから毎日あの弁当が食べられるのかと思うと楽しくてしょうがない。
にやけ顔のままで、姉を迎えたら、
「なんだよ。幸せそうだな、おまえ」
と、小突かれた。
宮島さんの手作り弁当を食べられるんだ、と話したら、姉は「フーン」と目を細めた。
「あんた、意外ともてるのかもね」
姉の言葉にぼくは驚いて首をふった。
「まさか、ちがうよ。宮島さんは友人としての善意で言ってくれているんだっ」
「そうかしらねぇー」
姉は意地悪そうにほほ笑んだ。
「それより、姉さんも宮島さん見習っておかず作れるようになったら、彼氏できるんじゃないの?」
「よ、余計なお世話よっ!」
赤くなった姉の顔が扉の奥に消えた。
次の日。
約束通り、ぼくと宮島さんは、桜の木の下でお弁当を広げていた。
今日は、ぼくが気を回して、地面の上で足を広げられるようにレジャーシートを持参してきた。
「よかったら、おいしいお茶を入れてきたんで飲んでください」
「ああ、それはどうも」
葉桜になりつつあるけれど、そうやってお茶をついてもらっていると、本当にお花見をしに来ているみたいだ。
教室の喧騒がやや苦手なぼくには、そこから少し離れたところでのんびりできることが心地いい。
お弁当を食べ終えて、予鈴がなるまでの時間を和んでいると、校舎のほうから走ってくる人影があった。
それは、ぼくの友人の吉崎くんだった。
「お昼、こんなところで食べてたんだ」
吉崎くんが興味深そうにぼくと宮島さんを見て言った。
「横山、次の体育はミーティングだけだから着替えなくっていいってさ」
「うん、わかった」
そう答えたときも吉崎くんの視線は宮島さんをとらえていた。
宮島さんは、というと、吉崎くんの視線から逃れるようにそっぽを向いている。その顔は心なしか真っ赤だ。
「……隣りのクラスの宮島さんだよね?」
吉崎くんが言った。
「……はい」
ふだんよりもずっと小さい声で宮島さんが返事をした。
ぼくは、なんだかおかしいと思った。
宮島さんは恥ずかしがっているようだった。数日の付き合いで言うのもおかしいけれど、こんな彼女をぼくは見たことがない。
吉崎くんが行ってしまうと、宮島さんはやっと呼吸ができるというように息をついた。
気になっていたぼくは聞いてみた。
「さっき、吉崎くんがいるときどうしたの?」
まだ赤みのとれない頬をおさえながら宮島さんは言った。
「私、男の子と話すの、少し苦手なんです」
帰宅した姉に昼間の宮島さんのことを話すと姉は笑いだした。
「なんで笑うんだよー」
「だって、それ、あんたが男に見られてないってことでしょ?」
たしかに。ぼくと二人でいるときの宮島さんは赤面したりしない。
「でも、ぼくだけじゃないかもしれないよ。まだ、わからないじゃないか」
明日は、宮島さんが本当に他の男子といるところを観察してみよう。
ぼくはそう思った。
次の日の二時間目は、総合学習の授業で、全学年合同で体育館で説明を聞いた。
組ごとに移動したのだが、その中の列に宮島さんの姿を見つけた。
ぼくがあんまり首をあげて見ていたせいか、すぐ後ろにいた吉崎くんに、
「何か探してるの?」
と、聞かれた。
宮島さんは前を歩いている男子に話しかけられていた。
前から回ってきた連絡を伝えられているらしい。そして、後ろの男子を振り向いて何かを言っていた。
その間、少し離れていたところから見ても分かるくらいに、彼女の顔はほんのり赤くなっていた。
これはどういうことなんだ。
ぼくといるときの宮島さんの頬は白いままなのに、他の男子だと赤くなるだなんて。
結局、先生たちが総合学習の進め方について話している間、宮島さんのことを考えるのに忙しくてほとんど耳に入らなかった。
二時間目が終わると、ぼくは急いで教室に戻り、荷物を持つと、桜の木のある校庭前に向かった。宮島さんは一足先に来ていた。
今日は、おにぎりだった。
料理好きの宮島さんのおにぎりは、ひと手間かかっていて、肉でまいたものや具に海老フライが入っていたり、とてもおいしかった。姉だったら、十年かかってもこんなものは作れまい。
いつ例のことを聞き出そうかと考えながら、宮島さん手作りのたまご焼きを食べた。
そのあとに、話題が総合学習のことになったので、思い切ってぼくは聞いてみた。
「宮島さんは、どうしてぼくといるときは赤くならないの?」
こう言ってから、言葉が直接的すぎただろうかと思った。
ぼくは恥ずかしくなった。
けれど、宮島さんはくすくすと笑っていた。
「ふしぎですね」
ぼくは少し救われた気持ちになりながら宮島さんに「どうして?」と聞いた。
「実は、私にもよく分からないのですよ。他の男の子はだめなのに、横山くんだけは平気だなんて、本当にふしぎです」
そう言われて、ぼくはいやな感じはしなかった。むしろ、心地よかった。
ずっとそのままでいいかもしれないと思えるくらいに。
風呂上がりに、カップアイスを食べながら話を聞いていた姉は、ぽかんとぼくの顔を見ていた。かと思えば、急に笑い出し、持っていたスプーンがからから音を立てて台に落ちた。
「なにがおかしいの?」
ぼくが聞くと、姉はまたぼくを見て少し首をかしげてまた大笑いした。
「あんたたち二人してにぶそうだもんねー」
「だから、何が?」
そのあと 姉の大笑いは止まらなくなり、笑いすぎて窒息しそうになっていた。
翌日は珍しいことが起きた。
クラスメートの女子に話しかけられたのだ。
親しげに名前を呼ばれたので、知ってる人かと思えばそうでもなかった。
にこにこと笑ってその子は、「わたし、仁井田かすみ。おぼえてるー?」と聞いてきた。初めはなんのこっちゃと思ったけれど、彼女の名前には聞きおぼえがあった。
「もしかして、幼稚園がいっしょだったっけ?」と、ぼくが聞くと、
「そう! うれしーな、覚えてたー!」
仁井田さんはぱちぱち手を叩いて喜んでいた。
「幼稚園でよくいっしょに遊んでたよね。なつかしいなー。かたつむりの形をしたジャングルジムあったね。あれとか、ああそう、早い者勝ちでとれる三輪車とか取り合いしてたよね。たまに取れなくてじゃんけんして負けると、横山くん泣いてたんだよねー」
ぼくと仁井田さんはおなじサクラ組だった。
仁井田さんの顔のしゃべりを聞いているうちに思い出したのだけれど、昔からよくしゃべる子で、仁井田さんに秘密をうっかり話すとクラス中だけではなく先生やお母さんにまで話が広まっていたりした。
なんでも先頭をきってやり始めるので、みんなのリーダー役になっていた気がする。たしか、クラスに名前バッチのシール交換を広めたのは彼女だった。
幼稚園では毎日のようにいっしょだったのに、小学校が離れてしまって以来、幼稚園の友だちとは会わなくなっていた。だから、仁井田さんと会えてぼくもうれしかった。
「そうだ!」と、仁井田さんは身を乗り出した。
「色々しゃべりたいし、お昼いっしょに食べない?」
「えーと……」
今日は宮島さんと食べる約束があった。
「いいよ。よかったら、ぼくの友だちを紹介するよ」
そして、昼食のとき。
ぼくは仁井田さんを連れて校舎を出た。
「どこに行くの? 食堂は行かないのー?」
「いいから、いいから。あ、いた」
重そうな包みを下げて立っていた宮島さんを見つけてぼくは手を振った。
そのとたん、仁井田さんの足が止まった。
「どうかしたの?」
「なんだ、そういうことなら別にいいのに」
仁井田さんは戻りたそうにしていた。
「大丈夫だって。仁井田さんの食べる分もあると思うし。ねぇ、宮島さん」
「え、ええ…」
キョトンとしていた宮島さんが遅れてうなずいた。
ぼくは持ってきたシートを広げてその上に三人で座った。
仁井田さんは落ち着かないようでそわそわと視線を泳がせていたけれど、宮島さんの重箱の中身を見るなり、興奮した声をあげた。
「うわーすごーい! なにこれ、全部あなたが作ったの!?」
こくりと宮島さんがうなすいた。
「ね、すごいよね。しかもすっごくおいしんだ。食べてみなよ」
「……いいの?」
ちらりと宮島さんをみて、仁井田さんが聞いた。
「はい、どうぞ」
宮島さんが重箱を仁井田さんの方に向けてほほ笑んだ。
「へーえ、仁井田さんねぇ」
姉がビデオの音楽に合わせてシェイプアップをしながら言った。
「懐かしいわね。幼稚園の外にあった古タイヤ引きずりまわして遊んでたり、学校に家で飼ってるインコを連れてきちゃったりした子」
「そんなこともあったっけ」
そういえば、幼稚園のバスの中で、インコを飛ばしちゃって、捕まえるのが大変だったったこともあった。
「あったあった。それで、仁井田さんは?」
「なんかね、宮島さんの料理に感動したみたいで、今度料理教わるみたい。約束してた。二人で楽しそうに話してたし、仲良くなったみたいだよ。二人で話しててよくわからないこともあるし」
「ふーん? 宮島さんのと仁井田さんの料理、どっちがおいしいかしらねぇ?」
「なんで?」
「べっつにー」
姉は意味深に笑っていた。
連休明けの水曜日。
この日、手作り弁当を持ってきたのは宮島さんだけではなかった。
「見て見て、ジャーン。おいしそうでしょー?」
仁井田さんがパックに入っていた太巻きと稲荷ずしを披露した。
「宮島さんに火曜日に教わって作ったの。この太巻きは、デンプを入れて桜になってるのよ。きれいでしょ」
「食べてもいいの?」おいしそうな桜色に食欲をそそられながらぼくが言った。
「もちろん、そのために作ったんだから。ね、宮島さん」
風呂敷の包みを広げていた宮島さんは手を止めると「ええ」と笑った。
仁井田さんのお弁当はとてもおいしかった。
宮島さんのお弁当もおいしいけれど、仁井田さんのお弁当は別のおいしさがある。
「あ、そうだ、明日からは別の人と食べるから。お二人とも、仲良くやってね」
仁井田さんがお昼の後にそう言った。
ぼくにはなんのことだか分からなかったけど、宮島さんには分かったようだ。
なぜって、それを聞いた途端、彼女の顔が真っ赤になったから。
次の日からは元に戻ってぼくと宮島さんでお昼をたべることになるんだろうな、と思ってた。ところが。
そうでもないらしいことが分かった。それはお昼のことだ。
いつもの場所で数十分待ってても、宮島さんは来なかった。
「あの、今日はいっしょに食べないの?」
ぼくは、宮島さんのいる教室に言って、聞いてみた。
「……今日はお弁当を作る気にはなれなかったので」
宮島さんが言った。何か悩み事でもあるのだろうか。
彼女の机にはおにぎり一個しかない。食欲が湧かないらしい。
「大丈夫なの? よかったら、いっしょに食堂へ行かない?」
「……結構です」
断られたことが少し、いやけっこうショックだったのかもしれない。
食堂へ行ってからのぼくは、空揚げ定食を半分しか食べられなかった。残りは、たまたま近くにいた吉崎くんにあげた。彼は、食事が足りないとぼやいてたので喜んで食べてくれた。
廊下ですれ違っても、宮島さんは頭を下げるだけで挨拶を返してはくれなかった。
理由は思い当たらない。昨日のお昼もいつも通りだったし。
このまま宮島さんと会えなくなるのは嫌だったので、姉に相談した。
姉はぼくを疑い深い目で見つめた。
「あんた、なんか余計なこと言ったんじゃないの?」
「え、そんなことしないよ」
ぼくは無罪を主張した。姉はやれやれと頭をふった。
「乙女の心は繊細なのよ。ガラスみたいにもろく壊れやすいんだから」
姉に言われてもちっとも説得力がなかった。どちらかというと姉は、ガラスを一足で踏みつぶす象のほうが似合っている。
「ほんっとうに、心当たりないの?」
「あ、そういえば、仁井田さんのお弁当宮島さんよりもおいしいかもって言ったような……」
姉さんの目が、古本屋で中学生の万引き現場を目撃した店員のように広がった。
「あんた最低ね……男じゃないでしょ。毎日、お弁当作ってくれる人に言うことじゃないわよ。結婚してたら、離婚秒読みになってるわね」
そうだったのか……。
少なからずショックだった。
ぼくの何げなく言った言葉が宮島さんを傷つけていただなんて。
ぼくは心に決めた。
明日、必ず宮島さんに謝ろう、と。
次の朝、ぼくは宮島さんの下駄箱に手紙を入れておいた。
その手紙には、こう書いてある。
『宮島さんへ
お昼にいつもの桜の木の下で待っています。
横山』
手紙で謝ったほうがいいかとも思ったけど、姉は「男なら堂々正面切って言うもんでしょ」って言うから、会う場所を指定しておくだけにした。
お昼の時間になった。
宮島さんはちゃんと来てくれた。来てくれるか不安だったから、少し安心した。
食欲は戻ってきたのか、彼女はいつもの重箱の包みを抱えていた。
「今日は、謝ろうと思って」ぼくはこう切り出した。
「何を謝るんですか?」
宮島さんはいつもより辛らつに言った。
「え? えーと……」
ぼくは言葉に詰まった。
君の料理が仁井田さんのよりおいしいって言ってごめんって言うのか?
それではないような気がする。だけど、それじゃあ、何なんだろう。
何を言えばいいんだ?
「だって、私より、仁井田さんの方がいいでしょう?」
「そんなことないよ」
そんな風に思ってただなんて思わなかった。
その時、わかった。ぼくがしなくちゃいけないのは、謝ることじゃないのかもしれない。
だから、こう言った。
「これからも、ぼくのためにお弁当作ってほしい」
「え……」
宮島さんの目が見開かれた。心なしか顔が赤くなってきている。
「これからも宮島さんのお弁当をぼくは食べたい。だって、宮島さんの料理は誰が作ったのよりもおいしいんだから」
その時、上の方が騒がしくなった。
校舎の方を見ると、窓という窓から生徒が乗りだすようにこちらを見ていた。
近くから、ゴトっと音がした。宮島さんが重箱の包みを落とした音らしい。
「あの、ここで、お昼……」
食べませんか、と言うつもりだった。だけど、途中でヒューヒューはやし声が入ってきて、ぼくはなにも言えなくなった。顔がなんだか熱かった。
ここにいては、せっかくのお弁当ものどを通らなくなりそうだ。
ぼくは、手に力をこめて、勇気を封入すると、宮島さんの横に落ちていた重箱を拾った。そして、もうひとつの空いてる右手で、宮島さんの手をとった。
「い、移動しますか!」
左手に重箱の重み、右手に宮島さんのぬくもり、顔に熱を感じながら、ぼくは桜並木の中を走りぬけた。
「へぇーやったじゃない!」
姉は自分のことのように喜んでいる。
「またお弁当作ってくれるんだって?」
ぼくは無言でうなずいた。
そして、次の姉の言葉に、ぼくは耳を疑うことになった。
「これで、もうあたし、お弁当つくらなくていいのね? やったーぁ!」
姉が思いっきり万歳するのを見ながら、ぼくは口をあけていた。
それで喜んでたのか。
?
桜並木の中、走る途中で宮島さんがぼくにしか聞こえないような声でこう言った。
「あのですね、私も横山くんにお弁当を食べてもらうの大好きなんです。いつもおいしそうに食べてくれるから……。これからも、私のお弁当を食べてくださいね」
このことは、口にするのは恥ずかしすぎて姉には言ってない。
ぼくの胸だけに、ずっと留めておくつもりだ。
(完)
左に重箱、右には君がいて 玻津弥 @hakaisitamaeyo
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