第40話 銀幕の裏側で⑫<SIDE: ヴァーユ&シャド>

 筒状の銃身からひとたび放たれれば、目標に着弾するまで弾丸は止まらない。高い運動エネルギーを伴った鉄塊を止めるには、それを上回るエネルギーを真反対から作用させる必要がある。けれども、高速の世界でそれを実現させるとなると状況は極めて限られてくるために、抗う選択肢など皆無に等しい。生き物に向けて銃を向けて撃つということは、それすなわち不可避の負傷か死を意味するのだ。


 その等号が、今、目の前で崩れた。


 放たれた弾丸は、初めは正常に銃口を出て、目標に向かい始めたようだ。だが、その後みるみると勢いを失い、何かしらの反対エネルギーと拮抗状態に陥ったことにより空中で静止。それから見えない何かが弾丸を押し返し、それを放った銃とすれ違い、後方へ猛スピードで飛んでいった。


 その弾丸は今もなお、シャド達が面している棚の向かいにある棚の中腹に打ちつけられたまま落ちないでいる。


 ニトロが目の前の事象に説明をつけるべく、今まで目視した情報から答えを導き出そうとした瞬間、自身の体が何かに引っ張られていることに気づいた。


 振り向けば、銃のストラップが自身の体を極めて強引に引っ張っている。しっかりと目の前の敵に向けて構えていたはずの銃はいつの間にかストラップを一周し、後方で何かに反発する形で浮遊している。銃は激しく揺れ動き、まるで主人にその場を離れるよう催促でもしているようだった。


 ストラップが胸に食い込んで締め付けられる感覚からその危険性を理解し、ニトロはすぐにストラップに手をかけた。


「うおりゃ!」


 そこに更に強い衝撃が加えれらた。さっきまで呻いていたシャドが、隙をついてニトロの腹に蹴りを入れてきたのだ。


「ぐうっ」


 衝撃がまるでスイッチになったかのように、ニトロの体はストラップに引っ張られて後方へと飛んでいった。棚に押さえつけられ、身動きが取れなくなった。


「貴様、これは一体なんだ? どうなってる!」


「はぁ? そんなのこっちが聞きてえよ!」


 シャドは素っ頓狂な声を上げ、義足を動かして首を捻る。危機を脱したというのに困惑の色も孕んでいる彼女の表情からして、しらばっくれているというより本当に知らないようだった。


「まぁ、よくわかんねえが好機到来に違いねえ! あばよっ」


 シャドは急いで本来の目的である子供達の方へと向かっていった。


 本棚に磔にされた状態で放置されたニトロは、さっきシャドが押さえつけられていた向かいの棚を眺めた。自分の銃と同じく、ぼんやりと青白い光を放っている。


 シャドの義足に走った稲妻。同じ色で発光する物体。それらの強烈な反発。目の前で起きたことから結びついた答えは、ニトロがここへとやってきた理由とイコールだった。


「まさか……マテリアロイドか?」


 なんであいつが、と次なる疑問が生じ始めたが、今は可及的速やかにここから脱する方法を考えなくてはならない。ニトロは隠し持っていた別の手段を使うことにした。


 ーー少し騒がしくなるが、仕方あるまい。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 逃げた先に待ち伏せていた強盗に先に気づき、ヴァーユとバイジンは出口へと一直線に向かっていた進路を切り替え、脇に逸れた。


 棚の後ろで様子を窺っていると、強盗が探り探りの足取りで出口付近を見張っている。そこへ、ヴァーユの後を追ってきたと思しきもう1人の強盗が合流し、何やら言葉を交わしていた。


 しばらくすると、1人は出口であるダストシュートのあるカフェ付近を見張るようにして留まり、もう1人はヴァーユ達の隠れる保管庫のエリアへと向かってきた。


「ガキども、聞いてるんだろ? 隠れてたって為にならんぜ。大人しく出てくりゃケガせず済む」


 銃を持った相手に見つかれば勝ち目は万に一つもないだろう。とにかく気配を悟られない場所へと身を隠すことにしたヴァーユ達は、キッズスペースへと進んだ。そこにある柔らかい床と壁でできた大きな家を模した遊具の中で身を隠した。


 息を殺して身を屈めていると、シャドと強盗のリーダー、ニトロの叫び声と共に銃声がこだましてきた。その度、バイジンが耳を塞いでより一層体を縮こまらせた。


「何とかして隙を見て外へ出ないと……」


「出口を何とかせねばなりませんが……仮に出口の方をなんとかしても、もう一方に連絡されてしまえば、挟み撃ちです」


 シエルも何とか打開策を考えてくれているようだが、案を挙げてはむむむと唸って採用には至らない。


 ガタガタと震えるバイジンを見るに見兼ねてヴァーユは立ち上がった。


「辺りを回って何か武器になりそうなものがないか探してくる」


「では、ワタクシも……」


 シエルの申し出をヴァーユは掌で制した。


「シエルはここで一緒にいてあげて」


「し、しかし」


 ヴァーユが遊具から出ようすると、ズボンの裾を引っ張られた。


「ダメだよ……元はと言えば、私が連れてきたせいなんだから」


 バイジンは目を腫らして、今にも危険な行為に出ようとしているヴァーユを食い止めた。そこで初めて彼女を掻き乱すものの中には恐怖のみならず、結果的にとはいえ、この状況に巻き込んでしまったことへの罪悪感が含まれているのだと気づいた。


 ヴァーユはゆっくりと腰を下ろし、目の前にいるバイジンに対してかける言葉を探した。探しても探しても言葉は見つからないけれども、何かしなくてはという焦りからとにかく今まで得てきた情報を振り返るように、ヴァーユはバッグから手帳を取り出して開いた。


「バイジン、自転車を漕いでいたら突然動かなくなった。一体なぜでしょう?」


「へぇ?」


 いきなり出された予想外の問いに目を丸くする。


「自ら転ぶ車(=two-tired)だったから……」


 自信なさげにヴァーユは手帳に書かれていることを読み上げる。自分でも読んでいて馬鹿馬鹿しくなる。でも、元々の出題者の顔を思い浮かべると、少しはこの緊張も紛れる気がした。


「何それ」


「あとは……ほら、天井を見てみなよ」


 ヴァーユはペンを振って上を示した。バイジンはそれに釣られて天井を見る。すると、照明が落ちた仄暗い遊具の天井には、蛍光色で輝く星座がいくつも並んでいた。星座はヴァーユが知るものと並びや向きが異なっていたりする。どうやらこの世界の子供達に星座の名前を覚えてもらうための模様らしかった。


「……きれいだね。こんな風になってるなんて気づかなかった」


「さっきまでずっと上の空(over my head)って感じだったからね」


 ヴァーユがわざとらしくそう言うと、バイジンはくすくすと笑った。


「励まそうとしてくれているの?」


「少しでも気が紛れればと思って……」


 濡れていた頬を拭ってから、バイジンは切り出した。


「本当に、ごめん! 私、どうしてもあのサインが欲しくって」


「俺にはわからないけど、熱心なファンならしょうがないんじゃない」


「ううん。私もサインそのものには興味ないよ。でも、お父さんがあの映画スターのファンだから。最近うまく話せなくて、なんかきっかけになればいいなぁと思ってたところにヴァーユとサインを見つけたんだ。それで、つい」


 バイジンは人差し指同士をつ突き合わせながらここまでの経緯を振り返っている。それから思い出したように、ヴァーユに尋ねた。


「ねぇ、どうしてあのまま逃げられたのに戻ってきたの?」


「どうしてって……」


 ヴァーユもこれまでの事を頭の中で振り返った。それから自然に沸いてきた言葉を、ただ率直に口に出した。


「誰だって、置いてけぼりにされるのは怖いだろ?」


 どこに投げかけるのでもないヴァーユの真剣な眼差しを、バイジンはまじまじと眺めた。


「せっかく、戻ってきてくれたんだから、絶対、ここから無事に出ないとね」


 近くに倒れていたバイジンのバッグから球が転がり出ているのに気づいた。さっきも見たマジック8ボールだった。


 それを拾い上げてヴァーユは「幸先良好(Outlook good)だってさ」と言って見せる。バイジンは「壊れてるだけだけどね」と笑った。


 その時、明らかに大きな物音が近くで鳴った。慎重に遊具の窓から外を覗いてみると、シャドが全身で息をしており、彼女の鼻先にある棚の一列がドミノ倒しになっているのが見えた。


 シャドはこちらに気づくと、ひそひそ声で呼びかけてきた。


「おお、無事だったか、お前ら」


 甲高い声でがなり立てるイメージの彼女が静かな声を出しているのをみて、ヴァーユはなんだか妙な違和感に見舞われた。


「今の何?」


「よくわかんねえんだけど、物を吹っ飛ばせるようになった!」


「はあ?」


「いたぞ!」と叫びを合図に、強盗が2人集まってきた。ヴァーユ達は急いで身を隠した。遊具の扉の隙間から外の様子を窺うことにした。


 やってきた強盗のうちの一方はシャドの相手をしていたはずのニトロという名のジャガーだった。さっきまでと違い、なぜか銃を持っていない。


 シャドはニトロの姿を捉えると、オーバーリアクション気味に首を捻った。


「お前、よくあそこから動けたな。どういう手品だ?」


「私からすれば貴様の方がよほどタチの悪い手品使いだが……まぁいい、タネはこういうわけだ」


 ジャガーはライターを取り出し、もう片方の手を煽った。黒く細かな粒子が空気を駆け、シャドの付近まで到達する。ライターを着火すると、炎が空気中の粒子を伝い、燃え広がるにつれてついには激しく燃え上がり、連鎖的爆発反応が一直線に巻き起こった。


「うおっ!」


 シャドはいち早く攻撃を察知し、飛び退いた。


 炎が目標に向かって伸びていく様子はさながら体を伸ばす蛇のようでも竜のようでもあった。爆発が収まると、あたりに火薬の匂いが立ちこめた。


「今のを避けるとは、さすが“義足のシャド”だ」


 ニトロは不発に終わったことに機嫌を損ねるのでもなく、構内に響き渡るほど大きな拍手を送り始めた。拍手が鳴り続けている間、黒か白へと変色した粒子が蛇のように空気を這い回りながら彼の肩にある渦巻き模様の刺青へと戻っていった。どうやら火薬粒子は普段はそこに張り付いているらしい。


「褒美に手品の答えを教えてあげよう。貴様のマテリアロイド、どうやら電磁力の類を操れるようだ。つまりは、棚との間に反発し合う磁極を銃に付与されたおかげで私ごと張り付けにしたのだろう。質量は棚の方が大きいから、あそこからどう足掻いてもストラップに巻き込まれた私は反発力に負ける。そこで、棚をこの黒色火薬ブラックペッパーで粉砕した、というのが手品のタネであり、そしてーー」


 実に穏やかな調子で、一息にそれを言い終える。生徒に対して指導を行う教師のように丁寧だが、次に放たれた言葉は明確な敵意を孕んでいた。


「貴様の死因だ!」


 白く変色していた渦巻き模様は再び黒へと戻っていた。それからさっきのように手を振るうと、黒い火薬は生き物のように再度シャドの元へ向かった。


 シャドは逃げ惑っているうちに、ヴァーユ達が隠れている遊具の裏へと回り込んでいた。


「何でこっちに来るんですか!」


 シエルはシャドにしか聞こえない音量で注意する。せっかく隠れられているところに、シャドが敵を連れてきたも同然なのだ。


「俺にだって考えがあらあ!」


 そう言うと、シャドはまず遊具の側の壁に義足を押し当てた。壁は青白く発光し始めた。それから遊具に手を添える。


「お前ら、しっかり掴まっとけよ!」


 遊具と壁の双方が青く発光した。それから程なくしてのことだった。


 遊具がまるで射出されるロケットのように吹っ飛んだ。ロケットと違うのは、これが家の形をしていて、地面と並行に吹っ飛んでいるということだった。


 無重力と化した遊具の中でヴァーユは転げたが、すぐに取っ掛かりを見つけてしがみつく。バイジンもそれに倣った。


 ニトロの横にいた強盗はいきなり暴れ出した巨大な遊具を前に慄き、すんでのところでダイブして避けた。


 ニトロは負けじと火薬を操作してみるが、勢いよく迫ってくる遊具を前に、火薬を自身の被害が及ばぬように飛ばすことができないと断念して、床と遊具の間に僅かに生じていた隙間に飛び込んだ。


 制御できないスピードをつけた遊具は、一度は天井に到達し、それからバウンドして着地。床と壁が柔らかい素材でできていなければ、大惨事に違いなかった。揺れ動く度、中に散らばっていた人形やゴムボールを窓から撒き散らした。「ぎゃあ!」とシエルが叫ぶ声が聞こえるが、構っている余裕はヴァーユにはなかった。反対側の壁にぶつかり、再度バウンドした後、ようやく停止した。


 急いで外から出ると、青白い光は消えていた。見れば、すぐそこに高級品が保管されているエリアへの扉があった。出口から遠ざかってしまうことに不安を覚えつつも、追手がすぐにやって来るであろう手前、全員そこへ逃げ込まずにはいられなかった。


 走っている間、ヴァーユはニトロが操る火薬をどう掻い潜るかを考え続けていた。

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