最終話 もう君に「ありがとう」は言えない

 結局、京都での<ゆみ>なる女性の居所捜索は諦めた3人は東京まで引き返すことにした。

 「おれは東京で少し用事を済ましてくるから、先に前橋の事務所に帰っててくれ」

 貴は帯同している徳田と武藤に言い残した後、文京区の以前住んでいた下宿へと足を向けた。由美奈らしき女性が訪ねてきたと姪の恭子が言ってたことがあったから何かしら足跡の手がかりが無いかと思い来ては見たものの、下宿先自体が改築されておりその面影は既に無くなっていた。

 次に山手線で池袋に移動した。由美奈が経営していた西口にあったラウンジはもう既になくなっていると以前訪れたとき分かっていたが、何となく口惜しくなりぶらりと訪れてみた。その時分はもういい時間になっていたので、代わってテナントに入っている小洒落たバーに入店する事にした。

 <Bar Small Park>

 由美奈の経営した店のテナントであるから間取りは変わる筈ないが、5人掛けのカウンターとテーブル席が2つ、奥に今では古めかしいCDコンポが置いてある。

 「白秋のハイボール」

 「かしこまりました」

 しばらくして、小さいチョコレートのお通しとハイボールが差し出された。

 「どうぞ」

 「ありがとう、マスター。ちょっと聞いてもいいかい?」

 「ええ、私が答えられることであれば」

 注文したハイボールを口にしながら質問する。若作りではあるが、落ち着いている雰囲気のバーのマスターは貴とそう歳が離れていない印象を受けた。

 「この店はいつ開店したの?」

 「ほんの1,2週間前です」

 「へー、最近だね。自分で資金を貯めたの?」

 「いえ、私は雇われの店主です」

 「ああ、そうなのか。オーナーさんは別にいるんだ」

 「ええ、以前ここで飲食店をされてた方です」

 <なに?>

 貴はハイボールを吹き出しそうになった。

 「そ、そうなんだ。そのお店の名前ってわかる?」

 「ええ、Vogueです」

 <やっぱり由美奈の店だ>

 「ああ、あの店ね。俺もよく来たんだ。で、そのオーナーさんどこにいるの?」

 「分かりません」

 「え?わからないってどういうこと?このお店を経営してるんでしょ?」

 「ええ、契約上は。私は雇われているだけで詳細までは」

 変な話だ。オーナーは由美奈であるらしいが、その所在が雇われてる人間もよく知らないという。今の世の中ならあり得ることなのか?

 「そうか。それと店名のSmall Parkって<小さい公園>って意味でしょ?何か特別な意味合いがあるの?何か微妙に不釣り合いというか、違和感というか。あ、ごめん悪気はないから」

 「いいんですよ。この店名は<小さな公園で、ふたり>ていう昔の曲名らしいんですが、オーナーが気に入ってたらしくて。それでらしいです。そのCD掛けましょうか?」

 貴はどこかで聞いたような曲名のような気がしていたが、ピンとは来なかった。

 「ああ、お願いするよ」

<あっ、この曲>

 と思った。由美奈と二人で暮らしてた時によく流していた曲だ。イントロが流れたと同時に涙が止まらなくなった。

 「お客様、これを」

 泣きじゃくる貴にマスターがそっと一枚の紙きれを差し出した。<上村たかし先生へ>とあった。震える手でその便箋を開いた。


―貴へ―

 もう6年近くになるわね。貴方は立派に自分の目標を果たしたわ。おめでとう。貴方が私の下を離れていったのは、貴方の気持ちも知らないで束縛しようとしてしまった自分のわががまがが原因だと思ってる。だから、店を閉めてここを離れて貴方を探しに行ったわ。でも、また会ってしまうと同じことをしてしまいそうで怖かったの。

だからそっと見守ることにしたけど、バレバレだったわね。 

 貴のことだからここに来てくれるって信じてたし、この曲のこともわかる筈と思ってマスターにちょっとお願いしておいたの。あなた、もうちょっとした有名人だもんね。これからは貴方の活躍を離れて応援しようと思うの。だからこれから頑張ってね。私は離れていてもあなたの傍にいるわ。

 それとこのお店は私名義になってるけど、貴方のものになってるわ。私からの当選祝いだからね。お店のこともお願いね。

                                由美奈


 「なんだよ、それ。俺はそんなことのために頑張ってきたわけじゃないのに。ただお前に変わった姿を見せたい一心でここまで来たのに。たった一言<おれは変われたよ、ありがとう>ってその一言を伝えたかっただけなのに」

 貴はしばらくカウンターにうつ伏せになって、便箋を握りしめ動けなくなっていた。


 数日して群馬1区の補選があると報道があった。それを聞きつけた前田が慌てて貴を訪ねてきた。

 「いらっしゃいませ」

 貴は<Bar Small Park>にいた。

 「おまえ、いらっしゃいませじゃないだろ!」

 「はぁ」

 「はぁ、じゃないだろう!折角代議士になったっていうのに何で降りちゃうわけ?」

 「すみません、その節は大変お世話になりました。いろいろ事情がありまして」

 「しかし、お前という人間は理解しがたいな!それで今はバーの店員か」

 「やっぱり私はこういう職業が性に合ってるみたいでして。店長と一緒にがんばってます。いかがです?奢りますよ?」

 「そ、そうか?じゃぁそうしてもらおうじゃないか」

 前田もまんざらでもない様子である。飲み始めて店を貸し切りにし、思い出話に花が咲いたことは言うまでもない。

 その後、<Bar Small Park>は政治家がよく訪れる店として評判になった。しかし、由美奈は一度も店に姿を現したことはない。

                               おわり

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「ありがとう」が言えるまで(修正中) イノベーションはストレンジャーのお仕事 @t-satoh_20190317

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