閑話 孤独になるには


『よおっ』


 なんて軽やかに挨拶をされて、パリスは一瞬呆けてしまった。

 おかげで挨拶をしそびれた。

 上位精霊。そして“白”だ。

 “白”の精霊といえば、上位精霊の中でも上の方の位になる。

 というのは、魔法師ではないパリスでもさすがに知っている事柄で。

 予想外の大物に身体が萎縮したのか、またじわりと強張っていくのを自覚する。

 とそこで、パリスははたと思い至る。


『……え、オレが喚んだ、のか……?』


 呆然とした声がパリスの口からもれた。

 思わず開いた手の平を見下ろす。


『うむ。我は手伝いに過ぎぬゆえ、喚んだのはパリスよ』


 のろのろと、己の首にとぐろを巻くヒョオへ視線を向けた。


『……オレ、が?』


『うむ』


 もう一度確認すれば、はっきりとした頷きが返ってくる。


『俺に届いたのは、お前の声だったよ』


 上位精霊の方を見やれば、頷く姿があった。

 そうなんだ、と。小さく返して。

 じわじわとその事実がパリスに染み込んでいく。

 そして、込上げる嬉しさ。

 うわあ、何か嬉しいなあ。

 オレが魔法師になったみたいで。

 ちょっと頬が緩むのは仕方ないだろう。

 込み上げる嬉しさにパリスが浸っていると、上位精霊――スイレンが口を開いた。


『懐かしい、と感じた……』


 何だかそこに、感傷めいたものを感じ取ってパリスが見やる。

 細められた瞳がゆれていた。だが。


『懐かしいって……?』


 パリスが問い返す頃には、そこに揺れていたものは掻き消えていた。

 ちなみに、彼の上位精霊に対しての緊張感はすっかりなくなっていた。

 スイレンがまとう雰囲気が、何だかそれを軟化させていくのだ。


『んー、何とゆーか……近頃のものとは違う響きを持っていたというか……もう、時に埋もれてしまったのかと思ってたよ。……ヒトの時の流れは早いからなー』


『うむ。ヒトの世の移ろいは早いゆえ、淘汰も早い。ゆえに呑み込まれたのだろう。かの手順は危険もはらむゆえに』


『だな』


 ヒョオの言葉に頷き、スイレンの空の瞳が切なそうに揺れた。

 言の葉は力を持つ。創造、想いの力が強い程に。

 それは一歩違えば、身を滅ぼす。時に周囲を巻き込んで。

 ゆえにヒトは魔法というものを創り出し、管理することにした。

 確かにそれがいいと思う。

 だが、それを寂しく感じるのもまた事実。

 境界という線引きは必要だ。

 ヒトと、精霊の。

 そんな精霊達のやり取りに、パリスはどういう意味だと、問うような視線をヒョオへ向けた。


『かつてのヒトは、声にて精霊と交流を持っていたゆえ』


 彼らはぽつりぽつりと言葉をこぼす。

 人は精霊を声で喚ぶ。

 それは今でも変わらない。

 縁があれば、その声は精霊に届く。

 気紛れではあっても、姿を現した精霊が人を気に入れば、その場で結ぶこともある。

 そして、今は陣を用いてマナを震わせ声を飛ばす。

 マナで身体を構成された精霊には、マナの揺れを感じ取ることは容易い。

 だが、それはあくまで“外”での話で。

 かつては、精霊と同調して声を精霊へ届けていた。

 人の声は精霊に届くから。

 それは“内”にいても同じで、その声は精霊に確かに届く。

 “外”とか“内”の意味はパリスにはわからなかったけれども。

 今の時代よりも、精霊結びはもっと数が多かったのかなと思って。

 へえ、とパリスは相づちをうつ。

 人にとっても、精霊にとっても。

 互いにその距離は、今よりも近いものだったのだろう。

 そう、思った。


『言の葉にも、力はあるゆえ』


 声に魔力を絡ませることで、今の時代でいう魔法に近いことをしていたとか。

 ちょっと待てよ、とパリスは首をひねる。

 少年時代だ。興味本位で歴史書を繰った際に、そんな記述があった気がする。

 それは古き時代の、既に人の世においては廃れた過去の文化。

 魔法の起源と記されているものでは。

 魔法は創造するものだとされている。

 それを古き時代においては。

 声に想いをのせ、それに魔力に絡ませて言の葉にすることで発現していたらしい。

 だが、それは個々人によって言の葉の違いをうむ。

 例えば、そう。大まか代表でいえば方言とか。

 そしてそれは、やがて流派となりて、たくさんの分岐がうまれた。

 当時はそれでもよかったのだ。

 けれども、時は流れる。

 その流れの中で、誰にでも扱えるように簡略化しよう、効率化させようとする動きがうまれた。

 つまり、管理しようということだ。

 それが今の魔法。陣、と呼ばれるものが開発されるきっかけとなった。

 魔法の種類だけ存在する陣。

 魔力オドで陣を描き、描き上げた陣に魔法の動力源となる魔力オドを流す。

 そこまでの手順を踏んで、初めて魔法が発動するのだ。

 だが、発動してからも、それに軌道をつけたり、維持したりと。

 かなりの魔力オドが必要となる。

 だから、オドは保有していても魔法は扱えない。

 そういった者が出てくるのだ。パリスのように。


『え……というか、ちょっと待て……』


 パリスがそこで声を上げる。

 ヒョオの、スイレンの視線が自分に集中するのも気にせず、呆然とした声で続けた。


『……もしかしてさっきのは、昔の時代の精霊召喚みたいな……? そもそも、オレって魔法使っちゃったみたいな……?』


 いや、魔法の起源とされているのだ。

 ならば、魔法とは別物になるのだろう。

 それでも、彼にとっては驚愕するには十分な事実だ。

 魔法を扱ったことのない彼にとっては。

 何だろう。今の気持ちはあれに似ている。

 そう、きらきらとして、わくわくしたあの感覚。

 ちょっと懐かしくて、こそばゆくて。

 少年が憧れるような気持ちだ。

 もしかしたら、と。思わず口にしてしまうくらいには。


『……もしかしたら、オレにも魔法が使えたりして』


 憧れを持っていたのかもしれない。ずっと。


『今のヒトの世でいう魔法とは、ちと違うのやもしれぬ。だが、近いことはできるやもしれん』


『ホントっ!?』


 ヒョオの言葉に、弾かれたようにして顔を向ける。

 その顔を見て、ヒョオの小さな瞳が丸くなる。

 パリスの瞳がきらきらと期待できらめいていたから。

 ヒョオの中で、幼き頃の、出逢って間もない頃の彼の姿と重なった。

 ふっと小さく笑って。お主は変わらぬな。胸中で呟いた。


『我が支えてやるゆえ、付きおうてやろう』


 瞬間。ぱあとパリスの顔が輝いた。


『やったーっ!』


 少年のように笑う彼の顔にヒョオが目を見張る。

 そして、嬉しそうに破顔した。

 一瞬、パリスの顔が別の誰かの面影と重なった。


『――ああ、そーか』


 それまで、一人と一匹を静観していたスイレンが言葉をこぼした。

 ついと二対の視線が向けられる。


『このヒトの子は、あのヒトと……』


 スイレンがヒョオを見やる。


『それに』


 スイレンがパリスへと近寄り、すんと鼻を鳴らす。

 突然彼に匂いをかぎとられ、パリスはびくりと身体を跳ねさせた。


『……この懐かしい匂い』


 パリスはあのヒトと似た匂いがする。

 これは、そういうことだ。

 スイレンは納得したようにヒョオを見上げる。


『ヒョオがこの子と結んだ理由がわかったよ』


 空の瞳が笑った。

 ヒョオはそんなスイレンを見下ろすけれども、彼は何も言わなかった。

 その傍ら。パリスだけがわからず、疑問符を浮かべるだけだった。

 その様にスイレンはもう一度笑い、パリスから距離をとった。

 彼の身体から緊張が抜ける。

 風が吹き、木々をさわりとゆらす。

 沈黙がしばし降り積もった。

 そんな中で言葉をこぼしたのはヒョオだった。


『……ゆえに、我は廻った。もう一度、と願ってしまったゆえに』


 さわと。穏やかな風が吹く。

 風に体毛を撫でられながら、そっか、とスイレンも言葉をこぼした。


『……廻って、また……そのもう一度に、出逢えたのか……』


 空を仰げば、真っ白な雲がゆっくりと流れていた。

 それが彼の空の瞳にも映り込む。


『――だが、スイレンは願わなかった』


 感情の見えない声だった。

 その声についとヒョオへ視線を戻し、スイレンはゆっくりと口を開く。


『……俺は、待てなかった。でも、他に大切なものも見つけた』


『…………』


『……子が、いるんだ』


 スイレンのその言葉に、ヒョオが小さく息を呑んだ。

 その言葉を咀嚼して、じんわりと理解する。

 そうか、と。今度はヒョオがこぼす。

 そうか。そうか。それを何度も繰り返す。

 その度に声があたたかさをはらんだ。

 永い時を生きる精霊。

 だから、あまり命を継いでいくことには頓着していないのだ。

 それなのに、なぜ精霊は子を成すのか。

 それは、求めてしまうからなのかもしれない。

 一度それを知ってしまえば、もう、以前のそれには戻れない。


『ヒトの時というのは、共に生きるのには短すぎる。だが、孤独になるにはまた、長すぎるゆえな……』


 だから、己はもう一度と願った。

 そしてまた彼は、別のカタチでそれを埋めた。

 ちらとヒョオがパリスの顔を見やる。

 それに気付いた彼は、先程からずっと頭に疑問符を浮かべっぱなしだ。

 釈然としないといった彼の様子に、思わず笑みがこぼれる。

 蛇の身体ゆえに笑えはしないが、その代わりに彼の頬へその身を擦り寄せた。

 一瞬驚いたようにパリスは目を見張るも、されるがままになることにしたようだ。

 それでいい。彼はそれでいい。

 知らなくとも、自分が知っているから。わかっているから。

 そんなヒョオとパリスを見つめ、スイレンも無性に会いたくなった。

 彼女と、幼子に。

 空を仰げば、変わらずに雲がゆっくりと流れていた。

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