ユビキリ殺人事件
今瀬をわり
第1話
「ガイシャは豊田明日子、専業主婦。風呂場で顔を沈められての窒息死…」
鑑識官が事務的に現場の撮影している。フラッシュ音が静かな浴室に響き渡っている。
先輩刑事が慌ただしく状況を説明する中、少し出遅れて到着した女性刑事はビニールシートに覆われた遺体に手を合わせていた。
「…指が全部切り取られてますね。やっぱり、ここ最近起きている事件と同一犯でしょうか」
あまりにも惨たらしく切り取られた切部は火で炙られているのか出血はほとんど無く、少し焦げ目が付いている。
ここ数ヶ月の間に発生した殺人事件との唯一の共通点だ。
軽く遺体に手を合わせた後2LDKの室内を隈無く探索をしていた、細身で長身の男に声を掛けると緩くパーマの掛かった髪を掻きながら首を捻っている。
「部屋は荒らされていない。物取りの犯行の可能性は低いし、恐らく同一犯だろうなぁ」
男は間延びした声で言葉を続ける。
「旦那はフィリピンに単身赴任中。二人の間に子どもはなし、近所からの評判も悪くはねぇ。…怨恨の線も低い」
「じゃあ、無差別の快楽殺人犯に目を付けられたって事なんですかね」
警視庁捜査一課で名付けられた、〔指切り殺人事件〕は半年前を皮切りに既に5人の被害者が出ている。
模倣犯が出ないよう、報道規制として被害者の指が全て切り落とされていることは伏せているが容疑者に繋がる手掛かりは何もない。
現場にはほとんど証拠を残さず、防犯カメラにも映っていない。また、被害者にも特別共通点がないことも警察の頭を悩ませる原因の一つだった。
現場からはほとんど情報を得られないまま、二人は本庁へ戻る為シルバーのセダン車に乗り込んだ。
「モモタロウ、飯食って行こうぜ」
運転席に座る、モモタロウと呼ばれた女は鬼島 桃。1年前に刑事課に配属された新人刑事である。低い身長に濃紺のパンツスーツを身にまとい、肩までの黒髪を後ろで1つに結っている。化粧っ気がなくハンドルを握っていなければ高校生と言われても違和感のない程童顔だ。
助手席のシートを最大まで下げ、長い脚を見せつけるかのように組み気だるそうにガムを噛むパーマの男は山野健。キャリア組のエリート刑事だが、覇気がなく常に怠そうにあくびを漏らしている。
刑事として優秀なことには間違いなく、顔もイケメン俳優に引けを取らないはずだが、面食いである桃は何故か興味を示していない。
「ご遺体見たあとに、よく平然とご飯食べられますね」
「馬鹿野郎、何年刑事やってると思ってんだ」
お互いに軽口を叩きながら普段からよく使う喫茶店へと車を走らせる。
古びたビルの一階にある〔喫茶 和やか〕は、山野にとって自宅以外で唯一気兼ねなく煙草を吸える場所であった。
咥え煙草で入店すると、店名の〔和やか〕の店主とは思えない程強面の男が出迎える。
「よぉ、いらっしゃい。山野に桃ちゃん」
スキンヘッドにグラサンを掛け、身長は悠に190センチを超えた大男。しかし、身に付けたエプロンは可愛らしい熊のイラストが描かれている。
その妙なギャップに初めは驚いていた桃だったが、意外な乙女趣味とノリの良さに打ち解けていくには時間は掛からなかった。
「いつものでいいんでしょ?ちょっと待っててねー」
アンティーク調のテーブルに、灰皿と冷水の入ったグラスを二つ置き厨房へと立ち去る背中を見送りった後桃は設置してあるテレビに視線を向ける。
昼のワイドショーが、半年前に起きたアイドル、横山姫乃の自殺事件を取り上げている。
画面には大きく『人気アイドル、イケメンとの秘密の交際!ファン離れが原因で自殺か?』とテロップが入っている。
コメンテーター達が、情報元が確かでない噂話をさも事実のように語っていた。
日頃の金遣いが荒かった、プライベートでの彼女は態度が悪かった、ソロデビューが決まり天狗になっていた……死者に向けての言葉とは思えない程辛辣な言葉達が、公共の電波に乗って紡がれていく。
「こりゃひでぇな。人間の所業とは思えねぇ」
煙草片手にスマートフォンを眺めていた山野は溜息を漏らした。そしてその画面を桃に向ける。
画面には横山姫乃に対する誹謗中傷の数々が呟かれたSNSのページだった。
『ひめのん好きだったのに失望した』『処女じゃないなら死んで当然』『今まで貢いだ金返せよ』
自分の素性を明かしていないことを良いことに、好き勝手な内容が無機質に並んでいる。
半年経った現在でも、心無い呟きが数々と投稿されていく。
桃は思わず唇を噛み締めた。
横山姫乃の自殺は、桃が初めて捜査に深く関わった事件だった。
忘れもしない一件だった。
家族で暮らすマンションの自室で、家族が寝ている間にドアノブに縄を巻き首を吊って絶命していた彼女の足元に置かれていた遺書。
家族への謝罪、親しい友人への感謝、そして何ページにも渡ってアイドル活動の思い出とファンに向けた感謝と謝罪。
自殺の原因は、ニュースサイトのスクープ記事だった。夜の飲食店街で男性と二人で歩いているところを熱愛報道として掲載されたのだ。
サイト側は事実確認もせずにネット速報として取り上げ、そこからSNSでの炎上。テレビ番組もこぞって彼女の熱愛疑惑だけでなく、ありもしないデマ情報を面白可笑しく放送したのだった。
しかし、真相は実の弟で先に両親が待つ飲食店に二人で向かう最中の場面を切り取られただけだったのだ。
横山姫乃本人がどれだけ異論を唱えても誰も信じず、SNSは荒れ放題。ニュースサイトや編集社、テレビ局に家族が訴えかけても、火のないところに煙は立たないと一蹴。
誰にも信じてもらえず、誤報にも関わらず鳴り止まない誹謗中傷の嵐に耐えかね、絶望し、彼女は自ら命を絶ってしまった。
桃は人間の非道さに、酷く怒りを覚えた。その感情は今でも忘れられない。
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