第6話 特別なサプライズ
土曜日の朝、まだ起きるには少し早い時間にカーラの睡眠は騒音で妨害をされた。カーラは飼っているラグドールのブルーポイントが可愛らしいデイジーを抱え、何事かと階段を下りてみれば、色とりどりの柄や様々なデザインの大量の洋服が次から次に運ばれ来る。その様子に困惑しつつもカーラは母、エストレアがパリから帰って来たのだと、すぐに理解した。
ちょうど床に足が着いたとき、朝食を運んでいるエストレアに会ったカーラは、それらをテーブルに置いたことを確認してから近寄った。
「おはよう。ママってば、いつも突然帰ってくるんだから」
「おはよう。実は、前回のルームウェアとランジェリーが上手くいったから、今度はスポーツウェアに進出する話が来たの。今回はそのカタログ制作で、急遽帰国したの」
「やったじゃない! どうしてもっと早く知らせてくれなかったの?」
「だってあなた、伝えたら興奮しちゃって眠れなくなりそうじゃない。そんなの美容の大敵よ」
それもそうねと笑いながらデイジーをソファーに下ろしたカーラは、エストレアのデザインした洋服を手に取り、軽くポーズを取って見せる。エストレアはまじまじと見つめて「相変わらずキレイだわ」と褒める。
「ママのデザインはどれもステキだからよ」
「ありがとう。でも、輸送中につぶれちゃったりして、シワになってしまってるから、ちゃんときれいにした後、もう一度意見を聞かせてちょうだい。あなたは私に似てセンスがあるんだもの」
「ありがとう、ママ」
「じゃあ、今から朝食にしましょう。色々聞かせて」
エストレアのエスコートで再びテーブルまで戻り、今度は椅子にお行儀良く座って磨きぬかれたシルバーのスプーンをロッドフォード家定番のヨーグルトに入れる。
「昨日は各大学との懇親会でね、会長のわたしが表彰のスピーチをしたの。もちろん、今年も最優秀生徒はわたしだったけど、自分のことを自分では表彰できないからエイプリルを選んだわ」
嬉々として話す娘の無邪気さに、いくら大人ぶった態度や口調をしていても、やはり中身は年相応の子どもらしい一面もあるのだとエストレアは感じており、カーラは久しぶりに帰って来た母に褒めてもらいたくてしょうがなかった。
基本はパリのアトリエだが、普段からあちこち飛び回っている事が多く、仕事、学校などでお互いに忙しく、おまけに時差もあるためまともに会話を交わす機会がない分、こうして面と向かって会話が出来る時間が最高の時間だった。
「そう。で、大学の代表者とは?」
「たくさん話したわ! イェールからいらしてたママのご学友とも話したし、プリンストンからはパパのご学友がいらしててね、すっかり話が弾んじゃった! 他にも是非来て欲しいってお誘いを受けた大学もあって、まだ決められてないの」
「そう、それはいいことだわ。どちらの大学もいいところだもの。慎重に選びなさい」
「うん、そうするわ。ねぇ、パリでの話し聞かせてよ」
サクサクしっとりのクロワッサンや、ふわふわとろとろのスクランブルエッグ、白桃やオレンジなどが入ったフレッシュサラダを口にしながら、香り豊かなイングリッシュブレックファストティーで作られたロイヤルミルクティーをじっくりと楽しみ、二人は会話に花を咲かせる。
まだまだ話したりないカーラだったが、メイドのベアトリスがシワ取りをしていた洋服がすべて揃うことと、カタログのスタッフがこちらに来ることを伝えにやってきたことにより妨害された。
「ねえ、ママ。絶対ジャマしたりしないから、ママが働いてるところが見たいわ」
「ええ、もちろんいいわよ」
優しく微笑み、額にキスを落としたエストレアにカーラは愛されている実感をした。
*
カーラは自宅で社会勉強の予定が入ったが、ロミオとニクラウスは“特別な週末”の準備中。
ニクラウスはボルドー・クレールの壁紙が上品な自分の部屋を歩き回り隅々まで最終チェックをしていた。
「あった。ピアジェだぞ」
本当にうれしそうに笑いながら親指で
「一万ドル以上の物は名前で呼ばないとな」
鍵付きの棚の中には時計ケースがあり、文字盤がきっちり正面を向くようにして収納する。ぱたん、と木と木が合わさる音がした瞬間にパンツのポケットの奥底へ沈んでいた純金製の鍵をニクラウスは取り出して、室内に施錠される音を響かせた。
「ここなら安全」
鍵を戸棚に飾っていた花瓶の底へ隠したとき、リズミカルなノックオンが三回鳴った。それはニクラウスの招待した客人が来た合図で、絶妙なタイミングにニクラウスは余裕たっぷりに微笑んだが、ロミオは瞬きを数回繰り返した。
「始めるぞ」
ブラックベリーやラズベリー、クランベリーなどの数種類のベリーやマスカットの盛り合わせにトマトやブロッコリー、にんじん、鮮やかなパプリカ、きゅうりなどの生野菜の盛り合わせ。その中心にはバーニャカウダが置かれており、その隣にはアンチョビやマスカルポーネディップソース、カッテージチーズなどの数種類のチーズ、カクテルシュリンプがブラックマーブルのカウンターに並んでいる。
シャンパンを片手に各自が盛り上がり始めた頃、ニクラウスは
「山場を乗り越えたところで、みんな志望大学への切符を手に入れたことと思う。その
その一言にパーティー会場に集まった彼らは先ほどまでの僅かな静寂など無かったかのような盛り上がりを見せ、きっちり結ばれていたネクタイや仕立てのいいシャツのボタンを緩め始める。その光景に主催であるニクラウスは頬を緩めていたが、招待した覚えのない来客に眉をひそめる。
好青年な印象を与えるアップバングのブロンドとは不釣合いな剃り残しの目立つヒゲ、くたびれたヨレヨレのシャツ、キョロキョロと部屋を品定めするような動きをするアメジストの瞳はどこか見覚えがある。
「なんだあれは、山男か?」
「ジョーイ・ブラウニング? こっちが八年の時以来だ。向こうは十二年だった! クールだな」
キラキラと無邪気に目を輝かせお前もそう思うだろ、と視線を送るロミオにニクラウスは「バカ言え」とメローラの蝶ネクタイを調えながら薄ら笑いを浮かべる。
「ただのみすぼらしい負け犬じゃないか。財産を捨てて放浪するなんて――ニクラウス・ジンデルの信条に反するね」
「ロミオ・パーシヴァルか?」
「ジョーイ! 放浪してたって? さっきニクラウスに聞いたぞ!」
ニクラウスが冒涜してるも同然だと
「生還した。いくらでも話してやる」
旅帰りの放浪者の乱入のせいでシラけたニクラウスは不満顔になる。だが、ニクラウスもパーティー初心者ではない。こういった波乱は付き物だと理解している。
カウンターに移動し、スクリュードライバーを口にする二人をニクラウスはスコッチを口にしながらただただ眺めていた。
「君は家を追い出されて姿を消したとエイプリルに聞いてたけど・・・・・・」
「何言ってる。こっちが家を見切ったんだ。離れてみりゃわかるけど、金は人を縛るものでしかない。俺は消えたなんていわれてるけど、自由を求めて家を脱出したんだ」
「どこへ?」
「あちこちさ。カトリーナの被災地やマチュピチュ、もうすっかり人生が変わったよ。ドキュメンタリーを撮った」
「おい、俺たちに初めてクラブ遊びや女の扱いを教えた男がユーチューブの映画監督? このハメの外し方を伝統にしたのは?」
「ちっぽけな世界で騒いでるだけだろ、旅のほうが有意義だ」
ニクラウスは自身の問いかけに黙りこくっていたジョーイを援護するかのようなロミオの口ぶりにすっかり呆れた。何年間も親友をやってきた自分よりもふらっと現れた元先輩の意見に聞く耳を持っていることにニクラウスは深く傷ついた。そしてそこに畳み掛けるようにジョーイが口を開く。
「現実の世界じゃ、物より人間の中身が問われる」
ジョーイのその語りにロミオは胸を打たれ、何度も頷き尊敬の眼差しを送る。ニクラウスにとってはとても面白いとはいえない状況だ。
「“持たざる幸せ”を語るわりには、髪のセットは重要か。この週末は堕落するのが目的だ。演説はよせ、楽しもう。さぁ、どうする?」
ロミオは悩む素振りなど一切見せず、じっとジョーイのアメジストの瞳を見つめて「今はいい。もうちょっとここに居るよ」と断った。
ニクラウスはそこに執着することは無く「そうか、似たもの同士仲良くな」と吐き捨て、飲み干したスコッチグラスをカウンターに残しその場を後にした。
*
カタログスタッフがカーラのペントハウスに着いてからは、エストレアはすっかり仕事モードになり、まずはモデルを決めるためにスタッフが用意した写真を外が暗くなり、外灯が照らされる時刻になってもずっと見続けるが、候補のモデルはどの子もイマイチで一向に決まらない。
「私の求めているモデルは、若々しく、自然体で美しい女性よ。この子じゃ細すぎる」
「じゃあ、趣向を変えてニューフェイスを使うのは? こっちの資料の子はどう?」
「カジュアルすぎる」
「でも、現代的でニーズには近いわ」
「エストレア・ロッドフォードの
ふと、視線を動かせばエストレアの服を前に当てて、ひとりファッションショーを繰り広げるカーラの姿が目に入った。カーラは品格も備わっており現代的で、今までのどのモデルよりもエストレアのイメージに合っていた。
「娘よ」
「いいわ。あなたのライフスタイルを象徴するなら、ご家族以上に適任者はいないわ」
「私の最初のモデルだし」
「わたしが?」
まさか母のブランドのモデルに自分が抜擢されるとは思ってなかったカーラは眉を
「どう?」
「完璧だわ」
「ええ。エストレア・ロッドフォード、新デパート進出の“顔”ね」
エストレアとスタッフたちに拍手されたカーラはすっかり心が満たされ有頂天になる。
*
翌朝、グレイスとトレーシーに連絡し、ポージングテストをしようとさっそく呼び出したカーラは、ベッドやカウチの上に洋服や小物、雑誌を出して作戦会議を始める。
「絶対決まるよ! ステキな服ばかりだし」
「まぁまぁだよ」
「嘘でしょ、最高じゃない」
「ママの頼みだから。今夜はリハなの」
ライトグレーのシルクが心地良いベッドではしゃぐカーラとグレイスから離れて、エストレアがデザインした服で全身を包んだトレーシーが、鏡の前で両肩を抱くポージングを決める。
「ねぇ、このポーズは?」
「あー、ダメダメ! あんたじゃパーツモデルが限界。ほら、これがお手本」
今度はグレイスが両手を腰に当て、脚を少し曲げてポージングを取って見せるが、すぐにカーラが「ダメダメ!」と指摘する。
「んーん、それじゃダメよ。いい? 大事なポイントを忘れてる。腰に手を当てて、お尻をこう突き出すのよ!」
よく雑誌で見かける定番ポーズを決めたカーラを二人は真似しながら、ああじゃない、こうじゃないと言い合いながら、様々な雑誌のポージングを次々真似ていく。
*
カーラたちが盛り上がっている頃、エイプリルはスマートフォン片手に自宅の温水プールでぷかぷか浮いていると、びっくりするような大音量で着信音が鳴り危うくプールにすべり落としそうになったが、なんとかとった。
「もしもし。誰?」
「ルドルフ・アンダーウッド」
「ルディ!? ハァイ、電話ありがとう! この電話って・・・・・・一昨日話してた?」
最初のトーンとは打って変わってハイテンションなエイプリルに戸惑いつつも、ルドルフは当初の話すという目的を果たすために会話を続けた。
「ああ、もし今夜、君に時間があるなら、映画でもどうかなと思って」
「今夜? どこに何時?」
「マーガイジに七時」
「オーケー。行くわ」
「じゃあ、また後で」
「ええ」
エイプリルはずっと待っていたルドルフから電話で、約束どおり誘われたデートにすっかり浮かれて、ルドルフは約束はしていたもののあの時は弱っていた彼女からの言葉だということもあり、まさかオーケーがもらえるとは思っていなかったため、ガッツポーズを決めた。
*
試練からの開放パーティーを楽しんでいたニクラウスたちの次の会場はバスケットを楽しめる公園。それぞれお気に入りのウェアに見を包みリムジンから颯爽と降りていく中、ニクラウスはスクエアタイプのサングラスからロミオを睨みつけた。
「なんでジョーイがついて来る?」
「僕が呼んだ」
「勝手に来たんだろ。俺たちに自由を説いてタダで飯と酒を食らう気さ、あの偽善者」
「バスケの名手だ。負けるから入れたくないのか」
二人の会話を聞いていたのかいなかったのか、ジョーイはバスケットボール片手に背後から登場した。
「上達したきゃ、ホテルなんかじゃなくてバスケ・チームごと買えよ。そしたらお前も上手くなる」
これにはニクラウスもさすがに苛立ちを押さえきれなくなり、喧嘩腰になる。
「このパーティーは十二年生の集まりだ。年寄りは引っ込んでろ」
「コートで勝負しよう」
「いや、今すぐ消えろ」
二人の様子にようやく危険を感じたロミオはよせ、とニクラウスの前に立ちはだかる。その行動が日に油を注ぐことになるなどロミオには想像もつかなかった。
「俺のゲームだぞ。ゲームのプレイヤーも俺が選ぶ」
「分かった、行くよ」
手にしていたボールをロミオに押し付けるようにしてジョーイはロミオの呼びかけにも応えることなく姿を消した。その後姿にロミオの胸は痛んだ。
「追っ払うこと無いだろ、やりすぎだ」
「年寄りは余計なんだ。いるだけでみんながシラける」
「始めようぜ」
ロミオは苛立ちを発散するかのように、きつめのパスをニクラウスの胸の中へと渡した。
*
予定通りカーラはエストレアの新作を着こなし、ポージングを取る。初めてのモデル体験ということもあり、最初はブリキ人形みたくガチガチになっており、正直目も当てられないような状態だったため、カメラマンのマッケンジー・ラッセルが優しく「オーケー、カーラ。リラックスして顎を引いて!」と指示を出す。
すると、カーラは先ほどまでの動きが嘘のように一気にオーラが出た。カーラは自分の見せ方を少し教わるだけで瞬時に理解したその読解力に、マッケンジーもノリノリになり、エストレアはインスタグラムで若者を中心に絶大な人気を誇る娘のすごさを改めて実感した。
「そうそう、いいねぇ。息を吐ききってもっと大胆に動いてもいいよ!」
一般のモデルのように細すぎず、抜群のプロポーションでセクシーなポージングをっても、髪を振り回して大胆なポーズを取っても、若者らしくアクティブに飛び跳ねても、そこには生まれながらにして備え持っている圧倒的な品性が現れ、彼女の魅力を引き立てる要素の一部にしかなりえない。
カーラの慣れてきた様子に、今度はカーラのペースで好きにポーズを取るようにと指示をすれば、リズムよく切られるシャッター音に合わせてどんどんポーズを決める。カーラはたった一度の撮影で、母のブランドの象徴になり、理想的なモデル《イメージ・ガール》となった。
「よし、休憩」
マッケンジーは感動を伝えるべく、すぐさまエストレアの元に駆け寄った。
カメラの画面を見せながら興奮気味に「あの子はどこのモデル? もう最っ高だよ! 撮っててこんなに楽しいモデルは久しぶりだ」と言ったマッケンジーにエストレアは満面の笑顔で、「私の自慢の娘よ」とだけ伝えた。
*
一方、エイプリルといえばソファーにかけていたグッチのワンピースとロベルタのバッグだけを手にして、家を飛び出した。
待ち合わせ場所のマーガイジまで向かいつつも、ルドルフとの約束の時刻が差し迫っていることが分かっていた、エイプリルは慌てて電話かける。
「もう着きそう?」
「ううん。ごめんね、今結構遅れてて。七時に間に合いそうにないんだ」
「そう。あとどれくらいで着きそう?」
「それは・・・・・・ちょっと分からない」
表列の中並んでくれているのだろう。電話口から聞こえるルドルフの溜息に混じって、いろんな人の話し声が時折耳に入ってきた。
「じゃあ、今夜はなしにしよう」
「ごめんなさい、映画だもんね。次は絶対って約束する」
「いいよ、気にしないで」
「ありがとう。また電話する」
「ああ」
ルドルフは電話では気丈に振る舞ったが、実際はすごく落ち込んだ。予定していたデートプランがなくなったこともがっかりしたが、それよりもようやく覗きこめたように思えた彼女の内面が分からなくなっただけならまだしも、さらに謎が深まって終わってしまったのだ。
*
続いてタキシード姿に召かし込んだ紳士たちがリムジンで向かったのは、怪しげなネオンの輝く地区。最初の店はライムグリーンとショッキングピンクのネオンカラーが目を引く小ぶりな店で、入り口には三人のプロポーション抜群な髪の色も肌もばらばらな美女が立っていた。
「さあ、パブを制覇するぞ。五十軒回って五百人を口説く」
リムジンの中からぞろぞろと出てくる友人たちを店の中に誘導するニクラウスの最後の相手はロミオ。その顔ははしゃぐ仲間たちとは正反対にいらだっている様子で、ニクラウスはロミオの子どもっぽい態度に優しく肩を揉んで声をかける。
「こいよ、彼氏の話なら中で」
「行かない」
それでもなお、反抗的な態度をとるロミオにニクラウスは重い溜息が口から零れた。ロミオにとってニクラウスの行動は邪魔でしかなく、ニクラウスの刹那的な遊びは子供じみて見え、親でも恋人でもない相手に制限をされている事が不快だった。だが、ニクラウスにとっては友人との時間を楽しみたいという気持ちに嘘はないが、なによりロミオをジョーイに取られることによって、ロミオを危険にされ巣ということがニクラウスには分かっていたため引き留めようと努力する。
「いいか、ジョーイ・ブラウニングは食わせ者だ。どこに惹かれてるか知らねぇがあいつは友達じゃない、信用するな」
「お前と違う生き方を選んだからか? ジョーイの言うとおりだよ、金や特権は目を曇らせる。みんな感覚を麻痺させて現実世界から遮断させてる。現実世界を知るべきだ」
「これが現実だ。俺たちは恵まれてる。俺たちになりたがってるやつもいるんだぞ、羨望の的だ。なぜ、その地位を捨てる?」
ロミオはフッと鼻で笑った後、怒りが限界を超え僅かな冷静さを取り戻した。
そして、目の前にいる親友は自分のことを理解しておらず話合いをすることも出来ない人間なのだとロミオは思った。
「分かってない」
「じゃあ聞くが、お前の夢って何なんだ。父親の敷いたレールに文句は言うが――本当にやりたい事があるのか?」
「これは違う。ここに無いのは確かだ」
「全部放り投げて探しに出る前によく見極めるんだな」
ロミオはニクラウスの言葉を受け取った後、店内から漏れる音楽がどんどん遠くに離れていくことで現実世界に引き戻させるような感覚を感じながら友人たちと別れた。
「どこ行く?」そんなニクラウスの呼びかけなどロミオの耳にはもう届かなくなっており、スマートフォンの着信画面にはジョーイからのメッセージが届いていた。内容は友人と大人な遊びをしていることだけ。ただ、丁寧に場所の記載がされており、マップアプリで検索すればすぐに分かった。
*
落ち込んだ様子で帰宅した息子の姿にブライアンはなんともないように「映画は?」と一言質問した。
「あー、うーん・・・・・・どうかな。結局観なかった」
ルドルフはフラフラとした足取りで辿り着いたソファーにどっかりと腰を下ろし、溜息を吐いて、意味も無く手に取った雑誌をペラペラと
「エイプリルがわかんないよ。追う価値あんのかな」
「どうした?」
「彼女には今は大喧嘩中らしいけど、親友がいる。名前はカーラ・ロッドフォード。俺が嫌いな上流階級の嫌なところを凝縮して出来たみたいな女の子でさ、目はくりくりしてるけど嫌味がポンポン出てくる口がついてて、ブランド志向の悪魔」
ルドルフの語っていることは事実で、いたって真剣に答えているにもかかわらず、ブライアンは破顔一笑する。
「大げさな。そんな子いるわけない」
「いるさ。あのギロッて睨み方、メデューサでも彼女には負けるね」
「まあ、パパの経験上から言わせてもらえば、そういう子には表面上じゃ分からない悩みがある」
「ジュースが絞りたてでなく、濃縮還元だったみたいな? エイプリルのことも疑うよ、カーラみたいなのが親友だなんて」
いくら元親友といえど、エイプリルは未だにカーラを気にかけていることをルドルフは知っており、エイプリルは彼女との仲を戻すために努力中だ。いずれ二人の仲が戻る事があればカーラと遭遇する機械も増えるであろう事がストレスであったし、エイプリルの口からカーラの話題がさらに増えることもルドルフにはストレスである。
そのルドルフの思考を表情や雰囲気からなんとなく察したブライアンは、昔付き合っていたステキな女性のことを思い出した。
「実はパパも昔、エイプリルと似た女性と付き合った事がある。ああいう子は確かに難しい。凄く複雑で、不可解なところもあるが、追う価値はある。ただ、そのためにはこっちも落ち着いて見極めて、飛び込むしかない」
「父さんは?」
「飛び込んだよ。でも、骨折した」
「それはためになる話をありがとう。参考になったよ」
その話が母親の話しか、元恋人だった人の花しか想像もしていなかったルドルフは前向きな話が聞けることを僅かに期待した。だが、ブライアンから聞いたその話で少なくとも前向きに慣れる気持ちはどこかに行ってしまい、上手くいかない現実を突きつけられただけだった。
*
今夜はカーラにとって間違いなく最高の一日といえた。撮影は大成功を収め、カタログスタッフやエストレアの抱えているアシスタントはもちろん、一番褒められたいと願っていたエストレア・ロッドフォードからも大絶賛だった。
ゆったりとしたバスタイムをすごし、いつもより念入りなマッサージと特別なスキンケアを済ませたカーラは、まだ興奮の冷め切らないうちに就寝時間となり、ベッドに入るようエストレアに促された。
「もう寝なさい。明日の撮影に備えないとね」
掛け布団を掛け、優しく頭を撫でるエストレアにカーラはおかしそうに「子どもの時みたい」と笑って言えば、エストレアも「いつもは夜更かしだもの」とにこりと微笑んだ。
「今夜のあなたはきれいだった」
「本当?」
この“きれい”という短いフレーズはエストレアにとっては、最高の褒め言葉であることを一番理解しているカーラはその言葉に夢見心地になる。
*
エイプリルの残した「また電話する」という言葉の“また”というのは、一体いつになるのか分からない状況で、浮き足立っているルドルフの元に一本の着信が入った。相手を確認することなく電話に出たルドルフは「映画は? 楽しかった? それと、デートもね」と冗談を交えて尋ねたエイプリルの声にソファーベッドから飛び起きた。本棚に頭をぶつけるんじゃないかと思うほどの勢いで。
「ごめん、今のは言いすぎだった。埋め合わせがしたいの」
「そうなんだ」
「そう。あたしの世界とあなたの世界を体験するのはどう?」
「それは随分楽しそうだね」
「でしょ? じゃあ金曜日の八時、住所は跡で送るから! じゃあね!」
一方的に電話を切ったエイプリルに振り回されてるなと思いながら、それを楽しんでいる自分自身に気が付いたルドルフはふつふつと込み上げてくる笑いを堪え切れず「約束? また破られそう」と言って自嘲した。
*
撮影当日のモデルの鉄則は手術前の患者と似ている。撮影の十二時間前から飲食禁止、楽な服装で準備を整える。現場じゃ何が起きるかわからないため、油断は大敵だ。
撮影本番は昨晩のテスト撮影と全く違っていた。人数が増えたり、スタッフ用のケータリングがあるのはもちろん、人工的な灯りではなく自然な光と、自然な風の中行われた本物のファッション撮影。
「いいよ、いいよ! 今日は君の誕生日、最高の笑顔を見せて! ワン、ツー、スリー! よし、次はマリリン・モンロー風に!」
ヘアメイクもバッチリ決まり、自慢のつややかなブラックの髪をなびかせ、抜群のプロポーションを見せびらかすようにポーズを取るカーラは、プロの技術はもちろん、本人のポージングも様になっており、まるでプロのモデルのようだった。
「ね、マッケンジー。お願いがあるんだけど」
「何かな」
「実はわたし、インスタのフォロワーが四百万人以上いるのね。だから、宣伝も含めて投稿したいんだけど何枚か撮ってもらえるかしら?」
「それはもちろん! きっとお母さまも大喜びだね。こんな最高な
「ありがとう! じゃあ、お願いね」
雑誌のようなポージングをしつつも先ほどよりナチュラルな笑顔と、年相応にはしゃぐ姿をカーラから受け取ったスマートフォンで撮影していたマッケンジーは、どんな仕草も様になる彼女のポテンシャルの高さに驚いた。
その驚きのレベルは、「このカメラで撮った写真もぜひカタログに収めたい」とカーラにお願いをするほどに高いものだった。
*
パーティーを一晩中楽しんだニクラウスは保管していたピアジェの時計を取り出そうと鍵を開けると、そこには時計ケースごと物がなくなっていた。慌ててスマートフォンを取り出し、ロミオに“どこにいる?”とメッセージを送った。
一方、メッセージを受け取ったロミオはコインとドル札、トランプやサイコロが乗ったテーブルの下で、素直に“五区のクィーンズ”とニクラウスに答えた。
「しまえ」
「ごめん」
ロミオはすぐさまポケットにスマートフォンを入れると、ジョーイが楽しげに「儲けは?」と尋ねた。ロミオ囁くように「五千ドル」と言えばジョーイは笑った。
「やるな」
「勝ってるうちに抜けよう」
「まだ早い。始めたばっかだ」
「十分ツイてた。勝ってるうちに抜けないと」
「こんなもんで満足するのか? 掛け金が上がって勝負らしくなるのはここからなんだぞ。今まではただのゲームだが――この先は冒険だ」
ひそひそと話し合っている中、ロミオに気付かれることなくジョーイは勝負相手にアイコンタクトをとってロミオに勝負を続けるよう「残れよ」と頼んだ。
「
「よし」
心を決めたロミオはチップを中央部に移動させる。それを見たジョーイは「配れ」とディーラーに指示を出すと、素早く切られたトランプが一枚ずつそれぞれの手元に配られていく。
ゆっくりと捲られていくディーラーの手札にはスペードのキング、クラブのデュース、ダイアのナイン、ハートのサイス、ダイアのエースが並んでいる。
「ファーストベット」
ディーラーの声に緊張が走る。ロミオは慣れない遊びにそろそろ焦燥感を感じていたこともあり、様子を伺うようにジョーイを見やるがジョーイは愉快そうに口元を緩めている。
「五千」
「コールは?」
間接照明に照らされた色とりどりのチップがロミオには威圧的に輝いて見える。手を組み額に押し当て、ロミオはジョーイにだけ聞こえるように呟いた。
「上乗せ金はない。コールしてくれ」
「まじかよ。クソ」
手元に払える金が無ければ勝負が出来るわけもなく、ジョーイも諦めるだろうとロミオは思っており、それが伝わったのかジョーイは相手に声をかける。
「借用書もアリか?」
大人の遊びはおままごとのようには甘くない。ロミオがその事に気がつくのに時間がかかりすぎた。相手と目配せをしたディーラーから投げ渡されたのは質のいい万年筆と借用書。
「やめよう」
「いつか勝負に出るんなら、リスクを負うことも必要だ。ビビるな」
ディーラーの手札を改めて見つめるロミオにジョーイは優しく肩を叩く。その叩き方は安心させるような叩き方ではなく、“頑張れよ”“勝てるさ”と言われているような気分になる叩き方でロミオは手元にある誓約書と万年筆に目をやる。
「大丈夫だ。書けよ」
その言葉に魔法でもかかっているかのような速さでロミオは誓約書にサインした。
一瞬でも危険性を考えてなどいないであろう速さにディーラーはへらへらと笑っているジョーイを睨む。
「信用は?」
「ああ、できるさ。パーシヴァルだ」
「一万に」
チップの山の中に一枚の借用書。やはり名医のお坊ちゃまが賭ける金額は大きいが、それが借用書でおずおずとした出し方ではまったく格好はつかない。
「コールは?」
ディーラーの合図にロミオは誰もコールしないことを祈ったが、その祈りはすぐに叶わないものとなった。相手からコールの声が上がったのだ。
「カードを」
テキサスホールデムポーカーでは、ディーラーの手元にあるコミュニティ・カードと自身の持つ二枚のカードで手役を作るゲーム。ディーラーの合図にロミオが出したカードはクラブとダイアのサイス。コミュニティ・カードのハートのサイスを含めて出来た役はサイスのスリーカード。
緊張が走る中相手が出したカードはハートのエースとクラブのエース。コミュニティ・カードにはダイアのエースがあり、ポーカーで一番強いのはエースだ。
「エースの勝ち」
ディーラーの声に相手はチップを抱えるようにして回収し、ロミオは崩れるようにして頭を抱え、ジョーイは悔しそうに呻り声を漏らす。
「痛いな」
「誰のせい?」
「あっちがまさか、エース三枚とはな。運が悪かった仕方ない」
「金だけど、用意には時間が要る」
「おい、何言ってる? どういうことだ。そりゃねーだろ。指を鳴らせば一発だろ」
ジョーイの焦る顔を見たディーラーや相手チームも戸惑いの表情を見せる。目配せしあう彼らにロミオは気が付いた。前半戦で勝てていたことも、後半戦で負け始めているこの状況も全て意味があったということに。
「待ってくれ、全員グルなのか?」
ロミオが不安に揺れるブルーの瞳でジョーイのアメジストの瞳を睨むと、そのエイプリルによく似た顔はロミオから視線を外した。
「おい! よくも僕をダマしたんだな?」
怒りのままにジョーイの胸倉を掴みあげるロミオにディーラーや相手チームにいた男たちがロミオを押さえ込む。四、五名に肩を押さえつけられたロミオはびくともしない体を何とか動かそうと動き続ける。
「答えろ!」
「金を出せばいい。お前には
「いい友達だな」
その声にジョーイが振り向けば、仕立てのいいフェドーラにテッド・ベーカーのスーツを着こなしたニクラウスが薄明かりに照らされていた。
「どこから?」
ジョーイが仲間たちに尋ねるも返答は無く、未だ暴れているロミオを睨みつけて「一体、誰がコイツを呼んだんだ?」と尋ねると、ロミオは「タメられた!」とニクラウスを縋るように見つめて必死に叫んだ。
その情けない行動に呆れつつ、ジョーイは物の分からない子供に教えるようにそっと両肩を押さえてゆっくりと口を開いた。
「無理強いはしてねぇ。お前が負けたんだ」
ニクラウスは「そうか」と短く答えて室内へずんずんと進んでいくが、その間もロミオは体を押さえつけられたままジョーイと睨みあう。
「今すぐ払わないと、お前の住所ばらして父親から取り立てるぞ」
「おい、俺の時計を持ってっただろ」
その時計がすぐに何のことかはジョーイも理解していたが、ここで素直に頷くべきかごまかすべきか悩んでいた。その僅かな沈黙の次にやってきた言葉は「お前にくれてやる」だった。
その言葉にジョーイとロミオは驚いた。ニクラウスは時計好きで幾つも限定物のコレクションやお気に入りのモデルを持っており、定期的に手入れをしてやるほどだからだ。
それほど時計好きなニクラウスから出た“くれてやる”という言葉にジョーイの頭に失敗がよぎる。彼の持つコレクションの中でも価値の低いものだったのではないかと。
「コイツらを何とかしろ、警察に通報はしない。ロミオを解放するんだ」
ジョーイは髪を撫でた。ニクラウスの提案は悪いものではなく、寧ろ好条件だった。もちろん、盗んだピアジェの時計は売ると相当な額になりロミオへの取立てが成功すれば言うこと無しだが、今ここでロミオにこだわってピアジェさえ失うのはとてもリスキーだと考えた。
「もういい、話はついた。放してやってくれ」
その瞬間、仲間たちはロミオの体に痣が残るのではないかと思うほどに力を籠めていた手を開放し、ニクラウスのほうへと体を押した。
*
ニクラウスのリムジンでニクラウスの自宅まで戻ったロミオは早速、スマートフォンでインターネットバンキングのサイトにログインした。
「金を戻すまで父さんにバレないといいが・・・・・・成功を祈っててくれ」
「俺に払う必要はない。奴の敗北を見るための料金だと思えはあんなの安いもんだ。俺は満足してる」
「返したいんだ。本当にありがとう」
これ以上断るのもおかしいと考えたニクラウスは微笑んで了承し、楽しみにしていたシガーを収納ケースから取り出すと鼻に近づけ、たっぷり意気を吸い込み香りを楽しんだ。
「まさか、そんなはず無い!」
焦った言い方になにか操作でも間違えたのかと思ったニクラウスがどうしたんだ、と尋ねるとロミオは「カラだ!」と叫んだ。だが、講座に残高が無いことなど想像がつかないニクラウスは「口座違いだ」と緩く頭を振って笑ったが、ロミオは生成に答えた。
「いや、そうじゃない先月は二十ドルあったのに」
「わかった。じゃあ今すぐ確認しよう。専属の銀行員はいるか?」
ニクラウスの提案にすぐさまヘクターが任せている銀行員の連絡先をスマートフォンで見つけ出し、迷わずコールしたものの留守を告げるアナウンスが空しくなった。
だが、五分ほどして連絡を入れていたナンバーから着信が入り、ロミオはすぐさま手に取る。
「トム、すぐに折り返してくれてありがとう。」
「はい、急用だとか」
「ああ、そうなんだ。口座をチェックしたら間違えを見つけたんだ。エラーらしくて、信託残高がゼロなんだ」
「ああ、それでしたら数週間前に全額が引き出されてます」
「引き出されたって・・・・・・そんな、誰が?」
「お父様です。ご存知でしたよね?」
子供なら誰でも親を信用できなくなる瞬間を経験する。
当然、家族は選べないが友達ならいくらでも選べる。家柄や財産がものを言う世界で友達はとても貴重なものだとロミオたちは理解している。
だからこそ、こういう問題に直面したときに頼るべきは誰か、その答えも既に出ている。
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