第5話 グレート・ソーシャライジングパーティー

 エリートに妥協は許されない。生まれた時からセレブだといいこともたくさんあるが、それだけじゃない。どんな勝ち組だってそれぞれの努力で成功を掴んでいる。


 一流の親は子供にもそれを共有し、更なる飛躍を求めてくるもの。そのため進む大学も超一流。名門大学はマスト。すなわち、イェール、コロンビア、コーネル、ダートマス、ハーバード、ペンシルバニア、プリンストンに限られる。


 もちろん、他校を志望する生徒もいるがよほどの成績でない限り、第一志望に記入されることはほとんどなく、

 生まれた時から進学先が決められていたといっても過言ではない。


 月曜日というのはどうもやる気が出にくく、憂鬱な日々の始まりでもあるが、今週の月曜日は特別なものだった。


 なぜなら金曜日に各大学の代表者が学校を訪問、生徒は代表者と親睦を深めて自分をアピールし、将来に繋げるための大切なイベントが始まる。


 カーラは失敗の許させない本番に向けてしっかりと準備を行い、努力を重ねてきたので特に心配することはないといえるが、しばらくはとても気が抜ける状態ではないため、今のうちに力を抜いておこうとアヴィヤンガ(アーユルヴェーダというインド大陸の伝統的医学の一種。痩身やリラックス効果があるとされている。)を受けて最後の仕上げに入る。


 エイプリルは演劇学校で過ごしてきた分の遅れを取り戻そうと、前が見えなくなるほどに積み上げた教科書を片っ端から読み漁り、参考書は解ける問題から解いていく。


 だが、プレップ・スクールでの遅れを取り戻すのはなかなかに大変で、本当は投げ出したい気持ちでいっぱいになっており、へこみそうになる気持ちをなんとか奮い立たせ必死になってペンを動かし、ページをめくる手を止めないよう自分を言い聞かせる。


 ロミオはあまり勉強が得意なほうではなく、成績も下から数えたほうが早いくらいで、一流大学など夢のまた夢だとわかりきっているため、地元にある私立か公立の大学、もしくは西海岸にある大学を志望している。しかし、ロミオの父ヘクターはハーバード大学を卒業しており、母シンディはブラウン大学を卒業。


 おまけに両親は共に医者をしており、ヘクターは自身の出身校であるハーバードをロミオに志望するよう強く言い続けている。そしてハーバード卒業後は医者になり自分たちの後を継ぐように、と耳にタコができるほど聞かされている。


 その状態に早くも音を上げたロミオは、現実逃避のために日課である早朝ランニングの後公園で一服をし、最近ニクラウスと入ったお気に入りのカフェでスマートフォン片手にコーヒーを啜る。


 ニクラウスは成績も大変優秀で、課外活動も積極的に参加しており、たびたび開催されるパーティーでは学校関係者との人脈作りにも勤しみ、社交界の名士として名高い彼には不安といえる要素はないに等しい。


 だが、今回訪れる代表者になにか新しい話題や情報があれば、仕入れておくべきだと考えたニクラウスは、勉強ではなく情報収集と新たな人脈作りでラストスパートを走りきることを選択した。


 ルドルフは図書館に篭ってラテン語やフランス語、オランダ語にドイツ語、イタリア語など、複数言語の本を数時間に渡り休むことなく何十冊と読み続けているが疲れなどは一切感じなかった。


 それは単に彼が本の虫なだけでなく学内ランキングで二位、三位を維持する頭脳の持ち主であることも理由の一つとして挙げられるが、それよりも親睦会という一大イベントも大いに関係している。


 ルドルフにとって代表者が訪れるということは、自身の尊敬してやまない文学教授たちと面と向かって言葉を交し合えるという絶好の機会に違いなく、興奮せずにはられない高揚感をすべて読書に注ぎ込むためでもあった。


 そして、読み終えた本についての感想などをまとめたレポートにすれば課題である読書感想文や研究評価にもなるため、ルドルフにとっては楽しみながら課題をこなすことが出来るだけでなく、文学教授たちに直接読んでもらえる機会が得られるかもしれないといういい事尽くめであった。


 *


 この日の木曜日マウンリッシー随一のエリート私立高校である、ルヴォア・ラトウィッジ学院、エイヴォン・ヴィラール女子学園に通う生徒たちは、朝から大忙しだ。


 ロミオは日課のジョギングをヘクターと楽しみ気持ちのいい朝を迎えたが、その気分は「ハーバードに入ったら褒めてやる」という一言によって、一気に最悪な朝へと変更される。だが、あくまでも穏便に済ませるためさわやかな笑顔で乗り切る。


「父さん、その事については話したでしょ。僕はカリフォルニアの大学も視野に入れてるって」

「冗談を言ってる場合か! 今の成績でハーバードに入るには熱意を見せねば。まずは親睦会だ」

「父さん、南カリフォルニアは冗談じゃないよ。僕の意思は?」

「将来のことだ。ちゃんと計画している」

「それは僕の将来だ。僕が決める」

「私と母さんの努力を無駄にはせん! 今日の面接ではしっかりな」


 まったく聞く耳を持たないヘクターにロミオは嫌気がさし、もう一度走ってくるとごまかした。


 ミリーのブラウスとジェニファー・ベアのカチューシャを身に着け、パールのピアスとシャネルのブローチで着飾ったカーラは朝からすっかり上機嫌で、「もう少しで大学生になるなんて信じられない」とスカートを揺らしリズミカルに階段を下りた後もにこやかにしており、ベアトリスもつられるようにして笑い、バカラのグラスにフルーツとヨーグルト、シリアルがミルフィーユ状になっている朝食と温かな紅茶をカーラの前に差し出す。


「おはよう、ベアトリス。今日はステキな朝ね」

「おはようございます、カーラさま。さぁ、朝食をしっかり召し上がってください。お母さまの言いつけです」


 しっかりとカロリー計算のされた朝食にウンザリしつつ、リチャード・ジノリの食器に盛り付けられたフルーツの中からイチゴを一つつまんで、“これでいいでしょ”といった表情で微笑みながらひとくち口にした。


 ニクラウスはお気に入りのポール・スミスのネクタイピンとカフスボタンを身につけ、サルバトーレマーラの時計と女侯爵である母、メレディス・ジンデルの家に代々伝わる家宝のブルーサファイアのリングを右手の薬指にそっとはめる。


「ニコラウス。お前はあくまでもニクラウス・ジンデルだ。その事を忘れるな」


 ぐっと押さえられた両肩にプレッシャーがおもりとなって重くのしかかるような感覚に、ニクラウスは叫び出したい気持ちを押さえ込んで逃げるように家を出た。


 ルドルフは朝から最悪だった。震える手でヒゲを剃ればガタガタになり、力加えてもう一度剃れば今度は肌が切れた。髪をセットしようにも普段からあまりそういったことをした事がないルドルフはどうしていいかわからず、父のブライアン・アンダーウッドが助けに入ったときには一度シャワーでリセットをしなくてはならないほどメチャクチャ。


 緊張で食事も上手く喉を通らず、タバコをふかしながら弱音ばかりを吐き続ける息子にブライアンは“大丈夫だ”“何も心配することはない”を繰り返す。


「その顔だって、血は止まっただろ。無事、病院送りはまぬがれた。ラッキーだ!」

「全然よくない。印象最悪だろ」

「お前には、あの学園の誰にも負けない知性も才能もある。それが第一さ」

「そうよ、問われるのは顔の良さより頭脳。まぁ、もしそれも必要になっても、傷だらけのあなたもハンサムよ」


 冗談っぽく笑ったものの、ルドルフにはとても笑える冗談ではなく、それをわかっているブライアンも“今はやめろ”と目で訴えた。


「なによ。ちょっとからかっただけ」


 金曜日の案内役に向けて大切な面接を控えており、男子たちはいつもより髭剃りにスキンケアを念入りへアセットだっていつもよりしっかりとセットし、女子は特別なスキンケアとばっちりのメイク。男女で唯一共通することといえば、制服をきちんと着ること。


 これは人によるが、コロンや香水だって忘れちゃいけない。


 *


 講堂に集まった生徒たちはそれぞれに挨拶を交わしながら席を埋めていく。十一年生の生徒たちの表情には期待や不安、緊張、恐怖などそれぞれ違った感情が出ており、普段とは違った空気に下級生たちも緊張する。


 そんな中、前に出てきたエイヴォン・シュティール女子学園の学園長とルヴォア・ラトウィッジ学院の校長に生徒たちの視線は一斉に集められる。


「おはようございます、皆さん。いよいよ、この大変な一週間も大詰めです。全校を挙げて乗り切りましょう」

「長い伝統にのっとって、金曜日は大学側との親睦会だ。主催はエイヴォン・シュティール女子学園、ルヴォア・ラトウィッジ学院からはゲストの案内係を選ぶ」

「今回の親睦会に参加する大学を志望する生徒は心してください。人生を左右する重要なイベントですから」

「でも気楽に」


 朗らかに笑う二人によって、講堂に漂っていた空気は少し軽やかになり一部生徒たちの緊張の糸が僅かにほぐれる。


「下級生もよく見習うように。今週は歴史ある我々の高校と、皆さんの家族の代表として行動してください。明日の親睦会では、イベントの一環として生徒会会長のカーラ・ロッドフォードが、優秀だった生徒の表彰を行います。もちろん、最優秀賞はカーラですがその表彰は・・・・・・」


 名前を挙げられたカーラが満足げに笑みを零していると、ネイルチェックをしていたトレーシーがふと「エイプリルは?」と質問する。グレイスはカーラが聞いているとまずいのがわかっているため、早く終わらせようと「いないね」と早口で答える。


「黙って。そんなことより、今は将来の話を聞きたいの」


 カーラはイベントや大学についての聞きたかった事柄について説明が一通り終わった後、真剣な表情になって二人のほうを向いた。


「で、エイプリルは?」

「さっきいないって」

「ちょっと、空気読んでよ! さっきは言っちゃダメだったの」


 カーラは軽く辺りを見渡して二人が言うように本当にエイプリルが来ていないのか自身の目で確認をしたが、エイプリルらしき人物の姿はどこにもなかった。


 *


 みんなが余裕を持って行動する中、エイプリルは朝からすっかり寝坊してしまい、オリヴィアにたたき起こされた時間はもはや絶望的だった。シャワーも浴びずにブロンドにブラシだけを気持ち程度に通し、コテでざっくりとカールを作り、なんとかそれらしいラフなヘアスタイルにする。


「急いで、遅れるわよ」

「わかってるってば!」


 オリヴィアの用意していたクロワッサンを口に含みながらクリーニングしたての制服に袖を通し、バッグに昨晩遅くまで使っていた教科書や資料、タブレットなどを向きなど気にせず次々詰め込む。


「きちんと寝なさい。大切な時期なのよ?」


 手鏡をエイプリルに向けながらナーズのグロスとマスカラを差し出すオリヴィアから、受け取るとどちらも軽くひと塗りで済ませる。いまは丁寧に塗っている暇などない為、唇の端についたグロスは指でぼかし、まぶたについてしまったマスカラも指で擦ってごまかす。


 テーブルに置いていたシャネルのネックレスとピアスをして、なんとかいつものような美女に仕上がるが、その表情に余裕など一切生まれない。


「だから急いでるの! 今は将来に集中しなきゃ」

「それを聞けて安心したわ。あなたもともとそんなこと考えていなかったじゃない。でも、こっちに戻って来たから大学進学の計画を話そうと思ってたのよ」

「最近は色々大変で、早く進学して他の事に集中したいのよ」


 飛び出すように家を出る娘の背中に向かって、オリヴィアはいってらっしゃいよりも「タクシーで行って!」と遅刻させないように叫んだ。


 エイプリルはタクシーに乗り込んだ時点で遅刻する時間だとわかっているものの、滑り込みでも間に合わせたいと無我夢中で講堂まで走った。


 だが、エイプリルの目の前には朝礼を終えた生徒たちがそれぞれのクラスへと戻っていく様子で、たまたま見かけたルドルフに駆け寄った。


「ねぇ、嘘でしょ? 終わってないよね?」


 ヒューゴ・ジンデル主催のブランチ会以来連絡はもちろん、顔を合わせておらず始めて廊下で会ったこの日に告げられた短いフレーズだけで、ルドルフはあの日の話だとすっかり勘違いをしてしまったため、ぽかんとする。


「あれは・・・・・・どう見ても、あの日で終わったじゃないか。そうだろ」


 ルドルフの様子にエイプリルは誤解があることにすぐさま気付きながらも、あの日上手くいかなかったことはすべてタイミングや友人たちのせいにしてしまいたい気持ちや、一度で会話が成立しなかったどこかもどかしさを感じながら「朝礼のことよ」と付け加える。


「それならたった今、解散したとこだよ」


“見ればわかるだろ”と視線で訴えながら講堂を指差すルドルフにエイプリルは「そんな。最悪」とがっくりと肩を落とした。


「じゃあ、がんばって」

「ええ、あなたも」


 振り返ることなく言葉を残してクラスへと戻っていくルドルフの背中に向かって、エイプリルはぽつりと呟いたがその言葉が届いていればいいのに、と願ったがそれは叶わないとすぐにわかった。


「あら、ごきげんよう。あぁ、遅れたの? どうせどの大学も、あなたみたいな尻軽はお断りよ」


 遅刻という失態をしただけでも最悪な気分だったところに、ルドルフのあの冷たい態度とカーラのキツい一言。ここのところカーラに貶されっぱなしのエイプリルはさすがに我慢ができなかった。


 *


 勝負をする時間は一時限目の体育の授業中に行われた。二人の女の戦いのフィールドはテニス。この日はダブルスの試合で、相手チームはストロベリーブロンドのカーリーヘアをライムグリーンのヘアバンドでまとめたグレイスとレッドヘッドのラフなビーチウェーブをネオンブルーのヘアバンドでまとめたトレーシーの二人。



 両手にビタミンカラーのリストバンドをはめた二人の相性は抜群で、強敵なのは間違いない。


 負けず嫌いなカーラは試合に集中しようと専念していたが、余裕が出てきた頃にエルメスのスカーフを左手首に巻き、学校指定のポロシャツは第二ボタンまでラフに着崩し、パーマネントイエローのミニスカートがちらりと見える。ブロンドをざっくりとひとまとめにしたエイプリルが、両手には白のリストバンド、学校指定のポロシャツは第一ボタンまできっちり留めて、エストレアのデザインしたミニスカートの中に入れる。細いウエストをさらに強調するエストレアデザインのベルトを身に着け、ブラックのカールヘアを綺麗なポニーテールにしたカーラの表情も見ずに、突然話しかけた。


「ロミオとの事は、確かに私は間違いを犯したわ。だからって・・・・・・」


 カーラにとって聞きたくもない言い訳がましい謝罪に、カーラはボールを打ち返しながらラケットを手にしていない方の手でエイプリルを押しのける。予想していなかった衝撃に倒れたエイプリル。周りの生徒はくすりと笑ったが「何事だ」とやってきた審判兼体育教師のクリス・マイヤーズにカーラは申し訳なさそうな顔で「集中しすぎちゃったんです」と言い、エイプリルは「平気よ」と声を張り上げた。真っ白なソックスやミニスカートについた土や芝などの汚れを払っているエイプリルに楽しそうに微笑みながらカーラが近づく。


「頭は大丈夫?」

「ご心配どうも。集中しすぎちゃっただけなら、仕方ないって思いたい」


 また二人が元の位置に着いたのを確認すると、クリスがホイッスルを鳴らし試合開始となるが、サーブをする際に今度は肘でエイプリルをアタックしたカーラ。


 これにはさすがの審判も気が付きイエローカードをすぐさま出し、エイプリルは「ありがとう」とクリスに御礼を伝える。


 再び試合再開になり、今度のサーブは相手チームのグレイス。美しい曲線を描いたサーブはフォアサイドサービスエリアで綺麗なワンバウンドを見せた後、そのままカーラのラケット近くに到達し、それをカーラは素早く打ち返す。


 数回ラリーが続きエイプリルが安心したのも束の間。トレーシーの打ったテニスボールがネット近くのバックサイドサービスエリアにワンバウンドした後、エイプリルの少し右側に着地しそうになったため、慌てて走ってきたカーラがボールを打つのかと思いきや、エイプリルの右脇腹をラケットで打った。


 さすがにこれはアウトだろうと思われたが、クリスの出した判定はまたしてもイエローカード。


「次はないぞ」


 クリスの判定にもイラついたが、それよりもずっと陰湿な攻撃ばかりしてくるカーラにエイプリルも苛立ちを隠せなくなり、ついに「いい加減にして。もういいでしょ」とカーラの胸倉を掴むが、カーラはそんなことではひるまない。


「まだ足りないわ。十分かどうかあんたに決める権利なんてあると思う?」


 エイプリルの腕を振りほどいてまた定位置に戻るカーラの様子を見ていたクラスメートの女子たちからくすくすと笑い声が聞こえる。心配そうに見つめる生徒もいないわけではないが、エイプリルの味方をしてくれる生徒はゼロと思われる。


 再び試合再開のホイッスルが鳴り響き、エイプリルのサーブから試合が始まった。途中、トレーシーの打ったボールがノーバウンドでカーラの頭上に到達した際に、そのボールを素早く返したカーラのプレーに歓声が沸いたり、エイプリルの打ったボールがネットぎりぎりのサービルエリアにワンバウンドした際には盛り上がりを見せたダブルスは順調そうに思えたが、試合後半にカーラ近くにボールがワンバウンドしそうになったところをエイプリルが突撃し、


「きゃあ!」


 カーラを芝生に押し倒した。


 クラスメートたちがポカンと眺める中、二人は手入れの行き届いたツメを立ててグラウンドの真ん中でバトルを始めた。それも、学内一、二を争う競う美女二人がミニスカートでキャットファイトを始めるのだから、何かの撮影のような光景に見える。


「こら、やめろ! 離れるんだ!」


 クリスがホイッスルを鳴らしたり怒鳴ったりするが、髪をひっぱったり、頬や腿をつねったりといった格闘は泊まる気配がない。カーラの綺麗にまとめたホワイトのグログランのリボンはあっさりほどけ、エイプリルのポニーテールはシャワーをおすすめしたくなるほどただのぐちゃぐちゃなヘアスタイルになる。


「重たいじゃない! どいて! 放してよ!」

「まだやる?」


 馬乗りになってカーラを押さえつける様子にクラスメートたちは「さすがにやりすぎよね」「カーラがかわいそうよ」などと囁きあった。その声が届いたのか、立ち上がったエイプリルはゆっくり起き上がるカーラに詰め寄る。


「どう? これ以上やり合いたい? それなら受けて立つわよ。それとも、休戦?」


 視線を泳がせたカーラは頷くかどうか悩んだのち、苦痛そうに顔を歪めて「痛い!」と叫んだ。


「ああ! 脚が!」

「エイプリル、退場だ」


 カーラのその行動にも、クリスの判定にもエイプリルは呆れてものを言えなくなるが、クラスメートは“暴力を振るうだなんてありえない”とでも言うように冷ややかな視線をエイプリルに注ぐ。


 痛みにうずくまるカーラの元にはすぐさまグレイスとトレーシーが駆け寄り、「大丈夫?」と声をかける。クリスも心配そうに見つめて保健室へ行くよう勧めたが、エイプリルは「折れてるといいね」と吐き捨ててコートへと戻っていった。


 *


 女子が凶暴になっていた頃、ルヴォア・ラトウィッジ学院の男子は他のことで頭の中がいっぱいになってた。親睦会で各大学の代表につく案内係の選考が始まったのだ。


 それぞれ希望校を選べるということになり、ルドルフは迷うことなくハーバードの案内係を希望。

 その理由はハーバードの代表が、ルドルフに本の素晴らしさを伝えた一番の愛読書の著者だということが発表されたからだ。


 もちろん他にも志望校はあり、ダートマスと非常に悩んだが彼を尊敬するあまりにハーバードのみをを志望してる。


「なぜ、ハーバードの案内係に?」

「それは・・・・・・色々考えましたが、一番は僕の夢です。それから、僕のために犠牲を払ってくれた両親に、感謝を伝えたくて」


 自信なさそうに言葉をつむぎ、視線を落ち着きなくキョロキョロとさせて、面接官と一切目を合わせることなく行われたルドルフの面接。一言で言えば最悪だった。


 一方、ハーバードの卒業生を父に持つ生粋のお坊ちゃま、ロミオ・パーシヴァルといえば、第一印象から最高だった。


「君はハーバードに相応しい。まさに理想そのものだ」

「恐縮です。大学の評判は父に伺っておりますし、母校に入学できれば大変光栄です。ただ、本命は未定で・・・・・・選ばれる案内係が一人なのだとしたら、僕より適任がいるはずです」


 ロミオとしては第一志望ではない旨を伝え、辞退という形を取りたかったのだが、面接官の印象は入学したい意思は持ちつつも、謙虚な姿勢を見せたロミオの態度は好印象となった。


「君はなぜ、案内係に?」

「なぜ僕が、案内係に選ばれるべきか?」


 質問に質問で返すという実業家の父を持つニクラウスらしい滑り出しに、面接官は学生の中ではなかなか見ないユニークさを感じ思わず微笑む。


 ニクラウスは顎を触り少々悩んだふりをして、元々決めていた父もよく使うフレーズを口にした。


「それは、僕がニクラウス・ジンデルだからです」


 まるで会社で行われるプレゼンのような、テレビで流れるコマーシャルを思わせる言い振りに面接官は引き込まれ、なかなかの好印象を与えた。


 *


 全員の面接が終わった放課後――といっても今日は二限間でしかなく――まだ明るい日差しのこぼれる教員室。その近くにある廊下の掲示板に張り出させた一枚の用紙を求め、ルドルフは「失礼」と口にしながら人ごみを掻き分けた。どの学校の案内係に、誰が就任したのかを確認するためだけに。


 用紙に記載されている名前は、イェール、ニクラウス・ジンデル、コロンビア、アレクサンダー・ジョンソン、コーネル、イライジャ・デービス、ダートマス、ルドルフ・アンダーウッド、ハーバード、ロミオ・パーシヴァル、ペンシルバニア、ジャスパー・ウィリアムズ、プリンストン、マイロ・ムーア。


「やあ、結果は?」


 後ろから突然声をかけてきたロミオに驚きつつも、ルドルフは「あー・・・・・・ダメだった。合格者は君だ」と落ち込んで言った。もちろん、第一志望であったハーバードの案内係になれなかったのは残念極まりないが、他の案内係にすらなれなかった生徒のことを考えればむしろいい結果といえる。


 しかし、ようやく本命といえる志望校が見つかったルドルフにとっては残念以外の何者でもなく、悔しさと根本的に解決する事が出来ないことに対してはらわたが煮えくり返った。


「まぁ、妥当は妥当だよな」


 肩を落とし、不のオーラを漂わせながら廊下の隅の方へと移動するルドルフを、ロミオは心配して後を着いて行った。


「僕はクラスで二番あたりだけど、君は確か下から数えたほうが早い最下位あたり?」

「恨むなよ」

「まさか。父親が卒業生ってコネは当たり前じゃないか。僕はたまたま、そのコネがなかっただけだ」

「やめてくれ。僕の家の何がわかる?」

「ああ、そうだな。悪い。きっと、僕の敬愛する著者も君の熱意に心を打たれるさ」


 腑に落ちないところがあるのか苛立った様子で、トゲトゲしい皮肉な言葉を吐くルドルフにロミオは戸惑いながらも質問した「なんで君の敬愛する著者が出て来るんだ」と、その発言にルドルフは呆れたがみんながみんな自身のように本好きだとは限らないことを良くわかっていたため、優しく質問した。


「なぁ、君が最後に読んだ本ってなに? ほら、読書感想文だとかレポートだとかで読んだりするだろ?」

「あー・・・・・・そういうのは全部、ニックに手伝ってもらってるんだ。自分でまともに読んだ本ってなると三年生の時の A to Z ミステリーかな」


 ルドルフは心底呆れた。自身の両親が一流大学の卒業生でないというだけで、どれだけ成績が悪くとも一流大学の卒業生を親に持つ子どもが優先されるのかと。


 だが、友達のいないルドルフを気遣ってくれたロミオの優しさを無碍むげにできるほど冷たい男ではないルドルフは、一つアドバイスをしてやろうと彼なりの方法でロミオにお礼をすることにした。


「親睦会に来る教授だよ。著書を読んどけ」


 そう言ってロミオが感謝を伝えるより先にルドルフは荒々しく裏口の扉を開けて、帰宅しようとしたところにタイミングよく正面口の階段からエイプリルが下りてきた。


 たまたま鉢合わせたエイプリルは事情を知らないため「あら、相当ご立腹みたいね」と真っ白な歯を見せて無邪気に笑う。

 彼女の大人びた雰囲気がなくなってしまうほどの無邪気さに惹かれている男子の一人、ルドルフはさっきまでの怒りはどこかに吹き飛び表情を綻ばせる。


「はは、短気でね。直そうとしてる」

「じゃあ、ちゃんと話さなきゃ。成果を報告して」

「ああ、逐一連絡するよ」

「キツい一週間だよね」

「僕はもう違う」


 吹っ切れた表情のルドルフにエイプリルはプラスの感情を抱いた。クラスメートの男子たちがみんな欲しがっている案内役になれたのだと。だからそのまま「じゃあ、案内係に?」と口にしてどこの大学になったのかを聞き出そうと考えた。


「いや、なれたけどなれてないんだ。意外でもないが、ハーバードの案内係に選ばれたのはハーバードにOBがいるロミオだった。僕はダートマスの案内係。まぁ、一流大学のOBに親がいないのに、選ばれただけでも感謝しないとだよな」

「そっか、でもまだ入学できるチャンスはあるんだし」

「ああ、そうだな。で、君の両親の出身校は?」


 ルドルフの質問は非常に伝えにくいもので、エイプリルは戸惑った。ここで“あたしの両親も一流大学には行ってないの”と伝えるべきかとも考えたが、また嘘をついてそれがばれたときのことを考えれば真実を伝えるべきだと彼女は直感的に思った。


「コロンビアとブラウンだけど」


 妙に納得したように頷き、やっぱりなとエイプリルを背にして帰路に着いた。


 *


 その頃、カーラは自宅のダイニングルームにあるカウチで横になり体育の授業で痛めた脚を冷やすために、一緒に付き添っていたグレイスとトレーシーがベアトリスから受け取った氷嚢ひょうのうを痛々しく腫れた脚に当てていた。


「エイプリルってばひどい」

「ラフプレーよね」


 寄り添う二人にカーラがにっこりと微笑んでいると、スマートフォンに着信が入った。相手の名前を確認することなくカーラが出れば、その相手はニクラウスだった。


「ミニスカで乱闘したって? 誰か撮影してるかな」


 下品なジョークにカーラは失笑して「最低」とだけ伝える。

 カーラの氷のように冷たい言葉でも、ニクラウスは特に気にしていないどころか、自信満々に続ける。


「俺は何でも知ってる。そんな俺が必要なんだろ?」

「まぁね。わかった?」

「お前の考えはお見通し」


 ここから先、あまり聞かれたくない会話になると予想したカーラは二人にお礼を伝えたうえで、「冷えすぎちゃったわ。温めて」とお願いをして、「オーケー」と快よく了承した二人をダイニングルームから移動させた。


 エイプリルに消えて欲しいカーラは、エイプリルが演劇学校から戻って来た本当の理由を突き止めようとしてた。もちろん、ロミオとの関係があったことも理由としては十分ではあったが、あんなにも急に帰ってくるなんて絶対ダークな秘密があるはずだと疑ってならなかった。


「エイプリルが戻ったのは?」

「理由は謎」

「想像より答えが欲しいの。それを明かして。あなたほどのスキャンダル好きは他にいないもの」

「否定はしない。だが、スキャンダルの中身にもよる」

「秘密を暴いてひと騒ぎするの。あなたとわたしの唯一の共通点といえば、パーティー好きなところでしょ」

「よし、乗ってやるよ」


 切羽詰ったところに現れた救世主、ニクラウス・ジンデル。ニクラウスはシャーロック・ホームズ気分で調査を開始することにした。移動は当然リムジンのため、探偵にしては派手過ぎるがカーラの期待に応える情報を掴むために全力を尽くす。


 リムジンに備え付けられているマイクを使ってバックシートから運転手に向かってさっそく行動をするために話しかけた。


「忘れ物だ。学校に戻る」


 そのたった一言でリムジンはぐるりと大きくUターンをして、学校の路へ引き返す。


 *


 ルドルフが荒々しく自宅のドアを開けると母のルーシーがマカロニ・アンド・チーズを作っていたようで、チーズのこんがりと焼けた濃厚な香りがお出迎えした。父ブライアンは休日だったのかカウンター席でルーシーのことを見守っており、ルドルフに気が付くとすぐに「ああ、ルドルフ。お帰り。待ってたぞ。調子は?」と話しかけるがルドルフは何も答えず、ずんずんと自室のある奥の部屋へと急ぐ。


「パパはご機嫌よ」

「今までもうまかったけど、今まで以上にうまいぞ。最高のマカロニ・アンド・チーズ・・・・・・」


 両親の言葉には一切反応を示さず自室の部屋の扉をバタンッと大きな音を立てて閉めたルドルフにブライアンとルーシーは顔を見合わせた。

 普段のルドルフはとても家族想いな良い息子で、家族行事も未だに続けているほど仲が良い。そんな息子の変化に二人は戸惑ったが、ブライアンはルーシーはそのまま夕食作りに励むそう言い残し、ゆっくりと部屋に近づきノックを数回してルドルフの部屋に乗り込んだ。


 ルドルフは制服がシワになるのも気にしないでベッドに潜り込み、窒息死するのではないかと思うほどくたびれた枕にのび放題のヒゲ面をぎゅうぎゅうと押し付けていた。


「ごめん、気が立って」

「落選か」


 ブライアンの声にルドルフはようやく顔を出し、左手で顔を擦ってからその手で腕枕をした。


「落選ってわけじゃないけど、ダメだった」


 正直なところ、警察官のブライアンはルドルフのなにかしらの文筆家になりたいという将来についてはあまり乗り気ではなかったが、自慢の息子の希望が叶わなかったというのはやはり親として苦しいところがあり、重い溜息を吐き出した。


「信じられんな。お前以外に誰が」

「それは、決まってる。ロミオ・パーシヴァルに負けたんだ!」


 名前の部分でルドルフはまた枕に顔を押し付けて叫んだ。くぐもった声ではあったが、肝心な名前はクリアに聞き取れるほどはっきり叫んだルドルフはすっきりしたのかまた腕枕をしてブライアンを見上げた。そのブラックの瞳には僅かに涙が滲んでおり、唇には強く噛んだあとが刻まれていた。


「去年はもっと希望を持ってたけど、残念ながら彼も型通りの“良家お坊息子ちゃま”だった」


 二人の溜息だけが響いた後ルドルフがぽつり、ごめんと口にするとブライアンは優しい声で「何が?」と聞き返せばすぐに返事が帰って来た。


「パパとママがどんだけ苦労して僕の将来のために――相当無理して今の高校に入れてくれただろけど、それが無駄に・・・・・・」

「無駄にはならない。まだ終わってない。いいな」


 ルドルフは視線をブライアンから外して、ダークブラウンの長髪をぐしゃりと潰した。ブライアンの優しさも今のルドルフにとっては何の意味も持たない言葉に過ぎず、ただただうるさいと感じてしまうからだ。


 だが、それに気づく事が出来ずに息子のためにと励まそうとするブライアンは次から次に言葉を掛け続ける。どれも大丈夫だ、落ち込むな、選ばれただけまだ良い方だとかそういった言葉ばかりで、それは寧ろ今のルドルフにとっては神経を逆なでする言葉の海だった。


「たかが親睦会パーティーの案内係じゃないか」

「しばらく独りで悶々としていいかな」


 ルドルフのその言葉にブライアンは言葉を反芻するように数回頷いてから部屋を出た。扉の前では話を聞いていたのかルーシーが困ったように笑って待っていた。


「うちはアンダーウッドだもの。お金持ちとは違う」


 どうすることも出来ない事実にブライアンは頭を抱えた。息子のためにと思ってやっていた事が息子を苦しめているのではないかと考え始めたが、それよりも息子に何もしてやれることの無い自分の無力さにブライアンは落ち込んだ。


 *


 数名の生徒たちが教員たちに内緒で制作しているアルバムには、とても人様には見せられないような写真も数多くあり、未成年にもかかわらず堂々と飲酒をして羽目を外している写真は山のようにあるため、お目当てどおりの写真はすぐに見つかり、タバコだけでなくストリップのようなことをしている写真まで見つかる。


 その中でも特に酷いのはエイプリルだ。大の酒好きでいつも二日酔いになっては学校にも行かず、性生活も奔放な彼女の姿がそのアルバムにはしっかりと残されている。それも、数枚ではなく何十枚もあるためニクラウスはシニカルに笑った。


 数名で作っているアルバムはいくつか存在しているが、ニクラウスが男子生徒のロッカーから取り出したアルバムはそのなかでも特に限られたメンバーで作られているということもあり、ここから持ち出すのはさすがにまずいためニクラウスは厳選した数枚の写真を抜き取り、自宅でコピーをとってからそっと戻すことにした。


 リムジンに乗り込み帰路についたときニコラウスはふと、一年ほど昔のことを思い出した。傍から見れば異常者のようになったエイプリルが心配だとカーラが言っていたため、エイプリルに一度シャリーフィル治療センターを紹介した事があったのを思い出したのだ。


 あの時紹介したのはちょっとした冗談と、その振る舞いが何かの問題なっているのであれば友人として救うべきだと判断したニクラウスが紹介をした施設で、もし通院している過去があるならばいい証拠になると踏んだのだ。


 通院先がわかっているとなれば調査は容易く、早期解決が見られると考えたニクラウスはお気に入りの連絡先に登録している探偵、ベンジャミン・ガルシアにすぐさま連絡を入れた。


「俺だ。実はシャリーフィル治療センターで何の薬を服用しているかしたい人物がいる」


 もしわかれば、証拠としての写真も忘れないようにと念を押して。


 *


 数時間後、ロミオの自宅で勉強をしていたカーラに一本の着信が入った。今回の相手は分かりきっているため、カーラは嬉々として電話に出る。


「ハァイ、ママ。パリはどう?」

「スクープを掴んだぞ」

「あら、ステキ」


 ニクラウス画像を納めたものを確かめたければ、一緒にチェックしようと誘ったが、カーラはロミオとの勉強がひと段落してからねと伝えた。だが、既にカーラの自宅まで来ていると言うニクラウスにカーラはウンザリしたが断る理由も無く挨拶だけ残して電話を切った。


「お母さんなんだって?」

「わたしにステキなプレゼントがあるらしいの。今日の午後には届くって」

「じゃあ、もうついている頃なんじゃないか?」

「ええ、そうね。ベアトリスが預かってくれてるかも」

「それは楽しみだね。今日はもう帰ってプレゼントを確認したら?」


 正直、数時間に渡り堅苦しい勉強ばかりしている時間に飽き飽きしていたロミオは、解放されるべくカーラに早く帰るよう催促する。普段であればふてくされるカーラだが、今回はカーラ自身楽しみにしていることもあったので、その提案をすんなり飲む。


 *


 自宅のペントハウスについて早々ニクラウスが見せてくれたのは、羽目を外して楽しんでいる様子のエイプリルの姿。治療をしていたということを耳にしたときは驚いたが、その肝心な証拠はないとカーラが訴えるとニクラウスは薄ら笑いを浮かべて、タブレットをスワイプした。


「これで完璧だろ?」


 そこにはシャリーフィル治療センターに入って治療薬の入っているらしい袋を手に出てくるエイプリルの姿。エイプリルの服装は今朝の制服姿のままで、現在も治療を続けている事実を物語る写真だった。


「こんなすごい写真どうやって撮ったのよ。CIA(外国での諜報を行うアメリカ合衆国の情報機関。)が雇わないならわたしが雇うわ」

「お前と組むってことか。その道もアリだな」


 満足そうに数枚の写真を眺めながら微笑む彼女の横顔を見つめながら、ニクラウスも乗り気になって腕を回すとカーラは一気に真剣な表情になって「勘弁して」と腕を振り払う。


「ここは?」

「心の病と依存症の治療施設だ」

「あら、ぴったりじゃない」

「それで、どこでお披露目するつもりだ?」


 カーラの手に渡ったこの爆弾、爆発させる場は一つしかない。それは心待ちにしている金曜日の親睦会。


「そうね、社会的に破滅してもらうとか? 大学を困らせたくないの」

「お優しいね」

「もう用は済んだわ、帰って」

「礼は次の機会に」


 ニクラウスが出て行くのを目で確認した後、再び写真に視線を戻し満足げに微笑みながら早速大学側へのプレゼン作業にカーラは取り掛かることにした。


 *


 いよいよ金曜日の懇親会となり、屋外会場には大学関係者との会話に花を咲かせる案内かが利に選ばれた生徒が大半を占めていた。会場選びだけでなく、テーブルセッティングもカーラによるもので、テーブルもテーブルクロスもチェアもホワイト一色で統一されており、各テーブルごとに飾られたガーベラのレッドだけが浮き上がり実際よりもより鮮やかに映えている。


 ニクラウスの紹介でシャネルツイードのセットアップでバッチリ決めたカーラがイェールの代表に自分を売り込みをしていたところに、体育の時にした宣言通り彼女に仕返しをするつもりのエイプリルが直行。フレッド・シーガルのワンピースをモデルに負けないほど着こなした長身美人にカーラは気付かない。


「母からご高名はかねがね伺っております。ご挨拶しなかったら母に怒られます。一緒に活動させる事が多かったそうですね」

「失礼。はじめまして、エイプリル・ブラウニングです」


 会話を始めたばかりの二人の間に割って入り握手を交わせば、そこはもうエイプリルのオンステージに早変わり。


「あら、グラスが空だわ。あちらのドリンクバーにご案内を」

「わたしが」

「いいのよ。あなたは他の代表者様のご案内を」


 代表に“礼儀正しく”飲み物のお代わりを勧め、すっかり割って入る余地をなくして青ざめるカーラを置き去りにして代表をさらって行くエイプリルに、カーラは“エイプリルってば、もうありえない!”と睨んだ。その先に見えたニクラウスにカーラは近づくと「イェールの案内係でしょ? サボらないで」と言うとニクラウスが余裕たっぷりに笑うのでカーラは益々腹がたった。


「ああ、そうカリカリするな。ご到着だぞ。こちら、シャリーフィル博士だ」


 特別ゲストの登場にカーラの顔に自身と笑顔が再び戻った。


「はじめまして、光栄です。評判は伺っております・・・・・・」


 話しやすいようにと隅のほうへ移動する二人をニクラウスは期待をこめた眼差しで見送りながら愉快そうに口元を緩めた。これは偶然?と聞かれたらそんなはずは無いと誰もが答える。


 *


 一方ルドルフにアドバイスをもらったロミオはハーバードの代表者との間に流れる沈黙を破ろうと必死だった。


「ご著書を読みました!」

「本当? どうだったかな。アレは好みが別れる出来だったらしく、一部の文芸書では絶賛されたが他ではけなされたんだ。映画では、丸ごと変更された」


 最後まで本を読んでいたなら、自分の見解を伝えるなり相手の喜びそうなワードを拾ってみたりと工夫のしようはあるだろうが、ロミオは数ページ読んで諦めている。


 それも最初と最後だけという最悪な読み方。直接告げられた大まかな情報だけで話を進めるほかに今のロミオには選択肢がなかった。


「確かに、万人受けとは程遠いかもしれませんね」


 嫌な沈黙を避けたいロミオがとった行動は「なにか飲み物でも?」だった。その言葉はパーティではよく耳にするワードの一つで、覚えておけばどんなシーンでも大活躍すること間違いなしのものすごく便利な言葉。


 *


 ドリンクバーには人だかりが出来ており、ルドルフの後ろにエイプリルが並んだ。沈黙が苦手なエイプリルは気まずさから無理やり話題を出そうとする。


「今、イェールの代表と話してたんだ」

「へぇ、君はイェール狙い?」

「ううん。コロンビアかブラウン。ただ、カーラがイェールの代表と話してたの」

「ああ、なるほど。君は落ちる心配がないから、カーラと喧嘩して暇つぶしをしているわけだ」


 ルドルフの的確な鋭い言葉にエイプリルは何も言い返せなくなり、会場へと引き返そうとしたところにロミオが登場し、なんとも複雑な三角関係が完成してしまった。


「ロミオ、ハーバードの代表者とはどう?」


 カーラにエイプリルとはもう話さないという誓いを立てたロミオは一言も話さず、見向きもしない。まるで彼女が本当の透明人間のようにした。


 ロミオのその態度は誠実そのもので大変素晴らしいものだが、少しでも繋がっていたいエイプリルには不満でしかない。


「なによ・・・・・・本当に、たったひと言も話さない気?」


 ちゃんと存在しているのよ、とエイプリルはロミオの顔の前で手を振ってみたり顔を近づけてみたりするが、一切の反応を示さない。


「まあ、私って透明人間だったのね!」


 そのままエイプリルはドリンクも持たずに会場に戻っていくが、ロミオとルドルフは見向きもしない。気まずい関係に芽生えつつある友情関係を育もうと、共通の話題をロミオが提供する。


「ハーバードの代表者なんだけど、僕じゃ話せない文学教授なんだ。僕の成績の悪さを伝えて来ようかな」


 冗談っぽく笑ったロミオにルドルフは言葉を一つ一つ噛み砕くように何度か無言で頷き、短く「そうか」とだけ呟いた。その言葉は一見冷たくも感じるが、ルドルフと何度か会話をしていくうちに、ロミオはその“そうか”という言葉には彼なりの複数の意味が存在していると実感している。


 例えるなら、友人同士の軽い挨拶である“やあ”だとか“よお”といった呼びかけに含まれる“元気か?”といったことだったり、言葉を交わさずに励ますようなハグをするようなものだ。


「多分、何とかなる」

「じゃあ君が証明してよ」


 ロミオは目の前のドリンクバーでジュースを注ぐルドルフの肩を、友人をリラックスさせる時のように軽く揉んだ。


「分かった。少しの間、ダートマスの案内人が他の誰かでも大丈夫だよな」

「じゃあ、それは僕が引き受けるよ」


 お互いに勇気付けるようにして笑った後、ロミオ・パーシヴァルとルドルフ・アンダーウッドは初めて握手を交わした。


 *


 懇親会も終盤に差し掛かり、いよいよお楽しみのカーラによる表彰式の時間となった。


「皆さん、よろしいでしょうか」


 微笑を浮かべながら表彰台に上ったカーラは、生徒や学園の教員、保護者会に入っている生徒の親に大学の代表者、アルバムのカメラマンの視線がしっかりと集まったことを確認してからカーラは会話を続けた。


「本日は、懇親会へようこそいらっしゃいました。生徒会長のカーラ・ロッドフォードと申します」


 優雅に上流階級のお嬢さまらしくお辞儀をしてみせたカーラに暖かな拍手が送られる。短くお礼を述べたカーラは拍手が鳴り止まないうちにスピーチを始めた。


「毎年、様々な分野で優秀な成績を残した生徒や、地域に貢献をした生徒を我が校で表彰しております。今年はエイプリル・ブラウニングさんです」


 誰も予想していなかった生徒の名前に会場はざわめきに包み込まれる。なぜなら数週間前に戻ったばかりの生徒が、今までがんばり続けてきた生徒と比べた際に、たった数日の間に表彰されるほどの成果など余ほどのことをしない限り成し遂げられるわけがないからだ。


「わたしたちの友人という身近な存在が、長い間アルコールと人間関係に悩まされてきましたが、シャリーフィル治療センターの治療によって何とか立ち直る事ができ、学校にも通うようになったからです。これはとても個人的で、異例なことになりますが、わたしたちの友人がお世話になっている――シャリーフィル治療センターも我が校の生徒を救ってくれた身近な存在として表彰することになりました。ブラウニングさん、どうぞこちらへ」


 バックスクリーンに表示された写真の数々と、カーラのショックな発表に会場は雷に打たれたような衝撃を受けながらも、スマートフォンや本格的なアルバム用カメラで写真を撮りまくる撮影会になり、すっかり大騒ぎとなった。


「どうも、エイプリル・ブラウニングです。まずは、友人のカーラに感謝を伝えたいです。こんな私を優秀な生徒として表彰してくれたこと、どん底から救ってくれたシャリーフィル治療センターを表彰してくれたこと。ほんと、ありがとう」


 エイプリルとカーラのハグに会場が拍手に包まれる中、ロミオはあまりに衝撃的なことだったため受け止めきれず、ルドルフはさらに彼女とは関わるべきではないと思い知り、すべて知っているニクラウスはせせら笑った。


「センターで私が学び取ったのは何よりも“許し”です。センターでは壁にぶつかり何度も挫けそうになりましたが、その度に教えられました。もし、前に進むためには過去に自分を裏切った者を許さなければなりません。そして自分が裏切ったものに許しを請わねばならないと。許しがなければ罪の無い人が傷つきます!!」


黙って頷きながら聞いていたカーラだったが、どんどん白熱していくエイプリルをクールダウンさせようと拍手を始めた。


「どうもありがとう。エイプリル。素晴らしかったわ」


 カーラは可憐な笑みを浮かべながらエイプリルをステージから下ろし、シャリーフィル治療センターに勤める医師を入れ替わりでステージに紹介した。


 十代でお酒に溺れていただなんて小論文で大学に受かるわけがない。進学にはけして有利とはいえない情報と写真を公開されたエイプリルに、会場からは当然嫌な視線だけが突き刺さる。


 *


 カーラによるエイプリルとシャリーフィル治療センターの表彰式の後はまた会場に生徒と大学教授たちによる賑やかな親睦会が再び行われるなか、カーラは各大学教授から声を掛けられ賞賛されていた。これでカーラは進学に困ることもなく、志望校であったイェール以外の他の大学からも来て欲しいという声まであり最高の成果を挙げた。


 そこへとても穏やかではないエイプリルが人ごみに割って入り、カーラの腕を掴む。眉間にはしっかりとシワが刻まれており、跳ね上げられたキャットラインがさらにエイプリルの表情を怖く見せる。


「あれ、なんだったの? 一体どういうつもり?」


 さっきまでの和やかさはどこへやら、悪目立ちするカーラとエイプリルを大学教授たちは哀れみに似た視線で見つめるので、カーラはそれが耐え切れず「失礼します」と断りを入れて輪の中から抜けた。そのまま人気の無い隅の方へと移動し、エイプリルを見つめた。


「これで気は済んだ? おあいこ?」

「いいえ。わたしがあなたにされたことに比べたら、こんなものじゃぜんぜん足りない」


 カーラがロミオのことでひどく傷ついているのは見れば分かった。エイプリルがこの話題を出すたびにカーラは泣きそうな顔になって怒る。


 カーラにに酷い事をしてしまった後で、どうやって友達として接していいか分からなかったエイプリルはいつか時間が解決してくれて、カーラが知っても傷つかないような少しの真実だけを伝え、知れば傷つく真実は嘘で包み隠そうとしたが、そう上手くいくものでもなかった。


「お願い、もう終わりにしたいの。私もやめるから。これでおあいこでしょ?」

「少し不利になったから、そんなこと言うんでしょ? あなたには永遠に負けてもらう」


 カーラの言い方はとてもキツいが、それが何よりもエイプリルの与えた傷の深さを物語っている。それをわかっているエイプリルは何も言い返す言葉がなく、ただただ涙を堪えて俯いた。


「失礼。わたしにはあなたと違って将来があるの」


 エイプリルに勝者の笑みを見せたカーラは、また先ほどいた輪の中へと加わった。

 エイプリルは会場から聞こえてくる笑い声や弾んでいる会話を聞いているのがつらくなり、会場を飛び出した。


 それを見ていたルドルフは関わりたくないと思いながらも、治療を受けている事実があるのならばもうあの写真の頃よりは、いくらかマシになっているんじゃないかと、微かな希望に期待して後を追いかけてしまった。


「エイプリル! もういいのか?」

「何よ。カーラの邪魔してたら、逆に将来が台無しになった私を笑いに来たの? おめでとうとでも言いたい?」

「違う。心配で来たんだ。もう克服したんだろ? すごく立派だ」


 ルドルフの優しい言葉と落ち着いた言い方にエイプリルは涙を堪えきれなくなった。


「心配しなくていい。ただ、君はもう完璧な美人だって教えたくて」

「ありがとう、覚えとく」

「それと・・・・・・君と君の住む世界を、いろいろ悪い風に言っただろ。すまなかった。君のことも、周りのことも、何も知らないのに」

「ありがとう。もう十分よ」


 ルドルフの心からの謝罪にエイプリルの心はすっかり落ち着きを取り戻したが、時々すれ違う生徒や各大学の関係者などの視線が痛く刺さるエイプリルは、一秒でも早くこの場から離れたかった。


「もう行くわ。今は透明人間になりたいの」

「わかった」

「でも、よかったら今度、ただ黙って一緒にいてもらえるかな」


 少し迷ったように空を見上げたり、レンガを見つめるルドルフにエイプリルは「電話して」とだけ伝えてタクシーへと乗り込んだ。



ルドルフはマカロニ・アンド・チーズの香りの漂う我が家に帰宅して早々食器を並べているブライアンに一枚のペーパータオルを突きつけた。コンソメスープを温めていたルーシーが後ろからの覗き込む。


「あら、凄いじゃない」

「二年後に会おう。バッチリ覚えてもらったな。何が良かったんだ?」

「そのことだけど、僕はあまり感謝しているように見えてないよな。素直じゃなかった」

「少しね」


素直な感想を口にしたルーシーにルドルフとブライアンは少し呆れたように笑い、その表情と笑い方のそっくりさにルーシーも頬を緩める。


「けど、いつも感謝してるよ。そんな風に見えない時があっても」


昨夜のことを言っているんだと察したブライアンが安心させるように笑って「男は無口でいい」と言えば、ルドルフは小さな子どもの頃のような無邪気さの残る笑い方をした。


「だが――お前は優秀な男だ。パパの苗字も預金額もお前の明るい将来を――ジャマさせない」

「そうよ。ハーバードって色んなコースがあるのね。ママも受けようかしら」


パンフレットをまじまじと見つめるルーシーとブライアンにルドルフは入れてもらったばかりのコーヒーを啜りながら「全然笑えない」と笑った。



翌朝、家に帰るのが気まずかったロミオはニクラウスのホテル級の自宅でくつろいでいたが、スマートフォンからけたたましい着信音が鳴った。


「はい、分かった。すぐ行くよ」

「朝っぱらからどこに?」

「父さんと走りに」


身に着けていたのがタンクトップとスウェットのパンツだけだったロミオは、ニクラウスの部屋に置いたままにしているパーカーを被り、スマートフォン以外の荷物は置いたまま部屋を後にした。

集合場所である公園近くまで来るとヘクターと誰かの話し声が聞こえてきた。


「おはよう、ロミオ。実は彼もランナーなんだ」

「早速たたき起こされてね」


紹介されたロミオは差し出された手をしっかり握り返し握手を交わすが、起きたばかりで全く活動していない脳内ではプチパニックが起きている。なぜ、目の前にハーバードの教授が居るのか、と。


「昨日の食あたりは治ったようだな。どうだ、勝負といくか」

「ぜひ」

「息子は手ごわいぞ。ラクロス部の主将で鍛えてる」


颯爽と走り出した二人の大人の背中をロミオはぼぅっと眺めていたが、振り向いたヘクターの視線に逆らうっことの出来ない圧を感じ取り、ゆっくりと走り出した。

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