芸能界でメンタルをボコボコにされた幼馴染のアイドルが俺に依存してしまった
あ
前編
「ただいまー」
久しく言う事のなかったこの言葉。なんとも言えない感慨を覚えているが、それは奥から犬みたいに駆けてきた彼女によって深くなった。
純白の天使。誰が言い始めたのかは定かではないが、結梨を形容するのに最も相応しい言葉だろう。
それ程までに、彼女の美と心は完成されていて、多くの人が魅せられていった。
今となってはそうもいかないだろうが。
以前にあった彼女の神々しいまでの溌剌さや、太陽の如き笑顔は鳴りを潜め、突然泣き出したり、彼女の精神が1番参っていた1ヶ月前ぐらいには毎日自殺願望を口にするまでになってしまった。
今でこそ精神的に安定してきているが、情緒が不安定なのには変わりはない。それこそ、俺がいないとすぐに泣き出すほどに。
「おかえり……お仕事お疲れ様」
ぽすんと俺の胸に到着……いや、もはや帰着した彼女は、相変わらずの光沢のない瞳で俺を見据えてきた。
「腕、見せて。今日は切ってないよね」
「うん。大丈夫」
そう告げる彼女の頬には、涙の跡がくっきりと残っていた。
「今日も泣いてたの?」
「……ひろくんがいなかったから」
「そっか。ほら、頭撫でるね」
結梨の頭を優しく撫でる。結梨は猫のように目を細めて気持ち良さげである。
「ねぇねぇ、ひろくん」
「ん?どうした?」
「大好き」
この世の美の権化たる彼女から放たれる「大好き」は酷く甘美な物である。
彼女の全盛期である数ヶ月前までは、もっと言うと、彼女の夢を応援し始めた小学校6年生の春だったら、俺に向けられる言葉では決して無かっただろう。
俺が何処か優越感めいた感情に浸るのも無理はない。
「俺も好き」
「にへへ……嬉しいな。ひろくん、好き、大好き」
==
事が起こったのは、深夜の2時過ぎだった。
「いや、いやだいやだ!いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
突然絶叫が家に響き渡ったと思えば、俺はすぐさま飛び起き、電気を付けていた。またか、とは思ったが、全く怒りは湧いてこなかった。
あぁ、でも夜が明けたらご近所様に謝りに行かなきゃな、なんてぼんやりと考える。ただ、皆さん結梨の事情に理解があるとてもお優しい方々なので、きっと許してくれるだろう、なんて甘い考えに至ってしまう自分を悔いた。
ご近所様の迷惑にならないように引っ越す事も視野に入れなければならない。
……ともかく、今は目の前の問題を解決しよう。
俺は結梨の手を取って抱きしめる。
「結梨、怖かったな。よしよし」
「ネットに、わ、私の、動画が……あ、あぁ、いや、ひろくんに、嫌われる……いやだいやだいやだいや───
「よしよし。思い出しちゃったんだな。でも大丈夫だ。俺が結梨を嫌う事なんて絶対に無いぞ」
「で、でも、でも」
「でも、どうした?」
「でも」から先の言葉が思いつかなかったのか、彼女は言葉を紡ぐのを止め、俺の胸で号泣し始めた。
俺は病人のように青白くなった彼女の頬を温めるように手を添えた。そして優しくつねる。どうにかして彼女の気を紛らわせる為である。
結局、彼女がすやすやと寝息を立てる頃には、もう3時を回っていた。
==
今日も今日とて、彼女の動画は拡散される。
「純白の天使のフ○ラ動画www」
大人向けの掲示板でこのような題名のスレッドを見ない日は無い。
確かに、日本史上最悪の流出事件と言われる今回の騒動は、結梨に枕営業を強要した大物プロデューサーの逮捕という形で幕を閉じた。
が、拡散されまくった結梨の動画はネットに残り続ける。週刊誌に事件が取り上げられた事も、より一層多くの人にあの動画を見られる原因になった。
もう、間違いなくアイドルとしての活動は不可能だろう。
確かに、彼女に対しての世論は同情に大きく傾いている。
枕営業を強要された挙げ句、リベンジポルノまでされたのだ。突然とも言える。
だがそれでも、きっと結梨がテレビに出る度に、彼女はこう思われるのだろう。
「あぁ、あの動画の子か」
アイドルは、元来純潔を求められるものである。ファンが再度受け止めてくれるかと言われると、中々無理があるだろう。
それに、なにより結梨が耐えられない。彼女の精神は酷く摩耗していた。アイドルを諦めなければならない程に。
皮肉な事に、アイドルを続ける為に
……本当に、酷い話だ。
ゴソゴソと布団から音が鳴った。お姫様のご起床だ。
「おはよう、結梨」
「……お、おはよう。ひろくん」
「ご飯できてるから顔洗ってきな?」
「……お仕事は?」
「昨日の夜中の事があったから、一応休んだよ。結梨の事が心配だからね」
「……ご、ごめんなさい!私、またひろくんのお仕事に迷惑かけちゃった!ほんとうにごめんなさい!」
怯えるように肩を縮こませる結梨。随分と罪悪感を感じてしまっているらしい。
「大丈夫だから、そんな泣きそうな顔しないで?」
「……で、でも」
「大丈夫だから、ね?」
「……うん」
当然言い聞かせてもすぐに彼女の顔が明るくなる事もなく、どこか陰鬱とした雰囲気が漂う。
俺はどうにかして彼女の気が晴れないかと思案したが、良い案は思いつかない。
悩ましい限りだった。
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