第2話 魔王城の日常
魔王城謁見の間、窓から差し込む朝日が広大な室内を照らし出す中、勇者は部屋の最奥の壇上に設置された大きなソファほどある瀟洒な玉座に座り、退屈そうに足をばたつかせる。
「ねぇ、メイド長さん」
「はい」
壇の下に控える黒と白のエプロンドレスに身を包んだ侍女は、ブルネットのショートボブを揺らし、ビスクドールのように青白く滑らかな素肌の整った顔を玉座の方に向け、生気のない虚ろな漆黒の瞳で勇者を見つめる。
「何か楽しいことないかな?」
「ございません」
「そこをなんとか」
「チェスのお相手なら可能ですが?」
「やだ。メイド長さん全然手加減してくれないもん」
「手加減をするのは失礼にあたります」
「まぁ、そうかもしれないけど毎回毎回全駒される身にもなってよ」
「私には人間の心が理解できませんので、ご容赦下さい」
「うん、ホムンクルスだから仕方ないよね」
「大魔王様がいらっしゃいました」
「やった。今日は早かったね」
ギィと謁見の間の扉が開き、続いてパタンと閉じられる音が室内に響く。
謁見の間に入った大魔王は不機嫌そうに真っ赤な絨毯の上を早足で歩き、壇の手前で止まり、玉座に座った勇者を見上げて睨みつける。
「勇者よ、今日こそ立ち去ってもらうぞ」
「はっはっは! そんな小さな身体でよくぞここまで辿り着いたな、大魔王よ! 本来ならここで決着というところだが、どうだ? この勇者と手を組まないか? もし俺と手を組むのであれば、この玉座の半分をお前にくれてやろう!」
勇者は大魔王の言葉を無視して朗々と口上を述べ、玉座の端に寄って隣の位置をポンポンと叩く。
勇者の声が謁見の間の空間に反響する間、しばしの沈黙が訪れる。
「この暇人め、ツッコミどころが多すぎてどこから手を付けたら良いのか解らんわ。まずは玉座から降りろ。無礼者」
「え〜 こんなに広い玉座なんだから大魔王さんも一緒に座ろうよ。立ち話もなんだし」
「ここは妾の城で、それは妾の玉座じゃ。お主に言われる筋合いは無い。それよりさっさと立ち去れ」
大魔王は悪びれる様子もなく玉座にどっしり座る勇者をジトッと見つめ、扉の方を指差す。
「まぁまぁ、大家さん、そんなに怒らないでくださいよ」
「大家さんではない、大魔王じゃ」
「……すみません、大魔王家さん」
「適当にまとめるでない。妾をからかっておるのか?」
「いや、なんか、今日も可愛いなぁと思って……」
「それは当然のことじゃ。言うまでもなかろう」
大魔王は呆れたようにゆっくり目を閉じ、深く溜息を吐く。
そして再び目を開くと今度は穏やかに勇者を見据える。
「勇者よ、お主がここに来てもう五日になる。いつまでこうしておる気じゃ?」
「俺、もう勇者辞めたんで、これからは元勇者って呼んで下さい。元大魔王さん」
「お主の肩書きなどどうでも良いわ。それに人間界での用事が済んだだけで妾はまだ現役じゃ」
「まぁ、お互いやることなくて暇なんだし、少し話でもしようよ」
「ふん、お主のように暇でもないし、話すことなどないが…… ま、そうじゃの。ここに居座る言い訳くらいなら聞いてやらんでもないぞ」
大魔王は軽やかに飛んでドレスの裾を翻し、勇者の隣にちょこんと座って上半身を肘掛けに預け、勇者に視線を合わせて目を細める。
「して、なぜ勇者であるお主がこの魔王城に居座っておる?」
「元勇者ね」
「どうでも良いと言っておる」
「いや、そこ大事だよ。勇者なんてもうこりごりだもん」
勇者は目を閉じ首を横に振る。
「あ、メイド長さん、お茶淹れてくれる?」
「畏まりした」
◇◇◇◇◇◇
勇者と大魔王は並んで玉座に座り、それぞれにゆったりとくつろぎ、沈黙の時間を過ごす。
やがてメイド長がティーセットの乗ったトレイを持って現れ、玉座の傍らの小さなテーブルに乗せて一礼し、壇を降りて定位置に控えた。
「は〜 やっぱりメイド長さんの淹れるお茶は美味しいな」
「恐れ入ります」
「当然じゃ 最高級の茶葉を使っておる。お主にはもったいないがの」
「もったいないと言いながら最高級のを用意してくれるんだ」
「大魔王である以上は半端なもので客人をもてなすわけにはいかんのじゃ。さて、一息ついた所で、話してもらうぞ」
「ああ、そうだ、俺がここに住んでる理由ね」
「ちょっと待て、妾は客人としてもてなすとは言ったが、住んでも良いとは一言も言っておらんぞ」
「ん?」
ジトッと睨む大魔王に勇者は目を丸くし首を傾げて応える。
「ん? じゃないわ。白々しい」
「いや〜 世界に平和が戻ったのは良いんだけどね。平和な世界に勇者の居場所はないみたいなんだ。それどころか、魔物が出なくなったせいで食い扶持をなくした人たちからは恨まれる始末。それに加えて王様からは勝手に王女様との縁談は進められるし……」
勇者は俯き、声を落とし、溜息を吐く。
「ねぇ、大魔王さん。もう一度、人間界に魔物を出すことはできないかな?」
「ならん。今まで人間界に魔物を送り込んでいたのは魔界の秩序を維持するためじゃ。人間のために我が
大魔王は冷たく言い放ち、暗い表情で俯く勇者を愉快そうに見つめ、にやりと笑う。
「ま、お主がそういう人生を送ることになったのは全てあの女神が悪い。恨むのならあの性悪女にすることじゃな」
「あらあら? 私に何か御用ですか?」
突然鈴が鳴るような澄んだ声が謁見の間に響き、玉座正面の壇下に光の泡が弾ける。
「おっと、諸悪の根源の登場じゃ」
「ホントに、いつも変なタイミングで突然出てくるなぁ」
「おほほ、人聞きが悪いですね。諸悪の根源ではなく万物の根源と呼んでください」
「似たようなものじゃ」
光の泡が消え去った場所に純白のトーガを纏った女性が長いブロンドの髪をなびかせながら現れ、空色の瞳を玉座の二人に向けて穏やかに微笑む。
「あら、お二人はいつの間にそのような仲になられたのでしょう? ふふ、一つの玉座に勇者と大魔王が並んで座っているなんて、いけませんね。それとも、ここは女神が自ら全力で祝福する場面でしょうか?」
「あはは、それも良いかもね」
女神が微笑んで言う提案に勇者は自嘲気味に笑い、大魔王の横顔に視線を向ける。
「いらぬ! 二人とも妾の城から即刻立ち去れ!」
「そのように愛想のないことをおっしゃらず。久方ぶりにこうして三人顔を合わせるのですし、お話でもしましょう。メイド長、お茶を淹れてください」
「畏まりました」
女神は大魔王の言葉をさらりと流し、当然のように傍らのメイド長に指示を出し、何も言わず訝しげに睨みつける大魔王を無視するように壇に上がり、玉座の前に立つ。
「勇者、席をちょっと詰めて下さい。私が座れません」
「ああ、どうぞどうぞ」
「玉座はソファではない。それに女神が大魔王の玉座に座るな。汚らわしい」
我が物顔で玉座に座る女神と勇者を横目に、大魔王は諦めの表情でメイド長の背中を見送った。
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