元勇者ですが、諸事情あってのじゃロリ大魔王さんと旧魔王城に住んでいます

藤屋順一

第1話 勇者の失踪

 王都の町外れにある居酒屋を兼ねた食堂内、広いダイニングホールの高い天井にはシャンデリアが吊り下げられられているが、火は灯っておらず、開け放たれた窓から入る昼下がりの光が店内を薄暗く照らす。

閑散としたホールの角の席には若い男が座り、食べ終わった食器類をテーブルの端に追いやりって懐に忍ばせた封書を取り出す。


「お客様、食器をお下げしますね〜! ……あら? お客様、どこかでお見かけしたような……?」


ウェイトレスの声で封書を懐に戻し、顔を上げると、エプロンドレスを着たブラウンの髪をショートカットにした少女が目をまんまるに開いて琥珀色の瞳を向ける。


「いや、この店は初めてだから、きっと気のせいでしょう」

「ん〜? そうですね! 失礼しましたっ!」


若者は食器を下げるウェイトレスを見送ると、ふぅと溜め息を吐いて、再び懐から封書を取り出す。薔薇色の封蝋に捺された王家の紋章を見つめ、再び先程より深い溜息を吐いた後、意を決したように封書の縁にナイフを入れる。


――ダン!


 カウンターテーブルにジョッキを叩きつける音がホールに響く。


「あーあ、大魔王は滅んだってのに、なんでこうなっちまうんだろうなぁ」

「しゃあねえ、大魔王が滅べば魔物は消え、魔物退治を生業にしていた俺たち冒険者もたちまち無職ってわけだ」


カウンターに座った元冒険者が昼から酒を煽りながら陰気に愚痴を語り合い、そのうちに厨房から現れた女将がカウンターに料理を並べながら冒険者に愛想よく話しかける。


「はっきり言って、大迷惑だね! ねぇ、お客さん。こっちも商売上がったりだよ」

「そうそう、勇者様も空気読んでほしいよね」

「洗礼を受けて一週間で大魔王を倒したってんだろ? しかも一人で。俺たちなんて八年も冒険者してて魔王城のある島に近づける気配すらしねぇってのによ」

「ま、今となっちゃ、もう旧魔王城に用事なんてないけどな! ははははは……! はぁ……」

「はぁ…… 俺たち、これからどうなるんだろうな?」

「この店も、このまま行けば潰れっちまうだけだよ。あ〜あ、勇者様が大魔王さえ倒さなけりゃあねぇ」

「今度王女様と結婚するんだろ? 良いよなぁ あっちは王子様で、こっちは無様。一体なんの差があるんだってんだよな」

「全くだぜ。今となっちゃ大魔王よりも勇者のほうが憎いよ」


 ホールの角に座った男はカウンターから聞こえる会話に耳を傾けて溜息を吐き、封書から取り出した流麗な文字で書かれた手紙を読んで、更に深く溜息を吐く。


――バタン!


突然入口の扉が乱暴に開かれ、布で顔を覆った男たちが五人、ぞろぞろと店内に入ってくる。


「動くな! 静かにしろ! 金を出せばおとなしく帰ってやる! もし抵抗すれば……」

「きゃぁっ!」


男の一人がホールでテーブルを拭いていたウェイトレスの腕を引き、腰に差した剣をすらりと抜いてウェイトレスの細い首筋に添える。


「ひっ……!」

「かっ、金なら出すから、娘を離しておくれ!」


ウェイトレスの表情が恐怖にこわばり、目に涙を浮かべて声にならない悲鳴を上げると、カウンターから飛び出した女将が悲痛な声で男たちに嘆願する。


「範囲指定、食堂入り口から半径十メートル、ウェイトレスを除外、対象のステータスに行動不能を付与、持続時間三十分、実行」


角に座る若者が封書を懐にしまい、小さく呟く。


「そうだ! それで良い、さっさとし、ろ……?」

「かっ、身体がっ!」「動かねぇ……!?」


押し入った男たちの身体がピタリと止まる。


「ちょうど居合わせたところで良かった。ウェイトレスさん、もう大丈夫ですよ」


若者がウェイトレスの少女を襲った男に近づき、首筋に当てられた剣をそっと奪い取ると男の手から少女を開放する。


「あっ、ありがと…… ございますっ!」

「怪我はない?」

「はいっ!」

「それは良かった。さ、お母さんのところへ」


若者は震える少女を安心させるように笑顔を向けてカウンターの方を指差すと、少女は這いずり、テーブルに手を付いてよろよろと伝い歩き、女将の胸に飛び込む。


「そこの冒険者さんたち、この者たちは三十分は行動できませんから、その間に武装解除と捕縛をして貰えますか?」

「あ、ああ……」「おう、行くぞ」


呆気にとられていた冒険者たちがはっと気づいて立ち上がり、男たちの捕縛に向かう。


「表にも見張り役が一人立っていますので」

「ん…… わかった。見てくるよ」


若者は二人の冒険者とすれ違い、抱き合う母娘の元へとゆっくり近づく。


「はぁ…… 良かった、娘が無事で…… あ、ありがとうございます!」

「いえいえ、俺は特に何も…… それより、ご無事で何よりです」


若者は二人に笑顔を向け、腰に提げた袋から金貨を取り出してコトリとカウンターに置く。


「食事、美味しかったです。これは経営の足しにして下さい」

「あっ! あなたは、もしかして、勇者様!?」


少女が驚きの声を上げると、若者は返事をせずに背中を向け、そのまま出口へと向かい押し入った男たちを捕縛している冒険者に声をかける。


「その者たちを自警団に引き渡せば多少の報奨金は貰えるでしょう」

「ああ、そうだな…… だが、こいつらは…… 俺たちの、昔の冒険者仲間なんだ……」

「なんで、お前ら、こんなバカなこと……」


行動不能になった男たちのリーダーは言葉が出ないまま、その目から涙をこぼした。


「待って! 勇者様!」

「それじゃ 俺はこれで……」


若者は少女の引き止める声から逃げるように早足で食堂を後にし、そのまま人の少ない道を選んで歩き、人気のない王都の外れの一角に出る。


「はぁ…… 俺、なんで勇者なんだろ? 大魔王を倒したわけでもないし、それどころか…… そういえばあの人たちが言ってたな。旧魔王城に用事なんてない、か…… 確かに、だとすると……」


俯き、独り言を呟いていた若者が顔を上げる。


「魔王城正門前に座標を指定、自分を対象に空間転移、実行」


その瞬間、王都から勇者が消えた。



◇◇◇◇◇◇



 勇者が目を開くと目前にはアイアンワークで装飾された巨大な門扉が立ちはだかり、その向こうには巨大な石造りの城がそびえ建つのが見える。

勇者はその鉄格子の扉に手をかけ目を瞑り、安堵したように静かに息を吐く。


「よく来たな、勇者よ。ようこそ、我が城へ」

「うわっ! びっくりした!」


扉の向こうからの少女の声に、勇者が驚嘆の声を上げる。


「何を驚いておる。お主の方からここに来たのであろう?」


勇者が格子の向こうに目をやると、光の泡が空中に弾け、プラチナブロンドの長い髪の両側から大きく湾曲した鋭い角を生やした小さな少女が、優雅に漆黒のドレスを翻し、ゆっくりと地面に降り立つ。


「まぁ、そうだけど。まさか、まだここに居るとは思ってなかったから」


少女は格子の向かいに立つ勇者を見て興味深げに目を細め、紅玉ルビーの瞳を輝かせる。


「意味がわからん。大魔王である妾が魔王城に居て何がおかしい?」

「一応、人間界では大魔王は滅んだことになってるからね。魔物はもう出ないし、大魔王さんも魔界に帰ったものだと思ってたよ」

「そうか。して、この魔王城になんのようじゃ?」

「え〜と、特に用事はないんだけど、いま魔王城ってどうなってるのか気になって」


気の抜けた返事をする勇者に大魔王は首を傾げる。


「おかしなことを言う奴じゃの。この城がたった三ヶ月でどうにかなる訳無かろう?」

「あはは、確かに。大魔王さんが居るならなおさらだね。大魔王さんはこの三ヶ月、ここで何をしてたの?」

「良いことを聞いてくれた。妾は今、花を育てているのじゃ。この城を花で一杯にしたいと思うてな。人間界には魔界にない美しいもので溢れておる。花もその一つじゃの。今迄はこのような美しきものを蹂躙することしか出来んかったが、これからは思う存分愛でることができる。それが嬉しゅうてたまらんのじゃ」


土で汚れた小さな両手のひらを勇者に見せつけ、大魔王が嬉しそうに笑う。


「大魔王さんの力なら、花なんてどうにでもなるでしょ」

「その通り、妾はこの世で願えば思い通りになんでもできる。だからこそ、自分の思い通りにならない事を愛おしく感じるのじゃ。ま、お主には理解できんと思うがの」

「なるほど、だから力を使わず自分の手を汚して花を育てていると。確かに、俺には理解できないな」

「くくく、そうじゃろう。王都から逃げてここに来たお主にはわかるまい」


大魔王は愉快そうに紅玉ルビーの瞳を一層輝かせて勇者の目を見つめ、勇者は視線から逃れるように小さく俯く。


「なんだ、知ってたんだ」

「妾を誰と心得る。聞かぬともお主の考えなど手に取るように解るわ」

「それじゃあ、しばらくここに居ても良いかな? 大魔王さん」

「勇者が大魔王に乞い願うか。愉快なことじゃの。まあ良い。妾も丁度退屈しておったところじゃ。お主を客としてもてなす。しばしの間ゆるりと過ごされよ」

「ありがとう。大魔王さん」


重厚な金属の軋みとともに門扉が開かれ、勇者は大魔王の案内に従い魔王城へと入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る