君が投げたブーケを探す旅

うちたくみ

1 ◇

 スナフキンになりたいです。


 彼女の卒業文集には将来の夢が書いてあった。スナフキンになりたいです。私はその言葉をよく覚えている。自分の作文には何を書いたのか忘れてしまったくせに、彼女が書いたその言葉だけはよく覚えていた。

 十八にもなって何を言っているのだとか、教師も良くこれでオッケーしたなとか、他にも色々と考えたはずなのに、十年の月日を経て、あの頃の気持ちなんてすっかり忘れてしまった。


 就職のため実家を出た際に、卒業アルバムや文集なんかはすべて置いてきてしまった。だから私の書いた作文はおろか、印象的だったはずの彼女の言葉さえ定かではない。


 ただ、スナフキンになりたい、とそう書いてあったことだけは覚えている。




 送られてきた写真を眺めて、しばし考える。

 鉄板に丸く円を描くように並べられた餃子。円の中心にあるのはもやしだろうか。

 待ってみても、言葉が送られてくる気配はない。私の手のなかにあるのは、餃子の写真一枚だけ。


 いったい何故こうなったのか。まったく訳が分からない。


 コンビニで買ったサラダをざくざくと咀嚼しながら、口の中に湧いた唾液に腹が立った。こちとら仕事中のコンビニ飯だというのに、嫌がらせとしか思えない。文句の言葉は二度も既読無視されたから、もう諦めてはいるのだが。

 餃子から立ちのぼる湯気はいかにも美味しそうで、その向こう側に見えるジョッキには金色の液体。汗をかいた表面から、キンキンに冷やされていることが伺える。

 いいなぁ、ビール。餃子にビール、羨ましい。私も今日の夜は餃子にしようかな。ビールではアルコールが足りないから、そこは芋焼酎で代用だ。


 写真を眺めていても一向に言葉が送られてこないから、とりあえず一言だけ返信した。



『浜松餃子』



 彼女から、返信はなかった。



○●○●○●○


『私立創園大学附属 創園高等学校 第四八期生 同窓会』


 長ったらしい縦書きの看板を横目に入り口を潜ると、立食パーティーらしい煌びやかな世界が広がっていた。

 スーツを着込んだ男性に、綺麗なワンピースを着た女性。学年合同の同窓会らしく、知らない顔も多い。


 受付に座る女性に、案内状と参加費を差し出した。


「熊倉です」

「あ、はい、何組ですか?」

「A組です。あ、それ、熊倉はる」


 参加者のリストにチェックがつけられて、中に通される。

 リストを探したけれど、短い時間では、お目当ての名前は見つけられなかった。というか、あの子の下の名前、なんだっけ。


 こういう場に顔を見せるような子ではないし、どうせあの子は来ていないだろう。


 卒業式の翌日に携帯電話を変え、連絡が取れなくなるような子だ。久しぶりに会いたいとは思ったけれど、そこまで期待はしていなかった。

 どんな仕事をしているとか、どんな生活を送っているとか、それ以前に生存しているかだって怪しい。生きてるのかな、え、生きてるよね?


「はーるっ!」

「うわ、びっくりした」

「全然びっくりしてないし! 久しぶりー」


 テーブルに並べられたシャンパンを取ろうとしたら、後ろから肩を叩かれた。叩くというより"どつく"といったほうが正解の勢いだった。

 もしこれで手にグラスを持っていたら、来て早々に騒ぎを起こしていたかもしれない。


「はる、スーツなんだ」

「まぁ、仕事帰りだし」

「土曜日なのに!?」


 土曜日だから、だ。

 イベント企画を請け負ううちの会社は、そのトラブルの殆どが休日に起こる。いくら事前に完璧な準備をこなしたところで、完璧などありはしない。


 従業員の足りていない小さな組織は、いつだって人のやりくりがカツカツだ。

 忙しくて、人手が足りなくて、仕事の単価が安いから給料も雀の涙で、みんなイライラしている。たぶん私も無意識に、誰かに不機嫌をぶつけているのだろうな。


「というか、何年ぶり?はる、大人っぽくなったねー」

「二十八にもなって子どもじゃマズいでしょ」


 そういう由紀はオフショルのケープワンピースだった。紺一色のワンピース、胸元にはダイヤモンドらしきネックレスが輝いている。

 私のことを言えないくらいには、大人の女性という装いであった。


 シャンパンのグラスをひとつ手に取り、由紀を伴って壁際に移動する。


 由紀とは三年で同じクラスだった。けれど、一年の頃から同じ部活に所属していたために、そこらの同級生よりは馴染み深い。

 というか、学部は違えど大学だって同じだ。付き合いの年数で言えば、もう干支をひと回りしている。


「で、何年ぶり?」

「大学卒業してから一回飲んだっけ……だから……うわ、五年?」

「やーば!年とるわけだわ」


 そう言ってケラケラと笑う由紀の顔に、加齢への嫌悪は微塵も感じられなかった。正直、二十八なんてまだまだ若く、小娘扱いされるようなことも多い。むしろ、私たちよりいくつか歳が上のお姉様方に、歳をとりましたなんて話をしたら半殺しにされかねない。


 酸味が強めの爽やかなシャンパンが舌の上で弾ける。


 時間調整のために、今日は早めの昼食だった。空きっ腹にアルコールを入れたら、嫌な酔い方をしそうだ。

 明日が休日なら良いが、ゴールデンウィークを間近に控えた今、うちの会社は絶賛繁忙期だ。たとえ日曜でも、休めるわけがない。


 こちとらひとりで案件を十二本抱えている。いい加減アシスタントがほしい。

 この地獄みたいな時期に「二日酔いでダウンしました」なんて連絡したら、きっとリンチに遭う。あー、怖い怖い。


「珍しいよねー、はるが同窓会来るの」

「せっかくの創立六十周年だしね。たまにはいいかと思って」


 ただの気まぐれだ。仕事から逃げたかっただけかもしれないが。


 卒業してからちょうど十年。今までなんとなく避けてきた集まりだったが、顔を出すにも良いタイミングだろう。


 私が通っていた高校は、今年で六十周年を迎える。卒業した時は五十周年。


 おそらく七十周年のときにも、記念コンサートとやらの案内が届くはず。節目がわかりやすい、カレンダー代わり。


 最近は何をしている、仕事はどうだ、誰々が結婚した、何ちゃんはもう何歳の子どもがいる。由紀のそんな話に相槌を打ちながら、キラキラした会場をぼんやりと眺める。


 そういえば、前回の案件で依頼したダンサーの事務所に請求書をはやく寄越せと連絡しなければいけない。月末の決算までに貰えないと、支払いが先延ばしになってしまう。私は構わないが経理が泣く。

 判子をなくそう、なんて動きがある中で、うちのジジイどもは未だ紙に拘り続ける。メールはいちいち印刷しなければ気が済まないし、先方にファックスを送ったら電話をかける。


 先程ファックスを送ったので確認してください、なんて電話をされたら、先方も迷惑だろうに。気になるのなら、せめてメールにしてほしい。届いていなければ連絡ください、で終わる。


 明日は朝イチで海浜会場設営の人員確認と、派遣会社に連絡。同時進行で請求書の要求。メールを飛ばしたら案件報告書の作成。


「新規案件の詳細を詰めて……」

「え、なに」

「ごめん、独り言」


 あー、面倒くさい。仕事辞めたい。


 仕事辞めて、温泉にでも行って、美味しいもの食べて……お酒飲んで、布団に倒れ込みたい。そのまま二十四時間眠りたい。


 先週も、派遣さんがひとり辞めた。人手が足りないせいで企画運営部はまたピリピリして、領収書に不備があると言ってまた経理がキレる。時間もないのに、働き方改革とやらで人事総務は上から目線の指示。


 みんな頑張ってくれているから、今日は出前をとって社内で夕飯を食べよう。なんて、社長のいらぬ気遣い。そんなことより、早く帰らせてくれるのが一番のご褒美だ。

 参加は半分強制で、そのくせ時間外手当はつかないときた。いや、裁量労働制なんだけどさ……


 残っていたシャンパンを、ひと口に飲み干した。


 アルコールが足りない。四十度くらいの強いもので喉を焼きたい。煙草を吸って落ち着きたい。



 仕事、辞めたい。



 由紀の楽しそうな話が、耳に痛い。来なければ良かった。

 もしかしたら彼女に会えるかも、なんてほんの少し期待したのが間違いだったのだ。大人しく家に帰って、とっとと寝てしまえば良かった。


「あ」


 もう一杯持ってこよう、と顔をあげたら、バチっと目があった。

 高校時代と変わりない傷んだ金髪、場違いなパーカー。ちゃんと染め直しなよ、プリンになってるじゃん。それは、あの頃、私が彼女によく言った言葉。


 どっくん、どっくん、と足りないはずのアルコールが血液を巡り出す。



「熊ちゃん!おっひさー!」



 思い出すように、思わず自分の頬に触れた。

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