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    第1話への応援コメント

    工藤行人です。お邪魔致します。

    色々とイマジネーション(妄想?)を掻き立てられる作品でした。

    種族として行き詰まり、生存するためにあえて「退化」を選んだヒトが匿われる保護区、人類園ですか……差し当たり絶滅を免れているというその意味では種の生存戦略としてある意味で(強烈な皮肉も込めて)「賢い」とも言えるのかもしれませんけれど、「ある時期を境に、ヒトの群れはどんどん小さくなっていってるんです。そして現在では完全な単独生活になったわけです」というZの科白からは、食料を巡る「喧嘩」を避けるという「賢い」選択をしたつもりが、これではヒトは恐らく次世代も残せずに先細っていくことが推知されますね(この後、「人」工繁殖でもしない限りは……)。ヴィーナスの眼に、XとYとは恋人か何かのように映ったのでしょうか? それとも己が棄てた「賢さ」の象徴として映ったのでしょうか? ヴィーナスの「恨み顔」の解釈、中々に難しいです。

    現代における個人主義の進展が指向する「進化」のベクトルが、その帰結として大量の「おひとりさま」を生み出している一方、これとは逆方向の、生存のため自らが選んだ「退化」(あるいは「進化」)のベクトルの先にも結局は「おひとりさま」の状態が俟っているのだとしたら何とも遣り切れません。ヒト(人)は結局「独り」とはいえ。
    御作の世界において、ヒトという種族の運命はどう足掻いても暗澹たるものに成らざるを得ないのですね。文明の功罪とsapiensゆえにヒトが背負う宿命的悲哀とが暗喩的に仄めかされているように思われる御作でした。

    あと、「レイヤー」という概念なのですが、これはSF等では一般的な概念なのでしょうか? 個人的には、御作の物語現在において「人間」の地位に在るのは「意識」や「情報」のようなもの(≒「賢さ」そのもの)で、「意味ネットワーク」によって結ばれた二次元的な「正規レイヤー」に属しているため、三次元の「物理レイヤー」を旅行する際は「正規レイヤー」の「意識」や「情報」を何らかの三次元的なもの(ロボット?)に載せなければならないと、解したのですが、こういった理解で宜しいでしょうか? 不案内のため誤読の可能性が大いにありお恥ずかしいことですが、初読の感想ということでご容赦下さいますと幸甚です。

    時間を経て再読すれば、また違った印象や発見を与えて下さるかも知れませんので、その時のためにもコメントを残させて戴きました。

    長文にて失礼致しました。

    作者からの返信

    深い考察をしていただきありがとうございます。

    ご指摘にもあるように、人間の知性はそれだけで世界と呼べるものを構成しており、それは物理的世界とは乖離したものです。文学も然り、インターネットも然りと言えます。「正規レイヤー」はインターネットやバーチャルリアリティの世界と考えて差し支えありません。

    作品世界では、Homo sapiens sapiensは物理的世界に適応しきれず絶滅の淵に追いやられています。しかし、それは必ずしも「人間」の絶滅を意味するのではなく、精神的・知性的世界で人間が生き延びるという可能性もあります。人間の肉体はその本質ではなく、精神こそが本質である可能性もあるのです。

    しかし、肉体と精神の二面性が、現代社会の行き詰まりの大きな原因の一つとなっているのも事実です。精神だけが肥大した生き物は歴史上(少なくとも人間が知る限りでは)初めてなのですから、その生存も絶滅も異様なものになるでしょう。

  • 第1話への応援コメント

    企画に参加いただきありがとうございます。

    X、Y、Zと登場人物(?)を表現する作品はこれが初めてでした。

    この作品を読んでいてまず思ったのは、発想がすごい……、ということでした。人類園……。

    淡々と事実を並べていく字の文も好きです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    名前を考えるのがめんどくさいので、アルファベットでおいてしまうことはよくあります。ただ、この方式で中編を書いた時には、読みにくいとの指摘がありました。(他サイトでの掲載作品)

    人類園という発想については、他にも同じような発想の人がいると思っていました。新鮮と受け取ってもらえてよかったです。

    ヒトの項目を自分で書き入れられる動物図鑑を読んだり、現代人の展示ケースに観客が入れる演出をしている博物館に行ったりして、そういう発想が生まれたんだと思います。確か上野動物園には人間の展示がありませんでしたから、上野に人類園があったらどうかと思いました。