全部忘れて良いから、それだけ覚えていて

位月 傘


 ね、こっくりさんって分かる?と聞けば、彼はなんだか微妙な顔でまぁ、と曖昧な肯定で応じた。問いに対していつも明瞭に返す彼しか目にしたことのなかった私は、珍しいこともあるものだと俄然興味が湧いてしまった。

「こっくりさんってアレだろ、よく小学生くらいの子たちがここまでわざわざやってきて、紙と十円玉でやるやつ」

「全然内容について説明できてないけど、一応あってる……かな?」

 そこまで聞いて、どうして彼が微妙な顔をしたのかなんとなく理解した。『ここ』というのは詰まるところ彼の実家であり、私たちが今まさに駄弁っているこの神社だ。田舎に今どきの子供たちが喜ぶような場所なんてあるはずもなく、このだだっ広い敷地を持つ神社は私が幼い時から子供たちの遊び場の一つになっている。

 彼や神主さんとしても鬼ごっこやらかくれんぼとして使われるくらいならむしろ微笑ましい気持ちだろうが、狐の神様を祀っているこの神社で狐を呼び出す遊びを、なんならちょっとした肝試し感覚でやられるのは多少なりとも良い気分ではないだろう。

「そんなにしょっちゅう遊びに来るの?ここでやっても特別成功するわけじゃないって分かればみんな来なくなりそうなものだけどね」

「いや逆だよ。ここでやると上手くいっちまうから皆わざわざ学校帰りに寄り道して、そんでわざわざ人がいなくなったタイミングでこそこそ敷地の隅っこでやるんだ」

「え、まってまって、成功するの?」

「当たり前だろ、ここをどこだと思ってるんだ」

「いや分かってるけどさぁ」

 さも当然のように、真面目腐った顔で言うものだから、なんだかこちらの方が変なのではないかと錯覚しそうになる。それとも神社の息子というのは皆こういうものなのだろうか。そういうの、都会に行ったらきっと馬鹿にされるよ、と言おうか迷ってやめた。どうせ彼はここらから出ることも無いのだろう。

 この一見賢そうな見目の男は、いつ私がこの場所に訪れようともまるで待ち構えていたかのように必ずいるのだし、どうせ外の世界に出てなにか他の勉強をしようだとか、そういうことを考えたりはしていないのだろう。

「やっぱ信じられないなぁ。ちょっと試しにやってみようよ、こっくりさん」

「……俺が目の前にいるのにか?」

「だめ?」

「駄目というか、まぁ、そんなやりたいなら付き合うけど」

 基本的にこの男は異を唱えない。こうやって学校をサボって来ちゃったと訪ねたとしても、そうか、話は変わるがそういえばこういうことがあって、と何事も無かったかのように話し出す。甘やかされているのか興味を持たれていないのか判別できないが、とにかく昔からここが私にとって大層居心地が良いのだというのは不変の事実だった。

 ほんとは学校なんて元から休校で、それでも気づいたらお弁当を用意していた母に向かって、今日学校休みだよって先週言ったじゃん、なんて伝えようものならその場に崩れ落ちてわんわん泣きわめかれるか、烈火のごとく怒鳴られるかのどちらかだ。それなら今日もありがとうと告げて、そこそこの時間になるまで時間を潰すのが正しい選択だろう。私の手元を見つめる彼の整ったかんばせをちらりと盗み見る。今日みたいな日はほんとうに彼がいてよかったなとつくづく感じるのだ。

 リュックから紙を取り出して、手つかずの課題が入ったファイルを下敷きに黙々と書き進めながら、そんなことをぐるぐると思考する。しかし改めて考えると、私は彼のことを良く知らないな、と気づかされる。いなり寿司が好きと聞いたときにちょっと笑っちゃったのがまずかったのかな、それ以来あまり自分の事を話してくれないようになっちゃったんだっけ。あれ、そもそも私と彼が初めて出会ったのはいつだったっけな。もしやこれは単に私の物覚えが悪いだけだったり。そういえばここに住んでいるとは聞いたけれど、神主さんの息子とは聞いてなかったような。

「……?どうした、やっぱりやめるか?」

「ちょっとぼーっとしちゃっただけ、ほらもう書き終わった」

「真ん中のやつなに?」

「鳥居でーす、こっくりさんやるって言ってるんだから分かるでしょ。あんまりいじわる言わないで」

 即席で作った上に安定しない場所で書いたから多少歪んではいるが、一応こっくりさんの体として出来上がっているだろう。いよいよ疲れてきたからか、たまたまそういう日だったのか、入学してから出来る限り汚さないように気を付けていた制服を見ないふりして、大木を背もたれに座り込み、地面に用紙を置いて筆箱を文鎮代わりにした。

 彼も和服だというのに気にせず素振りも見せずに私の向かい側に座り込む。見目だけならどこか人間離れしているが、こういった粗雑な部分や人懐っこい笑みを浮かべるのでそのたびに私はなんだか安心していた。

「ねぇ、初めて会ったのって、小学生くらいのときだっけ?」

「お、よく覚えてたな。あんなに小っちゃかったきみがこんなに大きくなるなんて、時の流れというやつはすごいなぁ」

「ちょっと年上だからって子供扱いしないでよ。あなただって出会ったときはそんなに……」

 そこまで言おうとして、そういえば確かに背が高かったような気がするなと思い出した。記憶に靄がかかってはっきりと思い出せない。確かにこの神社に遊びに来て、彼と知り合ったことは憶えているのに肝心なその姿だけがフィルターをかけたようにぼやけている。しかし幽かに残る記憶の残滓をかき集めても、彼の姿はなんだか今と大差ないような――。

「俺がきみを子供扱いしたことなんてないよ」

 水を打ったような声に、現実に引き戻される。彼の顔に焦点を合わせたら、神様みたいな顔が視界に入って、つい息が詰まった。なにか言わなければと思うが、いったい何を言えばいいんだろう。呼吸は正しく行われているはずなのに、奇妙な圧迫感にもしかしてこのまま窒息死するんじゃないだろうか、なんて馬鹿な考えが頭によぎる。

 そして沈黙を破ったのは彼だった。人好きをする笑みをぱっと浮かべて、声だけはふざけて怒ってるみたいに、いつもの私が安心する様を取り戻して。

「もー!なんか言ってくれよ、恥ずかしいだろ!」

「え、あ、はは。ちょっとびっくりしちゃったから。ごめんごめん」

 やっぱり今日の体調はなんだかちょっと変なのかもしれない。私もいつもみたいに何でもない風に笑って見せる。大丈夫、愛想笑いと取り繕うのは上手いほうだ。

「ほら、ちゃちゃっとやっちゃお」

 一呼吸おいて、二人で10円玉に手を伸ばす。

「こっくりさんこっくりさん、どうぞおいでください」

 私一人の声が静かな境内に響いたから、つい責めるような目で彼の方を見てしまった。確かに声をそろえなければならない、とは聞いたことないけれど。

 こちらの視線に気づいていないのか、依然として黙ったままの彼はふと視線を外したすきに無表情になっていた。その顔は同じひとであるようには見えなくて、自ずから視線を逸らす。何からといわけでもないが、逃げるように適当に思いついたことを口に出す。

「あー、わたしって長生き出来ますか?」

 正直に言えば私はこっくりさんなんて信じていないのだけれど、想定外に強い力で『はい』の方向へ十円玉が動いたときには思わずきゃあ、なんて似合わない悲鳴を上げてしまった。ばっと顔をあげる。

「もう!ほんと、もう!ふ、あはは」

 明らかに人為的な動作が加えられたそれに驚きはしたものの、仕組みが分かってしまえば可笑しくてつい声をあげて笑ってしまった。10円玉に手を伸ばしてるのは私たち二人で、ときどきこういった悪ふざけをするのは彼の方だった。

「他には?なんか聞かなくていーの?」

「ふふ、じゃあそうだね……」

 今日の夜ご飯はなに?明日の天気は?次の祝日っていつだっけ?明日ってお母さんの機嫌良いと思う?なんだかすごく楽しくなってしまって、ぽんぽんと質問を投げかける。

 10円玉はすいすい動いてどうでもいいことにも律義に答えてくれる。その様子がまたおかしかった。ひとしきり笑った後、そろそろお帰りいただこうかな、私も帰らなきゃだしと思ったところで、漸く彼が自分の声で物を言った。

「こっくりさんこっくりさん、目の前の女の子はいま幸せですか?」

 ふと楽しかった気持ちが冷めていく。不快な思いをさせられたわけでも、苛立ったわけでもないけれど、急に氷でできたナイフで心臓を貫かれた気分だった。

「わ、たしは、こっくりさんじゃないよ」

「じゃあこっくりさんじゃなくて、きみでいいよ。ねぇ、きみは今幸せ?嫌なことは何一つない?嗚咽すら飲み込んで微笑むことはない?」

 声音はどこまでも優しいのに、まるで尋問されてるみたいだ。下手くそな鳥居の位置におさまっている10円玉を見つめる。

 言ったところで何が変わると言うんだろう。何が変わってしまうんだろうか。それならこの場所を私にとっての永久不変にしたいという我儘は、許されないものなんだろうか。そもそもだって、どんなに苦しくても耐えられないほどのものではないし。寝る場所と食べるものがあって、まぁ友人もほどほどに。

「ねぇ、出会ったときにした約束、覚えてる?」

 そんなもの覚えてない。だっていつ知り合ったかすらも、あなたの姿すらあやふやなんだもの。毎日なんとなくやり過ごすのに精いっぱいで、過去を振り返る暇なんて今までなかったの。もしかして、またいじわる言ってる?非難の言葉を浴びせるより先に、約束がひとつ滑り落ちた。

「……たすけて」

 10円玉が歪な鳥居におっこちた。私の右手はすっかりからめとられて、彼は良く知ってる顔で、神様みたいに微笑んだ。勘違いしていただけで、実は愛嬌のある笑みなんかじゃなくて、私たちが平伏せずにいられない顔だったのかもしれない。

 自分からも指を絡める。どうしてだろう。きっと制服のスカートが汚れてしまったからかな。落とした10円玉を取りに行こうとして、真っ逆さまにおっこちた。

 

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