第34話 『北の死地より愛を込めて』
「はぁ、はぁ……無事、ですか? ついて、来てますか?」
「な、なんとか」
「右に、同じ」
息の荒い男が三人、暗い森の中で声をかけ合った。
先頭を走っていた長身の男は聞こえた声に安堵し、側に横たわる大岩に身を隠すようにして座り込んだ。
「なんとか、切り抜けましたね」
大剣を傍らに置きながら、ゴーシュが隣に座った。
「ですが、こんなに森の奥まで来てしまった。申し訳ない」
「いやいや。レゴルスさんがいなければ、俺たちは生きていませんよ」
シュウは頭を下げ、ゴーシュと反対側に座った。
「案内役のエルフは伊達じゃないですからね」
レゴルスは笑いながら、自分の尖った耳を指差した。
三人共笑顔を浮かべているが、つい先程まで死にかけていた。
ゴーシュの冒険者パーティとシュウが所属する第三小隊は、魔物の群れと交戦。しかし苦戦を強いられ、小隊長は戦死し撤退を余儀なくされた。
シュウとゴーシュは
「魔物も魔獣もウジャウジャいやがる。他の冒険者が心配ですぜ」
ゴーシュはポーションを飲み干し、痕跡を残さぬよう空き瓶を懐に戻した。
「前線に出た奴らは皆、引き揚げたほうがいいだろうな。この量は
「一体どこのどいつが」
ゴーシュが眉間に皺を寄せて唸った。
周囲を警戒しながら、レゴルスは静かに口を開いた。
「恐らく、バーサ帝国でしょう。四年前に即位したカリギュリス帝に、凄腕のモンスター・テイマーが仕えたとの噂が。帝国によくある、誇大なホラだと思っていましたが」
「本当だったってわけですね」
シュウがため息をついた。
と同時に、ゴーシュの腹が燃料不足を訴えた。
「あははは、すんません」
「緊張感の無ぇ腹だな」
「はははは。どれ、木の実でも探しましょうか」
立ち上がろうとしたレゴルスを、シュウが「待った」と制止した。
「とっておきがあります」
取り出したのは、ファラにもらった焼き菓子だった。
「おぉ! これは美味しそうだ」
「ファラさんの手作り! 美味いんだよなぁ」
思いがけず登場した甘味に、二人は目を輝かせた。
「……うん、美味しい!」
口に運んだレゴルスは金色の髪を揺らし、歓喜の声を上げた。
「こんなに美味しいお菓子は初めて食べました。とても素敵な奥様ですね」
まっすぐな瞳で褒められ、シュウはなんだか照れ臭くなった。
「あ、ありがとうございます。レゴルスさんの奥様は、ダークエルフなんでしたっけ?」
「はい。北のエルフを束ねる、
「スケールが違う……」
二つ目をかじったゴーシュが、苦笑いを浮かべた。
「奥様は無事なんですか?」
「えぇ。ちょうど、今は百年に一度の族長会議でして。腕利きの護衛を連れて行きましたから、安全、で……」
和やかに語っていたレゴルスの顔が曇る。
両脇の二人も同じように緊張感を取り戻し、食事を止めて顔を突き合わせた。
「状況を整理しましょう」
レゴルスが指を立てる。
「この騒動は先日、突然魔物たちの群れが襲ってきたことが始まりです。我々は共闘することで、なんとか戦線を維持しています」
到着後すぐに状況を聞いていた二人は、無言で頷いた。
「私の妻が旅立ったのは、その五日前……戦力が減るこのタイミングを狙われたとしか」
レゴルスの顔が不安に染まっていく。
「大丈夫!」
しかし快活な声と共に背中を叩かれ、ハッと顔を上げた。
「きっと大丈夫です! 今は、無事に戻ることを考えましょう」
付き合いの長いシュウの笑顔が、今までで一番眩しく見えた。
「そうですよ。俺たちが付いてます!」
ゴーシュも男気溢れる笑顔を向ける。
レゴルスは二人に感化され、明るい顔で「ありがとう」と言った。
「さぁ、日が暮れる前に行きましょう」
「おう!」
「よっしゃ!」
立ち上がったレゴルスに、シュウ、ゴーシュと続いた。
そして次の瞬間。
触手がゴーシュを貫いた。
「ゴフっ」
血を吐きながら、腹を破った蔓のような触手を睨んだ。
「ゴーーーーシュ!」
シュウの叫びが、森の闇に吸い込まれる。
「ぬぅあ!」
ゴーシュは痛みに耐えながら愛剣で薙ぎ払い、背後の魔物を両断した。
しかし遠心力に耐えられず、そのまま倒れてしまった。
「私が守ります! 手当てを!」
周囲を睨みながら、レゴルスが叫ぶ。
「『清浄なる光よ 傷を癒やし 救い給え
シュウはゴーシュの腹部に手をかざし、白魔法を唱えた。
「ちくしょう……ファラさんの、焼き菓子が……」
「喋んな!」
使える魔法は低級のものだったが、シュウはありったけの魔力を込めた。
最大限の警戒を張り巡らせながら、レゴルスはゴーシュの倒した魔物を一瞥した。
(
流れる冷や汗も拭わず、レゴルスは目を光らせ続けた。
「ア、こんナとコロに、ゴみがいル」
幾重にも重なる不気味な声が、大岩の上から聞こえた。
見上げると、闇に溶け込む真っ黒なローブを被った人影があった。
「貴様がテイマーか!」
レゴルスは目を見開き、怒号を放った。
「うルさイなァ」
不快そうな声の直後、背後の木々から無数の触手が伸び、襲いかかった。
「『
激しく吹き荒れる風が渦を巻き、三人を包んだ。
触れた触手は巻き込まれ、繋がる本体も粉々に散った。
「エルフを舐めるなよ」
レゴルスは風の向こうに佇む敵を睨みつけた。
「シュウさん! 私が時間を稼ぎます! その間にゴーシュさんの、手当て……を」
レゴルスは周囲を見回し、言葉を失った。
ガルゥの群れ。
怪鳥ダイ・バード。
スライム。
食人花……。
ただでさえ強敵の魔獣や魔物たちが、あり得ない数で取り囲んでいる。
「しネ」
歪な声を合図に、一斉に攻撃が繰り出された。
「うおおおおお!」
決死の抵抗を見せたレゴルスだったが、瞬く間に風の護りは突破された。
爆発が起こり、三人は為す術もなく吹き飛ばされた。離れた崖の下に叩きつけられたシュウは、仰向けに倒れたまま霞む視界を凝らした。体は激しい痛みで、動いてくれない。
「ゴー、シュ……レゴ、ルスさん……」
倒れ伏す二人に呼びかけるが、応答はない。
「……ちく、しょう」
悔しさを血の味と共に噛み締めていると、視界の端に動くものがあった。
「あれ……は、ファラの……」
愛する妻が持たせてくれた焼き菓子。
懐からこぼれたそれに、輝く光の粒が集まっていた。
「妖精……か?」
この森にもいると、話には聞いていた。
しかし、人の前に出てくることは滅多にないため、砦の者は誰も目にしたことがなかった。
森での生き死には、彼らにとって当たり前のことなのだろう。
シュウたちには、なんの反応も示さない。
「美味い、だろ? 俺の、奥さんが、作ったんだぜ」
得意げに微笑むと、胸に熱い想いが灯る。
ファラ。
こんな俺を愛してくれた、最愛の妻。
お前の得意な料理が、エルフや妖精にまで評判だぞ。帰ったら教えてやらなきゃな。
ナミラ。
俺の子にしては優秀過ぎる息子。だからこそ、どんな大人になるか見てみたい。万が一お前が悩んだら、父さんがなんとかしてやるからな。
……あぁ、どれももう無理なのか。
傷は焼けるように熱いのに、体の奥が寒い。なんだか、なにも感じなくなってきた。
「……愛……して、る」
最期の力を振り絞った囁きは、物言わぬ妖精だけが聞いていた。
同じ頃。
テーベ村の空に光の柱が輝いた。
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