第33話 『テーベ村防衛戦 私の仇』
「ば、馬鹿な! そんなはずは」
フェロンは声を裏返らせ、胸に下がる銀髪を乱暴に掴んだ。
力任せに持ち上げると、空洞になった目を向ける痩せこけたダークエルフがいた。この肉体がなにかしたとは思えない。しかし、先程まで少年だった相手は見た目も声も、すべてこの女の生前のもの。
真似衣の魔法の効果は知っているが、今の状況はそれだけでは説明できない。
「あなたに詳しいことは言わないけどね、私はこの子の前世なの。あなたに触れたことで、記憶もすべて蘇ったってわけ」
「ま、まさか神の
「そこまで教える義理はないわね」
ライアは肯定も否定もせず、冷ややかな視線を向けた。
「ぐっ……くそおおお!」
フェロンはよろめきながら立ち上がり、目の前のライアを睨みつけた。
「儂は貴様の呪いを抑え込んだはずだ」
「そうね。でも私がかけた呪いよ? もう一度活性化させるなんて、簡単だわ。だって……怨みは消えてないもの」
ライアの人格にとって、死した瞬間はつい先程のことだった。
この男にされた屈辱や非道な研究で与えられた怨みの炎は、極限まで燃えている。一切の情を感じさせない冷たい瞳が、その大きさを物語っていた。
「そうか……ならば再び冥府に堕ちよ! 貴様の人格など、魂など、必要ないのじゃー!」
フェロンが手をかざし、巻き付く根で圧殺しようと魔力を込めた。
しかし。
「ぎゃっ!」
かざした左腕の肘から先に、四本のナイフが並んだ。
「はあっ!」
フェロンが痛みに顔を歪ませたと同時に、飛来したアニが根を切り落とした。
見知らぬ体を支えつつ、敵を睨む。姿が違っても、このダークエルフがナミラであることに、少しの疑問も抱いてはいなかった。
「大丈夫?」
「えぇ、そっちも無事でよかったわ。ありがとう」
出てきたのは、ライアとしての言葉だった。
ナミラとしての自覚はあるが、この男を前にしてはどうしてもライアの感情を抑えられない。
「こっちは終わったよ」
デルも並び、ナイフを構えた。
「このっ、餓鬼がああああ! 儂を誰だと思って」
「そんなの決まってるじゃない」
ライアは笑い、杖を槍のように構えた。
「私の仇よ」
そして憎き相手に向かい、一直線に駆け出した。
「防ぎょ」
キイヤアアアアアアアアアアアアアアアア!
防御魔法を展開しようとした本人から、それをかき消す甲高い悲鳴が起こった。
その声は胸に生えるかつてのライアが上げた悲鳴であり、杖を受け入れるように口を開き、首を伸ばしていた。
「や、やめ」
「さよなら、私」
ライアは憐れむような声を発した。
しかし手元の杖は躊躇なく、仇に深々と突き刺さっていた。
「ぎいっ!」
仰向けに倒れた体が起きぬように、ライアがさらに杖を押えた。
「な、なに、を」
「あんた、人の命で何百年も生きといて、これで死ねると思ってんの?」
言葉の真意を理解したフェロンは、青ざめ血を吐きながら懇願した。
「や、やめろ、やめてくれ! 儂が、儂が悪かったから」
足下の声は、牙を剥き出しにしたライアには届かない。
「『
広場に激しく振動する声が響いた。
どす黒いオーラが杖から広がり、フェロンの体に集束していく。深い怨みの感情が生んだオーラは、その対象を容赦なく蝕んでいく。
「あがっ、がが」
捻れた声を出しながら、老人の体が溶けていく。
そして、突き立てられた杖に吸い上げられ、辛うじて分かる程度に顔の面影を浮かばせた。
「さらに強い呪いを上乗せした。そのまま、動けぬ杖として苦しみ続けなさい」
長い年月を経たこの杖には、このまま呪いを保ち続けるほどの耐久性が残っていないことを、ライアは分かっていた。
しかし、この男にはわずかな希望も与えたくはなかった。
「……これで、本当に終わった」
ライアは天を見上げる。
二度と会いたくない相手だったが、一つだけ良かったことがある。
あのとき、命を捨ててまで守ろうとした、娘の無事を知ることができた。
ダークエルフの寿命を考えれば、生きている可能性はある。だからもし、成長した娘に会えたなら、果たせなかった約束を果たしたい。
一緒に、シロツメクサの花冠を作ろう。
ライアは、生前にも見せたことのない穏やかな笑みを浮かべ、その姿をナミラヘ戻した。
「ナミラ!」
倒れかけたナミラの元に、アニとデルが駆け寄った。
「大丈夫。二人とも、本当に無事でよかったよ」
二人に支えられながら、ナミラはほっとして笑いかけた。
その瞬間、村長邸で白い光の柱が輝いた。
「あれは」
「パパの魔法ね!」
「作戦が上手くいったみたいだね。これなら」
目を細めて見上げる三人は、戦いの勝利を確信した。
「フェ……フェ……」
だが、消え入りそうな笑い声がその思いに影を落とす。
杖に宿る残滓となったフェロンが、笑みを浮かべていた。
「なにがおかしい」
「こ……の、儂が……盗賊……ごときに……自分、から……落ちぶれると……思うか……あの馬鹿に……なぜ、従っていたと……思う」
嫌な汗が流れた。
たしかに、ライアの記憶を得たナミラにはそれが疑問ではあった。狂った自尊心と力を持つフェロンが、進んで盗賊団になるとは思えない。
「勝てん……のだ……あれ、に……儂は……」
「なに?」
どよめく三人に、フェロンの残滓は続ける。
「あれに、は……【
そこまで語ると、フェロンはうわ言のように「フェ……フェ……」と呟くのみになった。
「まずい!」
光の柱を見上げる三人は、先程とは真逆の表情をしていた。
「ダ、ダンちゃんたちが危ないよ!」
「すぐに行こう。ナミラ、はいこれ」
アニは、シュウにもらったポーションをナミラに手渡した。
「ありがとう。よし、急ごう!」
飲み干し、小瓶を放るとナミラたちは一目散に走り出した。
誰もいなくなった広場に、一本の杖が立っている。
もはや声も出せなくなったフェロンは、自身の存在すら分からなくなり、ただ苦しみの中にいた。
そして一陣の風が吹き抜けたとき。
役目を終えた杖と共に、乾いた音を立て、堕ちた賢者は砕け散った。
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