第6話 『はらぺこなあおむし』
その後。二人はアニの家に行き、おやつの果物をごちそうになった。
きらりと光る指輪を見たアニの父親が、怒りと嫉妬と悲しみに満ちた目でナミラを睨んだが、奥さんにたしなめられていた。
常連客にジャグリングを披露し、アニに簡単な踊りを教える平和な時間はあっという間に過ぎていき、家に帰るころには夕焼けがまぶしく空を燃やしていた。
「じゃあね、アニ。今日はありがとう」
「うん、また、明日……?」
村の中心にある広場を抜けたところで、見送りに来てくれたアニにナミラは手を振った。
そのとき、アニがふとナミラの背後に広がる森を見ながら首をかしげた。
「どうしたの? アニ」
「う、ううん。なんでもない。じゃあね!」
走り去るアニの指で光るガラスが、
目を奪われたナミラは「将来アニに指輪をあげる人は、大変だろうなぁ」と、他人事のように呟いた。
テーベ村は広場を中心に店や宿などが集まっているが、それ以外の土地は麦畑と民家が並んでいる。
さらに周辺を森に囲まれ、村の北側には国境の砦まで続く街道が整備されている。砦は関所の役割も担っており、ゲルトたち商人や出稼ぎの若者らがよく利用していた。
南側には隣村までの道が伸びており、過去にバーサ帝国と戦争をしていた
ナミラの住む家も、三つの畑を過ぎた先にあった。
丸い窓が特徴的な杉の家は亡くなった祖父が建ててくれたもので、結婚記念の贈り物なのだそうだ。
「おかえり、ナミラ~」
足下に生えた草の上から、小さな声がした。
見ると、一匹のあおむしがナミラに向かって頭を突き出している。
「お、ただいま。今日はどうだった?」
「いっぱい食べたよ~。でも、まだまだ腹ペコなんだ~」
気軽に話すナミラたちだが、はたから見ると子どもが虫に話しかけている奇妙な光景だ。
しかし、これは動物たちとの意思疎通という、ギフト【前世】で得た立派な能力である。
知的生命体でない生物は、かつての前世と同じ種族に触れることで蘇る。すると、魔力が自動的に働き、意思の疎通が可能になるのだ。
ナミラはこの能力を気に入っていたが、前世の取得は強制的なもので死した状態でも対象となる。食事の際に家畜だった記憶が蘇ったときは、さすがにトラウマになりそうだった。
しかし幸運にも、これらの生物の場合はまるで絵物語を見ているような感覚になるため、今でも肉や魚は好物としていただいている。
「そっか。なら、明日はイチゴを四つあげよう。だから畑のものは食べないでくれよ?」
「うん、わかった~。あ、見てみて~。あそこ、ぼくの仲間がいる~」
あおむしの視線の先には、背の高い草のてっぺんによく太ったあおむしが気持ちよさそうに風に揺れていた。
「おいおい、そんなところにいたら危な」
「チュン! ごちそう! チュン!」
ナミラの注意を遮るように、頭上から降りてきたすずめが草の先にいたあおむしを食べてしまった。
「チュン? ナミラ、そのあおむしも食べていいかチュン?」
「え? い、いやこの子は」
あおむしはナミラの足を必死でよじ登っていたが、すずめはすでに獲物をロックオンしていた。
「チュチュン! いいからよこすでチュ」
「カアー! 隙ありー!」
「チューン!」
次の瞬間、一羽のカラスがすずめを捕まえて飛び去った。
目の前で起こった出来事に、ナミラはぽかんと口を開けてカラスを見ていた。
だが、決して追いかけたりはしない。
自然界は弱肉強食の食物連鎖。
食らう記憶も食われる記憶も宿っている。
どちらのことも理解しているからこそ、そのバランスを崩さないよう、なるべく動物たちの狩りには手を出さないようにしていた。
「来世で会おうな……」
夕日に飛び去るカラスの影に呟くと、そっと人差し指を立てて手を合わせた。
「ただいまー」
「おかえり、ナミく~ん」
あおむしを草むらに逃がし玄関を開けると、食欲をそそる匂いと共に気の抜けるのんびりとした声がナミラを歓迎した。
「ただいま、お母さん」
母の名前はファラ・タキメノ。
喋り方と同じようにのんびりとした天然な性格をしており、いつも微笑みを絶やさない女性だ。
「今日のお金、棚の上に置いとくよ」
「いつも悪いわねぇ。でもでも、お母さんもナミくんが稼いでくれたお金で、おいしいお料理作ってるからね! 今日はお豆のスープと鳥さんの香草焼きよ!」
「鳥……」
さきほどのすずめが思い出され、ナミラは母の背後でまたそっと手を合わせた。
「さあ、食べましょう」
振り返ったファラは、明るい笑顔をナミラに向けた。
ファラは右目の下に泣きぼくろがある垂れ目に、肩が凝るのが悩みの胸。性格と同様に天然な髪は、ほどよくふんわりと巻かれている。
村でも評判の美人で料理が上手く、ナミラにとって自慢の母だ。
食卓に着いた二人は、人差し指を立て手を合わせ、食前の祈りを始めた。
「
ファラの静かで美しい声が、二人きりの家の中に流れた。
「いただきます」
祈りが終わると、二人は料理を口に運んだ。
ふと、ナミラはスープが注がれた皿に触れながら、その品質の良さを噛み締めた。
レイジだったころに取り扱っていた品で、これまた結婚祝いにもらったものだという。ナミラは、レイジの記憶が蘇るよう物心つく前に触れさせるため、女神シュワが計らってくれたのだと確信していた。
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