魂の継承者〜導く力は百万の前世〜
末野ユウ
序章 百万回目の人生
第1話 『冥界の女神 シュワ』
男の周囲は光に満ちていた。
暖かく、まばゆい光。
体はその中に浮かび、ぼんやりと揺らめいてる。
……ここは?
ここがどこなのか、自分が誰なのかすらも分からない。
ただ、すべてを受け入れてくれるような心地よさが、優しく全身を包んでいる。
「……ますか……聞こえますか」
光の中から、きれいな声がした。
透き通るような繊細さと母親のぬくもりを感じる声。
ぼんやりと声の方へ目をやると、美しい女性が現れた。
雪のように真っ白で長い髪と、絹よりも滑らかな衣を揺らしながら、光の中を歩いている。
「起きたのですね」
女性は穏やかにお微笑んだ。
「私はシュワ。この冥界……魂の世界に住む女神です」
「魂の……世界?」
男はようやく声を発した。
「そうですよ、レイジ・ベア。貴方は死んだのです」
名前を呼ばれて、男は自分がレイジという存在だったことを思い出した。
「そうだ……おれは……」
そして、死の瞬間の出来事も鮮明に蘇り、レイジは震える両手を見つめた。
レイジ・ベアは西の連合国で働く商人だった。
大きな商家の次男に生まれ、三代目を継いだ兄を支え、年の離れた弟を可愛がっていた。
彼は良くも悪くも平凡な男であった。
兄のような手腕はなく、弟のように天才肌でもない。
しかし、その人生に大きな障害はなく、争いとも無縁の毎日を送っていた。
華はないが平和で穏やかな日々。
ずっと続くと思っていたそれは、唐突に終わりを告げる。
ある冬の日。
取引相手の貿易商と、接待を兼ねて酒を飲んでいた。あまり酒が得意でないレイジはフラフラだったが、男に付き合って二件目の酒場へ向かっていた。
そのとき、運命の歯車が動いた。
「やめてください!」
往来の向こうから、女が悲鳴を上げた。
見ると、若い女が男に腕を掴まれ抵抗しているようだった。
「お、痴話喧嘩か」
貿易商の男は、面白そうに呟いた。
たしかに、酒場周辺ではよくある光景。
他の者たちも、面白がって見ている者と気にも留めずに去る者のどちらかしかいない。
普段の彼なら、気にも留めないほうを選んだだろう。
関わっていてはキリがないし、なにより争い事は嫌いで腕っぷしにも自信はない。
だが、このときは違った。
彼の中の、彼も知らない何かがそうさせた。
女が手を振りほどいた。
逆上した男が短剣を取り出し、女を刺し殺そうとした瞬間。
レイジは女を突き飛ばし、代わりに刃を受け、死んだ。
「そうだ……おれは死んだんだ」
だんだんと、これまでの人生が蘇る。
振り返り想いを馳せたあと、あっけない終わりだったなと自傷気味に笑った。
「女神様。あの女性はどうなったんでしょうか」
レイジは名前はおろか、ろくに顔も見ていない女の身を案じた。
「……無事ですよ。あのあと男は取り押さえられ、女は貴方の家族に保護されました。彼女は親の借金のせいで、身を売る寸前だったのです。しかし貴方のお兄さんが、弟が命を懸けて助けた人だからと、借金を肩代わりして故郷へ帰してあげましたよ」
「そうですか……よかった」
パッとしない人生だったが、死に様が人の役に立てるものでよかった。
女性のその後を助けてくれた家族も、本当に有難い。
レイジは跪き涙して、死したあとにも関わらずこの上ない充足感を感じていた。
「よかった……なんて思ってます?」
先ほどまで穏やかだった女神の声に、まるで冷水のような冷たさが宿った。
「女神様?」
顔を上げると、シュワは虫けらを見るような表情で、レイジを見下していた。
「んなぁ~に満足気に泣いてるんですか。もしかして、私に褒めてもらえると思いましたか? よくやりましたレイジよ……なんて言ってもらえるとでも? ハッ! そんなこと言いませんよ、このすっとこどっこい!」
「えぇ……」
女神シュワの変貌ぶりに、レイジは心底困惑した。
蘇った記憶の中で、シュワは美しく心優しき神として語り継がれていた。
死者の魂を導き、生前の行いによって新たな命を与える大いなる存在。
良い行いをしなければ、シュワ様に来世を虫にされてしまうぞ。とよく母親に言われたものだ。
だが、この扱いはなんだ。
いくら女神でもひどすぎるだろう。
神話の女神に罵詈雑言を浴びせられながらも、レイジは自分がやったことは良い行いだと自負していた。
だからこそシュワの反応が理解できず、イメージとかけ離れた姿は少なからずショックだった。
「なぜですか? 人を守って死ぬことが、そんなに悪いことなんですか!」
絶え間なく罵倒してくるシュワに、レイジは言葉を返した。
本来なら恐れ多いことだが、理不尽な言われように我慢ができなかった。
レイジの言葉に、シュワは罵倒をやめつつ冷たい目で答えた。
「他の者なら、称賛もしましょう。その無謀をたしなめつつも、来世に祝福を与えるでしょう。ですが、貴方は違う。貴方だけはダメなのですよ」
「どうしてですか?」
レイジが眉間にしわを寄せた。
「レイジ・ベア。貴方の魂は、これまで幾度となく転生を繰り返してきました。貴方の人生でちょうど百万回目です……そして、そのすべてで同じように死んでいる。百万回、自ら何かの犠牲になって死んでいるのですよ」
シュワは大きなため息をついた。
話の内容に茫然としてしまい、レイジはかすかに震えるシュワに気づかなかった。
「どんな人物、種族でも結果は同じでした。人智を超えた存在や、剣聖と呼ばれた男。大魔法使い、エルフの賢者、ドワーフの族長、獣人の大戦士、魔族の革命者っ。善王、愚王、貴族の娘、物乞い、殺人鬼、魔獣、家畜、魚、虫! どんな姿でも、なにかを守るために必ず命を捧げる! せっかく今回は運命に干渉して、すべてが極めて平凡な男にしたのに! 禁忌スレスレのことしたんですよ? それなのに……それなのに貴方って人はああああああ!」
泣き叫びながらレイジの胸ぐらを掴み、前後に激しく揺らすシュワ。
「お、おれに言われてももももおおお」
女神の八つ当たりとも言える、ヒステリックな叫びをぶつけられるレイジ。
生前にも感じたことのない疲労を感じ、解放される頃には荒い息をしていた。
「と、いうことで。次こそは絶対に違う死に方をしてもらいます」
冷ややかな視線はそのままに、幾分すっきりした顔のシュワがレイジに手をかざす。
すると、全身から炭酸の泡のような光が沸き立ち、体の輪郭を曖昧にした。
「な、なにが」
「これから貴方の百万一回目の人生が始まります。百万回の転生で溜まった力が貴方を守り、百万回の人生で培った経験が貴方を助けるでしょう。これまでとは比べものにならない力を、貴方に与えます」
シュワはわざとらしく、ニッコリと笑いかけた。
「どうぞ、助けたいなら好きなだけ助けてください。でも、そのせいで死ぬことは許しません。ずっと見ていますからね。病死でも餓死でもなんでもいいから、べつの死に方してください」
「めちゃくちゃなこと言いますね」
シュワがかざした手を上げると、転生のときを告げるように光が強まった。
「あ、あの!」
レイジとしての自我が薄れ、存在そのものが曖昧になっていく。
けれども、その魂は光の向こうに立つ女神に問うた。
「どうして……じぶんに……ここまで……」
その問いに、女神シュワは悲し気に微笑んだ。
「それは貴方が……」
答えを聞き終える前に、転生の光は冥界から消えた。
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