告解

「マリノ=サージェンカですって?」


礼拝堂で、支部の人間に祈りを中断させられたイレイナ=フレードは、眉をひそめていた。

「はい。都下郊外の、山際やまぎわで確認したとのことです」

バタバタと、人があわてて行き交う気配があり、本部から一緒にやってきた4人の部下が、こちらへと進んでくるのが見える。

全員の顔を見回すと、それぞれが自分のやるべきことに、強くうなずいていた。


「ユノ」

周りが騒然とする中で、イレイナが指名したのは、もっとも役に立たないであろう部下である。

「ついて来なさい。……他のみんなは、ここを任せたわよ?

すでにもう、ルドはかなり力をつけてしまっているでしょう。私たち『教会』が、本体よりも存在を確認できなかった、眷族マリノの出現……。この陽動で、いきなりアイツが中心地ここに現れてもおかしくないからね」

念を押すように一人ひとりを見つめると、最後に入り口からの通路をうかがって、歩きはじめた。


その時、向こうにも同じ報せが届いたのだろう。

イレイナが立ち寄ろうとしていた、右奥の小部屋から、女性が出てくる。

東雲シノノメ・・・」

思わず呟いたのだろう。部下が口にした相手は、30代半ばの、日本人にしては目鼻立ちのくっきりした容貌をしていた。

ーーそして、その挙措は、この騒動の渦中にいる人物としては場違いなほど穏やかなものだった。


姉妹シスターイレイナ。・・・行かれるのですね?」

これから起こるであろう戦いに、その助祭の女の眼は、透明な安堵と高揚をもたらしてくる。

「ええ、レイコ。ここは私の部下と、あなたの付き人たちで充分なはずです」

「もちろん」

かるく頷いた女は、それよりもずっと、イレイナの方を心配している。

「注意してくださいね、姉妹。つい先ほど、『ローランド卿橘かすみ』 から、この近郊の支部すべてに目標をゆずってほしいという打診がありました」


「ーーマリノですか?」

イレイナは、意外な提案に一瞬言葉を失う。

大陸にいる魔物の中でも、彼女はすでに”存在しない”とまで言われるほど、視認されない個体だ。

直系から見れば、力量としては取るに足らないものだろうが・・・その特殊性は、手駒に加えたい逸材なのかもしれない。


「いまは完全に沈黙していますが、ローランド卿はかつて、吸血鬼の最大禁忌である 『二重眷族』 を犯した存在でもあります。

・・・その産物である、相野一也が本気で動けば、ルドどころではない禍根になるかもしれません」

「分かりました」

イレイナはうなずき、目標をすみやかに仕留めるよう、友人に約束した。


(むずかしい仕事だけど、あいつらを逃がしたのは、私の責任なんだから)

お互いに短い祈りを交わし、護るべき対象から、イレイナは離れてゆく。


脇に控えていた、自分よりも高身長な部下は、その動作に青ざめた様子でしたがっていた。

「・・・あんまり固くならないでね、ユノ。

あなたに今回知ってほしいのは、別に敵の恐怖じゃないんだから。ーー戦いには、どうあっても正面からぶつかれない相手もいるってことよ」

はい、と唇をこわばらせて、彼女は返事をしている。


この若くて才能もある信徒が、のびのびと活躍するのはまだ先のことだろう。

今は、その大きな将来に足元をすくわれないよう、しっかりした視野を学ばねばならない。


(ふう・・・)

それにしてもな、と修道女イレイナは思う。


教会全体としても、すごく痛いのは、「強力すぎた」と言われる過去の相野を、たった一人でとしたという修道士の記録が、消されてしまったことよね ーー


望むはずのない二つ名の、十字の切っ先と呼ばれる彼女は、懐に収めた杭剣を、ぎゅっとにぎりしめていた。






―――――――――――――――――――――







・・・それは、はるか昔の苦しみにより、永遠に消されてしまった逸話。

二度と、信徒の間で語られることのない、一人の少女によって作られた、聖なる牢獄・・・


ーーかつては真祖をも超えたという、一体の大眷属は、欧州ヨーロッパに出現していた。

欲しいままにすべてを喰らい、魔族まで巻き込み、疫病のような壊滅を各地にもたらす。


”彼”はのちに、『大粛清』の中心に挙げられたが、その時すでに、力は全盛時の半分にも満たなかった。


男に地獄をもたらしたのは、たった一人の少女。

これは、その血を分けた姉である、不運クリスチャンによって終わりを迎えた物語である。




当時から、吸血鬼たちは魔を退ける信徒を毛嫌いしていたのだが、その女性は、奇妙なまでに彼らを惹きつけていた。

闇を明るく照らす、神聖な力を備えた清教徒でありながら、その周囲に暮らす、淡い闇に隠れた生き物と共存していたのである。


(・・・? この女は・・・)

アルフ=ウエインは、たとえどのような存在でも恐れる必要のない魔力を持っていたが、自分の”魅了”と、生気を奪われる快楽にほとんど反応しない彼女に、興味をそそられたのだった。


「辺境に住んでいるような、無学者のくせに・・・。いっぱしの司祭のように、聖典の”狭き正しき道”の中に、自由を見ているのか?」

まだ、何もかもを己の好きにするのが面白いことだと信じていた彼は、人間が奥深くに抱えている、自分たちと同じ『』を、まったく考えることがなかった。


やがて強引な手段により、正気を保てなくなるほど続けられたのは、聖女さえ現実に堕ちずにはいられないような、単純な拷問である。


彼女は、近くに住む村人たちが気づかない中、村落のはずれにあった家で、拒みつづけながらも身体を欲のままに開かされていた。

声も殺され、羞恥に肌をふるわせながら、男に従わされる限りのことを受け入れる日々になる。

・・・それでも、変化が自分を侵食してゆくまでは、彼女は”性”も神の道にあると信じていたのだ。


ーーもし・・・おのれに、理不尽なことが何ももたらされず、平穏な生涯が約束されていたとして。

自然と添い遂げる相手がいようといまいと、子を持とうと持つまいと、それは神の子である、人の流れの一つに過ぎない。

人間は、自らよりも大きなそらをも心に抱え、争いから調和を学び、ただ生命の本質である、神の創造された宇宙の成り立ちの調和バランスへと還っていくのだ。


(でも・・・。自分はもう、歪んだ存在である、呪いによって身体に魂が縛りつけられているような”彼”に、嫌悪の視線すら向けることはできないのだろうか)

苦痛よりも罪深い、逃れられない歓びの時間の中で、女性は心のひだが失われていくのを感じていた。


そうして、すべてが変わった彼女をアルフが捨てたのは、当然のことだったのだろうか。

清貧な血にも飽きはじめていたし、彼を拒みつづけるのは変わらなかったが、行為に声と涙をあふれさせるようになっていたから。

「思わせぶりに見せていても、動物だな。 身体に左右される心で、どんな神を語っていたんだ」

気持ちのいい笑みでキスをし、別れた彼は、そのとき過ちを残している。


彼女には、身寄りがいたのだ。

両親のいない生活で、姉が懸命に働き、正道教会の神学者に師事して寄宿舎に進んだ、可憐な妹。

・・・非道極まる行いが、自分の生家でくり返されていたこと知った少女は、教会の先鋭と呼ばれる、討伐隊へと身を捧げることになる。


ーー 女性をとっくに捨てていたアルフは、のちに少女とまみえることもあったが、姉に勝るところはないと告げていた。

村をいくつも焼き、魔を滅ぼすことをやめないのは、死人のようになっていた姉が早世してからも変わらない。

だがそれは、人としての意思ではなく、獣にすらある心の反応だろう。


教徒たちに十字を切らせ、結界によってアルフを追いつめたはずの少女は、かんたんに組み敷かれてしまった。

「・・・お前も、生きるために他の生物の命を食ってるんだろう。自分たちの勝手な尺度で、相手の罪を決めるなよ」

つまらない正義を振りかざすために、復讐が止まらなくなるのだ。


本来の、己の器量を超えてしまうほどの憎しみーー。それは、妹が最も大切にしていたはずの 聖典教え まで、ねじ曲げようとしていたのだ。

アルフはそんな中で、戯れのように彼女を抱きよせ、自由だった相手の口だけで攻撃を受けると、衆人の中に捨てていった。


・・・そして ーー 少女の、妹のその後の不幸は、願いを叶えるために、自らが引き寄せることになっていったのだろうか・・・


やがて、衆人の前で辱しめられたと噂された彼女は、同胞たちにも見放され、討伐を行ってきた魔物の意趣返しにも、対応できなくなっていく。

わずかに残った部下たちは、自分たちへの復讐の饗宴で殺され、また、長時間の拷問の果てに、神をおとしめる自死を選ばされた。


少女はさらに、その中で身動きも許されず、たったひとり四肢を押さえつけられて土に敷かれ、されるがままにこの世を去ることしかできなかった。






「ーー っ!」

相野一也は、過去の視線から逃れるため、頭をふっている。


あれから、何故か彼は、血をまったく受けつけなくなったのだ。

いくら試しても生気を吐き戻すようになったのは、少女の最期を談笑した仲間に会ってからだろうか・・・。

一也は、その頃から、二つの目に追われるようになっていたのだ。


彼ら ーー『吸血鬼』が、その能力の真価を発揮するのは、闇である。


だがその双眸は、彼らの不死という呪いすら上回る禍々まがまがしさで、おぞましい輝きを暗闇に放ち、彼を粛清へと導いていったのだ。


もう何をしても魔力を取り戻すことができなくなった一也は、嘆くことしかできなかった。


・・・もしかして、自分の不死はこのまま終わってしまうのだろうか?


教会の追っ手からの遁走をつづけ、惨めなほど手ごたえのない力で反撃するうちに、アイヴィ=ローランドにも横槍を入れられた。

しかし、彼の存在はすでに、失墜から逃れられないものになっていたのだ。


(・・・俺に強さも示すことのできなかった主が・・・。とっくにたもとを分かっていたのに、何を今さら・・・)

その時の一也には、自分が不幸を負わせてきた女性だけが、死のとこのすべてになっていたらしい。


ーー なぜ、”あの少女”の前に、別の者では歯止めにならなかった?

自分の苦しみは、どこかに逃げ道があったのではないか?

・・・沈まない陽の光に干からびていくような己の魔力を感じる中で、

「・・・たしかに、私たちは残酷な所業をする」

アイヴィ=ローランドは、死を受け入れはじめている一也を、一度だけそばで責めようとしていた。


ーーだが、与えられた命を、失うように生きることも罪だ。


その言葉が届くことはなかったが、彼女は迷うことなく、自分の指を切り落としていく。

「死は、生き抜くことなく放棄された生からでは、解放につながらない。

お前は、本当の意味で苦しむために、残された時間で変わらなきゃならない。じゃなきゃ、誰も救われないんだ・・・!」

二度目に彼女の血を受けたとき、一也は、もうかつてのように力を取り戻せなくなった自分を、受け入れたのだった。

「・・・アイヴィ。・・・水上」


主がずっと助けを求めていたこと、己に想いを寄せたため、禁忌を犯し、直系からも追われてしまったことを、彼は無力さに知らされていた。


「少しでも、彼女らに自由を与えられるだろうか」


ーー いま、少年はビルの屋上を駆け渡っている。

怒りはもうない。

ただ、例えどんな状況になろうと、主は同族の手から護る。

そして・・・例えどんな理由があろうと、水上紗良に手を出したルド=サージェンカは、


それが彼のけじめだった。



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