ミス

その日、都内某所にある”正道教”支館では、ちょっとした騒ぎが持ちあがることになった。


「なっ、なんじゃとおッ!」

しわがれたような声が、清潔な白い建物に響いている。

「き・・・彼奴きゃつ がッ!

相野一也がここにやって来たというのかっ!!」


その老人たちの、ええい、白木しらきじゃあ! あの、ゴキブリのような男の心臓にとどめを刺すために、吸血鬼”特効”のぶっとい白木を持ってこい! という言葉が奥から届いて、少年はポリポリと頬をかいていた。

「あのー」

所在なさげに、先ほどから入り口で待たされているので、受け付けのような場所に立っている女性の方を向く。

「へっ!? 私?」 みたいな顔をされたが、シスター『イレイナ=フレード』には、前もって連絡しておいたむねを告げると、明るく後ずさりされた。


「まあ!それはご丁寧にどうも」

・・・いや、違うでしょう。

一也は脱力したが、どうやら昔とはだいぶ人が入れ替わっていらるしい。

向こうの方で、年寄りぜいはあわてているのだが、若い者たちは「だれだれ?」みたいな感じで盗み見してくる始末だった。


(イレイナの奴・・・。絶対こっちのアポを伝えてないな)

少年は何やら不機嫌になってきたのだが、よく考えれば、彼女たちにもそんな余裕はないのかもしれない。

今度の相手はだいぶ、移り住んだり、身を隠したりすることに慣れた一族のようなのだ。

「ああ、すみませんねえ・・・お待たせしてしまって」

ふと、これからのことに思いを巡らせていると、ゆったりした雰囲気の男性がこちらにやって来るところだった。

・・・キャソック聖職平服に身をつつんだ、いくぶん太めで窮屈そうに動く男だったが、なかなかあつい信仰心を持った人間のようである。

30にも届いていないような若さでありながら、温かい威圧感をまとっていた。

(これ見よがしに威嚇してくるのは、どんな人種でも大抵ビビリなんだけど、こういう自然にしてくる教徒は、将来が恐いな)

一也は、しれっとした態度で返事をしながら、内部に魔力を巡らせている。

使い魔レベルなら、信仰者の集まりの中など、火に魂をあぶられるような場所なのだ。


「・・・それで、相野さんからご連絡のあった『助祭』なんですが」

どこか、男は恐縮したように続ける。

「こちらに手違いがあったようで、今はこの地の布教の過去を調べるために、近くの支部に出ております。

しばらくかかるようなので、それまでお待ちいただけますか?」

うすい”障壁”を張ったまま、少年は頷いている。

(この程度なら、長時間いても力を削がれるようなことはないけど、どうも先日から嫌な予感がするしな・・・)


連絡まで入れてすれ違うようでは、自分の知らないところで誰かがとっくに動いているような気さえしてくる。

彼は思案するそぶりも見せず、

「縁がなかったですね」

と体を引いていた。


さっきから、なにか街の方もざわついている感じだ。

「どんな方か、興味はあったのですが・・・。”レイコ=東雲シノノメ”助祭は、もう国内での受け入れが決まったのですか?」

そう尋ねると、目の前の青年はうれしそうに言う。

「よくご存じでらっしゃる。

本土の方では、いまだにずいぶん揉めておられるらしいのですが・・・こちらでの彼女は、ひく手数多あまたになるのではないでしょうか」

だいぶ、誇らしげな返事だ。

戒律に固い動きしかできない本部方の保守派などよりは、地方の人間は柔軟にやっている、ということだろうか。

「そうですか・・・。では」

一也はきびすをかえすと、あとからやって来て自分に注目していた多くの信徒に気づき、無難に微笑む。

歩き出して全員を後ろにした時には、難しい顔つきになっていた。

・・・どうやら今は、東雲助祭によって、敵、味方ともに苦い薬を飲んだような事態になっているらしい。

「もう”貴方たち”と、教会が本腰を入れるような争いなんて、ありませんよ」と先ほどの青年には言われた。


だが、一也はそれほど宗教に、いや、『聖典』に柔軟な希望など抱くことはできなかったのだ。


「・・・信仰ってやつは、神を信じるってやつは、逆にそれ以外に対しての、永遠の宣戦布告みたいなものじゃないのか?」

少年は、めったに見ることのない、正道教支館の出口からの風景に、不吉さのようなものをおぼえていた。


日が傾いて、オレンジに溶けるような熱が、足元のアスファルトをねばつかせている。

”何かを言い張るのなら、必ずそこに敵は現れるだろう”


それが、長い時間を生きてきた彼の、正義白と黒のあり方だった。

たとえどんなに偉大な預言ーー神からの”預かりごと”だとされていても、それが争いの元凶になるのなら、真理からは遥かに遠い場所にあるのだ。


確かな行くあてもない、夜の街へと足を向けながら、一也はなぜか古傷がうずいて肩を押さえていた。

いつの間に聞こえてきたのかは、分からない。

しかしそのとき彼の頭の中には、遠い昔に聞いたことのある、不死の終わりのうたが響いていたのだ。






――――――――――――――――――――






(あら・・・)


突然ふくれ上がった魔力に、一也のあるじである橘かすみは、自室のベッドで頭を起こしていた。

タワーマンションの上階、大きく切り取られた窓から、夜景を眺めようとする。


「?」

ふいにその時、腰にくすぐったさを感じたが、そちらの方は気にせずに、闇にともる光点と、それによって生まれる影すべてを、眼の中に入れていった。


ーーごめん、起こしちゃったわね。

横にいた青年が鼻を寄せているのを撫で、また彼女もゆっくりと枕にもどっていく。


・・・これは、やっかいな事態になってしまったのだろうか・・・。


(サージェンカ、なかなか良い眷族をそろえているようね)

深いため息で、少女の裸の胸のあたりが温かく波打っていた。

同族でも最高位レベルの、橘ほどの巨大な妖気を持つものは、およそ他者に対する感知能力センサーも、バカになってしまう。

だが、日頃から節制した生活をしている相野一也を出し抜いたというのなら、その繊細さもまた、脅威になり得るのだ。

(・・・この、近くでの跳ね上がり方は、水上紗良がやられたか・・・。例えそうじゃなくても、あれほど注意してやったのに)

橘は、眠そうにまぶたをこすっている。

小者の吸血鬼でも、並のエサより上質な、高純度の生気なら、それを多くの魔力として身体に取り込むことができるのだ。

中には、集めた生気を凝縮させてしまう小器用な者もいるが、なるべく上物の獲物がほしいのは、彼女のような強大な器の魔物ではなく、むしろ”どうでもいいスカスカの生気”でもすぐ腹が一杯になってしまう、ルドたち低キャパシティの吸血鬼である。


まったくあいつは ーー ちゃんと責任、とれるんでしょうね・・・。

そう思いながら、彼女はどこか投げやりに寝返りをうち、目を閉じてしまった。


・・・かなり以前のことになるが、あれでも相野一也は、規格外のうつわを有していたのだ。

眷族らしからぬ、ヘンな魅力もあって、だがいつのことか、教会につけ込まれて呪われた身体になってしまった。


ヴァンパイア=ロスト呪われた命の昇華ーーとは少し違うけど、おかしな能力になってるのよね、アイツ・・・)


夜魔のたぐいのくせに、夜更けにも弱くなったし、自分も半端な男を部下にしたなと、橘は眠りについていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る