フリーチャーチ

教会の追っ手であるイレイナ=フレードは、迷いをかかえたような表情で、街並みを見下ろしていた。


彼女は、正道教支部の建物の屋上で、ひとり喧騒に耳をすませている。

(・・・ここは、ずいぶん混沌とした土地ねえ・・・。それも、多くの人種や宗教思想が交錯している、というより、島国のせいかしら。寛容な心のめぐりが、最後のところで他者をよせつけないーー良い回転であったり、深いよどみを生んだりして・・・。これは、苦労しそうだわ)


姉妹シスター


そのとき、不意に呼ばれた声にふり向くと、この国に同行してやって来た部下が、あがってくる所だった。

「日本の支部の方たも、協力してくださるそうです。『ルド』の捜索をーー」

それは、良い経過報告のはずだった。

しかしその修道女の顔はどこか曇っており、後から階段を登ってきた数人も、同じような心情らしかった。


ーーおそらく、この支部の方々では、ルド一族と戦うことはおろか、発見すら不可能です。

そう言いたそうな部下を目で制し、イレイナはかすかに微笑んだ。

「それは、私たちにも責任があることです。この地に、新たな魔を侵入させてしまった。そして今、一人の”助祭”の命に、危険が迫っています」


「・・・」

周囲に控えた修道士たちは、それでも、疑念をふくんだ表情を変えることはなかった。

イレイナは、かるく肩を持ち上げると、そのまま力を抜く。すこし疲れたように、視線を風景にもどしていった。


ーー皆が、全霊で敵を追っていればーー

こんな東の果てまで、そして、守るべき”助祭”の元まで、奴らをたどり着かせることはなかったのかもしれない。

過去に比べて、魔よりも、人間そのものに脅威や深刻な事案が増え、弱者こそが有する嗅覚の鋭さを、もう人は失ってしまっているのだ。

それに加えて、教会の現状も、時代によって肥大化する人心を受け入れられているとは、言い難い。


(・・・)

”彼女”は、いつも風に祈りをささげていた。

礼拝堂の中ではなく、天を仰ぎ見るでもなく、ただ、目の前に神と人がいるかのように。


(レイコ・・・本部から敬遠されて、こんな所へ送られるなんて、あなたもずいぶん大きな存在になっちゃったわねえ)

イレイナは、困ったように眉を下げていた。


なぜだろう。同じ『神』を信じているはずなのに、宗教には、必ず”異端者”と呼ばれる人間が生まれるのだ。

いったいいつから、変わるはずのない彼女が、そういった存在になってしまったのか。



『ーー真理は、人を自由にする』



聖句による月並みな教えだが、レイコはその言葉によって、本当の意味で自分イレイナ=フレードを救ってくれたのだ。

それは、どのような高司祭にも、司教にもできなかったことだった。


ーー彼女の存在を、ウソにするわけにはいかないのよね。

イレイナは、知らず風に祈りをささげていた。

それは、決して世界のためなどではない。

ただ、親しい一人の友人と、組織の都合で遠ざけられてきた、もっと昔に自分を救ってくれたはずの、本物の神の真理のためだった。





――――――――――――――――――――






その少年は、人がそれほど通らない、狭めの道路を歩いていた。


左手にある車道もあまり幅はなく、土地のひろさに余裕があるわけではない。

「・・・?」

だが、防音のためなのか、街路樹がみっしりと植えられたその場所で、一也はふと足を止めていた。

「ーー アルフ=ウエイン様でございますね?」

おそらく、通りすぎるまで並木に隠れていたのだろう。

まるで水底から浮かび上がってくるように気配を悟らせてきた女は、相当に弱い魔族のようだった。


「力を隠すのは上手いみたいだけど・・・キミは、あれか? もしかしてこのまえ日本に逃げてきたっていう、ルドなんたらとかいう奴なのか?」

「はい」

かしこまるように、その女はひざまずいていた。

「私はその眷族の一人になる、マリノ=サージェンカと申します。・・・ウエイン様に、お願いがあって参りました」

ふうん、といぶかしげに背をそらせ、一也は腕を組む。

人とすれ違うのがやっとの歩道なので、後ろから来た男性に、おかしなものでも見るように避けられしまった。


「う・・・。とりあえず立ちなよ。

僕が何かのクレーマーとかに思われちゃうじゃないか」

キョロキョロとそこらを見回し、少年は近くにあった駐車場へ移ることにする。

いつもはガラの悪いなんかいることがあるが、変に落ち着けるような、日陰のジメっとした空間なのだ。

それで、とまた話を持ちかけようとすると、今度は最敬礼の角度に相手は頭をさげていた。


「どうか、今回のことは手出し無用にございます!」

「だからやめてね! そういうの!」

少年があわてて女性を直らせると、自分よりぐっと高い身長に、のけぞる形になってしまう。

(この子は・・・個体そのものに、何世代にもわたった混血がありそうだな。ルドの出身は知らないが、中東か、東欧あたりで拾われたか・・・)

一也は、ノースリーブの上着を粗く開いた胸元から、全体に目をやっていた。

肌の色は濃く、髪も同様に日に焼けた混金ヘイジーブロンドで、体の均整は一度見れば忘れそうにないほど見事なものである。

「・・・まあ、何か問題になりそうだってのは、”先輩” ーー アイヴィ=ローランドから聞いてるからさ。どんな事情なのか教えてくれれば、同族なんだし。そっちに便宜をはかれるかもしれないよ」


まさかとは思うが、肝心かんじんの揉め事の原因も話さずに、「あなた方の領地で、好きに暴れさせてください」という願いでもないだろう。

「あ・・・理由、ですか?」

おい!

「お前はゆとりなの!? どこの国の?」

どう見ても容貌は年上なのだが、今の若者は、種族を越えて皆こんななのだろうか?

「すみません・・・。

まさかウエイン・・・いえ、相野さまほどの方が、我々のことを気にかけられるとは思えなくて・・・」

「ああ・・・」

何だ、そういうの? いやあ、まさかそこまで持ち上げなくてもいいって。

少なくとも、自分たちは見た目通りの年齢なんてことはないんだし、あまり怯えなくてもいいのか。


「・・・言っとくけど、僕たちの生活に関わってくるようならさ、すぐに対処させてもらうから。

どこの世界でも、ルールに触れるやつってのは、淘汰されるか王になるかが多いしね」

一也のその言葉に、マリノ=サージェンカはこくりと頷いている。


おそらくは、相野さま達にとっても、損になる話ではありません ーー

目を厳しくして、彼女が語りだした内容は、他宗に寛容で、さほど濃い宗教色をもたない極東を、揺るがすことになるかもしれない話だった。







「助祭を殺す、だって?」

少年がその言葉を聞いたとき、まず思い浮かんだのは、いつかの惨状の風景である。

「キミらは、かつて”大粛清”で何があったのか、まさか知らないってのか?」

まだ教会と魔族が表立おもてだって争っていたころ、誰にも止められない衝突が、一度だけ起こっていたのだ。

このマリノ=サージェンカたちは、いまの自分たちの平穏が、その反動でしかないことを知らないのだろうか。

「・・・いえ、いくら私どもでも、さすがにその様な事態は・・・」

それに、とこぶしを握りしめて、一也の目をじっと見つめる。

「助祭とは申しましたが、その人物は大きな流れに関わっており、教会は現在、危うい岐路にあるようなのです」

「・・・」

少年は頭をかきながら、何も言えなくなってしまった。

自分たちと同じように、正道教もまた、どこか必死な思いで生き残ろうとしているのかもしれない。


マリノ=サージェンカは、一也がさらに話をうながしているのを感じて、こわばった右手を開いていった。

「昨年のことですが・・・デンマークにある支部の一つが、自由教会フリーチャーチ化したことはご存知ですか?」

「ーー はあ!?」

まったく予想していなかった話題に、少年は頓狂な声をあげる。

「デンマークって・・・たしか ”教会税” をとっているところだろう? 国教として。・・・所得税の、数%とか」

「はい」

マリノはうなずくと、嫌悪感をわずかに噛みしめた顔をする。

「信徒がこの近年で減りつづけ、その改革のために、まだ助祭ながら民衆の支持が大きかった彼女が抜擢され、それを断行しました」

フリーチャーチ化・・・。

一也はよく解らない、というように頭をふっていた。

「だけど、税収がなくなったら、権威を気にするお偉方えらがたの一部なんかは、怒りだしたろうに。

『ワシらの約束された生活は、いったいどうするつもりじゃ!』とか、『クリスマスのこの地区のミサは、もう無しじゃ!』とか」


「そこは、徐々に折衝していくつもりのようですが、とりあえずは当地にいる篤志家たちが、税をまかなううという話を取りつけたようです。

・・・もともと、聖典による『レビ記』『申命記』などの、”すべての土地や農作物、家畜の十分の一が神のものである”という根拠の税収でしたので、正道教『原理主義聖書原文主義』にしてみれば、こじつけた徴収だったのですが」

「しかし、その助祭はまた、部外者のような仕事をしたもんだな」

彼は皮肉に笑ってしまいそうになった。まるで乱暴な、経営コンサルタントだ。

「ほかにも結構な額が、拒否していたはずの村人の自由献金で集まっており・・・。そして相野さま、問題はここからなのです」

ーー!

そういえば、何の話をしていたのか、一也は忘れそうになっている。

「えっと・・・? それで何か、僕らに不利なことでもあったの?」

おずおずと尋ねると、マリノはもちろんです、というように詰めよってきた。

「人が正道教から離れていく原因として、長年隠されていた”子女強姦”があったことはご存知ですね?」

「・・・ああ!」

あったあった、と少年は手を打っていた。

たしか『告解』なんかを利用したりして、密室で若い体をむさぼりつくしていたのだ。

過去50年だけを見ても、一国の支部で一万件を超える被害があったとも言われている。

「あれは酷かったよな~。むしろ正面から悪いことしてる 吸血鬼僕ら よりタチが悪くない?」

いくぶん同族意識のようなものを感じながら、一也は答えていた。

「あとはまあ、資本主義がどんどん進んでるせいか、教会税を逃れるために離反する人間が出たり、 ”神のもとに平等” なはずなのに、『位階』や、豪勢な『典礼』かあって、権威が集中する形になっているというか・・・。まあそういうことは、僕たちよりプロテスタントから言われてるのか」

ほう、と静かに息を吐いて、マリノは下を向く。

「しかし相野さま、今回の動きにより、その改革された地域の信仰心は、上がってしまったのです」

・・・ふむふむ。

やっと一也は、彼女たちの立場が分かりかけてきた。

住んでいる土地の信仰心が高まってしまうと、自分たちにはつらい将来が待っている。

夜にしか動けない昆虫が、永遠の白夜を迎えてしまうようなものなのだ。

「ーー それで、その原因になった助祭を殺す、ってわけか」

「もちろん、私の主ルド=サージェンカは、いきなりそう決めたわけではありません。もともと、私たちは縄張りを持たない一族だったのです」

マリノは、何らかの形で ”助祭” が関わってきたのは、これで二度目になります、とうめくように言った。


「この縁は、相手が生きている限り、苦しみをもたらし続けることになる ーー。

・・・キミらの主は、運命論者なのかな?」

一也は、やや同情したように声をかけていた。


「長く生きておられる方に、そういった考えを聞かされたことはあります。

・・・世界は恐ろしいほどのバランスで成り立っており、自分のわずかな行為にも、きちんと同等の代価をもたらすと」

マリノは、寂しそうに笑う。

「・・・我々の主にとっては、相手の命を奪うことが、己の利益を取り返すことになるのでしょう」


話を受け入れてくださり、ありがとうございました、と彼女は頭を下げていた。

・・・えっ?

まさか、いまの流れで僕たちが、彼女らの自由を許したことになるの?

一也が多少面食めんくらった様子でいると、マリノはふたたび膝をつき、返事を待っている。

「ま、まあね」

と彼が答えると、そのまま現れた時のように、姿をどこかへ消してしまったのだった。


・・・ああいうのは、純朴な性格と言うべきなんだろうか・・・。

少年は、後ろに手をやり、疲れた老人のように、トントンと腰をほぐしていく。

どうもこのところ、肩がこるような話ばかりだ。


「でも、あの子はたぶん、もうすぐ死ぬんだろうな・・・」

どこか懐かしく、うつろな景色を見るように、一也はつぶやいていた。

彼女の言っていた、”大きな流れがある” という言葉が、どうしても胸に引っかかってしまうのだ。

かんは悪くないようだったし、放っておいてどこぞの教徒に殺させてしまうには、惜しい人材かもしれない。


ーー『ルド』とか言ったか。お前の部下は、おそらく正解を見ているぞ。


まだ見ぬ来訪者に、少年は語りかけていた。

”本物の” 運命論で考えるのなら、彼らは教徒個人ではなく、教会全体でもあらがうことができない、”環境”としての攻撃を受けているのだ。

その時代の変化は、受け入れがたいものかもしれないが、そこで争うなら、どこぞの原理主義と同類になってしまうだろう。


「変わらないまま偉そうに居座りたいっていう、傲慢な腕力は、時代においていかれるもんだぞ・・・」

自嘲をふくんだ眼差しで、一也は歩き出していた。




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