第1章 歯車が目を覚ます(1)
私は肩をたたかれて目を覚ました。なぜこんなところで寝ているのだろう。
「君、大丈夫?柏木瀬奈さん?あの、こんなところで女の子が寝てちゃ危ないと思うよ」
柏木瀬奈って誰のことだろう。だって私の名前は―。わからなかった。いくら頭をひねっても思い出せない。理解できるのは私は今先ほどまでこの真昼間の街の細い通りで一人で寝ていたということだけである。
「あれ?瀬奈さんじゃない?」
少年は訪ねてくる。
「そ、そうかもしれません」
我ながら意味不明な回答である。だがそう答えるほかなかった。
さすがに少年もおかしいと思ったのか、困った顔をして何かを指さしている。おそらく指しているのは私の胸だろう。指さす先を見てみるといかにも病院の服です、と主張している病衣の胸に、「柏木瀬奈」とネームプレートがつけられていた。―ということは私は柏木瀬奈なのだろう。しかし、それが自分の名前かどうかすら思い出せない。さらにいえばなぜ名前すら覚えていないのかさえ分からない。
「そうかもって、自分の名前だろ?」
「ごめんなさい。なにも覚えてないの」
「なにもって……。つまりは記憶喪失か?」
「多分そうだと思います。覚えてないからなんとも言えませんけど」
私は立ち上がろうとして不自然なことに気が付いた。靴を履いていないのだ。それどころか病衣以外何も身に着けていない、という方が正しい。
「とりあえず、僕の家にでも来るかい?」
この人は何者なのだろう。初対面の女性を家に連れ込もうとするなんて。
「ああ、申し訳なかった。確かに『家』というのは誤解があったかもしれないね。正確には研究所だ。ちゃんと女性研究員もいる」
私の思いが顔にでていたのだろうか。少年はばつが悪そうに弁明した。まぁ、家でないならまだいいか。どちらにせよほかに行く当てもない。
「そういえば、まだ名乗ってなかったね。僕はトオルだ」
「トオルさんですか。よろしくお願いします」
「トオル、でいいよ。さんだなんて他人行儀にしなくたって。それと、僕に敬語は使わないこと」
そういうとトオルはウィンクした。
「は、はい。じゃなくて、うん。わかった」
こうしてみるとトオルはなかなかのイケメンだ。アイドル事務所にスカウトされていないのが疑問に思えるくらいに。
それにしても不思議だ。記憶喪失とはもっと怖いモノだと思っていた。案外何とかなる気がする。―というより、きっと以前の私がそういう性格だったからなのだろう。楽観的、とでも言うべきか。トオルの話声が聞こえる。どうやら研究所とやらに電話をしているようだ。
『あー、もしもし。凛さん?あ、だからそうじゃなくて、それは貴女が出席すると……。はい、わかりました。で、問題はそこじゃなくて、女の子を一人かくまってほしいんだけど、今から迎えに来られない?そうそう。さすが凛さん、話がはやいね。……はい、ごめんなさい。位置情報は自分でしらべてよ。それじゃ』
トオルは電話が終わると自分のバッグをあさりながら、迎えがくると告げた。少ししてサンダルを差し出してきた。靴がない私を見て貸してくれたのだろう。ありがたく借りることにする。
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