第14話 幽霊 完
「お邪魔します、と」
一応のあいさつをしておき、俺は謡の家――、幽山家に足を踏み入れた。
ここはリビングらしく、家族全員で食べるようなテーブルが置いてあった。
部屋の全体を見て、タンスの上にある写真を何気なく観察した。
生きていた頃の謡と、母親と父親。
三人が楽しそうに笑っている。
このまま生きていれば、ずっとずっと、幸せに暮らせたのではないか。
……今更、そんなこと言ってどうするのか。
俺は写真から目を逸らす。
「こっちだよ」と謡が俺を呼ぶ。
声がした方を向けば階段があり、俺は二階へ向かう。
母親が外出しているから当たり前だが、家の中は暑かった。
クーラーでもつけようと思ったが、母親が帰ってきた時に不審に思われても困るので、今はがまんだ。熱中症くらいは、根性でどうにかなるだろう。
二階に辿り着き、俺は一番近くにあった部屋の扉を開ける。
そこは――、
ベッドに寝そべっている謡がいた。
「懐かしいなあ」と言って、掛布団をぐるぐるに丸めて、抱き枕のように抱く。
そのまま眠ってしまうのかと思うほど静かになって、俺は慌てて謡を起こす。
「寝るなって」
すぐに、「寝てないよ!」と返事があった。
さすがにこんな緊張感しかない場所で寝れるわけ――、でもそれは俺だけか。
自分の家である謡からすれば、見つかるか見つからないかの今の状況でも、落ち着くことが普通なのかもしれない。
久しぶりの自分の家で、自分の部屋だ。存分に楽をしてくれればいい。
「ゆっくり休んでていいよ。俺は色々と漁ってくる」
「下着を?」
違うわ!
「ブラを?」
なぜ下着方面にしか思考がいかないのか。俺は心配だ。
「お前の母親が、お前の死について、なにか知ってるかもしれない。
だからそいう手紙とか、あるんじゃないかなと思って」
「そっかー」
他人事のように言われた。
言っておくけど、お前のためなんだけどな、一応は。
「……ありがとう、虚君」
不意にそう言われ、俺は戸惑った。
「……いいよ、そんなん」
ギリギリ、いつも通りに答えられただろう……答えられたのかな? 自覚はないけど。
「変わらないね。なにもしたくない、関わり合いたくないとか。
文句をたくさん言いながら、自分をクズとして見ながら――」
謡はそんなことを言う。
「他人には厳しく、他人のことなんてどうでもいいと言って……。でも、自分が認めた人には苦労なんて関係なく、手を伸ばしてくれるもんね、虚君は」
「そんなことはないよ。そんなことはない」
俺は言う。
「説得力がないよ」
謡は、ふふ、と笑っていた。
「それじゃあ、後は頼んだよ。頑張ってね、うつろんろん」
「……分かったよ」
俺は部屋から急いで出た。
これ以上、あそこにいれば、謡に全てを見透かされそうで怖かった。
自分でも知らない、自分でも分からない、自分のことを暴かれそうで。
俺は逃げたのだ。
格好悪く、情けなく、間抜けに恥じを晒して。
だから俺は、謡が言うような奴じゃない。
やっぱり俺はクズなのが、ちょうどいい。
一階に下りて、タンスや机や冷蔵庫に貼っている紙など、隅から隅まで探したが、特に謡に関するなにかを見つけることはできなかった。
やはり家族全員(と言っても、二人だ)が集まる場所には、謡の『死』について、など、置いておきたくはないのだろう。
謡が映る写真は、この階の、唯一の物だったのかもしれない。
「ここは、もうないな」
俺は二階をとばして、三階へ向かった。
母親は日中には帰ってこない、という保証はどこにもないので、もたもたはしていられない。
用事が済んだら、すぐにでも帰りたいところだ。
しかし、その焦りが失敗を生む。できる限り落ち着け。落ち着けなくても、無理やりにでもいから、落ち着け。そう言い聞かせて三階に辿り着いたところで、
「……当たりか」
そう呟いていた。
三階は謡だらけだった。
謡の写真が百枚以上あり、小学校の時に取ったのだろうか、賞状がたくさんあった。
通知表など、全て取ってある。うわっ、しかも『5』ばっかりだ。
できる奴は最初から違うのか。
「おっとと、あまり遊んでいられないな」
意識をすぐに切り替える。
あまり探したくないものだけど、これがないとなにも解決しない。
俺は謡の死因について、情報を漁り始める。
しかし、一向に出てこない。
逆に、死因ではなく、それよりも気分が悪くなるようなものばかりが出てきてしまった。
俺はこの時、人間の怖さというものを感じた。
ランドセルに書き殴られた、『死ね』という文字。
びっしりと、赤いランドセルに黒く、まるでアリが集まっているかのようだった。
「……うっ」
吐き気がする。
人間の悪意に。
謡が貰った中学校の頃のテスト用紙。どの用紙にも『カンニング女』や、『ズル』や『卑怯』と書いてあった。しかも油性ペンで、だ。消させる気などなく、ずっと残すために書いたとしか思えないものだった。
吐き気が悪化するばかりだ。
遠足などの、集合写真。
もうどうなっているか、予想ができた。そして、予想は的中する。
集合写真、謡の部分だけ、塗り潰されていたり、切り抜かれていたり……。笑顔を塗り潰すように。よく写真の中で笑えることができたな、と、俺は謡の精神力に感心した。
だけど、吐き気は悪化に悪化を重ねていく。
これが人間の悪意。
人が誰かを潰したいと思った時の行動力。
人と人が集まって、さらに増えて、集団になる。
いじめと言うには甘過ぎる。
こんなの、こんなのはもう、殺人と変わらない。法で裁くべきおこないだ。
「全員で、クラス全員で、謡を死に追いやったのかよ……ッ」
名前など知らない謡のクラスメイトに殺意を覚える。
今すぐにでも一人一人の家に行って、一発どころじゃない、顔の骨格が変形するまで殴りたい気分だが、そんなことをして、謡がどう思うのか。
それを考えれば、衝動的な感情を抑えることができた。
俺はこんなことを、こんな結果を、こんな現実を、謡に伝えなければいけないのか。
そんなこと、できるわけない……したくない。
「言えるか、こんなこと――」
言えば、謡が壊れてしまいそうで。
俺はその場から動けなくなっていた。
すると、足元にひらり、一枚の紙が落ちた。
どうやら手に持っていた書類が、一枚、こぼれてしまったらしい。
「書類?」
書類。俺はそれを手に取り、読んで、そして。
思わず部屋を駆け出した。
階段を勢いよく下りて、途中、躓き、床に思い切りダイブしてしまったが、どうでもいい。
すぐにでも謡の元へ行く必要がある。
もしも、もしも、あいつがあれを見つけてしまったら、あいつは――。
しかし、遅かった。
俺の行動が実を結ぶことはなかった。
努力は嘘をつかない、なんて、誰が言ったのだろうか。
確かに嘘をつくことはないだろう。だけど、それが必ずしも、結果に繋がるとは限らない。
今の状況はまさにそれ。俺は、結果を出すことができなかった。
「謡……」
『うつろんろん。もう満足。今までどうもありがとう ――謡』
そう書き置きがあった。
謡の姿はもうどこにもなくて、俺は膝を床に落とす。
手に持っていた書類がひらりと地面に落ちた。
偶然なのか、必然なのか、書類は表向きになって、そこに書いてある一つの項目が俺を向く。
――幽山 謡 ……死因『自殺』
「ち、くしょう――」
謡は読んだのだ。自殺する直前に書いた、死んだ後の自分に向けた手紙を。
そこには全てが。
霊体である謡を満足させるようなことが書いてあったのだろう。
満足。なにが満足なのだろうか。俺は満足じゃない。全然全然、満足じゃない。
満足であってたまるか!
でも、でも、もう謡はどこにもいない。成仏してしまったのだから、もうどこにもいない。
俺の目の前で笑ってくれることも、冗談を言ってくれることも――うつろんろんと呼んでくれることも……もう二度と、ない。
一生、ないのだ。
―――
――
―
―
――
―――
【……try again?】
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