第12話 幽霊 弐
淡が言うが、俺にとっては、この現象を見て、咄嗟に動けるわけではない。
かちかちに固まってしまった体を無理やりに動かそうとすれば、ギギギ、と、故障したロボットのように、ぎこちない動きになってしまった。
その隙に、俺の横に――ガシャンっ、と三角フラスコが飛んできた。
勝手に、誰かが手に取って投げたのではなく、
フラスコ自身に意思があるように、飛んできた。
ポルターガイスト現象。
今の状況はまさにそれだ。
今が夜ならば、まだ雰囲気はあったと思うが、今は昼だ。
心霊現象としての威力は低いと思うが、物理的な攻撃をメインとするのであれば、威力が高い。当たれば怪我をしていたはず……、当てる気があれば、だが。
さっきは驚いてしまい、体が上手く動かなかったが、頭の中で整理していく内に自然と体が正常の状態に戻ってきた。
勝手に物が飛んでくると言っても、銃弾でも爆弾でもなく、日常にありふれている、ただの器具だ。とは言っても、三角フラスコなど、日常的に使うわけではないが、それは別として。
飛んでくる軌道を読むくらいは、どうってことない。振り払う事も同様にだ。
飛んでくるスピードは遅い。
俺に向かって飛んでくる三角フラスコ――ではなく、少し形が違う、あれは確か、枝付きフラスコだったな……それを右手で掴み、ほっと息を吐く。
「……当てる気がないから、掴めたけどさ」
俺は周囲をぐるりと見渡す。
しかし、いるのは淡だけ。その淡は宙に浮いている化学室の器具と格闘中――、というか、一方的に叩き壊しているだけだった。そんなにストレスが溜まっているのか? 少し不安になる。
「どこにいるんだ、おいっ、謡!」
呼んでも返事がない。当たり前か。あっちは逃亡中であり、鬼である俺の頭を狙っているのだから、姿を現すことはまずないだろう。
まったく、面倒くさい奴だなあ……。
俺が歩き出そうとした、その時だった。
「ばぁ」
という二文字が聞こえてきて、俺の頭に重みを感じた。
あれ? 重みを感じるのはおかしいと思うけど……、そんな先入観がまずいけないのか。
そういうのを全て取っ払った上で確認してみると、俺の頭の上には、中学生のような体格で、茶色の髪をサイドテールにしてまとめている少女がいた。
彼女が大声で、
「これで、謡の勝ちだねー」
と。
妖怪ではなく、幽霊の少女が、楽しそうに俺の頭にしがみついていて、一向に離す気配がなかった。さっきから、ぎちぎちと締め付けられていて、すごく痛いのだが……、そんなことを言えば、さらに強く締め付けられるだろう。
分かり切っていることなので、俺はなにも言わずに、今の状況を受け入れた。
一旦、落ち着き、化学室の中でのことだ。
謡は俺と淡の目の前を、ふわふわと浮いていた。幽霊だから足がない、のだと思うが、しかし俺は見ている。
コイツ、この前、普通に学校の廊下を歩いていたし。
足あり、足なしで切り替えられるのか? 幽霊と言っても、曖昧な設定をしてやがる。
「幽霊のことを知った風に話しているけど、
うつろんろんに幽霊の事が分かるとでも言うのか!」
目をぱっ、と見開いて、詰め寄ってくる謡。
勢いがあり過ぎたのか、謡の体が俺をすり抜けていく。
すると、すぅっ、と元の位置に戻ってきて、
「あはは、間違えたっ」
「怖いわ!」
俺の視界が一瞬、暗くなってすぐに明るくなった!
仕組みは分からないけど、分かる気配がまったくしないけど、というか、分かりたくないのでどうでもいいけど! 今、すごい体験をしているのだろう、というのはよく理解できた。
「そんなに怒らないでようつろんろん」
「その名前で呼んだら次はぶっ殺す」
「もう死んでるんだけどね」
悲しげな表情で謡が言う。さすがに、気が回らなかったようだ。
俺はそれ以上なにも言えずに黙っていると、
「うつろんろん」
……コイツ、ぶっ殺そうかな……。
「うつろん、うつろん、うつろんろん」
歌うんじゃねぇよ。
「うつろんうつろん、うつろっち」
おい、お前までどさくさに紛れて挟むんじゃねぇ。
「なんでそこまで嫌なのか、理解できないよ、うつろ……こほん、うつろんろん」
なにも変わっていないのは、言った方がいいのか? いや、この程度のことにいちいち反応していたら、一秒と休まる時がなさそうなので、やめておこう。
体力は温存だ。あとは、張り切らないことを心に刻んでおこう。
「なぜお前らは俺の名前を普通に呼ぼうとしない」
すると一瞬で、
「私は呼んでるだろうが」
淡が反撃してきた。確かに、淡は呼んでいるけど。
「ああ、なら淡はいいよ別に」
「それだけか。それだけで済ませるのか。
あーあ。私も一緒に怒鳴られて、恐かったというのになあ」
分かりやすい。分かりやすいほどの挑発だ。
まだ足掻いてもいいけど、しかし、そうすると無駄な体力を使うことになりそうだ。
素直に謝った方が賢明。淡に向けては、それが一番有効だ。
「悪いな。それでさ――」
「うわ、感情がない冷たくて寂しくて素っ気ない謝罪がきた」
「それでさ、俺が言いたいのは、謡の方なんだよ」
「しかも清々しいほどのスルーだ!」
淡が、「うわー」とキャラ崩壊を起こしているが、わざわざそれについて、コメントを入れる必要もない。
俺は淡を視界からはずして、謡と向き合う。
「もっと言いやすいあだ名にしてくれよ」
「うつろんろんではなく?」
謡が小首を傾げる。
「うつろんろんではなく、もっと言いやすいような名前だ」
「うつろんろんろんろん」
酷くなってるし、言いやすくないだろ。
「うつろんろんろんんろんろおん」
って、噛んでるじゃねぇか。
「痛い、舌噛んだ。噛んだった」
「なんでやってやった、みたいな言い方なのか疑問だけど、少しおとなしくしていれば治るよ」
「うん」と謡が返事をした。
こうして見ていれば、中学生らしくて可愛いと思うのだが……。
幽霊だからやりたい放題だという事に気づいたのか、コイツは毎日のように、自由気ままに過ごしている。
さすがに心霊現象を起こすわけではない。
ずっと俺の横に居たり、たまに人前で話しかけてきて、俺がいつも通りに話してしまい、恥じをかいたことが何度もあった。最後のは俺の自業自得なので謡のせいではないが。
謡は、子供のまま死んでしまったのだ。だからこそ、死んでもなお、幽霊になってもなお、子供のまま、子供に必ずある色々な欲求が、爆発してしまった。
楽しみたくて知りたくて教えたくて忘れたくなくて、刻み込んでおきたくて。
幽霊のまま、どこまでのことができるのだろうか――と。
謡は第二の人生を、充分に楽しんでいると言えるのだろう。
俺は別に、謡がどうなろうが、どうしようがどうでもよく、なにかを止めはしないし、勧めもしない。好きにやれよ、と言うだけだ。
だけども、謡が動くだけで、
俺ではない普通の一般人には――微かな、ほんの少しのことなのだが、迷惑がかかっているらしい。謡とは友達だ。だから俺としては、あまり気にしないが、他人からすれば、明確に『有害』なのだろう。
友達でもない誰かが言っていたと思うのだが……誰だったか、思い出せない。
謡は幽霊だ。
いるだけで誰かに迷惑をかけ、被害を出してしまっている。
しかし、だ。
しかし、そんなことはどうでもいいだろう。俺に直接、被害があったわけではない。
俺の知らないところで勝手に起こっている些細なことだ。
悪い言い方かもしれないが、知らない赤の他人がどこで死んでいようが、俺には関係ない。
知ったことか、という感想しかない。
そんなことを考えていると、
「あ、治ってきた」と謡が嬉しそうに言った。
今更だけど幽霊にも痛みがあるのか。意外だ。
舌をべーっ、と出した謡に、「傷はないよ」と教えて、
「そう言えば、お前が鬼ごっこで勝ったんだから、願い事、言ってみろよ。
俺の力を越えない限りは、なんでもじゃないが、叶えてやるから」
そういうルールだから、嘘はつかない。
「そうかー、なにをしてもらおうかなー」
人差し指を顎に添えて、考える謡。
数分が経ったところで、
「あ!」
「ん?」
「じゃあ、行きたいところがあるから着いてきてくれるかな、うつろん!」
もう名前に関して、突っ込むことはしないと決めた。
それが呼びやすい、と言うのであれば、もうそれでいいよ。
俺ですら慣れてきたし。
「分かった」
言って立ち上がると、
「私は?」と淡。
「あ、淡さんはダメです」
「なぜだ!」
だんっ、と淡が勢いよく立ち上がった。
「それじゃあ私が暇じゃないか!」
それは知らない。謡も同じ感想だったようで、
「他にやることがあるでしょう……。
ないなら探してください。それでは、わたしたちはこれで!」
謡が俺の手を引っ張っていく。
今度は宙に浮いているのではなく、しっかりと地に足つけていた。
そして、最後に謡が、淡に向けて強気な口調で言い放った。
「謡が勝ったんですから、おばさんは黙っててくださいよーだ!」
「なっ!?」
という声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
ぞぞぞ、と感じた恐怖感を、必死に押し殺した俺だった。
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