第10話 雪女 完

 ――俺は久しぶりに感情が沸騰し、爆発しそうだった。

 さっきの、耳を貫く叫びよりも、大きな声で怒鳴りつけそうな気分だった。


 ここでやっと、静玉がなぜあんなにも落ち込んでいたのか分かった。

 それはお別れ会だったからなのだ。


 確かに、送る方は楽しいかもしれないが、送られる方はたとえパーティだろうと、楽しいわけないだろう。しかも、送る方は笑顔だ。無理やり笑っている感はするが、しかし俺には分かる。


 あれは心の奥で喜んでいる奴らの顔だ。

 表面上では悲しい悲しいと感情を出して、そんな偽りで作られた悲しい感情を消すために、無理やり笑って、しかし心の中では別れることを望んでいる。

 そんな汚く腐った心が、見え見えだった。


 だから俺は思う――ふざけんじゃねぇよ。


 気づけば、俺は豪勢な料理が並んでいる机を、ばんっ! と手の平で叩いていた。


 全員の視線が俺に集中するほどの大きな音が部屋に響く。

 俺も、こんなことをしてしまうなんて思ってもいなかった。まったくの予想外だ。


 しかし、気分は悪くない。

 ここからもっともっと暴走してしまいそうな、そんな危ない感情が芽生え始めているのを、俺は自覚していた。だが、それを止めようとはしない――できない、する気がない。


「おいおい、雰囲気をぶち壊してくれるなよ、うつ君」


 王玉が言った。もう、さん付けで呼ぶほど、この人に敬意を払う気がない。

 それに、雰囲気? よくもまあ、そんなことを言えたものだ。

 吐き気しかしないようなこの雰囲気を浴びせ続けられる、こちらの身にもなれ。


 こんな感情を分かってもらう、というのも、無茶な話だろう。


 もしも俺の感情が分かるのであれば、

 まず、こんなパーティなど、すぐにでもやめさせるからだ。


「うつ、いいんだよ」


 静玉が俺の腕を掴む。

 ふるふると震えているのは、恐怖なのだろうか。

 それとも家族から見捨てられたショックなのだろうか……それとも、両方か。


「いいわけあるかよ。こいつら、腐ってやがる。なにがお別れ会だ。なにが生贄だ。

 お前が、家族がいなくなるのに、心の中で笑ってやがるのが、許せねぇんだよッッ!」


 すると、


「おい」


 俺よりも身長が小さい少年が、敵意を向けてきた。


「誰が喜んでるって? なにか証拠でもあるのかよ。こっちだって、悲しいんだよ!」


「よくもまあ、そんなことをわざわざ言えたもんだな。

 じゃあ、少しでも思ってるなら、こんなパーティをすんじゃねぇよ。

 名前だって、ふざけやがって。生贄? お別れ? なんでそこを強調するんだよ。

 それに、誰も静玉を慰めようとしないじゃねえか。結局、静玉をだしにして、お前らがパーティを楽しみたいだけだろ。厄介ごとを静玉に押し付けただけだろ――。

 お前らに乗っかっていた荷が下りて、安心してるんだろうがッッ」


 俺の、連続で飛び出す言葉に、しかしダメージを受けている様子はなかった。

 まるで、俺がどれだけ吠えたところで、

 もうどうにもできないというのを分かっているかのように。


「で、どうする?」

 王玉が聞いてくる。

「お前は一体、どうしたいんだ? 静玉は生贄になる、それは変わらないことだよ。

 どうしようもない、私にだって、お前にだって――、

 静玉自身にだって、どうにもできないことなのだから」


 だから諦める、とでも言うのだろうか。

 負け犬の発想だな、まったくもって、俺と同じだ。


「諦めない。だからと言って、立ち向かう気はない――」


 俺は言う。


「背を向ける。逃げることが、ダメだなんて誰が決めたんだ?」



 言い終わった後、俺は静玉の手を握って、


「走るぞ!」


 誰にも触れさせないように駆けて、部屋から飛び出した。



 縁側を駆けて庭に下り、外に逃げようとしたが、


「待ってっ、うつ、う、つ……うつ!」


 静玉が後ろで呼んでいる。

 とてもじゃないが俺の名前を呼んでいるとは思えないのだが……、しかし、それに反応するわけにもいかず、すぐでもここから逃げようとしたが――気づけばいつの間にか囲まれていた。


 うっかりしていたわけではないが、不意を突けば逃げ切れると甘く見ていた。

 できるわけがない。相手は妖怪……、雪女と雪男なのだから。


「あまり干渉しないでほしいよ、うつ君。君は静玉と仲良くしてもらっている、数少ない友人の一人だ。まあ、隠していたのは悪いとは思っているが、これは私たち妖怪一族の、『やらなければいけないこと』であるのだから」


「それが、生贄かよ……っ」


 俺は敵意を向けて言う。

 王玉が、それに頷いた。


「上下関係というものは、必ずどこの世界にもあるものだ。

 そして、私たちにもな。上から命を守るために、生贄を差し出さなければいけない。

 そういう仕組みになっているのだ。十人の命を救うために、一人の犠牲を払う。決して軽くはないが、でも、安いものだろう?」


 そうなのだろうな。一人を殺して、十人を救う。最善なのだろうな。


 最善、最善、最善――、んなもん、クソ喰らえだよ。



「勝手なことを言ってもいいか?」

 俺の問いに「どうぞ」と王玉。


「戦えとは言わねえよ、勝てないからこその、答えなんだろうな……これが。

 最善なんだろう。だったら――逃げよう。ここを捨てて、どこか遠くに。

 俺の知り合いに妖怪がいるんだ、そいつに頼れば大丈夫。安心してくれ――と言っても、無理か。でも、安心してくれ、信じてくれ。俺はお前らを騙さない。

 俺はただ、静玉に死んでほしくない……だけ、なんだ、か――ら」


 途中から、俺の言葉から、どんどんと力が無くなっていく。

 それの原因がなんなのか、よく分からなかったのは、感覚が麻痺しているからか?


 だとしたら、なぜ麻痺しているのか。

 なんなんだ? なんで、冷たい? 冷たい――氷、雪、雪女……、静玉?


 体の芯が急速に冷えていくように、がくがくと体が震え、視界も狭まっていく。

 どんどんと真っ黒に、視界が塗り潰されていく。


 これはまぶたが下りてきているから?

 俺はまた、気絶してしまうのか……こんなところで? 

 こんな中途半端なところで? 静玉を救えない、このままか?


「ごめんなさい、うつ」


 静玉の声が聞こえてくる。


「どう足掻いても、どうしたって、もうどうにもできないんですよ。

 ……もう諦めてよ。妖怪のことに首を突っ込んじゃ、うつがもたないから。

 だからさ、楽になって、いいんだよ……」


 そんな呟きを耳元で聞かされる。

 ふぅっ、と静玉の吐息が耳に当たって、パキパキと凍っていくが、俺の感覚は麻痺していて、痛みもなにも感じない。


 そして、最後の一言が告げられた。



「つらいことはまだまだある。けど、次こそは救ってくださいね?」



 俺の意識はそこで途切れて。


 静玉と出会うことは、もう二度となかった。



 ―――

 ――

 ―


 ―

 ――

 ―――


【……try again?】

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