二の解 ……階段を下った場合

第7話 雪女 壱

「まずは下に行ってみるかな」


 という俺の選択に、


「まあ、妥当なところだな」と淡。


 なにが妥当なのか分からないが、

 淡が言うのならば、そう感じたというのならば、そうなのだろう。


「下は二年生の教室だよな? 誰もいない……よなぁ」


「さぁな、それは知らないが」と淡が言う。

 テキトーだ。

 どうでもいいという気持ちは分からないでもないが。


「いるわけないか。夏休みにわざわざ学校まで来て、教室に行くことなんてないだろうし」


 とりあえず、確認してみるしかない。

 そこに、もしかしたら逃亡者が隠れているかもしれないのだから。


 三階を一周したところで、報告してみるか。

 結果的に、誰もいなかったと言うべきだろう。

 ちなみに二年生ですら一人もいなかった。


「つーことはなんだ、また上に行かなくちゃいけないってことかよ……」


 あー、と頭を抱える俺に、淡は呆れたような声を出す。


「……まさかここに全員がいるとでも思っていたのか?

 それそれは、おめでたい頭をしているな」


 なんだか辛口な言葉を投げつけられている気がするが、これはいじめなのではないか?


「変なことを言うな。『いじめだー』は最低野郎の常套句じょうとうくだぞ?」

 お前の中で最低野郎はそんなことを言うのか、新しい発見だ。

「それはどうでもいいとして」


「自分でどうでもいいと言ってしまうのは、なんだか寂しい気持ちにならないか?」


「なるね。使っていた消しゴムが紛失した時くらいには寂しいね」

 欠片ほども思ってねぇな、コイツ。


「で、どうするか。また一周してみるか?」


 そんな俺の問いに、「ふむ」と淡が考え込む。


 指を顎に添え、思考途中らしいが、

 視界のど真ん中で手をぶんぶん振ったらどうなるのだろうか。少し試したい気分ではある。


「ていっ」

 ぶんぶん、やってみた。

「…………」

 しかし反応はなく、もう一度やってみるが――、


「…………」

 結果は同じ。

「つまらん」


「……一つ言っておくが、それはどう反応すれば、お前は満足だったんだ? 

 まったく分からん。思考回路が違い過ぎて、私には手に負えん」


 おい、なんだか、それじゃあ俺の頭がどうしようもないくらいにどうしようもないと言われているみたいじゃないか。


「そう言っているんだ、気付けバカ」


 淡の言葉が飛んでくる。

 遠慮がない……。


「そうこうしている間に、随分と時間を使ってしまったな。

 仕掛ける方もそろそろ動き出しそうな気がするが、どうする?」


 淡が俺を見て……、俺がどうするか、決めなくてはいけないらしい。

 今後の展開が俺の一声にかかっているとなると、さすがに緊張する。


「なら、分担作業というのはどうだ?」


「ん?」と驚きの表情を見せる淡。


「ほぉ、ほぉほぉ、それは中々、お前にしては頭を使ったのではないか、虚っち」

 復活させるな、それを。

「いいじゃないか、良い案だ。しかし少し悔しいのが嫌だな。一発だけ殴らせてくれ」


「もちろん嫌だけど」

 当然だ。

「じゃあ一発だけでいいから」

 

 おい。元々はもっと多く殴る予定で、仕方なく減らすのでお願いします――的なノリを出してくるなよ。


「させねぇよ? ファイティングポーズを取ったって、殴らせないからな?」


「ちぇー」と、文句がありそうな、いや、文句しかなさそうな声を出す淡。

 逆の立場で考えてみろよ、と俺は言いたい。

 まあ、言ったところであしらわれるのが目に見えているので、あえて言わないが。


「とりあえず、淡はここから左回りに一周してくれ。俺はここにいるから」


「お前も回れよ」

 嫌だ、面倒くさい。

「面倒くさいと本音を言うのはいいんだが、正直過ぎるのもどうかと思うぞ?」


「嘘をつくよりはいいだろ」

 という俺の反論に、

「嘘をつかないのは当たり前だ。ついた瞬間に、私はお前を殺すと思う」


 淡が真面目に、冷静に言いやがった。

 恐いよ。今、全身が震え上がったよ。


「ま、嘘だけど」

 お前が嘘をついてんじゃねぇか。


「おいおい、私はついていない。憑いているんだ」

 それは妖怪というよりは、幽霊のイメージが強いけどな。


「まあ、どちらも一緒か」

 どうでもいいので、一括りにしておこう。


「いい加減な奴だな。幽霊と妖怪の違いも分からんのか」


 え? もしかして――、


「違いってあるの?」


「ないよ。あるかもしれないけど、私は知らない」


 ちくしょう、期待した俺が馬鹿だった。


「そんなどうでもいいことを話してる場合か、お前は」


 淡が責めてくるが、俺の会話相手はお前であって、お前もノリノリで話していたことを俺は突っ込むべきなのだろうか……。


「虚、言っておくが、突っ込むべきこととそうでないことの見極めはきちんとな」


 了解、どうやら突っ込んではいけないようだ。


「話を戻そう。淡は左回り、俺は右回りに見て進む。分かったか?」

「分かってないと言ったらどうする?」


 どうもしねぇよ。その場合は、お前ずっとここにいろ。


「分かった分かった。不機嫌な顔をするな、虚っち」

 それ、気に入ってるなあ……。


「もう、いいから、行くぞ」

 俺は淡にそう言って、歩き出す。


 振り返れば、淡は俺と逆方向へ歩いていて、あちらも振り返ったところで、目と目があった。

 すると、小さな子供のように手をぶんぶんと勢い良く振ってくる。

 それに振り返して、目線を前に戻す。


 さて、一度見た教室をもう一度見るというのは面倒くさいなと感じながら、俺は二年生の教室を眺める。いない、いない、いない。さっきから机と椅子しか見てないな、俺。

 それ以外の生物を見れば、そこから鬼ごっこという苦痛としか言えないものが始まるのだから、現状維持で別に文句はなかった。


「はあ……」

 二年生最後の教室も誰もいない。

 残るは、空き教室くらいなものだが、本当にここに誰かいるとでも言うのか。


 さっきも入ったけど、しかしその時は扉を開けて中を少し覗いた程度だった。

 部屋の真ん中まで行き、全部を見落としなく探したわけではない。


「お邪魔しまーす、と」

 一応のあいさつをして、教室内に踏み込んだ。


「誰もいない、な」

 ゆっくりと歩き、部屋の真ん中へ。


 お、なんだかここ、涼しいんだけどクーラーなんて――、ついてないよな?


 となると、「ん?」と疑問が生まれた。


 暑さで頭がやられていたらしい。

 普通に考えれば、クーラーがついていないのに、涼しいなんてのはあり得ない。

 そんな違和感に一瞬で気づけなかったのは、

 俺にとっては痛いと言うよりも前に、致命傷だったのだ。


 唐突に、がくん、と――両足が地面に沈み込む。


「うお!?」


 両手を慌てて地面につけて抜け出そうとしたが、判断を誤った。

 地面につけた両手は、両足同様に地面へ沈み込んでいく。

 まるで、のれんに腕押しだ。どうしようもない。


 これではどうにもできないのだから、

 どうにかしない方が、体力的に温存できると思うのだが、どう思う?


 聞いてみても返事はない。


「そうか、淡はいないのか」


 こんな危機的状況を淡なしで受けることになるとは、少し不安だが、仕方ない。

 分担しようと言ったのが仇となったか。

 叫べばあいつも来てくれそうだが、ここで借りを作りたくはない。


「なら、諦めるか」


 そうだ、それがいい。

 俺の長所であって短所である、それを発動させるのが、一番、今の状況で得策だろう。


 淡なら、


「最後まで足掻いたらどうだい。なにかしらの活路が見い出せるかもしれないよ?」

 とか言いそうなものだけど、そこまでしないと見つけられない活路なら、最初からいらない。


 なので俺は、なにもよりも、誰よりも早く――、諦めた。

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