第5話 犬神 弐
屋根と屋根の間を飛び移りながら、俺と四隅は近くの大きな――町の中でも最も利用者数が多いショッピングモールに辿り着く。
途中、目撃されてはいないと思うが、もしも誰かに見られていたとしたのならば、屋根と屋根を飛び移る俺達の姿を見て、その人は口をあんぐりと開けていただろう。
その光景を想像して、思わず笑ってしまいそうになる。
「なにを笑ってるの? まさか、あたしの顔になにかがついてるの?」
四隅が慌てる。なにかってなんだよ。
鼻と目がついてるよ? とでも言ってほしいのだろうか。
そんなつまらないボケ、今の時代に拾ってくれる奴いねぇよ、とは思うが、
「鼻と目がついてるよ」
とりあえず言ってみる。何事もチャレンジだ、チャレンジ。
「そりゃついてるよ」
あまりにも冷静に返されたので、俺は返された言葉に返す言葉を見失ってしまった。
チャレンジも、考えてやらなければいけないな、と人生の教訓を一つ覚えた。
「で、来たはいいけど、なにするんだ?」
四隅は辺りをぐるりと見回して、
「あ、わんこだわんこ。あっち見てみようよ!」
と、俺の手を引っ張る。
抵抗しようとしたら気絶してもおかしくないような激痛が手首を走り抜け、俺の神経を突き刺した。……コイツ、俺の手首を折る気かよ。
抵抗はできないらしい。ということは、拒否も拒絶も、無理だろう。
「従うしかないってことか……」
思えば、それが罰ゲームなのだから、今日一日くらいは四隅に付き合ってもいいかと思った。
さっき、楽だなと言ったのは誰だ? もちろん、忘れもしない、俺だ。
楽だと感じたのならば、苦痛ではないということだろう。
ならば、嫌がる必要はない。
「分かった、逃げない逃げない」
四隅に言い聞かせる。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
俺が言うと、
「ならいいや」と四隅は俺の手を放してくれた。
手首を見てみると赤く腫れている。
恐らく、明日くらいには、これが紫色に変色しているだろう。
帰りに
「すっごい、わんこだわんこ」
そんなことを言うお前だってわんこなんだけど。
犬神という犬の妖怪の四隅からすれば、ペットショップのケージの中にいる小さな子犬――チワワとかトイプードルとかは、まったく別次元の生き物なのだろう。
同類だなんて冗談でも考えないらしい。
「そりゃそうだよ。あたしみたいな妖怪の犬の姿ってのは、おどろおどろしく、誰も彼もが恐怖で怯えて気持ち悪いと叫びを上げてしまうような、そんな生き物でしかないんだよ。
逆に、チワワとかトイプードルとかは、見ている人を幸せな気持ちにする不思議な力が働いているんだよ。……これを聞いて、まだあたしとこの子達を同類と考えるとでも言うのか!」
「分かった、そこまで力説するのなら、それに従おう。お前が言うならそれで正解だ」
俺がそう投げやりに答えると、
「なんだか投げやりだね」
やっぱり、鋭い指摘が飛んできた。
投げた槍の先は鋭かったか……。
「べっつに、うっくんが話を聞き流していようが、どうでもいいと感じていようが、
『あ、このわんこ可愛いな、四隅にプレゼントでもしようかな』とか考えていても、
べっつにぃ、どうでもいいしー」
さり気なく俺に、犬を買わせるような言葉を会話の中に混ぜてきやがった。
「つーか、お前が話を聞いておけよ。うっくんって言うなって言ったじゃんか」
すると、四隅が頭をかきながら、
「いやー、前々からの癖でねー。うっくんを見るとうっくんって言っちゃんだよ。
うっくんを思い出すだけでうっくんと言っちゃうし、
う〇こを見てもうっくんと言っちゃうんだよ」
俺はあれと同類なのか。
「……女の子があんまりそういう下品な言葉を使うなよ」
俺は呆れた。
「いいじゃん、下ネタ好きじゃん、うっくん」
いやまあ、そうだけれども。
「確かに好きだよ、否定しないよ肯定するよ。
けどな、それは男同士でやることであって、女子との会話に下ネタはあってほしくない。
そこのところは分かるか?」
「十分の一くらいは」
分かってねぇじゃん。
「いや、十分の一くらいかな?」
言い直したのにもかかわらず、変わってねぇ。二回言っただけだコイツ。
「じゃあ下ネタは禁止だ。言ったら殴るからな。本気で殴るからな?」
こちらも張り合って二回言ってみた。
「うん、了解」
四隅は、この話はもうどうでもいいと言いたそうな表情で、俺を横目でチラリと見てきた。
なんだその『コイツめんどくせーな』みたいな顔。
二人で買い物してて、会話が面倒くさいって、もう俺いらねぇじゃん。
「あ、すいませーん、この子のこと触りたいんですけどー」
いつの間にか四隅が店員さんを呼んでいた。店員さんは四隅が指示した犬を抱きかかえる。
たしか犬種は……ダックスフント。言ってみたものの、あまり犬には詳しくないので分からないけど、わざわざ同じような犬を探し、犬種の欄を見たので合っているのだと思う。
四隅は店員さんから犬を受け取り、「わぁ」と嬉しそうな表情を作り出した。
犬が犬を抱いている。事情を知っている者としてはおかしな光景だ。
まあ、見た目は人間と犬なので、違和感など欠片もないが。
「す、すごいようっくん!」
四隅が俺に、抱えた犬を向けてくる。
「あーすごいねすごいね、びっくりだ」
テキトーに反応していたら、
「いいから、抱いてみてよ」
俺、犬の臭い嫌いなんだよね――とは言えず、差し出された犬を抱きかかえる。
「おぉ……」
予想よりも軽くて驚いてしまった。
もしかしたらまだ子供なのかもしれない。
大人も子供も、違いなどあまり分からないけど、まあ、ただの俺の予想だ。
「どう!? どう!?」
詰め寄ってきながら、四隅が俺の感想を求めてくるが、なにを言えばいいんだろうか。
「うん、思ったよりは臭いがなくて大丈夫だったかな」
「あ、臭い、ダメだったの?」
「ダメだった。けど、コイツは大丈夫」
コイツの匂いというより、
元々ある臭いが、薬かなにかで消されていただけだと思うけどな。
「そっか……」
ん? 四隅がなぜか落ち込んでいた。
この空気のまま、というのも俺としてはきつい。
なんとか話題を逸らすか、新しく作り出すしかないだろう。
「行きたい所はここだけか? どうせなら、別のとこにも行こうぜ。広いんだし」
「そうだね」
「あたし、ヒロインだしね」
それは知らないが。
というわけで、俺と四隅はショッピングモールを一通り回る事にした。
俺の興味を引く物はあまりなく、だが逆に、四隅の興味を引く物はたくさんあった。
たまに俺を置いて店の中に入って行きやがるし、その度に探す羽目になる。
一度、迷子センターにでも連絡してやろうかと思ったが、それは逆にこっちが恥ずかしいのでやめておいた。
一時間、二時間が経った頃だろうか。
俺はベンチに座って天井を眺める。
四階建てなのだろう、天井までがすごく高い。
一階から四階の天井まで、遮る物がなにもなく、広々とした印象があった。
そんなことを思っているということは、俺はこのショッピングモールの設計者の作戦に、まんまとはまっているのだろう。だとしても悪いことではない、好印象を持っただけなのだから。
それにしても遅いな、あいつ。
どこまで遊びに行ったのだろうか。
迷子になったのはあいつの方だと言うのに、
なぜか俺の方が迷子になっていると錯覚してしまう。
不安というわけではないし、別にこのまま四隅を置いて帰ってもいいのだが、しかし心配だ。
あのトラブルメーカーが、今後なにも起こさないはずもない。
「ふう」と深い溜息をつき、
さあ、そろそろ探しに行くかなと思って立ち上がりかけた時だった。
「隣、いいかい?」
と、俺の横に座る男がいた。
服装は黒いスーツを着崩している。
だらしない、という感じだが、
しかしこの男が着ると雰囲気に合っている。これこそが、着こなしていると言うのだろう。
「……返事、してないんですけど」
「おお、そうか。それは悪かった。
しかし、このベンチはお客様専用だ。君もお客様だし俺もお客様だ。
別に、俺が勝手に座ろうが、君に文句を言われる筋合いはないんだがな」
男が片手で、ピーナッツでもつまむような動作をした。
これっぽっちもないね、と繰り返す。
ピーナッツをつまむくらい、ということかよ。
「そうですか。なら俺は、ちょうど立とうとしていたので、入れ替わりで座っていいですよ。
それじゃあ――」
怪しい男だ。俺が立ち去ろうとすると、
「待ちたまえよ」と、男が声をかけてきた。
「……なんですか? こっちも暇じゃないんですよ」
「聞きたいことがあってね、少しいいかい?」
もちろん嫌だが。
しかし、断ろうとしたら男の無言の圧力で、言葉を発することができなくなった。
俺は仕方なく、
「……で、なんですか?」
「犬神、という存在は知っているかい?」
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