第21話 魔王 【ロッド】

【ロッド】

 シルバの遠吠えに向けて全力で走る。

 グリフォンはすぐ後ろを追いかけてくる。いくらか傷を与えたのもあって、怒り狂って冷静な判断力など失っているようだ。罠も待ち伏せも一切警戒している様子がない。

 ただし、こっちの方は木の根や岩に足を取られれば終わりだな。

 今更だが、なぜ俺はレミリアーヌの言葉に乗ってしまったのだろう?

 魔法通話越しの彼女は、おどおどと自信なさげで、信じるに足るかと言えば首を傾げざるを得ない。

 だが、まるでお詫びに食事でも奢ります、とでも言うようにグリフォンを倒すと宣言する、その言葉に気負いは全く感じられなかった。

 それで、焦りもあってつい乗ってしまったわけだが……


「見えた」

 目をつぶったレミリアーヌが両手を広げている。何やら呟いているように見えるが声は聞こえない。

 エリナはその後ろ、大分離れた場所にいた。

 レミリアーヌの傍らにはシルバ。戦闘態勢もとらずに座っている。これから起こることについて、一切心配していないのだろう。

 不思議とそのシルバの態度を見て安心してしまった。なぜか俺はシルバの事は信頼してしまっているらしい。

 全力でレミリアーヌの傍らを通り過ぎる。ミカ達四人も少し遅れて同じように通り過ぎる。


「……ヴァイス!」


 レミリアーヌが聞いたこともない呪文を唱える。思わず立ち止まって振り返る。

 瞬間、彼女の目の前に直径三ヤードほどの鏡のような円盤が、盾のように出現する。


「!?」


 結界呪文か!?

 しかし、そんな頼りない結界で一万ポンド以上はありそうなグリフォンの突進を止めることなど……


 ごきん


 岩にでもぶつかったかのような鈍い音がして、盾と地面の隙間にグリフォンが倒れ伏すのが見えた。

 鏡の盾は小揺るぎもしない。


「なに……」


 一瞬の後、ぱきりと氷の割れるような音とともに、盾が跡形もなく消え去る。

 倒れたグリフォンは死んだわけではないようで、頭を持ち上げる。だが、その頭がふらふらしている。


「まだです。皆さん、離れてください。出来るだけ遠くへ。シルバ時間稼ぎお願いね」

「ワフ」


 仕方ないなと言わんばかりにシルバが立ち上がり、グリフォンへ向かう。

 シルバのランクは推定Aだ。SⅡともみられるグリフォン相手にどこまでやれるか。

 グリフォンはふらつきつつも立ち上がり、一度頭を振って体勢を立て直す。その目が何が起きたのかわからないと語っているように思えた。いや、それは俺の気持ちか?


「ロッドさんも離れてください」

「いや、見届けさせてもらう」

「う……、わかりました。ただし、合図をしたら地面に伏せて、口を開けて耳を両手で塞いでくださいね……皆さんも」

「? よく分からんが分かった」


 シルバがグリフォンの正面で立ち止まると、周囲に無数の氷の矢が出現、即座にグリフォンに降り注ぐ。

 ……氷魔法を使う巨大な銀狼か、まるで物語の銀狼王だな。

 氷の矢はグリフォンの体表に着弾すると、あっさり砕けてしまい、ほとんどダメージは無いように見えた。だが……


「キュオオオー!」


 グリフォンが嫌がるように身を捩る。

 冷気が体温を奪っているのだろう。気持ち動きが鈍くなったように見える。気のせいかもしれないが。

 すかさずシルバが飛び掛かる。……と見せかけてグリフォンの爪を横っ飛びに躱しつつ回り込む。

 最初から狙っていたのだろう。がら空きの脇バラに噛みつき、血しぶきが舞う。さっき俺たちが槍を突き入れた時より深手を与えたのは間違いない。


「キィアアアアアアーーー!!」


 グリフォンが叫びながら身を捻り、シルバを前足の爪に掛けようとするが、シルバはあっさり口を離して飛んで躱す。

 その後もシルバはグリフォンを翻弄しつづける。戦いの経験に天と地の差がある。

 だが、決定的な打撃を与えることは出来ない。体格差が圧倒的過ぎるのだ。

 その間、自らを中心に多重魔方陣を構築展開していたレミリアーヌは、両手を横に広げ詠唱を開始した。


――其はいと暗きハコ


――世のすべてを食らうモノ


――理の果て、事象の地平


――魔の腕に抱かれし、暗き昏き深淵の淵


 レミリアーヌの頭上に薄暗い球体が出現する。それは見る間に暗さを増して行き……そして、黒すら通り越した『穴』となる。


「シュヴァルツ!」


 レミリアーヌの詠唱が完成する。

 と同時に、大風の夜のような轟音が鳴り始め、同時に周囲に風が吹き始める。

 風はそれほど強くないが、レミリアーヌを取り巻くように渦を巻いていた。いや、正確には渦の中心はあの『穴』だろう。そう思ったのは轟音の元がその『穴』だったからだ。

 まるで網膜に穴が開いたかと錯覚するような、一切の闇。

 たまたま舞い上がった、一枚の木の葉が信じがたい速さで吸い込まれていく。いや、吸い込まれたと思った瞬間、砕け散った。

 確かに見えた。吸い込まれるでも、はじかれるでもなく砂の如く砕けるのが。


「一体……」


 気付けば球体の周囲に黒いもやのようなものが渦巻く。それはだんだんと濃さを増しているようだった。

 その禍々しい『穴』の直下、レミリアーヌは渦巻く風の中で天をつかもうとするかのように、右手を真上に突き出している。

 たなびく絹糸のごとき黒髪、わずかに色づく白い肌、魔力に呼応して輝く赤い瞳。

 その姿は、漆黒の『穴』と対比するように……


 神々しく、美しかった。


「魔王……」

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