第94話 トランス

 東京のホテルの一室。朝焼けはカーテンで遮られ、光源はテレビ画面だけの暗い部屋。


「ヴィズ。私が傭兵になったのは、ナポレオンがなぜ、暴徒制圧にぶどう弾をぶっ放ったかを知るためだったって話したっけ?」


 ヴィズは足を投げ放って床に座り、壁にもたれ、射殺体のようになってカーテンの裾から入る陽光を見ている。


「あいつはどっかの離島出身だ。本土人が嫌いだったんだろうさ」


 死体と異なるのは背筋を伸ばして、壁に背中と後頭部をしっかりと押しつけている点だ。

 

「確かにあの人はコルシカ島出身だけど、まずね、ガチの天才だから馬鹿にしないで」


「はっ。イギリス人がフランス人にとはね」


「歴史上の名だたる策士を見ると、力は“使い所”が重要で、それが後世で英断と呼ばれるようになるの。ナポレオンしかり、ハンニバルしかり、私はまだそのセンスに自身がない」


 ヴィズは、声も音も聞いていなかった。


カシュ。


 プルタブが缶を押し開き、圧入されていた炭酸ガスが大気に放たれた。

 丸いマークの中にはっきり酒とラベルされた缶が傾き、内容物はすぐにヴィズの喉へと流れ込んでいく。

 

「うふふふ。この酒は相当ヤバい。不味いのにいくらでも飲める」


 グシャリと空き缶が握りつぶされ、しばし空中を舞ってから、音を立ててゴミ箱の周りに散乱する潰れた空き缶の山の一部に加わった。

 視界の端にベットの上であぐらをかき、ゴミを見るような蔑んだ目で見下ろすローレンシアが見えていた。


「ヴィズ。それで1ダースめだよ。350mm6本入りのお酒を、合計12本飲んでるんだよ?」


「あはっ。24本に見える」


「楽しそうなのは嬉しいけど、尋常じゃない」


 ヴィズはローレンシアを見たが、焦点が合わず銀髪の主体としたシルエットだけで、仲間と部屋の風景を暫定的に識別する。


「飲み過ぎてるのは分かってる」


 そう言って、紙パックを引きちぎり、汗をかいている酒缶を手に取った。


「自覚しているならまだマシね。最低よりもひとつ上の段階かな」


ネイティブ・アメリカンアメリカ先住民は、麻薬でラリッて先祖や精霊と会話するらしい」


「アル中は何がなんでも自分と飲酒を正当化するらしい………いや、ね」


「ふふっ」


 ヴィズは自分がなぜ笑ったかも分からないまま、酒を飲んだ。

 

「私は……今、完全に思考を手放したわけじゃない。自己洞察に励んでいる」


「そう言う事を言い出すのがアルコール中毒——」


「考えてみろよ。酒を飲まないと言う事は、潜在的に理性的過ぎる危険性がある」


 アルコールで寸断されたヴィズの思考回路は、正の感情も負の感情も攪拌かくはんして論理を手放している。そこにはあるのは普段、意識下、無意識下で課している数々の心のブレーキが緩んでいる状態だった。

 物事をまとも考える事が出来ず、ヴィズのような場合は、実戦で研磨された戦闘能力や慢性的に抱いている破滅願望が顔を出しやすく、軽はずみで犯罪行為や自殺を図りかないような心境でもある。 


 目を細めるローレンシア。


「ネイティブ・アメリカンとヒッピーとエルフ文化を混同して、全てを平等に冒涜しているみたいね」


「応用だ」


 ヴィズはあえてそのリスクを冒して、百害の中に一利がある可能性を見出していた。

 そして、その可能性を高めるために酒の飲み方を考えていた。泥酔や昏倒、錯乱を避けるためにアルコール摂取のペースを調整し、俗にいうマイクロドーズ長期的微量摂取の手法を使い、この手法が奇跡的に意味を無し初めていた。

 思考が滅裂になり、感情の均等が取れ、問題だらけの計画であるハイテク高層ビルへの襲撃に関する想像力が芽吹き始めている。

 いくつもの経験が重なり、断片的な発想が難解な問題を細分化され、脳に刷り込まれた戦術論と融和して答えを導き出していく。


「ローレンシア。閃いたぞ」


「?」


「ジンドウのあの要塞を麻痺される奇策さ」


「教えて、酔っ払いの戯言って笑う準備を済んでるよ」


 ヴィズの啖呵に、ローレンシアは両手を耳に当てた。


「よく聞け………」


 口ごもり、立ち上がるヴィズ。


「どうしたのヴィズ? せめて笑わせてよ」


「…………———!?」


 ヴィズは、くるりと反転して、ユニットバスへと駆け込み、扉を閉める余裕もないまま、“騒ぎ”を起こし、口から食道を通って胃に入った物が逆の手順で巻き戻っていく。


「ヴィズ! 言ったでしょう。飲み過ぎだって」


 ローレンシアは、自身にも波及してきた嘔吐感を抑えるため浴室のドアを閉めた。


「うぇぇ。ヴィズ、そのままアイデアまで流さないでよ!」

 

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