怪物機械は笑顔を知らない

黒犬

第1話白色は染まらない

 『どうしてそんなに怒ってるの?』


 昔そんな言葉を誰かから言われた。

 その誰かの背中には両翼があって、俺なんか簡単に覆い隠せるくらいの大きさがあった。勿論人間の背中に翼がある訳無いので、これは夢だったのだろう。


 『どうしていつも哀しそうなの?』


 その人からはとても甘い、花の香りがしていて、そしてそのしゃんとした話仕草からして、俺が人間として持っていない、欠けている所が全てこの人にはあるんだと感じ取った。

 『……答えてくれない?』

 答えたくない? と少し困った顔をして尋ねてきた。

 違う。

 答えられない。と答えた。

 自分でも何でか分からないんだと。

 『そんなはずないでしょう?』

 少女は続ける。

 『とても寂しそう』

 そうか。俺は君にはそう見えるのか。

 『一人ぼっちで寂しそう。何で? 私がここにいるのに』

 

 

 優しいだろう少女に俺は言った。

 「消えろ」

 『え?』 

 「今すぐ俺の前から消えろ、消えろ…消えちまえッ!!!」

 手を振り上げて少女をはねのけた。

 『……』

 「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えてくれ消えて消えろ消えろ消えてくれ消えろ消えろ消えろ消えろ」

 『何で……君は』

 「消えろッッ!!!!」

 喉が枯れる程強く、そう言った。

 『分からない』

 俺にも分からなかった。

 自分が分からなかった。

 ただ、怖かった。

 『そう。』

 すると、少女は落ち着いた調子で、

 『ならそうしましょう』

 そういって、彼女は自分の首にカッターナイフを突きつけ、いや、

 首から大量の血を吹き出しながら倒れた。

 

 『どうして、笑ってくれないの?』

 少女のその言葉と共に、世界は『白く』染まった。


 ♦

 ♦


 『なりたい人間になれ! 君にはそれが出来る!』

 「……」

 4月半ば、入学式のために学園に歩いていく道すがら、俺はそんな張り紙を街で見かけた。というより風に飛んで顔に張り付いてきた。

 キィンと音を立てながら動く右手で顔から剥ぎ取りじっと見る。風に飛ばされてきたものにしては質感が割合しっかりしている。和紙にも似ているが分からない。

 まあ、そんな事は良いのだ。どんな良い紙に夢希望を書こうと、これでは大して響きもしないありきたりな文章である。くだらない。妙な髪の色をした女と、黒髪の男が手を組んで笑っている絵があしらわれていた。

 「宗教か何かか……アハ」

 そうわざとらしく笑ってみる。俺の前方から後ろへ歩くのだろう女性が(恐らく私の顔を見て)怯えたような顔になって早足で去っていった。

 おっとまた失敗した、と私は思った。

 この十数年色々なニンゲンと関わってきたつもりではあるんだが、未だに「自然な」仕草が出来ないでいる。

 怖がらせてしまったかな。申し訳ない。


 紺色の制服を羽織って、黒い腕時計を付けている黒髪黒目の男。

 それが俺――歯車 ネジだった。

 我ながら変な名前である。苗字は仕方ないにしても、名が「ネジ」とは。

 どこかの漫画のキャラかぶれのようで自分では少し苦手なのだが、俺の母親曰く、生まれたばかりの俺を見て、『絶対この子はネジ、そうネジでしかないの!』と言って聞かなかったらしい。俺の母親はおかしいのかもしれない。

 「笑顔、なあ……」

 俺は病に罹っている。

 その名も「絶望病」。

 何ともちゃちい感じがするこの病名(本来の病名は別にあるのだがこちらの名の方が有名になっている)は、そのありきたりな印象に反して全世界で共通認識されている程の流行り病もとい、精神病であった。

 人間の神経作用に損傷、或いは麻痺を与え、負の感情以外の感情の大半を奪う。

 キルケゴールは絶望を死に至る病と言ったが、これも同じような物。

 絶望病が失わせるのは感情だけではない。

 人としての理性もまた、失わせる。

 「……」街頭では今月の自殺者と他殺による死者数が張り出されていた。


 その結果として人殺し、交通事故、強盗、その他様々なものを生み出し続ける。

 世界の急速な機械化に伴い、その副作用として蔓延している、らしい?

 便利になり過ぎたから、人の心も弱くなったって事なのかもしれない。


 まともなニンゲンサマからしたら、ただの迷惑だろうにな。

 そう考えて歩く矢先、 

 「ねえ、キミ。」

 呼びかける声に振り向いた。誰だろうか。甲高いけれど、どこかずっと聞いていたい声音だった。

 「キミ、そうキミ。つかぬ事をお聞きしたいのですけれど」

 「はい?」

 俺は生まれつきシャイだから人の顔を上手く見れない。

 だから、彼女の姿を見る事無く応答だけしておいた。

 「私が誰か知ってます?」

 何を言っているのか。

 「知りませんよ。初対面じゃないですか。逆に俺が貴方を知っていたら奇妙でしょうよ」

 「私の名前は知ってる?」

 だから何を言っているのか。

 「だから知るわけないじゃないですか。貴方が誰かも知らないのに、どうして名前は知っていると思うんすか?」

 「いや、君知ってそうでしたもの」

 酔ってるのか、と聞きそうになった口を抑え、一回深呼吸する。

 大袈裟だとは思うがただ「顔を見る」という行為に及ぶ前にも、こんな予備動作が無いと俺は体が動かないのだった。

 ゆっくりと頭を上げる。

 顔を上げて、愕然とした。

 「ああ、ありがとう。やっとこっちを見てくれたね。無い勇気を振り絞ってくれて感謝するよ素敵だね」

 最後の一文は余計だとか言えば良いのだろうか。分からない。

 「いや、お前……」

 「何?」

 「……」

 顔と髪が病的な程白い。髪はセミロングほどの長さで後ろでリボンで結ばれていた。

 まるで手触りの良い絹が人格を持って生きているように思えた。

 「?」

 「……白くて素敵ですね」

 何故かしらそんな事を言った。

 すると、彼女は少しだけきょとんとした様子で、

 「……そう。まあ私は私で、十人十色の一色に過ぎない訳だし、逆に言えば一色を担わせてもらえているってことだから素敵と言えば素敵だよね」

 十人十色? 疑問が出たが、ほっとくことにした。面倒くさい。

 見ると服も肌や髪に合わせているのか全て白い。

 「白色が好きなんですか? 奇妙ですね。すぐ汚れるでしょう?」 

 「いいえ、私の白は染まりませんから。貴方こそ白色は嫌い?」 

 「? まあ、でも、白ってあんま俺は好きじゃないんですよ。何か、『純潔』とか『穢れない』とかあると思うんですけれど、そういうのって汚れる運命にあるっていうか、だから逆にマイナスなイメージを持ってしまうんですよ。何か『どうせ汚れるんだ』って思うと悲しくなるっていうか……」

 「ほう。君は後先をああだこうだ考えるタイプなんだね、なるほど。けれど確かに君の感じ方は分かるかな。でも『どうせ汚れるから』とか投げやりな感があるのは少し気にかかるけれど」

 そういうの、良くないよね。と彼女は続けた。

 「世界とか滅べばいいのにとか思ってそう。」

 「あー…割と考えてると思いますね。あたりです」

 「何か他人事っぽいな? 自分の事でしょう?」

 「自分も他人の一人ですよ、多分」

 「だから君はずっと生気が抜けてるんだね、なるほど」

 「? 何の話ですか」

 「ああいえ、こっちの話。」

 「はあ…?」

 何か変な人だ。人の事は言えないが。

 「それでは、俺は入学式あるので」

 「あ、ごめんね。時間取らせてしまって。」

 「いえいえ」まだ普通に間に合うし。

 「それじゃ、また」

 「ええ、また会いましょう」

 

 そう言った後の彼女の後姿は、どこか、

 何か隠し事をしているような、含みのある様子に見えた。

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