変態

 コバルトブルー一色の空。穏やかに寄せ返す波の音。海面うなもと空の境界は視野の果てで消失し、全球の蒼を錯覚させる。

 足跡ひとつない真っ直ぐな白浜。燦々さんさんと注ぐ陽光に焼かれ陽炎かげろうが立っている。海岸線にはハイビスカスの生け垣。奥に深緑の森が霞む。

 沖縄にしては人が少ない。


「……どこなんだ、ここは」


 トレンチコートの裾から脛毛だらけの足を覗かせ、緑のビーチサンダルで白砂を踏みしめ、安木やすき是清これきよは呟いた。

 三十半ばにして薄くなりだした頭髪は四十を過ぎて砂漠化し、五十路を前に横髪から覆わざるを得なくなった。か細い毛は日差しから頭皮を守るにいくばくか頼りない。滲んだ汗が熱を帯び、広い額を滑って四角い眼鏡を汚した。


「なんで私がこんな目に……」


 安木はレンズについた汗の雫をコートの袖で拭った。拍子に、前が開いた。そこそこ締まってはいるが年相応に緩んだ躰があらわになった。太ももに引っかかるショッキングピンクのブーメランパンツも。


「うぉ!」


 安木は慌ててメガネを掛け、コートの前を閉じた。

 どうして、こんなことに。

 今朝、生ゴミを出し忘れたのが悪いのか。急いで取って返し、時計を気にしながら足早に駅に向かい――それからの記憶がない。


「気付いたら、砂浜に全裸で倒れていまして……」


 人を見かけた時に備え、安木は顛末を復唱する。

 暑苦しさに目覚め、全裸と気付き、立った途端に焼けた砂でタコ踊りした。その場で足踏みしながら辺りを見るとビーチサンダルがあった。借りた。傍にパンツもあった。さすがに遠慮しようか迷ったが、幸い辺りに人気ひとけがなかった。お借りしますと囁き足を通した。

 が、丈が足りず逆に危険な姿になった。股間を隠し縮こまりながら歩いていると、ハイビスカスの生け垣にコートが引っかかっていた。借りるしかなかった。

 

「ふ、不審者ではないんです」


 言い訳する。仕方がなかったのだ。

 ハイビスカスは一日花だ。咲いた日に萎れる。だが萎れた花が見当たらない。

 誰かが摘んでいるのだ。

 人がいるのだ。

 

「ど、どなたか、いらっしゃいませんか……」


 気弱な声が潮騒に混ざる。

 ふと安木は奇妙な発想に囚われた。

 子供の頃。

 まだ女の子と間違えられたりしていた小学生の頃。

 あのオジサンは、実は自分と同じ境遇だったのでは。

 慌てていたのは向こうのような気もしてくる。


「……勘弁してくれよぉ……」


 安木が、コートを腰に巻き海に入っていれば良かったのだと気付いたとき、彼はアマゾネスに変態しつつあった。

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