賢いやり方

 無駄に大学院まで行ったんだからウチの子に勉強を教えてあげてよ、と姉に頼まれた。遠慮会釈なしに『無駄』と言い切られたのは腹立たしいが、実際にほぼ無駄な経歴と化しているから文句は言えない。

 文系の修士号、博士号というものは、事故物件の天井に貼られた御札のようなものなのだ。取らないと目障りで仕方がないが、取ってもロクなことが起きない。姪も不思議かわいいから仕方がない。

 しかし。

 ひとつだけ、姉に文句を言わせてもらえるとするなら、


「院生の頭ってのは人に物を教えるようにできてないんだって……」


 事前に渡された小学一年生用のドリルを開き、私は途方にくれていた。学習ドリルで何をどう教えろというのか。そもそもドリルというのは訓練を意味する単語で、学ぶとか習うとか教えるという概念ではないのだ。

 求められるのは気合と根性。頭と躰がパターン化するまで繰り返すのみ。大学院という名のパターン化と最も遠い領域にしていた者にとって、忌むべき作業といえる。


「こんなものは、要領さえ分かっていればやらなくてよいのだ」


 さっき試しにやった算数ドリルで油断から一問まちがえた自分へ慰めを送る。

 

「きました!」


 玄関から元気な声が聞こえた。ただいまでもお邪魔しますでもなく、来たという宣言だ。やはり、姪は不思議かわいい。


「いらっしゃい」

 

 私はこたつから半分抜け出すように背を反らし、駆けてくる姪を見やった。どちゃくそオシャレな裏起毛セーターに、製作者の人格を疑いたくなるほどリアルなラッコの絵が描かれていた。


「かわいいお洋服だね」


 姪はセーターを引っ張り、にっこり笑った。


「しろくまさん!」


 いや多分ラッコだよ。思いはしたが言わなかった。

 姪はファンシーな字体でイモータル不死のチャイルドこどもと書かれた学習バッグを開き、こたつにプリントを広げ、


「はいります!」


 と丁半博打を始めそうな宣言をして、私の膝に座った。なぜだ。


「……これ教えればいいの?」

「うん!」


 顎下から脳天を貫くハイトーンボイスに瞬き、私はプリントを見た。国語だ。三十五点。絶妙な低さ。漢字の読みは全問正解。書きは全滅。読解問題は半分くらい。


「フッ……容易い」


 私は、まず『○○をつかってぶんしょうをつくりなさい』に目をつけた。


「いい? こういう問題はね、『わたしは○○のつかいかたをしりません』って書いておけば……」


 そう。要領だけ教えればよいのだ。



 もちろん、後にしこたま怒られた。

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