ホコサキ

 藤崎灯夜ふじさきとうやは女の姿を認めた後しばらく固まり両目を擦った。

 二度見する。

 間違いない。

 女が右手を固く握りしめて天高く掲げている。顔が上向いていれば我が生涯に一片の悔い無しとのたまいそうなくらい見事に右拳を挙げている。

 毛先が肩甲骨に届く艷やかな黒髪。涼しげな顔立ち。白い七分丈のワイシャツにエニタイム定番な黒くタイトなミニスカート。時代が時代ならオフィスレディすなわちOLと呼ぶのだろうが、足元は真紅のごっついゴアテックス。マルノウチ・ジャングル・ラン――いや、まさか。

 灯夜は口中の唾液を飲み下す。


「あの」

「なんでしょう」


 平時の速度で平静な返答があり、灯夜は思わず口を噤んだ。あきらかに異常な女が迅速果断じんそくかだん泰然自若たいぜんじじゃくな対応をしたのだ。無理もない。

 灯夜は三十八秒を使って尋ねた。


「右手、どうされましたか?」

「右手ですか」

「拳を振り上げていらっしゃる」

「降ろす先がなくて」


 なるほど、言われてみれば彼女は足元というより前方を見つめており、振り上げた拳には力よりも感情が籠めれられている。


「なにゆえ拳を挙げられたのですか」

「怒っていたんです」

「そうでしょうとも。でなければ拳を振り上げません」

「私、事務をしています。なのにこんなシャツを着ていて」

「躰のラインが丸わかりですが、よくお似合いです」

「ありがとうございます。この歩きにくく座りにくく油断とパンツ開陳かいちんがセットになるスカートは上司の指定でして」

「拳を振り上げた理由ですか」

「なきにしもあらずです。営業ならともかく事務なので油断パンツはデスクガードですが、席を立つたびにダウン・ザ・裾です」

「聞くだにムラムラします」

「見向きもされません」

「腹立たしいはずです」


 灯夜は目頭を揉んだ。


「靴、カッコイイですね」

「ありがとうございます。ですが、上司はやめろと」

「それが理由ですか」

「違います」


 女は拳を挙げたまま、澄んだ鳶色の瞳を灯夜に向けた。


「話を聞いてもらいたかったのかもしれません。教室で挙手するのと同じです」

「目的は果たしたと」

「です。が、どこに下ろせばいいのやら」


 灯夜は頷く。拳は振り上げるまでがピークだ。殴るために振り上げるのではなく殴るとアピールするために振り上げる。

 ただ、静かに下ろすと臆病者に見えてしまう。


「私に振り下ろしてくれてもいいですよ」

「理由がありません」

「太もも、めっちゃエロいですね」


 秒で拳が降り、灯夜は女とランチに行った。

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