第26話 拝啓『主人公へ』
屋上への階段を、つまずきながら駆け上るうちに、煙幕で消えていた有沢の姿が見えてきた。
「げげ! なんだそれ」
「煙幕の中でも、きみを発見できるマスクだよ〜」
ごっついガスマスクみたいだな。ちょっと昆虫っぽく見える。
俺達の後ろからついてくるスタッフ達も、同じようなマスクを付けていた。昆虫マスクを付けた集団が無言で後ろからついてくるのは、けっこう怖い光景だ。
「そ、そのマスクは、どこから調達したんだ?」
「あそこはいろんな天才が遊ぶ調理場だよー? 何が起こるかわからないから、特殊なマスクは必須だね」
有沢に引っ張られるままに、ヘリポートのある屋上へ戻ってきた。謎の美女は、さも嬉しそうに娘を抱きしめる。見捨てようとしたくせにな。
「さあ皆、ヘリに乗ってちょうだい」
彼女が置き去りにしようとしていたスタッフ大勢も、ヘリに乗り込んだ。
扉が閉まり、離陸してゆく。俺は窓から、海辺がたくさんの船で明るく照らされている光景を眺めた。どうか、無事に脱出してほしい……俺は他のスタッフと、話したことはないが、有沢の同僚が傷つくのは、嫌だった。
有沢がかぶっていたマスクを脱いだ。
「あー、暑かった。そしてヘリもぎゅうぎゅう詰めだから、まだまだ暑いや」
手櫛で長い髪を整えながら、ふと俺を見上げるなり、きょとんとした。
「わあ、エルジェイ、顔が真っ白だよ」
「あの煙幕のせいだろ? あんな小型な容れ物に、どうやってあんな量の粉末を入れたんだか。細かな粒子が付着して、俺の肺は今やばいのかもしれないな」
「大きな声を出さなければ、息はできるよ。呼吸のしづらさは、数日で治まるからさ」
有沢も窓から、外を眺めた。やっぱり、仲間が心配だよな……目線は、未だ出港できていない船たちに、留まっている。
「……ねえエルジェイ、このマスクと煙幕ボールはね、とある天才さんが開発したんだよ。今は、軍事に利用されちゃってるけどね」
「俺の研究も、悪用されたらたまったもんじゃないな。俺はあっと言う間に、諸悪の根源だ」
「そんなことないよ。お客さんの使い方次第だよね」
お前は、そう言ってくれるが……俺が発明しなかったら、死ななかった奴らとか、これから出てくるんだろうな、きっと。
「ふふふ、すごいプレッシャーだねぇ」
有沢が俺を見上げて、おもしろげに笑った。
「なんの不安も感じずに、研究に没頭できる日々に、戻りたい?」
「いいや……。危機的状況を認識できずに、のうのうと散歩している日々には、怖くて戻れないな。俺、撃たれたし……」
散歩してるだけで撃たれる人生が待ってるなんて、あの頃ゲームしていた俺に想像できると思うか?
「俺が今やっているプロジェクトが完成すれば、世界中が大騒ぎになるよな」
「株が上がったり暴落したり」
「潰れる会社も出るかもな」
「その会社が別の路線に変更するしかないね」
窓ガラスに、ずっと前だけ見ていた自分の顔が、映ったような気がした。
「なあ……俺」
映っている俺の顔は、不安そうだった。
「俺……すごい世界に、いたんだな」
目が覚めたか。おはよう、俺。
【つづきから】
【はじめから】 〇
俺はまた、新しい世界をスタートさせなきゃな。研究も、他のもんも、何一つ手放さないために。
これは後から知ったことなんだが、俺が通っていたお気に入りのラーメン屋は、俺に不健康なこってり系ラーメンを五食も食べさせていることを、周囲やネットから誹謗中傷され、とても悩んでいたらしい。
だから、週に二回、朝と夜に行くことにした。俺のせいでどんどんラーメン屋が潰れていくなんて、シャレにならないからな。研究の次に楽しみな事が、ラーメン屋巡りなんだし。
社内食堂で働いている佐々木さんは、なんと俺のために、わざわざ肉多めのメニューをずっと練習していたらしい。肉が焼ける匂いや油の匂いが、どうにも苦手な佐々木さんは、炊飯器や圧力鍋を使って、肉の匂いを嗅がずに調理する方法を、ネットで勉強していたそうだ。
だから炊飯器、持ってたのか。
あまりにも健気で純粋な佐々木さんに免じて、俺もたまには、彼が発案した野菜たっぷりヘルシーメニューを食べに行くことにしている。ドレッシング多めで。
以上の情報は、後輩の武田から聞いたことだ。武田曰く、以前もこの話を俺にしたらしいのだが、当時の俺は忙し過ぎて記憶障害が起きており、どの話も初耳だった。
「先輩、もう三日も寝てないじゃないですか。休憩しましょうよ〜」
「いや、あと、もう少し……」
俺はパソコンとにらめっこしていた。学会に発表間近のジェル避雷針『ライジングボルト』に薬品を調合するためのAIが、どうにも思うように動いてくれない。
何度もプログラムを書き換えては、試行錯誤を続ける日々。納期は、すぐそこに迫っている。あと少しで、完成しそうな、そうでもないような、わからないから、やめられない……。
「おはよう、エルジェイ!」
開きっぱなしの扉から、いつにも増してレースでひらひらの有沢が顔を出した。
「これ、差し入れ。簡単なものだけど」
「ああ、ありがとう」
有沢が持ってきた、かごの中。サンドイッチとか、水筒に入ったコーヒーやスープとか、喫茶店みたいなメニューが詰まっている。不思議と俺の食べたい物ばかりが出てくるというか、俺がこいつの作る物が好きなんだと思う。
「休憩するかな」
「あー先輩! 女の子の言うことばっか聞いて。でもいーなー、彼女できて。先輩なら永遠に独身だと思ってたのに」
「お前、最近ずげずげ言うよな」
「気のせいっすよー」
おいおい、そのサンドイッチは俺のだぞ。って、もう食われてる。有沢が目当てなのか、最近の後輩は元気が良い。
なあ、一人で自由に逃げた
今の俺とは、違う世界に生きているか?
助けてくれたいろんな人達を置き去りにして、それでも自分のやりたいことを貫くことが、合理的かつ生産性のある選択だったか?
……そういう考え方のやつもいる。俺もそういうやつだった。
あの奇妙で夢みたいなゲームに巻きこまれていなかったら、世界中の株主から嫌われながら、コーヒーを一緒に飲んでくれる相手は、できなかっただろうな。
おわり
拝啓『ライトニングボルト博士!』 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます