第21話 いざ、決戦の場へ
「あたしが犯人たちと交渉して、犯人が指定する場所を、廃墟からこの施設の上から二番目の階にしてもらったわ。うまく隙をつけば、屋上のヘリポートに行けるようにね」
「ありがとうございます。助かります」
俺は有沢に縄を解いてもらい、有沢のお母さんに続いて部屋を出た。
そして扉や白い廊下いっぱいに、ぐしゃぐしゃに殴り描きされた、幼児の自由帳のような光景に、思わず驚きの声が出た。
「こ、この落書きは、いったいなんだ!?」
「気にする事は無いわ。行きましょう博士」
いやいや、めちゃくちゃ気になるぞ。佐々木さんの喫茶店に描かれた落書きと、タッチがよく似ている。
「あの二人組か? うわぁ、オーバーザレインボー、再びだな……よくやるよ、こんなイタズラ」
「ずいぶんと煽られたもんだよね」
隣を歩く有沢は、呆れ顔で肩をすくめていた。なんでこいつ、驚かないんだ?
「廊下がこうなってること、知ってたのか?」
「いつごろ書かれたのか、わからないんだ。防犯カメラのスイッチも切られててね、今はついてるけど」
ええ……? 有沢のお母さんに悪いから、口には出せないけれど、もうこの施設、壊滅状態じゃないか。
俺は黙って、しばらく有沢のお母さんの後をついていくだけになっていた。その際、壁の落書きを眺めていたが、タッチがバラバラになってきて、かなりの人数が、このいたずらに参加したと推測できた。
イラストだけじゃなくて、なんだか程度の低い悪口みたいなのも書かれてるぞ。あいにくだが、今更俺にデブって書いても、何にも堪えないぞ。
「かなり大掛かりだな、一人二人じゃ無理だろう。人手が大勢いるし、インキも大量に必要だ」
「ひどい話よね。誰がお掃除すると思ってるのかしら。こんな状態じゃ、しばらく施設は閉鎖するしかないわね。世界中の天才たちを、過労死させたい組織の勝利かしら。悔しいわねぇ!」
有沢のお母さんは、心底悔しそうな語尾だった。彼女が横に並んでいなくて良かったと思う。きっと夢に出るような顔で、怒っているだろうから。
「有沢」
「ん? どうしたの? エルジェイ」
俺は、ずっと浮かない顔をしている有沢に気づいていた。こいつの気持ちは、よくわかるよ。張り切っていた仕事が、なんだかよくわかんない感じに失敗して、その後もリカバリーのしようがないほど、めちゃくちゃになったことが、俺にも何度かあったから。何が起きても、動じなくなってきたのは、そういう失敗をたくさん経験してきて、慣れてしまったからだ。
「お前は、失敗したみたいなことを言っていたが、俺はいい気分転換ができたと思ってるぞ」
「優しいね。でも、拳銃持ってる相手に会いに行くなんて、ぜんぜんリラックスにならないじゃん?」
「そうかもしれないが、俺は、稲妻の轟かないこの現場に、ようやく慣れ始めたところなんだ。なかなか、うーんと……落ち着かないという意味では、まあ気分は変えられていってるほうだと思う、かなぁ」
「きみ、ほんっと仕事が好きだよね」
「好きとかいう次元じゃない。コレは俺そのものだ」
「前世は避雷針かな」
しまった。有沢を励ましてやるつもりが、つい自分の研究のことばかり……。どうしてこう、俺は研究バカなんだろうなぁ。
「僕のお母さんはね、世界中の天才たちが、普段は使わない脳の部位を駆使して、楽しんでくれる企画を立ててきたんだ。どれも大成功でね、まあ楽しんでくれた本人たちは、楽しい夢を見たって感じで忘れてゆくんだけど、確実にリフレッシュできてるんだよ。研究の成果が上がった人もいるんだ」
眉唾だな、なんて本人を目の前に言うわけにはいかない。あのマネキン顔で振り向かれたら、びっくりして心臓が跳ねる。
って、わああ! 振り向いた!
「あの二人組との勝負に、勝っても負けても、ヘリが来るまでの時間稼ぎができれば、それでいいわ。ヘリが来たら合図するから、隙を見て屋上のヘリポートまで上がってきてね」
「わかりました(やっぱ怖い。振り向かないでほしい)」
あ〜、これはもう、俺がヘリで脱出するのが敵側にもバレてるわ。
「あのー、俺が乗ってるヘリが、途中で撃ち落とされたりとか、しませんかね」
「軍が使ってるヘリと同じ物だから、ちょっとやそっとの石ころじゃ落ちないわ」
ああ、よかった、それを聞けて安心した。やっぱり空中から何かされたら、手も足も出ないからな。俺の他にも入所者がいるだろうから、ヘリはきっと狭いだろうなぁ。命が助かるだけ、ありがたいと思うしかないか。
「どうしたの、エルジェイ」
壁の心ない落書きを眺めるうちに、俺はすっかり参ってしまっていた。
「……ヘリでラボに帰ったとしても、俺を過労死させようと考えている奴らが、いるんだと思うと、ちょっと不安だな。まぁ、俺には研究しかないから、戻るしかないんだが……。今までは、研究所にいる連中は、全員、俺と同じことを考えてるんだと思ってきたんだ。それが、研究の横取りだの、過労死だの、ずっと俺のそばでそんな事を企んできたのかと思うと、ちょっと怖くなってきてな」
「あなたの研究仲間とは限らないわよ。他所のラボからの刺客かもしれないわ」
「そう、ですよね……」
「それにね、あなたの過労死を望む人は、きっとあなたの入所のために署名なんてしなかったと思うわ。あなたの所属するラボは、満場一致であなたの休憩を望んだの。これは顧客情報だし、守秘義務を破ることになるから、私が言った事は内緒にね」
俺は不覚にも、涙ぐんでしまっていた。グニュ〜ッと唇を噛み締めて耐える。
「はい……ありがとうございます、有沢のお母さん。それが聞けて、すごく安心しました。仲間を、疑いたくありませんでしたから……」
声が震えていた。泣きそうになったことがバレてるな……。
その後、有沢親子が俺に何か言う事はなかった。エレベーターは、なぜか一階で止まったまま上がってこないので、階段で行ったほうが早いと、有沢のお母さんは案内していく。
ここは五階らしい。有沢と初めて黒ユリシャンデリアのゴシックな廃墟で出会った時も、五階建てだから飛び降りようと思うなと、脅されたっけな。
「ここは何階建てなんですか?」
「十階建てね。少し運動しましょう」
八階へ到達する階段の踊り場で、白いクーラーボックスを両手で抱えた、見覚えのあるおじさんが立っていた。
「ああ、佐々木さん……」
俺が声をかけると、佐々木さんはもじもじしながら、小さく「こんにちは」とお辞儀した。
「あの、佐々木さん、前回はあなたを連れて車に乗ろうとして、申し訳ありませんでした。拳銃を持っている相手の元へ、行きたがる人なんて、いませんよね。俺、早くイベントを終わらせてラボに帰りたいばっかりに、気乗りがしないあなたを車に乗せて、出発しようとしてしまいました。もう俺は、全部の記憶を思い出しましたから、あなたももう島田さん役として出なくていいですよ。今まで一緒に頑張ってくれて、ありがとうございました」
「雷門博士、待ってください。僕も行きます」
ええ? 予想外だ。てっきり、ほっとした顔をして去っていくのかと思ってたよ。この人、怖がりだしな。
「この勝負に使うお肉料理を指定されたので、このクーラーボックスに入れて、待っていました。博士がお忙しいのに、この施設への入所を望んで、名前を記入した一人として、僕にも責任があります。何でも手伝いますから、いろいろ任せてください」
佐々木さん……どこまで心が綺麗なんだ、この人は。よく騙されずに生きてこれたもんだ。
そして、肉料理を必要とする勝負とは、いったい。
「あの、佐々木さん、勝負になぜ肉料理がいるんですか?」
「詳しい事は、僕にもわかりません。でも、もしも指定された物を持ってこなかったら、撃たれてしまうかもしれないので、作っておきました」
え? じゃあ、この人は、クーラーボックスを持って車に乗り込んでくれた時点で、一緒に勝負に挑んでくれる気だったのか。いつもおどおどしていて、気弱そうだと思っていたけれど、なかなか肝の座ったおじさんだな。
「僕からもねー、犯人から指定された食べ物があったよ。今は持ってないけれど、会場に届いてるはずだよ」
「有沢もか? 何を指定されたんだ?」
「塩味のついた葉野菜」
「なんだそりゃ。サラダか?」
「うんとねー、ラーメンの添付けに使うんだってさ」
「ラーメン〜??」
俺の混乱が頂点に達した、と同時に、有沢の母親が、パステルカラーの落書きで覆われた、まるでバラエティー番組で登場する今日のゲストさんを迎えるためのハデハデな扉を、勢いよく開けた!!
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