第14 話   雷門一郎

「あ、もしもしお母さん?」


 有沢が立ち止まったのは、バックヤードの奥深く。電波が入らないとか言っときながら、あいつはスマホで母親と連絡を取っているようだ。


「うん、順調……って言いたいところだけど、大変なんだよ! あ、声が大きいね、ごめん、小声で話すよ」


 有沢が警戒したように背後を振り向いた。俺は積み上げられた段ボールと段ボールの狭い隙間に、何とか挟まって、身を隠していた。ちょうど段ボールの取っ手となる穴の部分から、有沢が見える。


 ため息一つして、有沢が電話に戻った。


「あのすごいメイクの二人組は誰!? あんな役者さん、知らないんだけど、お母さんがメイクしたの?」


 スマホから、ハスキーな女性の声が。しかし、ここからでは有沢に話している内容まではわからない。


「違うの!? じゃあ、衣装は? 僕と衣装のジャンルが被ってるんだ。あれじゃキャラ被りにもなっちゃうし、意識がぼんやりしている雷門らいもん博士も混乱させちゃうよ。彼の精神に悪いストレスを与えちゃう」


 今までのストレスはいいのかよ。それより、俺の名前がわかったぞ。雷門らいもん一郎いちろう。よく「本名ですか?」って人に聞かれる。


「ええ!? 僕らの他には、誰にも衣装を貸してないの? じゃあ誰なの? あの二人。拳銃でセットを壊しちゃったんだよ。たぶんアレ、実弾!」


 身に危険が迫ったことに、有沢も興奮を抑えられないようだ。まるで電話の相手に訴えるような口調だ。しばらく見守っていると、電話の相手から何か気になることを言われたようで、黙ってスマホを耳に当てていた。


「どういうこと……? ねえ、僕この企画、中止したい。何か変だよ。お母さんにはその権限があるんだよね、上の人たちに、このこと話して。シナリオと違うことが起きてる、って。これじゃ雷門博士の人格に、悪影響が残っちゃう」


 また電話から、冷静な雰囲気の女の声が聞こえてくる。有沢はしばらく、彼女の話に「うん」を繰り返していた。


「うん……うん、わかった。気づかれないように動くね。お母さんも、エステが終わったら早くこっちに戻ってきてね」


 どうやら有沢が頼っている女性は今、用事があって外出しているらしい。


「それじゃ、また連絡する」


 電話をぴっと切って、有沢が振り向いた。


「秘密にしようと思ったけど、作戦変更。雷門博士、ちょっと困ったことになったよ」


 俺もたった今困った状況に陥った。有沢の電話を盗み聞きしたことで、彼らが隠している事を、知りすぎてしまったような気がする……。


 俺は、まさか、消されるのか……?


「とりあえず島田さんとこに戻ろうか」


「そ、そうだな」



 有沢とともに戻ってくると、島田さんが一人で、箒とちりとりを片手に、ガラス片を掃き掃除していた。


「店内はガラス片にまみれてて危ないので、二階の従業員控え室に上がってください。あの二人組はもう、今日は来ないでしょうから」


 島田さんは掃除道具を足元に置くと、胸ポケットに入れていたメモとペンを取り出した。


「お詫びに、ご馳走させてください」


「はい? なんのお詫びですか、あなたは被害者なんですよ」


「そうかもしれませんが、有沢さんに依頼した時は、まさかこんなに恐ろしい事件になるとは、思ってもいませんでした。僕の気が済みませんから、お好きな飲み物を頼んでくださいね」


「そんな……悪いですよ。お店、こんなことになってるのに」


「僕ホットチョコレート!」


「遠慮のない奴だな!」


 あまり謙遜していると島田さんに悪いので、俺はカフェラテを頼んだ。本当はブラックコーヒーに、後からいろいろミルクだのなんだの入れるのが好きなのだが、初めからいろいろ入っているものにした。


 めちゃくちゃになっている店内で、飲み物を待っているわけにもいかず、俺と有沢は、島田さんが作り終えるまで、従業員用の狭い控え室で持たせてもらうことにした。


「有沢……大丈夫か?」


 俺の方が色々と質問したいのに、なんだか有沢の様子がおかしい。ずっと眉間にしわを寄せて、従業員用のボックスソファで足を組んでいる。


「僕が具合悪い理由を、どうしても知りたいの?」


「まあ、そんな顔をするキャラじゃなかったからな」


「キャラ?」


 あ、しまった。ゲームのキャラの有沢姫乃は、始終マイペースを貫いていて、公式でもけっきょく詳細はわからないまま、グッズばかりがクレーンゲームの景品になるようなヤツだった。


 俺の目の前にいるのは、ゲームのプログラム通りに動くドット絵じゃない。生身の人間、俺には理解できないセンスの持ち主の、なぞの少女だ。


「女の子が具合悪いのをはぐらかすときは、深入りしちゃいけないんだよ。保健の授業で習わなかった?」


「デリカシーは保険の授業で習うのか」


「そうだよ」


「身体の不調ではないような気がするが」


「あーもう、うるさいな。お腹のトラブルじゃないよ。さっきの電話、聞いてたでしょ? 実弾が使われる予定じゃなかったし、あの二人組も本当はスキンヘッドの双子の役者さんがやってくれるはずだった。なのに……」


 トントンと階段を上ってくる足音がして、カフェラテとホットチョコレートのカップを二人分、お盆に載せた島田さんが、部屋に入ってきた。


「コーヒーですよ。有沢さんは、ホットチョコですね」


 有沢は重たい体を持ち上げるようにしてソファから立ち上がると、カップを受け取って、また座り込んだ。


 俺はその後ろ姿を、なんとなく眺めていた。


「なあ有沢、あの二人組と知り合いなのか?」


「……お腹痛い系女子を質問責め? ヒステリーでブチ切れちゃうからね」


 さっき、腹は関係ないって言ったじゃないか。これじゃ、なんも答えてくれない感じだな……。


 島田さんもキョトンとして立ってるし。


 嫌な空気だな、そして手持ち無沙汰だ。テレビでも点けるか。えーっと、リモコンは、あった、ソファにうもれてた。うわ、古いブラウン管テレビだな。これ、点くか……?


 何度ボタンを押しても、点かなかった。銀色のでかいラジオのつまみも回してみたが、うんともすんとも。


「……ここは電波の通らない無人島か何かか?」


「はーい、落ち着いたよ。感情的になっちゃってごめんね」


 カップを空にした有沢が、元気に立ち上がった。


「きみにこれ以上、不信感を持たれたくないから、僕に話せることだったら話すよ。って言っても、教えられることは少量だけどね」


 多分、ほとんど教えてくれないんだろうな。人の記憶をぶっ飛ばすような組織の人間が、軽い口をしてるわけないからな。


「それじゃあ、あのピエロみたいな格好した二人組とは、どういう関係なんだ。知り合いか?」


「うん、まあ、知り合いだよ。あんまりしゃべったことないけど」


「仲は良くなさそうだな」


「と言うよりもね、この場所で働く従業員が多すぎて、彼らと長くしゃべった事がないんだ。どういう感じの人たちなのか、いまいちわかんない……」


「そうか」


 別の質問にするか。有沢も知っていそうな内容にしよう。


「さっきの電話の相手は、お前の母親なのか?」


「血は繋がってないけどね。彼女には大勢の子供がいてね、まぁ僕もその一人なんだけど。自分の後継者をたくさん育てたい人なんだ。彼女のやっている事は、世界的にすごい価値があるからね、跡継ぎは何人いても困る事はないんだ」


「ビックボス、いやビックマム的な存在か。ちょっとかっこいいな」


「ちなみにお母さんの存在は、世界中の命運が掛かった企業秘密だから、これ以上は話せないよ。僕を質問攻めにしたってムダだからね」


「その話が本当ならば、俺は家に返される前に消されないか」


「その心配は無いから安心して。きみはここで僕たちと、遊んでればいいんだからさ」


「実弾を避けながらか? ハハ、寿命が伸びるな」


 俺はすっかりぬるくなったカフェラテを、一口飲んだ。


 舌に乗っかった食べ物という刺激が、俺のぼんやりしていた頭に、思いっきり平手打ちを食らわせた。


 飲み物や食べ物を口にする行為を、体全体が思い出し、そして俺の身近でそれらに関係する仕事に就いている、とある人物の記憶に結びついた。


「やっぱり佐々木さんですよね」


 なぜか島田を名乗る人物、佐々木さんが「え?」と硬直した。


「あの、僕はぁ、島田ですけど」


「いいえ、あなたがうちの会社の厨房で働いているのを、見かけたことがあります」


「え、えっと、人違いでは?」


「お姉さんが一人いると言っていましたね。では双子の兄弟はいないわけだ」


 ここで「じつは生き別れの双子の兄弟がいるんです!」なんて苦しい言い訳をされる可能性もあったんだが、島田さん、もとい佐々木さんは、そこまで舌がまわらなかったようだ。あわあわしている。


「俺はラーメン店巡りが好きで、健康重視のヘルシーなメニューを考案するあなたの食堂には、顔を出したことがありませんでした。俺が新入社員の頃は、社内食堂を利用していたこともありましたが、その時は、あなたはまだいませんでしたから、俺は一度もあなたの料理を食べたことがありません」


「……」


「佐々木さんは俺に、一度も手料理を食べてもらっていないと言っていましたね。あれは炊飯器の中の豚の角煮のことを言っていたわけではなく、社内食堂で出しているメニューのことを言っていたのですね」


「ごごご誤解しないで聞いてください。僕は料理を食べてもらえないからって、あなたを恨んだりはしませんよ。むしろ、その逆です。会社の社員一同、あなたの健康を心配しています。ここ最近のあなたは、本当に、ひどかったですから……」


 この人、俺のことを常に「あなた」って呼ぶよな。雷門くんとか、博士、先生と呼ばれることが多かったから、あなた呼ばわりはちょっと変な感じがするが、目上の人だったり尊敬する人に対してだったら、あなた呼びする大人はいるだろうなぁ。


「それに最近のきみは、命も狙われていたみたいだよ。趣味のラーメン屋さん巡りの、その途中で、撃たれたの覚えていない?」


「撃たれただ〜? 刑事モノのドラマじゃあるまいし。俺は撃たれるほど誰かに恨まれていたのか?」


「恨まれてるよ〜、超が百万倍付くぐらいには恨まれてるね」


「いや、恨まれ過ぎだろ。俺はどこかに核でも落としたのか?」


「いや、違うけどさ。君が頑張ると損をする人間が、世界中にたーくさんいてね、早い話が、きみさえいなくなればって願っている人が大勢いるのさ」


 そこまで大人数を敵に回すほど、俺は何に熱中していたんだ? もはや狂気の沙汰じゃないか。


「俺はそこまでの数を敵に回すほど、何を頑張っていたんだ?」


「博士、あなたを有沢さん達が経営するこの施設に入所させたのは、あなたを心配する周りの人たちです。あなたは自らの健康を犠牲にする生活を、十年間も続け、そして命が狙われている危険性があるにもかかわらず、唯一の楽しみだからと、ふらっと出かけてはラーメン屋さんに。ラーメンが悪いとは言いませんが、十年間もラーメン五食はあまりにも健康に悪いです。せめて野菜ジュースか、サラダもつけてください。そして監視されるのが嫌だからと言って、護衛をつけたがらないのも良くありません。あなたが撃たれたという情報を、社内の一斉通知メールで受け取った時、皆がどんなに蒼白したか。博士の研究と、この十年間が、全部水の泡になるところでした」


 佐々木さんまで俺が撃たれたとか言い出したぞ〜。ちょっとジャケットを脱いで、撃たれた箇所を探してみるか。


「俺はどこを撃たれたんだ?」


「右肩です。彼らはあなたの利き腕を、潰そうとしたんでしょうか、それとも、首を撃とうとして狙いが外れたのか。犯人は未だ捕まっておらず、本当のところは分かりません」


 右肩〜? あ、あったぞ、って、うぉわ!!


 ほっぺたの真下の、見えにくい位置に、皮膚が変な形にえぐれてケロイドになっている箇所がある。視界に入った途端に、目玉が飛び出そうになったぞ。


 こんなのが頭部に命中したら、即死してただろう。あと、おまけだが、腕にたくさんの注射跡を見つけた。目にした途端に、急に腕中が痒くなってくる。


「外は危ないですから、しばらくこの施設で過ごしてください。そうすれば、雷門博士はきっと独りでも……大丈夫になりますから」


 佐々木さんが、困ったような、悲しそうな顔をして、そう言った。一人ってどういうことだ? 俺のやっていることって、一人でもできることなんだろうか……?


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