第6話 西條アリス

「――!」


 一瞬圭介は言葉をなくして、呆然と開いている襖の前に立つ人物を見つめた。


 まずその足音からして圭介が初めに想像していたような、がっちり系の霊能力者ではなく、細身の女性もしくはとても身のこなしの軽い女性だろうと想像していた。

 しかし目の前に現れたのは、確かに細身の身のこなしも軽そうな女性とも言えたが、女性と呼ぶには幼すぎる、なにせ、その背には日本で育ってきたものなら、誰もが一度は背負ったことがあるだろう、ランドセルが背負われていたのだから。

 そう圭介の目の前に現れたのは、どこからどう見ても間違いなく、小学生五、六年生ぐらいの少女だった。


 紺色のカーデガンに白いワイシャツ、タータンチェックの赤いスカートといういでたちの少女は、その姿からは想像できない流暢りゅうちょうな日本語で「ただいま」といいながら部屋に入って来た。

 そして部屋の中に見知らぬ男がいるのを見ると、叫ぶでも驚くでもなく「こんにちわ」と挨拶をした。


「こ、こんにちわ」


(やはり流暢だ)


 圭介がなぜそんな感想をもったかと言えば、この日本家屋の部屋に似つかわしくない、透けるような白い肌に森を思わせる深みのあるグリーンの瞳に、腰まで届きそうな軽くウエーブのかかった明るい金髪の異国の少女だったからだ。

 でも、下の店で見れば、きっと圭介のほうが異国人で、同じ建物の一階と二階で、国をまたいでいるような不思議な感覚に襲われる。


「山崎、客か?」


 その言葉で圭介はハッと我に返った。

 おもわず、じっと少女を見つめていた圭介が「えぇ?」と、思わす我が耳を疑った。子供特有の少し高い良く通る声音、日本で生まれ育ったことをうかがわせる流暢な日本語。

 しかし圭介を驚かせたのはそんなことではない、子供が大人に話しているというより、女王が召使にものを訊ねるような、傲慢な空気というか響き。


 たぶん「ただいま」と入ってきたところから、この店のオーナーの娘かなにかなのかもしれないが、いくら山崎が雇われ店長であったとしても、目上の者に対する言葉遣いがまったくなっていない。と圭介は思った。


 しかしとうの山崎は慣れているのか、別に気にも留めていないようだ。

 もしかして流暢に聞こえるが、日本にきてまだ間もなく日本語の敬語などを知らないだけかもしれない。それならこの言葉遣いでも納得いく。


「おぉ、おかえり。この間電話くれた谷村圭介さんだ」


 質問しておきながら返答を待たず、居間から隣接した部屋に入っていく少女の背中に山崎がそう声をかける。


「そうか」


 ランドセルを置いて代わりに真っ白なウサギのぬいぐるみを抱えて圭介のいる部屋に戻って来ると、どういう理由か、山崎の隣の座布団にそのウサギをちょこんと置くと、自分はのれんの奥に姿を消した。


「…………?」


 テーブルを挟んで圭介の斜め前の座布団に座らされている真っ白なウサギのぬいぐるみを思わず凝視する。

 それは店に並んでいた他の売り物と同じように、よくできていた。

 白いふわふわの毛は見るからに柔らかそうで、その瞳は少女と同じ透き通ったグリーン。

 その宝石のような目をみていると、まるですべてを見透かされているような気持ちになり、圭介はおもわず目をそらした。

 

「なんだ、山崎お客様に茶の一つも出していないじゃないか」


 目をそらした先には、さきほどの少女が湯飲みを持ってちょうどのれんから出てきたところだった。 

 そして圭介の前になにも置かれていないのを見て、呆れたような眼差しで山崎にそう言い放った。


「おぉ、そうだった。これは気が利かなくてわりぃことしたな」

「いえ、おかまいなく」


 その年齢からは想像できない、大人びたいいように、言われた山崎より圭介が慌てる。しかし山崎は、よいしょと立ち上がると、のれんの奥に姿を消した。


(気まずい……)


 事務所をかねた生活空間なのだろうか。白ウサギのぬいぐるみを膝に乗せると、少女は今度はそこにちょこんと座ったのだ。

 目の前に突然プライベートな人間が座ると、人の家に勝手に上がり込んでいるような気がしてなんだか居心地が悪い。


 それに小学生とはいえ黙って座っている姿はまるで物語に出てくるお姫様か、穢れなき天使のようだった。

 あまりジロジロ見るのも、なんだか自分がいけないことをしているようで、真っ直ぐに少女の方を見ることができない。だからといって、人様の家の中をジロジロ見まわすのもどうなんだろうと考える。

 だから自然に視線は少女が自分で入れてきた湯飲みに注がれしまった。


「昆布茶が好きなのか?」


(昆布茶を飲んでいたのか!)


 意外な答えにおもわず少女を見る。湯のみで飲んでいるとはいえ小学生だし、さらにその見た目から勝手にココアや紅茶だろうと思い込んでいたら、まさか昆布茶だったとは。

 それより、そんなに物欲しそうに湯飲みを見てるように思われたかと思うのも、少し、いやだいぶ恥ずかしくて、思わず圭介は顔を赤くしてうつむいた。


「昆布茶好きか」


 少女が目を細めてフフンと鼻で笑った気がした。

 そのなんとも言えない、生暖かい視線に、圭介はますます縮こまる、それと同時にその笑みに違和感を覚える。


 なんていうか妙に大人びているというか卓越しているというか、そう初めて彼女を見たときにも感じたが、確かにお人形のような整った顔立ちは花のようにかわいらしく、将来を期待してしまう容姿を持ってはいたが、なぜだろう、年相応の子供らしさというか、無邪気さというか、そういったものが感じられなかった。


 落ち着き払って昆布茶を飲む姿など、小学生だという事実を捨てればどちらが年上か分からなくなりそうだ。


「山崎、お客様は昆布茶をご所望だ」

「へーい」

「あっ……」


 昆布茶が飲みたかったわけではないが、もう頼まれてしまったので圭介はあえて訂正することはしなかった。

 なんだかますます居心地が悪いような、落ち着かない気分になる。


(早く山崎さんでも霊能力者でもいいから、来てくれないかな)


 内心困っている圭介をよそに、目の前の少女はおかまいなしに自己紹介を始めた。


「私は西條アリスと申します。お見知りおきを」

「サイジョウアリス?」


 目の前の少女を完全に外人だと思っていた圭介は、西條という苗字に思わず繰り返してしまった。


「なんだ、人の名前を聞いて」


 圭介の反応に、そのきれいな顔をおもしろくなさそうにしかめる。


「アリスがそんなにおかしいか?」

「いえ」


(名前のほうじゃなくて、苗字に驚いているんですけど)


 声には出さず一人で突っ込む。


「ハーフなんですか?」


 子供相手に思わず敬語で圭介は問いかけた。


「ハーフを見るのは初めてか?」


 一方アリスと名乗った少女は、どっちが年上なのかわからなくなるくらい、堂々とタメ語で返してくる。


「そんなことはないんですが……」


 なんだか失礼なことを言ってしまった気がして、ついしりすぼみな話し方になる。

 そんな圭介をアリスは一瞥すると、ようやく飲める温度にまでなった昆布茶をゆっくりと喉に流し込む。

 その姿はまるでお茶の作法のように優雅で、圭介は再び見惚れてしまった。


「まあいい、それより詳しく話してくれないか仕事の内容について」


(おいおい、確かに子供には興味のある話だろうが)


 圭介は心の中で呟いて、困ったような表情で諭すように語り掛けた。


「ごめんね、今霊能力者の人を待っている最中なんだ、それにこれはアリスちゃんみたいな子供には怖い話しなんだよ」


 年上にも関わらず気持ち負けしていた圭介が、ここぞとばかりにアリスを子供扱いする。

 案の定アリスはふて腐れたように頬を膨らました。

 なんだかようやく年相応の反応をみられたきがして、圭介は少し安心した。

 しかし──


「山崎!」


 アリスは突然席を立つと大きな声で呼んだ。

 ちょうど昆布茶と茶菓子をお盆に乗せて部屋に入ってきた山崎が、驚いたようにアリスと圭介を交互に見つめる。

 だが圭介もなぜ彼女が怒り出したのか見当がつかないという様子で、驚いた表情で山崎を見返すばかりだった。

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