第2話 谷村圭介

 渋谷区でありながら若者の喧騒とはまた違う雰囲気を漂わせている街、代官山。

 高級住宅街・大使館・教会などと共に、ハイセンスでお洒落な大人の店がそこかしこに立ち並ぶ、そうかと思えば一本裏道に入れば昔ながらの家並みがまだ数多く点在し、また住宅を改造した小さいながらもおしゃれでかわいいカフェや雑貨屋が道行く人の目を楽しませてくれる。

 若者から大人まであらゆる層を魅了してやまない街、そんな場所に目指す店はあった。


「やっぱり東京はおしゃれだな」


 今年の春東京の大学に合格し、上京してきたばかりで髪も染めていなければピアスもあけていない。服装は意味のない英単語がプリントされたTシャツにジーンズ、そしてスニーカーという特に目を引く特徴もない、一度会っただけでは記憶にすら残らないだろう、まさにモブキャラのような青年だった。

 ただ誰から見ても第一印象でお人好しと思われることに関しては、逆にこの時代のこの場所では貴重な存在ともいえなくはなかった。


「ここだ」


 アプリの地図を頼りに見つけ出した店の前で立ち止まる。すぐには入らず一度通りすぎる。近所を一周して再び店の前に立つ。

 それからおもむろに、腕時計を見ると短く嘆息する。

 その顔には疲れの色がはっきりと見て取れた。


 通りすがりの人はそれを見て「五月病かな」と思ったかもしれない。

 もうすでにカレンダーの上では六月の半ばにさしかかろうとしているが、いまだ新しい環境に馴染めず、こうしてすべてが気怠く憂鬱そうにため息をつく人をみな一度は目にしてきたからだ。


「――――」


 しかし店を見つめる目は、確かに疲れてはいたがホームシックや何かに絶望している感じではなかった。ただ何かに期待するような光と、それが叶わなかいもしれないという不安のような気持ちが垣間見えた。

 気合をいれるように腹に力を入れながら深呼吸すると、真正面から店を見据えた。


 建物全体は薄い水色に塗ってあり、一見レトロなカントリー風のたたずまいに見えなくもないが、近づいてよく見ると、隣の家との境はネコ一匹が通るのがやっとというぐらいの隙間しかなく、そこから覗く壁は年期の入った代物だった。

 古い日本家屋を、いまどきの店ように改築したのだろう。

 一通り店の外装を見た後、今度はその看板に目を留める。


「オーダーメイドぬいぐるみ専門店 アリス」


 〜ぬいぐるみ・ぬいぐるみの洋服の注文受け賜ります〜


・ぬいぐるみ作り教室

 毎週月、水 午前十時~十二時

・ぬいぐるみ洋服作り教室

 毎週火、木 午前十時~十二時


 ガラス張りの大きなショーウインドウには、カジュアルな服装からレースやフリルなどがふんだんに使われたゴシック調の服など、色々な服を着たぬいぐるみたちが通行人の目を引きつけていた。

 一見して大量生産品とは一線を画しているだろう、みるからに高級そうなぬいぐるの隙間から店の中を覗き込む。

 店の中央辺りに置かれたテーブルに、四人ほどの人が座っているのが見えた。

 曜日と時間からいって、ぬいぐるみの洋服作り教室の生徒だろう。

 再び腕時計をチラリと見ると、しばらくそのまま何か考え込むように動きを止めた。


「やっぱりなにか違うような、予約はキャンセルしようかな」


 ひとり言を呟いてからきびすを返す。

 刹那、いきなり野太い声が頭上から降ってきた。


「見学の方ですか?」


 いつからそこにいたのか一人の長身の男が立っていた。

 年の頃は三十代前後、ライトカーキ色のズボンに南国の花が咲き乱れた真っ赤アロハシャツ、第二ボタンまで開けられた胸元からは褐色でたくましくい筋肉が覗いている。


 もしここが代官山という場所じゃなく新宿歌舞伎町で、男の首や腕に金のネックレスやローレックスが光っていたなら、間違いなく誰もが関わってはいけない危険人物だと判断したに違いない。


 しかし男が身に着けいているものはごく普通の腕時計と、袋からはみださんばかりの食材の詰まった買い物袋、それに見た目のいかつさとは裏腹に、その声音はとてもやさしい響きの良い声をしていた、またセリフからも、この男が店の店員だということはすぐわかったはずなのだが……

 突然の登場と、地元でアロハシャツを着ているような人間など、ヤンキーかチンピラのたぐいしか知らなかった青年は助けを求めるように左右を見渡した。


「あっ、あの、……」

「それともご注文ですか?」


 明らかに不振な行動を見せる目の前の青年に、チンピラ風の男が怪訝そうな声音に変わる。


「いえ、その……注文……?」


 その言葉でようやく男が店員だと気がつく。それでも、信じられないというように頭の天辺から足の爪先までもう一度見る。


「まあとりあえず中にどうぞ。見ていくだけでも結構ですよ」


 言葉の丁寧さとは裏腹に、選択肢など初めから用意されていない有無を言わせない強い口調で男が言った。

 先ほどからの行動と自分を見上げる怯えたような探るような表情から、男もいまやただの客じゃないと思っているらしい、まるで獲物を罠に掛ける狩人のような視線を向けている。


 素直についていけばよかったのだが、まだどこかで本物の店員なのか、それとも悪徳商法の怖い人なのか見極められず、たとえ本物でも、入ったら最後無理やり何か買わされる、という思いにかられその場で硬直して動けなかった。


 そんな青年の態度に男は痺れを切らしたのか、今までの丁寧な口調からいっぺんしてドスの効いた声音で一歩圭介に詰め寄った。


「まさかおたく、マコちゃんのストーカーじゃないよなぁ」


 明らかに不審者を見るような視線で青年を睨む。


(マコちゃんて、誰です? それにストーカーって……)


 一変して客から犯罪者に格下げされ、驚きと恐怖のあまり目を丸くして男を見つめた。

 だが先ほどからの行動を見ていれば、不審者と勘違いされてもしかたないといえば仕方ないことだった。


「で、どっちなの」


 すでに男の中で青年は、変質者だと認定されつつあるようだった。このままただ黙っていたら、この場で取り押さえられるか袋叩きにあいそうだ。


「ぼ、僕は! 一時から予約している、谷村圭介たにむらけいすけです!」


 裏返った悲鳴のような声で青年はそう叫んでいた。


「谷村……」


 何かを思い出すときの仕草なのか、男は顎に指をあてながら視線を空に向けた。そして再び谷村圭介と名乗る目の前の青年を見下ろしたときには、さきほどまでのドスの効いた低い声音から、また初めて声をかけてきたときのような優しい声音と、愛想のいい営業スマイルに戻っていた。


「やだなぁ谷村さん、そうなら早くいってくださいよ」


 ニコニコしながらの腕時計を見る。


「だいぶ早く着いてしまったんですね、まぁ大丈夫です。中に入って少しお待ちください」


 田舎の青年もとい、圭介はさっきまで自分が予約をキャンセルしようと考えていたのを思い出し、どうしたものかと途方にくれたような表情を作った。

 それをどうとったのか。「気にしないでください」と、男が言うものだからますます言い出せなくなる。


 だいたい人に頼みごとをされると嫌と言えない気弱な性格の持ち主だ、電話でだってキャンセルするのにすごく勇気がいるのに、目の前でそれを言葉にすることなどほとんど不可能な気がした。


 ――カラン、コロン。


 さらに追い討ち掛けるようなタイミングで、店の扉が開く。

 ぬいぐるみの洋服作りの授業を終えた生徒たちがそれと共に店からでてくる、圭介は開いた扉と中に促すように手を伸ばしている男の姿を見て、観念したように店に足を踏み入れたのだった。

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