将来の夢
天橋文緒
将来の夢
五月の半ば。満開だった桜が散り、街路樹の緑が濃くなる季節。東京港区にある私立小学校の四年一組の教室では、授業参観が行われていた。
黒板には、白い文字で『将来の夢』と書かれている。緊張のせいか時折、中年の男性教師は額の汗を袖で拭き取る。
教室の後方、生徒のロッカーの前には、親達が立ち並ぶ。色の濃いサングラスをかけた女性や整髪剤で髪を撫でつけた浅黒い肌の男性、白髪交じりで銀縁の眼鏡をかけた男性、いずれの親も緊張の面持ちでいる。
教師は、指名した生徒に『将来の夢』を朗読させていた。朗読する原稿は事前に宿題として知らされている。
最初に結衣が指名されて席を立ち、読み上げた。『公務員になって、少しでも家族と長く過ごしたいです』という言葉を聞き、サングラスの女性がポーチから刺繍のあしらわれたハンカチを取り出し、目元を押さえる。
次に、樹が指名された。真剣に読み上げ、後ろに立つ父親を一瞥してから席に着く。浅黒い肌の男性は、うんうんと軽く頷いて満足そうな表情をする。
授業の時間が残り僅かになり、白髪交じりの男性がぼそっと「大和は読まんのか」と呟いた。
放課後。樹と結衣と大和は三人で帰路についていた。オレンジ色の夕陽が差す道を、鞄を背負って歩く。
途中、自販機の前で大和が立ち止まる。硬貨を入れてコーラのボタンを押す。すると、すかさず樹が横から受け取り口に手を入れて、取り出した。
悪戯っぽい顔をした樹がコーラを飲み始める。
「樹、勝手に飲まないでよ」
大和が眉を下げて、困ったような顔をする。
「いつまでそんな子供みたいなことしてんの」
結衣は呆れた顔をする。それから、何とはなしに授業参観のことを話し始めた。
「『お父さんみたいな立派なお医者さんになりたいです。』って樹が真面目に話してるのはウケたわ。笑うのを隠すのに必死だったもの、私」
「うっせえよ。結衣だって俺の前に『公務員になって、少しでも家族と長く過ごしたいです』とか思ってもないこと発表してただろ。いいよなー、大和は。先生に指されなくて」
「僕は楽できて良かった。あんまり目立ちたくないからさ。」
俯き、照れ臭そうに大和が言う。樹がつまらなそうにコーラを振り始めた。
「私だって、本当ならデザイナーになりたけいどさ。大和は 前に言ってたようにミュージシャン?」
結衣が興味深そうに訊ねる。
「ううん。本当はミュージシャンになれればいいけど、父さんに聞かれるから学者って書いておいたよ」
それを聞いて、樹が自嘲気味にに鼻を鳴らす。
「何だよ、俺ら三人とも本当の夢は書いてないんだな。俺は俳優。結衣はデザイナー。樹はミュージシャン。まあ、親に話すの恥ずかしいからな」
樹が大和に素知らぬ顔でコーラを渡した。大和がありがとう、と言って蓋を開ける。よく振られたコーラが勢いよく噴き上げた。
「うわあ、樹何するんだよ」
「引っかかった。ダッセー」
結衣はため息をついて、呟く。
「あーあ、子供っぽい」
将来の夢 天橋文緒 @amhshmo1995
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