第2話

 私にはストーカーの自覚がある。

 だってこうやって毎日タカシの住んでいたマンションにやって来てはその不在を確かめているのだから。そこはすでにカラッポになっていて、私とタカシが愛し合ったおもかげなど微塵も残ってはいなかった。タカシの行き先の手がかりとなるようなものがあるかもと郵便ポストを物色したけれどパチンコ屋のチラシしか入ってはいなかった。クリスマスイブのLINEを最後に、タカシは私の前から忽然と姿を消した。12月25日にこのマンションに来た時にはすでにもぬけの殻になっていた。

 今、私とタカシをつなぐものはTwitterしかない。

 タカシは私がTwitterをやっていることは知らないが、私はタカシがTwitterをやっていることを知っている。初めてのsexのあと、タカシがシャワーを浴びている隙にスマホを盗み見たのだ。以外にも実名で、フォローは企業アカウントを中心に52、フォロワーは130程度だった。政治や時事ネタにはまったく言及してはいなかった。どこどこへ行ってなになにを食べた、美味しかったなど、当たり障りのないことをツイートしていた。アイコンも自撮りの画像を使っていて裏アカもなく、とても健全な印象だった。私はますますタカシのことが好きになった。そして自分のアカウントでタカシをフォローして、そっとスマホを元の位置に戻したのだった。

 しばらくマンションの空室を眺めた後、私は出勤するために駅へと向かった。老舗デパートのサービスカウンターの受付嬢、それがこの世における私の仮の姿である。朝10時の開店とともに誰も来ない退屈な1日が始まる。とにかく、客よりも圧倒的に店員の数のほうが多いのだ。これでお給料が貰えるのかと心配になってしまうが、給料の未払いは今のところ一度もない。おそらく、そう遠くない未来にこのデパートは潰れるだろう。特に愛着もないからべつにいいのだけれど、この制服が着られなくなるのはちょっと淋しい。ワインレッドのブレザーに大きなリボンのデザインが、私がなれなかった特別なひとを演出してくれているようで気に入っているのだ。コスプレのような感じ、と言えば伝わるだろうか。

 そんなこんなで1日が始まった、と思ったらいきなり迷子が来た。小学校に入るか入らないかというような年頃の女の子で、ピンクのワンピースを身に付けている。迷子なんて何年ぶりだろう。私がこの仕事を始めた過去7年の間に、おそらく10人もいなかったのではないか。少し緊張しつつ、私は女の子に声をかけた。

「パパとママとはぐれちゃった?」

 うん、と女の子はうなずいた。今にも泣き出しそうだったけれど、グッとこらえている。強い子だ。私はしゃがんで女の子の高さに目線を合わせた。

「君の名前を教えてくれるかな?」

 うん、とうなずいて、女の子は遠慮がちに答えた。

「大蜘蛛アスカ」

 私の心拍数は急上昇した。全身から変な汗が吹き出した。ゆっくりと深呼吸をして、平静を装いながら次の質問をした。

「お父さんの名前はわかる?」

 うん、と女の子はうなずいた。そしてさっきと同じように、遠慮がちではあるがはっきりと答えてくれた。


「大蜘蛛タカシ」


 大蜘蛛という苗字は日本に数十人ほどしかいない、とタカシから聞いたことがある。日本にその程度ということは世界を含めてもそんなもんということだ。その数十人の内のひとりが、今私の目の前にいる。そして、タカシの苗字も大蜘蛛だった。仕事とプライベートを混同してはいけないと自分に言い聞かせつつ、私は館内アナウンス用のマイクに向かった。そして、甲子園の鶯嬢ばりの美声をデパート中に響かせた。こほん、と咳払いをひとつ。

「お客さまのお呼び出しを申し上げます。大蜘蛛アスカちゃんのお父さま、アスカちゃんがお待ちです。至急、1階サービスカウンターまでお越しくださいませ。繰り返します。大蜘蛛アスカちゃんのお父さま、アスカちゃんがお待ちです。至急、1階サービスカウンターまでお越しくださいませ」

 ふぅ……これでよし。あとはタカシが来るのを待つだけだ。それにしても、まさかタカシに子どもがいたなんて。私と付き合い始めたのがちょうど5年ぐらい前だけど、この子はどう見てもそれより前に生まれている。ということは、私と付き合い始めた時にはすでに子持ちだったことになる。タカシが結婚して子どもまでいたなんて聞いたことがない。いや、聞いたことがなかっただけで、実際に子どもは存在したわけだ。でも、私は何度も、この5年間それこそ数え切れないほどタカシのマンションに通っている。子どもどころか女がいた形跡すらどこにもなかった。それなのに……。いったいどんな顔をしてタカシに会えばいいんだろう。去年のイブに一方的に別れを切り出されてから一度も連絡は取っていない。それに、別れる原因となったはたちの女子大生とやらはどうなったんだろう。まさかこの子がその女子大生の娘というわけでもあるまい。なんかこんがらがってきたから一度整理してみよう。まず、私と付き合い始めた時にはすでに結婚して子どもがいた。そして、私と別れる時にははたちの女子大生と付き合っていた。こう考えるとべつに整理するほどのことでもないな。そんなに難しいことではない。とりあえずタカシが来たら他人を装ってやり過ごそう。本当ならこの館内アナウンス用のマイクで頭を粉々に打ち砕いて撲殺してやりたいところだが、そんなことをしたらこの女の子にトラウマを植え付けることになってしまう。私には失うものなど何もないからいいけれど、この子には何も失ってほしくはない。幸せな将来を迎えて、立派なレディになってほしい。

「アスカ、駄目じゃないか」

 以外にも、やってきた男性はタカシではなかった。いや、正確にはタカシなんだろうけど、私の知っているタカシではなかった。

「ほんとに申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」

 いかにも良きパパといった風情のその男性は、礼儀正しく頭を下げた。そしてアスカの手を取って、エレベーターに消えた。扉の閉まり際、アスカは小さく私に手を振った。


 バイバイ


 私も同じように小さく手を振った。もう二度と、会うこともなさそうだった。

 サービスカウンターに戻った私はタカシのことを考える。日本に数十人しかいない苗字で、同姓同名はあり得ない。おそらく、私の知っている大蜘蛛タカシは偽名だろう。私の認識していたタカシは、この世界にはきっと存在しないのだ。だとしたら、私がタカシだと思って付き合っていたタカシは一体誰なんだろう。もしかしたら、さっきの男性のほうが偽名……でもそうなるとアスカまで偽名ということになってしまう。そんなことあるはずがない。タカシがストーカーをしている私を攪乱しようとあの親子を送り込んで私を騙す目的でひと芝居打たせた、なんてことは絶対にないはずだ。だいたいタカシと同姓同名の人物と出会ってどうして私がタカシを偽名と断定するとわかるのか。ひょっとしたら、どちらも本名で大蜘蛛タカシなのかもしれない。でも、もしかしたら、どちらも偽名の大蜘蛛タカシなのかもしれない……。世界の真実と私の知っていることは必ずしも一致しない。世界のありとあらゆることが本当で、私だけが嘘ということもあるかもしれない。

 もしくは私だけが真実で、この世界のすべてが嘘ということだって、あるかもしれない。

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