今夜はフォローバック

おなかヒヱル

第1話

 夏なのにこたつで寝ている。

 電源はオフにして眠っているから暑くはない。冷房はほぼ1日中つけっぱなし、洗い物は週1回が精一杯でだいたい外食、洗濯物は取り込んでそのまま同じ物を着る。真冬でも扇風機は出しっぱなしでたまにスイッチを押して無意味に回してみるけれど、寒いからすぐに止める。要するに、私はめんどくさがりなのだ。

 朝6時、タバコに火を点ける。ナナが大好きで、長かった髪をバッサリ切った。必死でバイトをしてVivienneを買った。歌が下手だからギターを始めた。だけどFコードで挫折した。ケバい化粧も社会人になってナチュラルメイクに変わった。ピアスもやめた。結局、ナナに憧れて残ったものはこのセブンスターだけだった。

「ほら、十代のころってそういうの好きじゃん? それでバンドやったり漫画家を目指したり。でも、夢っていつかは覚めるから」

 自分には何の才能もないと気付いた時にひとは夢から覚めるのだろうか? それとも、ただ時間が過ぎて情熱を忘れてしまうのだろうか? 試食のバイトをしている奈々がひとり取り残されているかのように描かれていた時点で私は気付くべきだった。私は憧れる対象を間違えた。夢の商人から夢を買ってはいけなかったのだ。

 灰皿でタバコを揉み消し、ため息とともにこたつから出てシャワーを浴びる。素っ裸で冷房の前に立ち、姿見でボディラインを確認する。体重は17歳からほとんど変わっていない。少し乳房が垂れて肌に艶がなくなって化粧が濃くなったぐらいだ。あと猫背になった。要するに、十代の私からはほぼ別人になったということだ。老いるとは変わることなのだ。

 20分ほどかけてメイクをして100均で買った茶碗にシリアルを入れて牛乳をかける。咀嚼しながらスマホでTwitterを開いた。

 やっぱり、タカシからのフォローはまだなかった。

 タカシとは去年のイブに別れて以来会っていない。5年付き合って結婚してくれると信じていたタカシは、はたちの女子大生にあっさり寝取られた。12月24日、つまりクリスマスイブにLINEで一方的に別れを告げられた。私はスマホのディスプレイをタップして必死に追い縋ったけれど既読を全部無視された挙げ句にブロックされた。それきり、タカシとは連絡を取っていない。その日、予約していたクリスマスケーキはひとりで食べた。純白のショートケーキにはMerry Christmasと描かれた板チョコと砂糖菓子でできたサンタがデコレートされていた。私はそのサンタをタカシに見立ててフォークで粉々に砕いて食べた。そして、号泣しながらワンホールのショートケーキをひとりで貪った。

 いったいこの世界とはなんだろう? どうしてこんなにも理不尽で不公平なのだ。生まれてすぐに死んでしまうひともいれば、百歳を過ぎても生きているひとがいる。実の親に虐待されたり老人の車に跳ねられたりしてたった2才で亡くなるひともいれば年金をもらいながらも幸せに暮らしているひともいる。大企業に就職をして順調にキャリアを積み重ね、結婚をして家庭を築くひともいれば自宅警備に明け暮れて一生出て来ないひともいる。生まれながらにお金持ちでなに不自由なく生涯を終えるひともいれば、なにひとつ上手くいかずにホームレスになって自殺してしまうひともいる。そういえば、ある哲学者がこんなようなことを言っていた。生まれてきた意味などはなく、誰もがたまたまこの世に生を受けたのだと。だから、なんで生まれてきたのかなんて自分で勝手に決めればいいし、べつに決めなくてもいいと思う。お金持ちは人生を謳歌するために生まれてきたのだとしても、2才の子は親に虐待されるために生まれてきたわけでは決してないのだ。

 私は全裸でシリアルを平らげて出勤用のスーツに身を包んだ。どっからどう見てもOLにしか見えないし、実際にそんなようなものだった。あの頃の私、つまり十代の私が今の自分を見たらなんて言うだろう。NANAの登場人物みたいにデカダンでカッコいい大人になりたかったのに、結局ただ頽廃しただけのくたびれた大人になってしまった。それは、私が最もなりたくなかった大人の姿だった。目標をひとつひとつ見失って、どこだかわからないところにたどり着いた。そこは、世間とか社会とか言われている場所で、とても息苦しくて、たまにどうしようもなく死んでしまいたくなる。私はそんな世界で、まだうまく泳げないでいる。この不自由な心で、いつまでもさ迷って、そしていつか消えて行くのだ。

 未だ履き慣れないヒールを履いて、唾液でリスペリドンを飲み込んで、私は狂った世界のドアという名の玄関のドアを開けた。

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