第一幕・十三『自分の模倣 -ジブンノモホウ-』


 〜 〜 〜 〜 〜



 ――セリアの部屋を出てからほどなくして、授業を途中から聞くのも億劫だと思ったミツルは学院内の敷地で時間を潰していた。彼女は欠席扱いにはしないと口にしたのだから心配無いだろうと一人思いふける。


 このロエスティード学院では、一部が授業中でも他は休憩時間だったりとまるで統一性が無い。よってちらほらと見える亜人含めた学院の者たちは入って間もなくさぼっているミツルを何ら気にすることなくスルーしていく。


 腕時計も無いミツルは時間を把握できずに、授業はいつ頃終わるのだろうと予想していると、視界の端に見知った姿形を捉えた。アリヤとローリアである。


 アリヤは少し離れた距離からこちらを見ているミツルに気が付くと、ローリアの肩を指先で数度つつく。そしてつついた同じ手をミツルに向けると左右に傾けて手を振ってきた。ローリアは手を軽く挙げて挨拶のジェスチャー。


「――ミツル、そんなところで何してるの?」


 ミツルに近寄ってきながら、純白に身を包まれた少女は素朴な疑問を口にして喋りかけてくる。


「何もしていないを、していた」


「どういうこと……?」


 可愛らしく首をかしげて、戸惑いの笑みをつくりながらきょとんとミツルの言葉を理解しようと努力するアリヤ。


「――要するに、ミツルは暇をしていたんだよアリヤ」


 うーんと眉間にしわを作ってアリヤが考え悩んでいると、ローリアはさらりと答えを口にした。

 それを聞いたアリヤは「なら、そう言えばいいのに」と考えるのをやめ、ひとり納得すると次いでミツルに質問してくる。


「先生から話は聞いたよ。バッドグリム討伐に協力してほしいんだって?」


 セリアと別れてからまだ十分と経っていないのに、アリヤとローリアは既に話題を聞いているようだった。

 こういった部分からも、セリアは無駄な時間を割かずに最短ルートを突っ切る性格であることが見て取れる。


「ボクはもちろん付き合うよ。たまには頭を使う以外のこともしなければ。運動がてらミツルにボクの実力を見せてやろう」


 自信ありげに腰に手を当ててムフンと荒く鼻息を吐くローリアを横目に、アリヤはどうするのだろうと気になっていると、


「私も付き添うよ。実戦経験にも繋がるし、なにより農業を営んでる人たちが迷惑してるんでしょ? ならそんなの放っておけないよ」


 相変わらず優しさの塊である彼女は即答した。


 ミツルはアリヤが共に行動することを知って、内心悦に入っているのを自覚すると軽く口角が上がった。そんな自身に戸惑うミツルは咄嗟に後ろを向いて嬉々とした感情をアリヤから、ローリアから、自分自身から隠した。


「…………?」


 しかしアリヤはもとよりミツルの感情を読み取れなかったのか、一再ならず首をかしげる。ミツルとしては理解されなかったのが幸いし、ポーカーフェイスを作って何事もなかったように前へと視線を戻す。


「お前らも授業はいいのか? 先生に許可を得ているとしても、遅れが出ると困るだろ。今からでも――」


「前にも言ったけど、ローリアなら心配ないよ。学院で学べることは全部熟知してるからね」


「ボクだけを上げるのはよしてくれよ。アリヤだって成績は優秀だ。一度や二度ばっくれたところで、何も影響など無いさ」


 ミツルの杞憂に、アリヤとローリアは顔を見合わせながら互いに褒め合う。実に仲の良いことだ。


「ならいいけど……」


 ――――そうこうしているうちに未だ聞き慣れぬ異世界型チャイムが鳴り響き、実技科の棟からぞろぞろと教導を受け終えた人が出てきた。


 次の授業の準備を整えようと木陰に座っていたミツルは立ち上がる。すると、棟から出てきた人たちの中に一人、立ち止まってこちらをじっと見つめる少女がいることに気が付いた。


 ローリアがミツルの見ている視線を辿って同じほうを見やると、


「――ああ。シエラじゃないか」


 そう言ってローリアはシエラという少女に大きく手招きをする。

 シエラと呼ばれた少女は手に持っていた小さな鞄を口に当てておどおどしていたが、数秒経つとゆっくりとこちらへ歩いてきた。


 近づいてきて気付いたことが、ローリアよりも少し小柄な彼女の耳は人間のそれとは大きく異なり、秋の旬である栗のように茶色がかった頭髪の横から生えている。耳も髪と同じ色をしており、種類としては猫の類いである。そしてもうひとつ、彼女の後方下部、つまり尻のあたりから伸びている非常に柔らかそうな尾。


「そうだ。ミツルに紹介するね。私達の親友なの」


 アリヤはそう言いながら、少女を真ん中へと招き入れる。


「――あ、えと、その……。は、始め、まして。……し、シエラ・ルレスタと言います」


 ミツルに向かって一度頭を下げ、緊張気味に震える口で自己紹介をする獣耳少女のシエラ。


「初めてではないだろう。同じ学科で同じ教室で学んでいるんだから、そう緊張することも無いだろうに」


「で、でも、話すのは、これが初めてだから……」


 ローリアはシエラの緊張をほぐすような態度でもの和らげに接する。


「私達とシエラの三人で、よくお昼ごはんを食べたりしてるんだ」


「……そうなんだな」


 そう口にするアリヤもシエラ・ルレスタという少女に仲睦まじく振舞う。


 比較的ぼっちであるミツルはいつもアリヤの作ってくれたお弁当を手に、学院敷地内の静謐せいひつとした場所を探して一人で食べている。それはアリヤやローリアも知っての上だ。


 ぼっち飯など恥ずかしいと思うほうが愚かだ。誰だって一人になりたい時はあるし、そういった時間はとても大切なものだ。誰かと唾を飛ばしながら駄弁して食べる時間がなくなるよりも、ピクニック気分で外で孤独にじっくり味わって食べる昼飯のほうが何倍も美味しい。

 今日はどこで食べよう、明日はここで食べるかと探索するのだって決して悪くない。くだらない話に無理して笑顔をつくって顔の筋肉を疲れさせるよりも、よほど有意義な時間なのだから。


「――そういえば、シエラはミツルに興味がある、みたいなことを言っていたような……?」


「ろ、ローリア……! 目の前で言わないでよ、恥ずかしいから」


 シエラは小声で顔を赤らめながらぱたぱたと可愛らしく両腕を振り回す。


 そんなシエラをぼーっと眺めていると、内に眠るある衝動が目覚めてきているのにミツルは自覚する。

 犬も好きだがどちらかというと猫派であるミツルは、シエラの頭の上でせわしなく動いている耳や尻尾を見つめると、彼女に黙って近付く。そして――――


「はうっ!?」


 ローリアと話していたシエラは突如声を荒らげた。

 原因は無論、ミツルがシエラの尻尾を掴んでいるからである。


「――おお」


「――ミツル、大胆」


 そんな光景をローリアは少々驚いた顔を、アリヤは顔に手をあてがって指の隙間から覗くようにして見たあと、そう口に出した。


「わ、悪い。つい、な」


 ミツルがぎゅっと握り締めていたシエラの尻尾を離すと、彼女は赤面していた顔をさらに紅く染め上げながら自分の尻尾を抱き抱える。


 確かに会って間もない女性に触れるのは非常識だったろう。しかし、正直そこまで騒がられるとは思ってもみなかったミツルにとって、彼女等の反応には少々戸惑う部分があった。


 初対面であるミツル目線からしてみれば、シエラは純情な女の子というよりも道端で出会った猫に近い。となれば本能の赴くままに手を伸ばしてしまうというのは仕方ないといえば仕方ない。


 ――謝りながらも腑に落ちない様子で頭に手を当てているミツルを見たアリヤは、


「獣人の娘が尻尾を触られるのは、人間の女性が胸を触られたのと同じようなものなんだよ……!」


 耳打ちでこっそりそう教えてくれるアリヤの事実に、ミツルは予期していた悪い予感が当たったのだと悟った。


 自分のやらかしてしまった危機行動を思い返したミツルは、


「ごめんな。その、言い訳に聞こえるかもしれないけど、知らなくてさ」


「いいいいえ! ちょっとびっくりしましたけど、これっきりにしてくださいね……?」


 ミツルの謝罪に気持ちが込められているのを感じ取ったのか、シエラは鞄同様、自らの尻尾を使って赤がかかった顔を隠しながらも許してくれた。


 しかし、尻尾が恥部とは。そんな大切な部位をさらけ出しているのも問題があるというものだが、もしかすると尻尾は敏感なセンサーの役割を果たしているのかもしれないとそう思ったミツルは、そのことを胸にしまっておくことにした。


 ――アリヤはそんな気まずい空気を脱しようと口を開いて、


「そ、それよりシエラ。ミツルに興味があるって、どういうこと?」


「アリヤまで! ……その、変な意味じゃないんだけど……」


 シエラは少し落ち着きを取り戻すと「えっと」と一言置いてから、


「その、あの日の決闘でミツルさんの独特な戦い方に興味を持ったんです。私、雷のマディラムを使うんですけど、実技科なのにローリアやアリヤみたいにあまり上手く扱えなくて……」


 ついさっきまで赤面していたシエラは、今は肩を落として俯き気味につぶやく。


「無礼を承知で言いますけど、ミツルさんもマディラムの扱い方にぶれが見えました。なのに、学院で一番のクラトスさんに勝った。――そこで思ったんです。どうやったらあんな風に、ミツルさんみたいに強くなれるんだろうって」


 俯いていた顔を上げ、小心者だろうに、真っすぐミツルの目を見つめるシエラ。そんな無垢な彼女の胸を射抜いてしまった自分のけがれた戦い方に、ミツルは申し訳なさを抱いてその目から逃れようと顔を背ける。


「…………俺は強くなんかないよ。君のほうがよっぽど強い……と、思う。俺の戦い方は、いつだって意地が悪くて汚いやり方なんだ。相手を騙して、欺いて。プライドの欠けらも無いやり方だ。君のような娘が真似していい戦い方じゃない」


 そうだ。俺の戦い方なんて手本にされていいような代物じゃない。

 闘う前に武士道精神で相手がお辞儀をすれば、その隙に一撃を打ち込むような下劣な戦法だ。


 今だって、この中ではおそらく俺が一番弱い。

 商い通りでの喧騒を止めたのも、セルムッド・クラトスの挑発に乗ったのもただの強がりだ。


 周りを騙し紛らわしているだけで実際指は小刻みに震えているし、冷汗だって脇やら背中に滲んでいる。すぐにでも逃げ出そうとしている足も懸命になって抑えているに過ぎない。


 シエラが教わりたいと言っているのは、そんなただの強がりなんかじゃないはずだ。

 それに栗毛の彼女が実技科に所属しているということは、当然試験にも合格したということだ。つまり少なからず戦闘力は持っていると思われる。


 セルムッド・クラトスの戦い方を追随したほうが何倍も糧となる。


 確かにセルムッドは無駄にプライドが高いし、いちいち面倒臭いし、弱者を見下すような見栄っ張りだ。けれど剣の腕に関しては、あの強さに関しては本物なのだ。あれはいずれ、さらなる高みへと登り詰める。性格は兎に角、あの真っすぐな剣戟こそが手本とされるべきなのだ。

 だというのに目の前の少女はセルムッドではなくよりにもよってミツルの戦い方を選んだ。


 なぜなのか。


 顔を横へ固定したまま視線だけをシエラに向けて一言、


「……俺なんかよりも、アリヤやローリアに教えてもらったほうがいいんじゃないか?」


 そう言ってミツルのほうから距離をとる。


 ミツルの線の細い中性的な顔立ちに、少しばかり長めの黒い前髪の隙間から覗く眼は一見アンニュイな雰囲気だ。が、よく見れば凛々しくもある。


 落ち着いた物腰に黒尽くめという出で立ちは少々威圧感があるが、少年めいた若い童顔とその口から発せられた先ほどの言葉がシエラの警戒心を一気に解きほぐした。


 きっとこの人はとても臆病でか弱いのだろうと失礼なことを思い、しかし同時に、そこから生じる脆さがかえって安心感や共感を得られる。決して悪い人ではないのだと、シエラはそう思った。そう思えた。


 他人が恐いから、何を考えているか知りたいが故に、その結果距離を置いて観察する。そしてゆっくり、ゆっくりと、場合によって距離が延びたり縮んだりする。そんな性格をシエラ自身よく知っているから。


「――ミツルさんからしてみれば、ひどく汚いやり方なのかもしれません。……けど、は綺麗だなと、そう思ったんです」


「…………」


 ほんわりと柔らかな微笑みを見せ、シエラはミツルの戦い方を肯定する。


 これまで自分のやり方を周囲から、己自身からさえも全否定されてきたミツルにとって、初めての肯定はどう反応すればいいのか困るものがあった。


 彼女に教えることなど何も無いのに、どうすればいいのか分からないミツルをよそにローリアは打開策とばかりにシエラの顔を見ながら、


「――それなら、シエラもバッドグリム討伐に参加したらどうかな?」


「そっか! ミツルの戦い方をシエラが実際に見て、観察すればいいんだよ」


 アリヤはローリアの腹積もりを察しよくキャッチし、手を叩いて顔を綻ばせる。


「バッドグリム討伐……。私も、ついて行ってもいいんですか?」


「もちろん。戦力が増えるに越したことはないからね。先生には私から話しておくよ」


「ありがとうございます!」


 ぱあっとあからさまに顔を輝かせるシエラに一方的に話を決めてしまったアリヤとローリアはほくそ笑む。そんな中、ミツルは一人思う。



 …………俺の意思は?



 〜 〜 〜 〜 〜



 ――数日後、結局新たにシエラも加わった男一人、女三人というアンバランスなパーティメンバーが構築され、ミツルなら大丈夫だろうと、セリアもそれに何ら疑うことなく即決で承諾した。


 静かなほうが好みであるミツルにとってすっかり賑やかになってしまった異世界ライフに少なからず不満を感じ得ながらも、ミツルは渋々少女三人組を引き連れて商い通りへと足を踏み入れていた。


 城下町にある商い通りは深夜を除いて繁盛しており、常に人混みに溢れた場所でもある。加えて鎧に身を包んだ戦士や大柄な獣人なども多少いる。そのため大勢の壁を四人固まって歩くのはなかなかに難しく、ミツルとアリヤ、ローリアとシエラの二手に分かれて必要物資を買い揃えるという決断に至った。


「――次は何を買うんだ?」


 ミツルが荷物持ちの役を担い、アリヤが一通り必要な物を書いたリストの紙を見ながら揃える形で買っていく。


「んーとね、次は野宿するための食糧かな」


 そう言って先方を行くアリヤに続いてミツルも歩いていると、不意にアリヤの歩くスピードが下がった。


 この人混みの中だから前が詰まったのかと思ったがどうやら違うらしく、ミツルはアリヤの隣に来て顔を見ると、どうも何かに食いついたようだった。ミツルが彼女の視線を辿って見てみると、その先にあったのは煌びやかに陳列された円形に繋がれた装飾品だ。


「ほら見てミツル。綺麗な首飾りだね」


「……そうだな」


 アリヤの後ろから覗き込むようにして、ミツルは無機質な声で返事をする。

 それもそのはずだ。正直なところ、ミツルの瞳に映る目前の商品はすべて同じ物にしか見えない。違いと言えば色くらいだ。好きな人には全部が個性的な彩りを持った物なのだろうが、興味の無い人からしてみればとことんどうでもいい代物だ。


 米粒でも野菜でも、基本的な形は同一だが細かく見てみると同じ物は無い。だからと言ってひとつひとつをまじまじと見ながら食べる人なんてそういないだろう。ミツルからすればそれほど関心の無いことなのだ。


 しかし女性には非常に輝いて見えるのだろう、アリヤは首飾りと同じように綺麗な瞳に宝石が施されたペンダントを映して立ち止まってしまった。


「これなんて特に綺麗」


 壊れないように慎重に首飾りを持ち上げるアリヤ。彼女が手にしたのは、ターコイズよりも微妙に暗めな水色をした宝石の首飾りだ。シンプルに一つだけ宝石が施されたペンダントだが、


「綺麗だけど、派手じゃないか?」


 黒など地味な色が好みであるミツルからしてみれば十分な派手さを醸し出すペンダントだ。アリヤは共感してもらえなかったのが残念だったのか、「そうかなー」と少しトーンを落とした声で答える。


「――お嬢さんは見る目があるね。それはこの辺りじゃあまり採れない鉱石なんだ。魔除けや旅の安全を護ってくれるよ」


 効果もターコイズ似だなと思いながら、ミツルは買わせようと話しかけてくる露天商の男を観察する。


 どうやら本当のことのようだ。商売人の口車は上手く、根も葉もない嘘を平気で言って高額な物を売りつけて大金をせしめようとしてくる場合がある。だがこの主人は安全だ。


 人間悪事や後ろめたいことがあるときは不自然なほどに引きつった顔つきをするのだが、この商売人はやんわりとした表情で微笑むだけでそれが見受けられない。もしこれで嘘だったのであれば、それは見破れなかったミツルにも非があるというものだ。


 ――ミツルは隣で日にかざしながらペンダントを覗き込むようにして見つめているアリヤをちらりと見ると、


「これ、ください」


「えっ!? いいよミツル」


「はいよ」と二人を見てニヤニヤと笑う露天商を疎ましく思いながらも、ミツルは覚えたばかりの小銭を手渡した。首飾りを戻そうとしていたアリヤの小さな手をミツルはそっと止めると、彼女はそんなミツルの予想だにしない行動に驚愕の表情を見せる。


「そんな、悪いよ。買ってもらう理由なんて無いのに。それに先生から余計な物は買わないようにって言われてたんじゃ――」


「俺の持ち金で買うから関係無いよ。それに、いちいち買うのに理由なんているか?」


「いるよ。ミツルのお金が無くなっちゃうよ!」


 素直に受け取ろうとしないアリヤにミツルは呆れた顔を彼女に見せつける。


「お前って妙な部分で合理的なとこあるよな」


 気遣いマスターを秘密裏に自称(正しくは自覚)しているミツルの観点からすると、そういった他人の心内ばかりを気にしているようでは気疲れしてしまうところだ。


 その点に関して言えば、アリヤはミツルと似ている部分がある。彼女のそんな優しさは嬉しくもあるのだが、何より他人の顔色をうかがうのは決して楽なことでは無い。だからこそあまりミツルのようにはなってほしくないのだ。


「もう金払ったんだから仕方ないだろ。理由なら……、そうだな。いつも世話になってるからそのお礼ってことにしておけばいい」


 アリヤの否定をすべてけ、上手く理由を後付けしたミツルについに彼女は観念し、手渡された小さな紙袋に包まれたペンダントを大事そうに抱える。


「…………本当にいいの?」


「ああ。実際、世話になってる」


 本当のことだ。この世界に来たときもアリヤに出会わなければ右も左も分からなかったし、住む場所を提供してくれたのも、文字の読み書きを教えてくれたのも、お金の使い方を教えてくれたのも、学院に通えるようにしてくれたのも、すべて彼女のおかげだ。もっと大袈裟に言うのであれば命の恩人と言ってもいいくらいなのだから。


「――ねえ、今、付けてもいいかな?」


「それはもうアリヤの物だ。アリヤの好きにすればいいよ」


 ミツルの応答にアリヤは嬉しそうに受け取ったばかりの紙袋を開けると、中から買って間もない首飾りを取り出す。それを首の後ろに両手をまわして器用に髪を避けながら付けると、一歩下がって直立する。


「……どう……かな?」


 買うまでは少々派手に見えたペンダントだったが、実際に付けてみると全体的に白のイメージのある彼女とのコントラストが良く、意外と悪くもなかった。


「似合ってるよ。真っ白なアリヤにぴったりだ」


 ミツルの飄々としながらも本音からの感想を聞いたアリヤは、頬を軽く赤に染めるとにっ、と満面の笑みを浮かべながら、


「――ありがとねミツル。絶対、凄く大事にするから」


「ああ。そうしてもらえるとそいつも喜ぶよ。――行こうか」


 アリヤはそう言うミツルの横に「うん」と溌剌はつらつとした返事をしながら並ぶと、上機嫌で歩き始める。

 歩きながら何度もペンダントに手をやり一人微笑む彼女を見ると、買った甲斐があったなとミツルは思った。



 ――食糧や武器も買い終え、ある程度の買い物も済ませてしばらく歩いていると、見覚えのある果物屋が見えてきたのにミツルは気付く。


「おや! あんたはいつぞやの黒い人じゃないか。アリヤちゃんから聞いてるよ、ミツルって言うんだって?」


 大勢の中で商売をしているからか、身についた大きな声で果物屋の女主人が話し掛けてくる。


「おばさん。こんにちは」


「アリヤちゃん、こんにちは」


 ひょい、と顔を覗かせながらすっかり親睦を深めて愛想良く挨拶を交わすアリヤに、女主人も笑顔で接する。


「こちら、果物屋のジルベダさん。私たちがいつも食べてる果物はここで買ってるんだよ」


 両手を女主人に向けて紹介するアリヤに、ジルベダと呼ばれた彼女は「毎度ありがとね」と元気よく言った。次いでアリヤからミツルへと視線を移し、


「ミツルさんも、この前はありがとうね。あの後しばらくしてから二人が謝りに来たよ」


 大口を開けて感謝を述べるジルベダ。ミツルは二人とは誰だったかと一瞬思い返すように空を仰ぎ見るが、すぐに獣人の大男と剣士のことだと悟ると「ああ」と一言置いてから、


「気にしないでください。当然のことをしただけなんで」


「その当然のことを、みんなはしないからね。あんたらは偉いよ」


 そう言ってジルベダがアリヤとミツルを交互に見ていると、割と鋭いのか、女主人はアリヤの首にこれまで無かった物がぶら下がっていることに気付く。


「おやアリヤちゃん。綺麗な首飾りだね。自分で買ったのかい?」


「いえ、ついさっきミツルに買ってもらっちゃって」


 はにかむアリヤのその一言を耳にしたジルベダは笑顔で歪めていた皺の入った顔をさらにくしゃっとさせる。


「彼氏からの贈り物かい!?」


「かっ……!? ち、ちがい」


「仲がいいねぇ。昔を思い出すよ。あたしも若い頃に指輪を貰ったもんさ。ほら、これなんだけどねえ」


 袖をまくって見えるジルベダの見事な腕っ節が前へと伸び、その先の左手薬指にはめられた銀色の指輪を見せてくる。


 ずっとはめているであろう指輪は陽の光を受けると長年の思い出を形作ってきたような複数の傷を現し、それでも大切にされているのが見て取れた。文字通りに肌身離さず付けられている指輪は指の皮膚を締めつけ食い込み、もはや人の手で外すことは困難になっていた。


「昔は身も引き締まって男前だったってのに、今じゃ腹も出て飲んだくれ。毎日毎日つまらないことで口喧嘩の大合唱だよ」


 口ではぶつぶつと文句をのべつ話しているが、不思議とジルベダの顔に嫌悪の感情は微塵たりとも無い。不満は尽きぬが幸せだと、そう言っている顔つきだ。


「いいものを見させてもらった代わりにほら、値引きしとくよ」


 早口で勝手な解釈で話を進めるジルベダにアリヤもミツルも追いつけず、言われるままにいつもアリヤが買ってくる半分の値段でジルベダは果実を手渡してくる。


「しかし、あのお婆さんにも一言礼を言いたいもんなんだがねぇ……」


 腰に手を当ててふんすと荒く息を吐きながら、ジルベダは商い通りを行き交う人たちの中から探すように眺める。


「お婆さん?」


 アリヤが復唱するとジルベダは「そうさ」と前置き、


「水のマディラムで喧嘩してた二人を止めてくれただろう?」


 そう言ってジルベダは先ほどまでの笑顔を消し去り、代わりに眉の下がったバツの悪そうな表情をつくる。すると、


「――そのお婆さんの正体はボクだね」


 雑踏の中から聞き覚えのある声がして、ミツルは聞こえた方向へと顔を振り向かせる。そこでは買い物を終えたであろうローリアとシエラが手に荷物をいっぱい持ったままの状態で立っていた。


 ローリアはやあ、とミツルに荷物を落とさない程度に手を挙げ、シエラはぺこりと頭を下げる。


 その一連のやりとりを見ていたジルベダはミツルたちが知り合いなのだと理解し、


「本当かい?」


 アリヤに目を向けながらそう口にすると、アリヤは「はい」と一言返事をした。


「なんだい、老人だと思ってたのに、こんな可愛らしいだったのかい」


 可愛いという言葉に反応して珍しくにへらと照れるローリアに、ジルベダはミツルに言ったように感謝を述べる。


「――まあ随分と仲間が増えたね。これだけいるんだったらもっと持っていきな」


 そう言うとジルベダは唯一手荷物の少ないアリヤの腕に、袋に詰めた四つの果実を押し付ける。


「周りの人たちから隠して食べな」


 ジルベダは最後に小皺の多い顔でばちんと片目でウインクしてきた。


「ありがとうございます」


「これからもご贔屓ひいきに頼むよ!」


 アリヤはジルベダに負けない笑顔で挨拶を済ませると、お金を払って四人でその場をあとにする。


「――みんな、必要な物は全部揃った?」


 商い通りを抜けた先でアリヤが一瞥してそう言うと、シエラが細めの尻尾を大きく振りながら「うん」と少し声を上げて返事をした。続けて、


「今日出立するの?」


「うん。今ならまだお昼時だし、スレイヤード平原の森まではちょっと距離があるから」


 アリヤはまだ陽の高い藍白の空をちらりと見ると、小心者のシエラに優しく語りかける。


「なら早く行こう。日が暮れてしまう前に、できるだけ進まないと」


 いくら戦える人がいたり武器を買ったからと言っても、年端もいかぬ少女三人を夜道で歩かせるわけにはいかない。ローリアから聞いた話によれば、魔物以外にも盗賊や強姦魔などもいるという。いざとなればこの身を犠牲にして守らなければならないのだ。


 ――ミツルとアリヤ、ローリア、シエラの四人で城門前まで来ると、門兵と思われる兵士が二人、城門の両端に立っているのが見えてきた。


 門兵の一人が四人に気が付くと、先頭で歩いていたミツルに「待った」と言って呼び止める。


「――外へ出るなら、目的を書いてここに名前を頼むよ」


 手続きか。面倒だな。


「あ、私が書くよ」


 アリヤはそう言って門兵から紙とペンを受け取ると、すらすらと慣れた手つきで流麗に文字を書いていく。

 目的の文を一読した門兵は少し意外な顔をして目を開く。


「スレイヤード平原西部の森林で、農作物を盗むバッドグリムの討伐依頼?」


「依頼主はロエスティード学院実技科担当のセリアです」


 アリヤがそう言うと、セリアと顔見知りなのだろうか、門兵は「ああセリアさんか」と納得した様子で警戒を解いて笑顔を見せる。


「セリアさんの事だから、学院の生徒に実戦経験を積ませるついでで依頼したんだろうけど、比較的弱い魔物だからって、くれぐれも油断はしないでくれよ」


「水のマディラムではボクが最強だ。心配をしてくれるのはありがたく思うが、杞憂というものだよ」


「わ、私も危なくなったらミツルさんに守ってもらうので大丈夫です」


 シエラは顔を赤らめながらミツルを一瞬見つめる仕草をとるが、すぐに視線を逸らして下を向く。


 ミツルはまた人懐っこいのが増えたなと頭の隅で思いながら、内と外を隔てる重い城門がゆっくりと開いていくのを見据える。


 やがて城門が盛大な音を立てて完全に開ききると中央に一本長く続く広めの道があり、その周りで明るい緑をした草原が風で波をつくって揺られているのが見えた。


 アリヤの家を彷彿とさせるのどかな景色だがそれは幻想であり、決定的に違うのは、この先は命を奪おうと躍起になる生物が多数存在しているということにある。


 ミツル以外の三人は既知であろうが、当のミツル本人は正真正銘の非日常なのだ。世界平均にしてもミツルの住んでいた国はトップレベルで平和だったため、平和ぼけで鈍ってしまった身体がこわばってしまう。


 そんなミツルの不安と疑惧に狩られた心情を読み取ったのか、アリヤはそっとミツルの横に立つと手を握ってきた。


「頑張ろう!」


 アリヤは穏やかに微笑みかけながら、平静を装うミツルに声援をおくる。後ろではローリアとシエラが引き締まった顔で笑顔をつくり、ミツルの背中をそっと押すようにして熱意を伝えていた。


 ミツルは深く息を吸って決意を固めると、恥じること無くアリヤの手を握り返して非日常への一歩を踏み出した。


「――行こうか」


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