Race10. 少女の愛は雪に舞う
「……小説の話みたい」
「全くだよ」
事の顛末を全て来望に話すと、来望はそんな感想を残した。未来を見るなんてそんな力、フィクションかなんかじゃないとあり得ないよな。
「……でもこの写真の私、すごいね」
「あー、あの時の来望はヤバかった」
絵愛から送られてきた来望の写真を見せると、来望は目を輝かせていた。来望にしてみれば来望のそっくりさんが華美なドレスを着ているところを見せられているわけで。何かを思い出すというのは期待しすぎだと思うが。来望の表情はさっきまでのそれとは違い、どこか郷愁に浸っているような……少なくともマイナスな感情ではないことは断言できる。
「颯馬の知ってる私は颯馬の好きが理解できたんだね」
「そうだな。オレも……来望の好きを理解したいと思ってる。でも時間はかかると思うけど……」
来望は自分の中で思考を反芻しながら言葉を紡ぎ出しているようだ。そういう時の来望はオレがどうこう言わなくても自分の中で結論を導き出せる。だからオレはその様子をじっくりと見ることにした。
「颯馬、馬券。買いにいこう」
「うん、いいよ」
スノーラブが出走するレースの締め切りまであと5分を切ると言ったところか。既に本馬場入場のBGMが流れていることを考えると、あまり余裕はないだろう。オレ達は手近な販売機の場所まで移動し、手早くマークを打っていく。オレがマークするのを真似するように来望もぎこちない手つきでマークをしていった。
「来望、難しいならオレがやるよ」
「いい。……私が応援したいから、私にやらせて」
かくしてオレ達はそれぞれ1枚の馬券を握りしめる。そこにはあの時の同じ、スノーラブに対する応援の言葉が込められていた。それは来望にとって始まりの馬。馬を応援するという意思だけは記憶が消されたとしても変わらない。だってそれは、未来視を得るずっと前からオレ達に刻まれ続けた絆だから。
気温が下がっていくのを感じてか、来望がオレの腕にぎゅっと絡みつく。こういうところでイチャイチャするのは恥ずかしい……というか場違いな気もするが。でも来望がその行動をとったという意味に、オレは感情を表立って出すことはなくても嬉しさを感じていた。
「……スノーラブ、目立つね」
「芦毛でもかなり毛が白いからな」
「馬によって違うの?」
「芦毛でも灰色っぽい馬もいるしな。ああいう白いのはそれはそれで希少だよ」
このレースでもスノーラブはかなり人気している。まだ1勝しかしていないにも関わらずオープン戦に出場する(*1)ということを加味してもだ。前走の勝ち方を見て素質を感じている人が多いのだろう。
「ふふっ、颯馬楽しそう」
「聞いてて面白くないだろ?」
「ううん、颯馬の好きって気持ちが溢れてるところを見るの好きだから」
「……こんなオレでもいいのか?」
「颯馬じゃなきゃダメなの」
そう言って屈託のない笑顔を見せる来望。ああ、そうだ。そんな笑顔を見せてくれる来望のことが愛おしくて。普段は表情に出さないけど……こういう時にはしっかりと自分の感情をむき出しにしてオレの心を虜にしてくる。
「ったく」
「可愛い」
「……来望がそう言うんなら」
来望がオレの頭を撫でてくる。身長差が結構あるから来望はちょっと背伸びしてオレの頭をそっと撫でてくれた。それはオレが普段来望にしているそれと同じような撫で方で、オレも満更ではない。
「あっ、始まる」
「さて……どうなるかな」
スターター(*2)が台の上に上り、旗を振る。場内に響き渡るファンファーレがレースの始まりを告げると、それを見つめるファンの人たちの視線が一挙に一点へと集中していく。ゲート入りはスムーズに進み、最後の馬がゲートに入る。
そしてゲートが開く。スノーラブは好スタートを切り、前のレースと同様に序盤から先頭争いを仕掛けていった。しかし序盤からの激しい先頭争いは、同時に序盤のペースも加速していくことを意味する。
「こんなハイペースで飛ばしたら前の馬潰れるぞ!?」
「スノーラブ、前にいる」
万事休す。3コーナーを回ったタイミングでスノーラブが先頭ではあるものの、その差は3馬身あるかないか。そして中京競馬場は4コーナーを回ってもまだ400m残っており、さらには曲がった直後に急な坂が待っている(*3)。前のほうでスタミナを消耗した馬にしてみればこの400mはどこよりも長いものになるだろう。
そして馬群は、雪中を駆ける白馬を先頭に歓声の巻き起こる直線へと突っ込んできた。未だにスノーラブは先頭でしぶとく粘っている。……否、その差が
「あいつ、逃げて差してるのか!?」
「スノーラブ、がんばれ……!」
後ろで脚を溜めていた馬たちの強襲が始まるが、スノーラブはそれを気にしないとでも言わんばかりにぐんぐんと前へ推進していく。そこには確かに坂がある。あるはずなのだ。だが、スノーラブの走りに坂の有無など関係ないと人々は息を呑む。しかしオレ達は先導する一頭の白馬に惜しみないエールを送り続けた。
「頑張れー!」
「もう少し……!」
残り200m。既に前にいた馬たちは後ろへとずるずる下がっている。しかしスノーラブだけが先頭をひた走っていた。その勢いを止めることなど誰にもできない。後方から差し切ろうとする馬の追撃を2馬身振り切っての完勝。自らハイペースに持ち込みながらの逃げ切り勝ちは、スノーラブという馬の得体の知れぬ強さを示すには十分だった。
「スノーラブ化け物かよ……」
「これが、競馬の面白さなんだ」
「そうだな」
競馬は時に競馬を越える。そんなフレーズのCMを小さい頃に見たなと思い出す。このレースを見ていた他の人たちは既に次のレースに切り替えてそそくさとスタンドを後にするが、オレ達はただ今目の前で起きたそのパフォーマンスに圧倒される他なかった。
「颯馬、来望ちゃん」
「まだここにいたんだな」
「父さん、母さん。どうしたの?」
「二人が喧嘩してるんじゃないかって心配でな。母さんも連れてきたぞ」
親バカが過ぎない? 両親はオレ達の様子を見るや、お互いに微笑み合う。
「……なんだよ」
「いや、不安だったけどその様子なら大丈夫そうだな」
「……?」
いつの間にかオレと来望が腕を組んでいた。組んでいたというよりはまとわりついているのほうが正しい表現かもしれない。満足そうな顔をしている来望を見ていれば、それがさっきまでちょっとギクシャクしていたカップルだとは思うまい。
こうして今日一日でオレの中でケジメをつけなきゃいけない事柄の半分が終わった。そしてもう半分は今日の夜にするつもりなのだ。そしてその準備は既に出来ている。
競馬場を後にしたオレ達は、両親とは別行動を取ることにしていた。父さんには事情を話しているので、母さんにもその事情が伝わっていると思う。だからか、オレ達二人きりでの行動を邪魔するということはなかった。
「今日は楽しかった?」
「うん、颯馬のことよく分かったから」
「オレも来望の気持ちが分かってよかったよ」
「来望」
オレは意を決して言葉を紡ぐ。それは本来オレがするつもりだったことをもう一度行うため。来望がなんでもないと言ってのけたその言葉を言うために。
「今日レストランを予約してあるんだ。一緒に来てほしい」
「いいよ。颯馬と食べる料理はなんでも美味しいから」
来望に婚約指輪を渡す。それが形式的なものであるとしても、オレはその形式を大事にしたい。その為にオレはここに立っているんだ。もう一度自分に鞭を入れる。
すごい自分を見せなくていい。それでも来望はオレに失望したりはしない。それでも、それでもだ。たった一度のプロポーズぐらいは、きっちりと決めたいというのは贅沢だろうか?
■
*1 自分のクラスより上のグレードのレースに挑戦することを格上挑戦と呼ぶ。出走頭数が少ないレースではよくあることである。そのような馬は基本的に人気薄になりやすいが、ハンデ戦のような斤量が少なくなるレースではたまに大穴を開けることも。
*2 スターターと言えばレースが始まるときに旗を振っている人を想像するが、他にもゲートの後ろで馬を誘導する人やゲート前で旗を振っている人もスターターと呼ばれる。彼らの力があって正常なレース進行を行うことが出来るのだ。
*3 直線に坂が存在する競馬場は当然坂を駆け上がるパワーが無ければ勝つことは難しい。逆に直線が坂がない競馬場では人気薄の馬でも馬券に絡むことがよくある。ローカル場は中京以外は急坂がないので、ローカルは荒れやすいという原因の一つである。
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